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(3)明くる情報と深まる奇妙

前回のあらすじ

噂となっていた由比凪の鎌鼬。その犯人と思しき妖を追い詰め、彼女は『自分が由比凪の鎌鼬だ』と自白した。しかし……。



 日の入り。

 重みのある袋を手に、僕は先ほどの山道を登っていた。どうやら元は人間の通る道だったらしく、足下には細くみすぼらしい石畳が伸びていた。すっかり寂れ朽ち、鬱蒼と茂る草木に覆われてしまってはいるが、それでも迷わずしっかり歩を進められるのは、ひとえに道筋が伸びているからに他ならない。


 僕の一歩を誘うようにして、道は長く細く続く。木々の隙間から差し込む夕日にじわりと汗をかきながら、一歩一歩。

 つまり、僕が登ってきたのは参道だったのだろう。

 朽ちて壊れた賽銭箱の置かれた境内に、切り裂き魔とシキが座っていた。


「お待たせ。様子は?」

「この姿とて不覚は取らん。こやつも大人しくしておったわ」


 ふん、と得意げに鼻を鳴らすシキ。その頭を軽く撫でる。

 切り裂き魔の方はうつむき加減に大人しく座ったまま異論も唱えない。なら、この二人のパワーバランスは事実そういうことなのだろう。

 もっとも、パワーバランスにおいてシキが負けるとはあまり思えないが。


「隣、いいか?」

「………………え、あ、あたし……?」


 僕が声をかけると、切り裂き魔はずいぶん間を空けて反応した。

 それから、


「あ、あたしの許可なんか要らない……はずです」


 辿々しくそう返答した。


 僕は遠慮なく隣に失礼し、買ってきた物を取り出す。と、光の速さで耳を立てたのはシキだった。


「アイス!」

「ほら」

「にゃぁ~ん」


 珍妙な声を上げながら、シキはにこにこでアイスを受け取った。ジュースも渡す。元々そういう約束だったし、見張りを頼んだ分もある。


 それから缶のお茶とおしぼりを取り出して。


「これは君のだ。その泥だらけの手を拭いてからな」

「え……」


 切り裂き魔を名乗る妖はしばらく絶句して、僕と缶を交互に何度も見た。それから顔を背けて小さな声で。


「……なんのつもり、ですか」

「打算だよ。少しでも安心して話してくれればと思っただけだ」

「…………」


 彼女は唇を噛むと、絞り出すような声で言った。


「……施しなんかっ、い、いりません……!」

「そうか」


 さっきからずっとこの調子だった。由比凪の鎌鼬は自分だと白状したが、それ以上は閉ざしたまま。事情は一向に話してくれない。

 現行犯逮捕に観念したか、他人の協力を必要としていたか。いずれにせよ話してくれる気になったと思っていたのだが……。


 そこでお茶やお菓子を買ってきてみたものの、これくらいでほぐれるほど意思は脆くないらしい。少しの弱みも見せたくない、ということだろうか。


「ならここに置いておく。飲むなり捨てるなり好きにしてくれ」

「…………」

「それで、やっぱりなにも話してくれないのか?」

「…………」

「君は種としての鎌鼬じゃない。なぜ人を切る?」

「…………」

「さっき持っていた刃物は?」

「…………」


 取り付く島もなし。彼女は俯いたまま目も合わせようとしない。着物の下で足をぴったり閉じて、両手をいじいじと落ち着きなく擦りあわせている。それは不信感というより、恐れか緊張のように僕の目には映った。


 しかしこれではどうしようもない。なにせ名前も知らないままだ。シキに目を遣ってみるが、なにも考えていない顔でアイスに夢中になっていた。なんの役にも立ちそうにない。


「ならせめて、名前だけでも教えてくれないか」

「……葦裁あしたち……です」


 趣向を変えた問いだったが、あっさり答えてくれたのは少し意外だった。なんにせよ名前が知れたことはありがたい。呼び名が『鎌鼬』『切り裂き魔』では呼びかけるのも嫌な感じだ。


