表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノミの心臓のおっさん、竜の心臓を手に入れる  作者: Zoo
第一章 ノミの心臓のおっさん
1/40

三十歳、崖っぷちの昇級試験

王都セイラムの夜は、夜明けの時が近づいていた。

 

川霧が低く這い、石造りの長橋と石畳を白く濡らす。東の空がようやく薄藍から橙へと溶けていき、街の屋根や尖塔の輪郭に光が縁取りを描いた。


「良いすこぶる、良いすこぶる調子が良い!」


 その河原に、ひとりの男がつぶやいた。

 ――リーザス・モートン、三十歳。


セイラム王国騎士団に所属、肩書は「騎士」。

だが実情は末端の、いわゆる雑兵である。


 その手に持たれているのは大剣。刃は朝焼けを受けて薄く金色に曇り、石の肌に光の線を描いた。

 目の前にあるのは、人の背丈ほどもある川石。積年の水流で角が落ち、鈍く重たそうな、ただの岩。だが、剣士にとっては確かめの相手に不足はない。


(吸って――)

 鼻腔を冷気が刺す。胸が広がる。

(吐く)

 喉の奥で音もなく呼気がほどけ、肩の力が落ちる。

 握りは深く、肘はわずかに内。踵は砂利の中でぐっと踏ん張り、腰の線が真っ直ぐに立った。


 ビュン、と風が鳴った。

 刃が走る音は、耳ではなく掌で聞く。衝撃はなく、ただ抵抗が消え、空を切るように軽い。

 次の瞬間、岩の表面が——ずれる。

 砂粒が音もなく崩れ、その隙間から朝の光が線になって滲み、左右二つの塊は別れを告げるようにゆっくりと倒れた。


「ふむ」


 剣をひと息で納める。

 河岩の切断面を指でなぞる。

 研磨したようにピッカピカだ。


 背中に朝日。逆光の中に立つ自分の影が長く伸び、河原の小石ひとつひとつまでくっきりと黒く塗りつぶした。リーザスは確信した。


(時間はかかった。だがまちがいなく今日、俺は騎士になる!!!!)


     ◇


 騎士団駐屯地の中央広場は、朝になると土の匂いが強い。

 四角く固められた地面のあちこちに踏みしめた靴跡が残り、木製の訓練人形には昨日の刃こぼれが刻まれている。

 その日の広場には、五十名ほどの「候補者」が集まっていた。年端もいかない若造から、俺のように顔に疲れの線が出る歳の者まで。皆、胸甲を磨き、帯剣の柄に手を置き、無理やりにでも背筋を伸ばして見せる。

(みながセイラム王国騎士団所属の正騎士を目指している)

(一応俺も、俺リーザスもセイラム王国騎士団所属ではあるが)

(階級は最下層。雑兵。)

 雑兵ができる仕事は、王宮や貴族の屋敷の警護。

 戦に呼ばれることはほとんどない。


 一方、正騎士になると違う。

 貴族としての騎士の身分を与えられ、生涯恩給が発生する。

 戦で戦功を上げて、騎士団長にもなれば国の中枢レベルにまで出世できるだろう。


 幼き頃、地元のリンドー村で剣の神童と呼ばれ

18歳で村総出で盛大にこの王都に送り出された。


 それから12年。

 そして俺は30歳になっていた。

 この年でまだ「正騎士」に昇格できていない者の将来は、決して明るくはない。

 知っている。俺は知っている。だからこそ、今日だけは――。


 胸の内側で、太鼓が鳴る。

 ドクン、ドクン。

 最初は遠い。耳のすぐ外側で鳴るような錯覚がして、次第に近づいてくる。


(大丈夫だ。調子はいい。朝の斬岩は完璧だった。練習だって……)

 百回振って、百回斬れていた。汗が眼に入った時でさえ、刃は迷いなく岩を割った。


「次! リーザス!」


 試験官の声音が鋭く空を切る。

「はっ、はい!」

 名を呼ばれた瞬間、世界の輪郭が僅かに歪んだ。視界の端が白く薄れて、足裏から砂が逃げる感覚がする。


 列から一歩進み出る。

 汗が、出る。額から、こめかみから、背中から、掌から。

 鼓動が音を大きくして、胸郭を内側から叩く。ド、ド、ド。鼓の皮が張り過ぎて破けそうな、嫌な高鳴り。


「本日の試験は――斬岩剣。正騎士の基本スキルだ。試験は一度きり」


 斬岩剣。

 岩を斬るための剣ではない。心を真っ直ぐ通すための一撃。

 それを身に付けて初めて、ひとり前の「正騎士」。

 頭ではわかっている。体も覚えている。なのに――。


(できる。できるはずだ。朝は完璧だった。俺は、俺は――)


 刃を構える手が、震える。

 柄巻きに吸い付くはずの指が、汗に滑る。

 視界の中で、岩が、不気味なほど大きい。

 周囲の視線が、刺さる。候補者たちの目。試験官の目。城壁の上からの兵士の目。人の気配が波になって押し寄せ、足首を絡め取る。


「いつまで待たせる。早くやれ!」

「はっ、はいいいい!」


 喉が乾いて声が裏返った。

 叩きつけるように、剣を振り下ろす。

 刃は岩に届く前に、空気の中で重くなる。

 刃筋はわずかに泳ぎ、肩に余計な力が入り、腰の線が崩れた。


 硬い音がした。

 岩は、欠けもしない。

 手が痺れた。刃の震えが骨に伝わり、肘から肩へ、首のうなじへとぞわりと駆け上がっていく。


 試験官の溜息が、遠くでひとつ。

 その音が合図のように、俺の世界はふたたび静かになった。


     ◇



読んでくださってありがとうございます!

次回、リーザス覚醒か!?

★や感想、ブクマで応援してもらえると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
活字で読むとまた新鮮ですね! この作品はやはり単なる無双ものと逆で、強いはずなのに力を出し切れずとにかく情けない!けど底抜けにお人好しな主人公の人間としての魅力、これに尽きると思います これからも…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