(4)鎌鼬を知る者
前回のあらすじ
由比凪の鎌鼬は葦裁と名乗り、それは森奥の廃神社に祀られた神と同じ名だった。しかしそれ以外の情報、特に犯行動機を頑なに黙秘した。
三咲は彼女の妙な立ち回りと事件の真相に迫るため、本格的な調査を開始する。
翌日。昼休み。
葦裁があれほど隠す犯行動機……それはよほどの隠しごと。
正直、無理に暴くのは気が進まない。隠す理由は、それが誰にも傷つけられたくない、繊細で大切に守りたい想いだからかもしれない。心を引きずり出すのは残酷なことだ。
だが犯行動機を隠す以上、裏があるのも確かだ。葦裁が誰も傷つけず、誰にも傷つけられず、そしてあのハサミも返せる……全てが丸く収まるのならそれが一番いいが、葦裁が切り裂き魔を続けるつもりならそうもいかない。そしてそのためには葦裁の隠しごとを知る必要がある。
席を立った僕は、ある人物の下へと向かった。
「瀬々良木」
「へっ? 不来方くん?」
瀬々良木蛍。僕の数少ない知り合いの中で、おそらく由比凪の鎌鼬について最も詳しい人物。
彼女は大袈裟に丸くした目でマジマジと僕を見ていた。
「ど、どうしたの? もしかしてお腹痛くなっちゃった? 一緒に保健室行く?」
「いや、少し話がしたい」
「うえぇっ!? え、あ、そ、そそそんなこと言うなんてホントに大丈夫? き、救急車呼ぶ?」
「……僕をなんだと思っているんだ」
「だって昨日は独りの時間が好きとか言ってたし」
「由比凪の鎌鼬の話、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」
「ふうん……?」
由比凪の鎌鼬という単語を出せば食いついてくるかと思っていたが、瀬々良木は意外にも僕を訝るような目だった。
「とにかくご飯食べながらにしよ。不来方くんも持ってきたら?」
「いや、僕は……」
余計なことを言いかけ、飲み込んだ。
「……わかった」
僕は昼食の弁当を取りに自分の席へ。瀬々良木の下へ戻ると彼女の前の席の椅子が反転されている。瀬々良木に促されるまま、僕らは一つの机で昼食を囲むことになった。
座るや否や、瀬々良木からの疑念の目が早速飛んできた。
「で、どういう風の吹き回しかな不来方氏? まさか突然興味が湧いた、なんてことはないよね?」
「念のため家族に伝えておきたいんだ」
「不来方くんの家族……って、確か一緒に暮らしてるのは血の繋がった家族じゃないんだっけ?」
「……よく知っているな」
「教員免許を持ってることと口さがないことに相関性はないんだよ。ごめんね? あたしも聞くつもりはなかったんだけど聞こえちゃって」
「いや構わない。僕を引き取ってくれた母親代わりの人と、血の繋がった妹。旦那さんが仕事で家にいないから男手は僕一人だ。鎌鼬……または切り裂き魔がいるっていう、せめて警告くらいは」
「あ、あと白いワンちゃんを飼ってるんだっけ?」
「ワンちゃん……」
「あれ? 違った?」
「いや、本当によく知っているな」
シキが仮の身体としているのは狐のぬいぐるみなのだが、デザインの問題なのか、子犬と間違われることが少なくない。
なお、本人は犬呼ばわりを嫌がる。
「そっちはさすがに目立つからねぇ。よく外を連れ歩いてるんでしょ?」
「勝手についてくるだけだよ」
「懐かれてるんだ? うんうん、事情はよーくわかったぞい! で・も・ぉ……」
急な逆接を紡ぎながら瀬々良木は、まるで悪徳金融のような嫌ぁな笑みを浮かべた。
「一つ、条件があります」
「……条件?」
「そう! 知ってる情報を提供する代わり、あたしのお願いも一つ聞いて欲しいんだ」
「なんだそんなことか。いいよ別に」
「おおう、相変わらずの二つ返事でごわすな」
僕は『お願い』されることに他人より慣れている自負がある。
そんな僕から言わせてもらえば、高校生のしてくるお願いなんか、見ず知らずの妖がしてくる『お願い』に比べれば可愛いものだ。
迂闊に返答しても呪われたりしない辺りが特に。
「それで?」