「葦裁。僕は君を傷つけるつもりはない。ただ人が傷つくのを止められればそれでいいんだ。もし君にやむにやまれぬ事情があるのなら、出来る限り手を貸す」

「…………」

「けどここまで来て放っておく気もない。なにも答えてくれないなら調べさせてもらうことになる。そうなれば……君の触れて欲しくない傷にも触れてしまうかもしれない」

「……す、好きにしたらいいじゃないですか。あたしなんかに気を遣う理由はないはずです……!」

「……仕方ないな」


 そう言いながら僕が立ち上がると、葦裁は息を呑み、肩をびくりと大きく跳ねさせた。やはり人馴れしていない猫のような妖だ。

 僕はそれには触れず、その向こうの子狐に言う。


「少しこの辺りを調べてみる。シキは彼女を見ていてくれ」

「んー」


 というわけで葦裁の見張りは再びシキに任せ、僕は廃神社を調べることにした。


 この神社は葦裁にゆかりがある……そう決めつけるのは早計だ。ここはあくまでも彼女の逃走先でしかない。

 ただそれでも、僕には一つだけ確信があった。真っ先にそこへと足を向けていく。


 絵馬掛け。

 風雨に晒され続けた木製の身体はボロボロに朽ちていて、足も折れて倒れてしまっている。人々が願いを掛けた絵馬達は、何枚も地面に放り出されて散らばっていた。おそらく、絵馬掛けが倒れた衝撃で投げ出されてしまったのだろう。


 あの時、僕らから逃げていた彼女は最終的にここで屈み込んでいた。逃走中に意味もなくこんな場所に屈み込むはずはない。同じように屈んでみると、絵馬掛けの足下の地面が不自然に歪んでいた。触れてみるとその感触は柔らかい。背中越し、改めて葦裁へ視線を向けると、彼女の手は泥まみれ。


 わざわざ屈み込んでいた場所。不自然な地面の歪み。汚れた手。

 単純で順当な流れから、僕は柔らかい地面を掘り返し始めた。


「……やっぱりそうか」


 地面の下から出てきたのは赤錆びた刃物。よく見るとそれはナイフではなく、半分に割れたハサミの片側だった。使い込まれた古い物で、さっきまで葦裁が持っていた物だろう。


 だがそれとは別にもう一つ、気になる物が掘り出された。


「首輪……?」


 それは中途半端な長さに切られた首輪だった。その断面は鋭く、強引に引きちぎったのではなく刃物で断ち切られたのが素人目にさえ明白だ。


 革でありながら固くなく、使い込まれた革特有のしなやかさと柔らかさがあった。

 そして首輪には金属製のタグが取り付けられていた。そのタグにこびりついた泥を払うと、思っていた通りの物が顔を覗かせた。


『モミ』


 犬か猫かそれ以外かはわからないが、首輪をしていた持ち主の名前だろう。なんにせよ想定外の収穫だ。


 しかし……。

 葦裁は僕らから逃げる最中に、わざわざ足を止めてまでハサミを隠していたのか……? なんのために?


 一つの疑問が浮かぶと同時、散らばった絵馬の一枚がふと目に留まった。


「これは……」


『葦裁様に願います』


 量産された絵馬の文言なのだろう、汚れ掠れた活字でそう刻まれている。


 葦裁様……葦裁は元々ここに祀られる神だったのか。かつてここに祀られ、忘れられた神。彼女は一体なにを願われる神だったのだろうか。

 地面に散らばる夢の跡。その一枚を手に取り、裏返して、そこに綴られた願いを読んでみた。


『あのクソ女が死にますように。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』


「……ッ!!」


 鈍器で強く打ちつけられたように息が止まった。震える手が絵馬を投げ出しそうになる。


 刹那の光景。それでも、嘲笑うように躍る文字が目に焼きついて離れない。頭が揺さぶられるように痛み、鈍い吐き気を催した。

 痛む心臓の拍動。指先が冷えて震える。嫌な汗が伝うのを感じながら僕は目を閉じ、自分自身に聞かせるような深さで呼吸する。


 …………大丈夫。大丈夫だ。


 わななく心臓を無視して再び絵馬に目を向けると、連ねられた願いはどれも似たようなものだった。恨み、怒り、妬み、僻み……どうやら葦裁様は『そういう神様』だったようだ。


 僕が登ってきたあの参道は、誰かを恨み、妬む人のために作られた道。人々はどんな想いであの参道を登り始めて、そして願いを掛け、帰っていったのだろう。


 面白半分で他人の不幸を絵馬に願ったのだろうか?

