三十五歳、志願
その夜、俺とビアンカは、夜が白むまで語り合っていた。
ベッドに横並びで天井を見上げながら、俺は自分のことを洗いざらい話した。
(こんなに誰かに話すのは、何年ぶりだろう)
騎士を志したきっかけ――ゴブリンを倒した少年時代の話。
スイトー村で家族と再会した時のこと。
帰郷と挫折と、もう一度立ち上がったあの日のこと。
「えー、サラマンダーを一人で倒したんですか?」
「う、うん……なんとか、な」
「すごいじゃないですか! サラマンダーなら、騎士団でも分隊で対応が基本ですよ?」
「そ、そう?」
彼女の瞳がきらきらと輝いていた。
(まぶしい。若いって、こういうことを言うんだろうな)
「本当に実力は十分ですよね。昨年はどうして落ちたんですか?」
「試験の直前に、腰を痛めたんだ。動くのがやっとで……」
「なるほど。オーバーワークに注意ですね。その前は?」
「魔力耐性が足りなくて」
「じゃあ、今年は怪我に気をつけて受ければ間違いなく受かりますよ。魔力耐性はもう大分ついたんですよね?」
「ああ、家でも訓練できるように、高い魔鉱石を月賦で買ったんだ」
庭の隅に、黒光りする丸い石が鎮座している。
月明かりを吸い込みながら、低くうなっている。
「じゃあ、絶対大丈夫。今年は間違いなく受かりますよ」
ビアンカがまっすぐ言う。その声が不思議と胸に刺さった。
「だって、私がついていますから!」
(なんて、いい子なんだ)
「……あーあ、でも問題は私ですよ」
彼女が小さく息を吐く。
「私、まだ斬岩剣もできなくて……」
「それなら、俺が教えるよ。ビアンカはセンスがある。コツさえ掴めば、すぐできる」
「本当ですか? やったあ!」
彼女の笑顔が、部屋の灯りより明るかった。
「そういや、なんでビアンカは騎士になりたかったんだ?」
「……私の故郷は、ゾラとの国境近くにあったんです」
「うん」
「昨年、ゾラに滅ぼされました」
「……滅ぼされた?」
「ええ。リンドー村って、知ってますか?」
「……!」
リンドー村。
昨年、初めてゾラが侵攻し、焼き払った村。
あの戦線は、今も地図から赤く消されている。
「私は王都の学校にいたので無事だったんですけど」
彼女は、少しだけ俯いた。
「父さんも、母さんも、弟も、友達も、みんな行方知れず。多分、殺されたか奴隷にされたか……」
「……そんな」
「すぐに学校を辞めて、騎士養成所に入りました。
絶対に騎士になって、ゾラをやっつけてやるって」
俺は言葉を失っていた。
(ビアンカに、こんな過去が。しかも、それを一度も口にせず、こんなに健気に……)
沈黙の中で、彼女がふと顔を上げた。
「あと、決めたんです。生きているうちに好きなことをしようって」
笑って言う。その笑顔が少し寂しげだった。
「だから、自分から好きな人にアタックしちゃいました」
「ビアンカ……」
気づけば、俺は彼女を抱きしめていた。
「きゃっ」
「絶対、一緒に正騎士になろう」
「はい」
(今年の試験は三か月後。
ビアンカのためにも、俺は絶対に受かってみせる)
◇
翌日。
憲兵隊の詰所に、十数人の兵士が整列していた。
隊長の前には、俺とビアンカ、そして昨日までの飲み仲間ガストンたちの姿もある。
視線が勝手に動く。
横の列に並ぶビアンカ。
髪を束ね、真剣な顔。
目が合った瞬間、心臓が小さく跳ねた。
(信じられない。あんな子が、俺の恋人に……)
「今日は、憲兵の皆に話がある」
隊長の声が広場に響く。
「南部戦線が激化している。我が憲兵隊からも、五名を戦線に派遣することになった」
ざわざわと空気が揺れた。
俺の胸も、ざわざわと鳴る。
「今回は志願制の先着順とする。志願者はいるか!」
どよめきが走る。
まさか、ここで。
俺の心臓が一拍遅れて動き出す。
(どうする? 今の段階で行くか?
いや、まだだ。三か月後に正騎士に受かってから――)
ドクドクドクドクドクドク。
血の音が耳の奥で鳴る。
「五名! 決まりだな!」
「え?」
顔を上げた時には、もう数人の手が上がっていた。
「勇敢なる諸君らに感謝する!」
その中の一人――
凛々しい顔で、まっすぐに手を挙げているビアンカがいた。
(ビ……ビアンカ……!?)
言葉が、喉の奥で固まった。
頭の中で、昨夜の声が響く。
――だって、私がついていますから。
その笑顔を思い出した瞬間、胸の奥で、熱いものがはじけた。