「……へ? ……それで? とは?」
「いや、だから、お願いってなんなんだ?」
「へ、はぁー…………それは……えぇっと……」
手がきょどる。目が泳ぐ。
瀬々良木蛍は明らかに困っている。
「……要求については後日改めてご連絡いたしますので! へへ!」
「願いを考えずにそんなこと言ったのか?」
「とっ、とにかく! 不来方くんはあたしがお願いを思いついた時に聞いてくれたらいいの! 大事な家族を守りたいよねぇ? そうだよねぇ!?」
「脅迫みたいに言うなよ。……まぁ、いいよ」
「やたっ」
この時代にオカルトなんか信じているし、内容のない要求だけを先走らせるし、僕なんかに興味を持つ。けど要求を鵜呑みにしても、犯罪の片棒を担がされるようなことはないだろう。
……けど、変なヤツだな。
「あ。なんかちょっと笑ってない? 失礼なこと考えてるでしょ」
「いや、別に」
「ふうん? まいいや。じゃあ真面目くさって本題に入りますか」
コホンとわざとらしい咳払いをすると、瀬々良木委員長はフランクな家庭教師のような口調で話し始めた。
「そうでござるなぁ。要は由比凪の鎌鼬の習性を知って、被害に遭わないように避けたいってことだよね?」
「ああ」
「出鼻を挫いてごめんけど、さほど心配いらないと思うな。切り裂き魔の被害者はウチ、つまり由比凪北高校の生徒に限定されてるから」
「そうなのか? 完全に?」
「あたしの知る限りでは、だけどね。でもでもそれが逆に他校にも噂を広めてるっぽいよ? 『十字を刻む鎌鼬の呪い』みたいな」
「あぁ、そういえば十字型の傷とか言っていたか」
「うん。腕に十字の傷が刻まれるの。それになんの意味があるのかはわかんないけどさ、特徴的な法則があるとわくわくするよねぇ。あはっ! 想像膨らんじゃう!」
「案外つまらない理由かもしれないぞ」
「うわっ、乙女の夢を壊してきた!」
必ず十字型か……葦裁は何故わざわざそんなことを?
瀬々良木の感じた通り、奇妙な法則性は余計な興味を惹きやすい。事実、そのせいで僕に事件を知られ、ハサミを取り上げられ、さらに根掘り葉掘り探られてさえいる。なんの得もなさそうだが……。
「他に被害者の共通点は?」
「んー、それ以外の共通点かぁ。実はよくわからないんだよね。学年、クラス、性別、住所まで見事にバラバラだから。電車通学の子は北由比凪駅を使うでしょ? そこから学校までの徒歩十分そこらの範囲で被害に遭うことがほとんどみたい」
「あの駅なら他校の生徒も使うはずだが」
「そ。なのに切られるのはウチの生徒だけなんだよね。しかも先生にも被害に遭った人はいない。あくまで『由比凪北高』の『生徒だけ』がターゲット。それも不思議なんだよ、由比凪の鎌鼬は」
「生徒だけ……他に条件の心当たりはないか? 狙われるのは通学時だけか?」
「それがわかってれば、あたしは傷だらけにしてもらえてるよ。はぁ……」
つくづく残念そうなため息を吐く瀬々良木。本気で心の底から鎌鼬に遭いたいらしい。
「活動範囲はここから北由比凪駅の周辺。被害者の共通点は由比凪北高の生徒であること以外は不明、か」
「あっ。あと期間だね。前年度まではそんなこと一切なかったのに、あたし達が入学してから急速に増えてる。だから新入生の中に犯人がいる、って言う人もいるくらい」
「安直だな。犯人が新入生の中にいるならあまりに露骨過ぎる。疑念を逸らす工作の方がまだ自然だ。それでも杜撰だが」
「あたしもそう思うなー」
犯人が誰か、という真相については既に僕は知っているのだが。
しかし、葦裁が入学式後に特定の学校の生徒だけを狙って犯行を繰り返したことは事実のようだ。であれば、その必要があった、もしくはその方が有効だったからと考えるべきか。
「ちなみに犯行現場は学校から駅までの周辺だけか? 他の場所で起きることは絶対にないのか?」
「んー、あたしが知る限りではないかな」
「一件も?」
「一件も」
……それはおかしい。