 それとも……誰にも吐き出せない暗く重い想いを神様に聞いて欲しかった。そんな者もいたのだろうか?

 ……いや、それは考えてもわからないことだ。


 二人の下へと戻りながら僕は平静を取り戻しつつ、葦裁に問う。


「葦裁。この片割れのハサミ、君のだな?」

「あ……!!」

「絵馬掛けの下に埋められていた。これが人を切るのに使っていた凶器で、逃げながら慌てて隠した物。そうだろう?」

「……そうです」


 ほとんど逡巡なく肯定が返される。さっきまで黙秘して取り付く島もなかったかと思えば、変に抵抗せず素直に認めたりと、イマイチ葦裁という妖が掴めない。

 僕が次を問うより先に、葦裁が口を開く。


「そのハサミを見つけたってことは……あれも見た、んですよね……」

「葦裁様に願いをかけた絵馬のことか?」

「…………」

「あの葦裁様というのは君のことで間違いないのか? ……多くの人殺しを願われた神は」

「………………はい」


 今度は頷くまでに躊躇いがあった。それでも肯定には違いない。


「ほう? 小さき妖と思っておったが、信仰を失った神じゃったか」


 シキが情報を補強してくれる。

 この妖が、かつて人を切り裂くことを願われ祀られていた神であり、ささやかな切り裂き魔でもある、と。


 ……縮こまって小声で話す、この気弱そうな妖が? 本当に?


 見かけや第一印象で先入観を抱くのは危険だ。こと妖に関しては特にそう言えるが……そんな疑問が些細に感じられるほど、遥かに大きな別の疑問が僕の頭の中には生まれていた。