昨日、ハサミを構えて人の後ろを尾ける葦裁を見たのは霧原の家からほどない古道の辺り。駅周辺とは呼べない場所だ。もしも被害がその付近でしか確認されていないのなら、何故昨日は違う場所にいたのだろうか。
犯行現場を変えねばならなかった? それとも……。
「どうかした? 難しい顔して」
「……いや、なんでもない。他には? 細かいことでもなんでもいい」
「そうだなぁ。会いに行っても必ずしも会ってくれるわけじゃないってことかな」
そういえば瀬々良木は実際に現場をうろついているのか。
瀬々良木はつまらなそうに唇を尖らせる。
「あーあ、あたしも通い詰めたのになぁ。昼夜を問わず何回もだよ? 切って欲しかったなぁ」
「それで一度も出会さなかったのか?」
「残念だけどもう諦め気味だよぅ……」
オカルト好きな瀬々良木のことだ。自分に気づくよう存在をアピールしていたに違いない。連日通い、時間帯も変え、葦裁と本当に一度も出会わなかったなんてことはまずないだろう。葦裁は瀬々良木を認識しつつわざと無視した。
……つまり、葦裁の行いは食事や生命活動、あるいは衝動的なものではない。明確な目的があり、その目的と無関係の人間を切ることはない。その割には被害者の共通点と言えば、同じ高校の生徒であることくらいしか見えていないが……。
同じ高校の生徒……だが昼夜を問わず何度もアピールした瀬々良木は切られていない……。
……昼夜を問わず?
そのワードが引っかかり、僕の頭にとある考えが浮かんだ。
「瀬々良木。昼夜を問わず何度も通ったと言うが、その具体的な流れは言えるか?」
「へ? 具体的な流れ……? えーっと、そうだなぁ……。まぁ普通だよ? 平日は一旦家に帰ってから夕方にわざと通ったり、休日は朝昼晩の三回欠かさずお散歩したでしょ? あとはみんな寝静まった深夜にこっそり外に出てみたり」
「……なるほど」
葦裁はいかに被害者を選んだか? 山奥にひっそり暮らす妖が、生徒を正確に判別出来るはずはない。
おそらく、葦裁は制服のデザインで判断しているのだろう。だから他校の生徒や教員は被害に遭わない。
逆に言えばそれは『特定の個人』を狙っているわけではないことになる。特定の人物を狙った復讐、という線はほぼ消してよさそうだ。とりあえず制服姿でさえなければ被害には遭うまい。
「えっ、もしかしてなにかわかった!? もったいぶらずに委員長さんにも教えて教えて!」
「言えないな」
「どうして!? あたしは鎌鼬に遭う確率を少しでも上げたいだけ! 夢を叶えたいだけなんだよ!?」
「だからだよ」
「ぷー」
拗ねたようにイチゴ牛乳にストローを差し、力いっぱい吸い込む委員長。おやつを取り上げられた犬のような流し目でこちらを見てくるが、特段可哀想に思えないのは何故だろう。
これ以上、瀬々良木から情報は得られそうにない。被害に遭った生徒に直接話を聞くのも一つだが、有意義な情報があれば瀬々良木が口にしてくれているはずだ。
「…………」
得られた情報を反芻する。
由比凪の鎌鼬の被害が出始めたのは入学式直後から。
対象は由比凪北高の生徒のみ。おそらく制服で判断しており、学校から最寄り駅までの範囲でのみ犯行は行われる。
だが、昨日僕が見た現場などの例外も存在する。そこにも一貫性があるのか、ただの例外なのかは未だ不明。
……こんなところか。疑問はむしろ増えたが構わない。少ない情報から伸ばす考察は足下を掬われやすい。情報の真偽は置いておいて今は数を集めるターンだ。
「ごちそうさまでした、っと」
瀬々良木はいつの間にか昼食を終えて手を合わせていた。その会話相手の僕はといえば、弁当箱を開けてすらいない。瀬々良木の要領がいいのか、僕の要領が悪いのか……両方だろう。
「参考になった?」
「ああ、ありがとう。安心した」
「それはなにより。君子じゃなくても危うきには近寄らないのが一番だからね」
「瀬々良木もな」
「あはっ! おっけー」
弁当箱を手に取り、小さく嘆息。にこにこ顔の瀬々良木を横目に、僕は席を立つのだった。