 その疑問を確かめるため、改めて問う。


「葦裁。もう一度だけ君に訊く。君はどうして人を切る?」

「…………」

「例えば、元々人切りの神だった君は、どんなに小さくても人を切らねば生きていけない。そういった事情があるんじゃないのか」

「……そう思うならそれでいいです」

「質問を変えよう。このハサミをどうして隠した?」

「…………言えません」

「……そうか」


 彼女の意思は相当固いようだ。このまま馬鹿正直に問い詰めても進展はないだろう。

 息を吐いて見上げると、空はすっかり暗くなっている。……潮時か。


「今日は帰ろう、シキ」

「ん? こやつはどうするんじゃ?」

「シキの目から見ても、今の葦裁は非力で危険はないんだろう? だったらいい」

「じゃがそのハサミは結構な代物じゃ。返すでない。なんならわしが預かっておこう」

「わかった。……そういうことだから、悪いがこれだけは渡せない。君の隠しごと……その真実が判断出来ない以上は」


 これは葦裁が隠そうとするほどの、おそらく大事な物だ。だが葦裁は悲しげに俯くでも、奪い返そうと暴れるでもなく、僕の胸の辺りに視線を注ぎながら呟くように言った。


「……い、いいんですか? あたしを野放しにしたら、大事な証拠を隠滅するかもしれませんよ」

「その心配はないよ」

「……どうしてですか」

「本気で証拠隠滅を図る気があればわざわざ口にしない。黙って実行したはずだ」

「…………」


 葦裁はそれ以上、なにも言わなかった。

 僕らは静寂の廃神社を後にした。去り際に一度だけ振り返ると、荒れ果てた境内にちょこんと座る小さな妖の姿が目に入った。


 参道を下る中で、肩の上のシキがどこか慰めるような声で言った。


「葦裁については心配いらんじゃろ」

「心配? 僕が?」

「どうせ、独りで廃神社に残されるあやつが寂しくないかとか、そんなことを思っておったんじゃろ? そういう顔をしておる」

「……勝手な想像だ」

「お前は考えておることが顔以外に出やすいからのう。近くで見ておると案外わかりやすいんじゃ」

「なら顔じゃないだろう」

「にひひっ」

「仮にも人切りの妖を霧原の家に連れ込むのは危険過ぎる。薫さんや柚子とどちらが大事かなんて、天秤にかけるまでもない」

「あの廃神社こそあやつの家なんじゃ。独りで過ごす場所としては一番落ち着く場所じゃろう」

「……ならいい」

「いひひっ。やーっぱり心配しておったんじゃないか」


 冗談めかして話すシキを見ていると、心配いらないのだろうと自然に信じられる。

 ならば、と。僕はシキの頭を軽く撫でながら、思考を切り替えた。


 葦裁の残した疑問……いや、ある種の矛盾について。


 暗い、暗い山道。スマホのライトは足下を明るく照らしているが、代わりに周囲の闇を一層浮き彫りにする。明るく見えるのは狭い空間だけ。その分だけ周囲の闇は濃く、深く、真実を覆い隠す。


「……葦裁はなにがしたいんだろうな」

「ん? どういう意味じゃ?」

「考えてみてくれ」


 僕は自分自身の頭の中を整理するように、まとめながらシキに語り始める。


「葦裁は初め、頑なに口を噤んで黙秘していた。だから少しでもほぐそうと僕はわざわざコンビニまで下りる羽目になった。その後結局、僕がした質問と確認の内、葦裁が答えてくれたのはなんだった?」

「えっと……まず葦裁という名前じゃろ? ハサミを凶器にしておったことと、それを隠蔽したことじゃろ? それから……自分が人殺しを願われる神じゃったということ。じゃよな?」

「そう。葦裁は自分があのハサミを使った由比凪の鎌鼬だと全面的に認め、身元も明かしている。隠された凶器を見つけ出し、犯人が自白する……推理劇のクライマックスのようだが、その実なにも進展していない。何故なら最初に見かけた瞬間から、葦裁は現行犯だ」

「……待て三咲。なら何故あやつは慌ててハサミを隠そうとしておったんじゃ? それになんの意味がある?」


 僕がずっと抱えている大きな疑問を、ついにシキが口にした。


「そこがわからない。凶器を隠すという行為は本来、犯人が自分であることを隠すために行うものだ。しかし葦裁は最初から自分が犯人だと認めているし、そもそも現場を見られてから凶器を隠してもなんの意味もない」

「何故そんな無意味なことをしたんじゃ? あの時、一瞬とはいえわしらを撒いたんじゃ。わしにかかれば再び見つけるのは容易かろうが……少しでも距離を稼ぐ方が意味のある抵抗じゃろ?」

「僕もそう思った。だから最後に改めて訊いたんだ。『どうして人を切るのか』『やむにやまれぬ事情はないのか』『ハサミを隠そうとしたのは何故か』」

「じゃが、その全てに答えようとしなかった……? ああぁ! わけがわからなくなってきたぞ! 自分が犯人じゃとあっさり認めるくせに、今さら動機だけは全力で隠しておるのか? 一体なんの意味がある? 逆じゃろ普通!?」


 自棄やけ気味に喚くシキに語りかける形で、僕は話をまとめる。


「葦裁は自分こそが由比凪の鎌鼬であると認めている。けど無理にでも凶器を隠そうとした理由や、事件の動機に関しては頑なに話そうとしない。つまり葦裁にとって重要なのは自分が人を切っていたという事実じゃなく、その理由の方にある」

「本当に隠したいのは犯行動機の方……と? なんじゃそりゃ?」

「それを調べるんだよ。これから」

「んあ? なんじゃその首輪?」


 モミ、と刻まれたタグの裏面。こびりついた土を払うと、QRコードが表れた。

 既に捕まえた切り裂き魔の動機探し……奇妙な数日間が始まる。



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