(2)捕縛、自白、しかして開幕
前回のあらすじ
妖が見える少年、不来方三咲はクラスメイトの瀬々良木蛍から『由比凪の鎌鼬』の噂を聞かされる。
その後は何事もなく自宅に帰り着いた。『霧原』と記された表札を横目に門扉をくぐる。
玄関を開けると、ちょうど出てくるところだった妙齢の女性とぶつかりそうになり身を引く。
「あら三咲くん。おかえりなさい」
「ええ、ただいま薫さん」
霧原 薫さん。歳の頃はちょうど僕の母親と言って差し支えないくらい。親戚中を転々とたらい回しにされていた僕ら兄妹を引き取ってくれた恩人の一人だ。
動きやすそうな服装に、手にはよく見かける大きなエコバッグ。
「買い物ですか?」
「そうなの〜。もう一回お買い物に行かないと」
「もう一回……? なにか忘れ物を?」
「今夜は海老フライなの」
「いいですね」
「なのに海老を買い忘れちゃったのよ〜」
「……そうですか」
薫さんはうふふ~、変よねぇ~、と、ころころ笑っている。まぁ……この人は大体いつもこんな感じだ。愛すべきおっとりさん、と言うべきか。
「夕飯の準備、進めておきましょうか?」
「いいえ大丈夫よ。それよりシキちゃんが落ち着かないみたいだったから、遊んであげてちょうだい」
「シキが?」
「なんだか今日一日ずっと落ち着きがなくてね、三咲くんの帰りを待っているみたいだったわ。うふふ、本当に三咲くんのことが好きなのねぇ~」
「本人が聞いたら怒りますよ」
「そうかしら? とにかく、シキちゃんのことお願いね」
「わかりました。いってらっしゃい」
可愛らしく手を振りながら買い物に出た薫さんを見送って、僕は霧原の家の玄関をくぐった。
元々は霧原夫妻が二人で住んでいた二階建ての一軒家。それにしては結構広く、部屋数も多いように思う。なにせ僕と妹の柚子を受け入れてなお若干の余裕があるほどだ。
もしかすると、元々は三人以上で住むつもりで買った家なのかもしれない。ただ結局この家に暮らしていたのが霧原夫婦二人だけだったことを鑑みると、事情を確かめる気は起きない。
僕の自室としてあてがわれている部屋を開けると、真っ先に目に飛び込んできたのはもふもふとした白い塊だった。霧原夫妻、僕ら兄妹と、共にこの家庭に身を置くもう一つの存在。
「ただいま、シキ」
真っ白いぬいぐるみのような子狐が耳と尻尾をピコンと立て、こちらを振り返った。妙に嬉しそうに走り寄ってくると、海色の瞳で僕を見上げ、口を開いた。
「帰ったか三咲! 待ちくたびれたぞ!」
白狐は少女の声でハッキリと人間の言葉を喋った。
シキ。白い子狐のぬいぐるみを依代としている妖だ。少し前に僕と出会い……紆余曲折を経て、今はこの家で暮らしている。当然のことながら、彼女の正体が妖であると知っているのはこの家で僕だけだ。
「やけに元気だな。ずっと落ち着きがなかったと聞いたが」
「なんじゃとぼけおってからに~。焦らしてくれるな? ほれ早う!」
「……? なんの話だ?」
「え……お、お前まさか、忘れておるんじゃなかろうな!?」
まるで思い当たらない僕。綺麗な目を見開いてわなわなと震えながら、シキは答えを口にした。
「アイスじゃ! 新発売のアイスを帰りに買ってきてくれる約束じゃろ!?」
「…………あ」
「忘れたな!? 忘れたんじゃろお前!?」
「なるほど。それを楽しみにしていて落ち着きがなかったのか」
「なにを納得しとるんじゃ! わしは怒っておるんじゃが!?」
肩に飛び乗ってきたシキに大きな尻尾でぺしぺし頬を叩かれながら、僕は緩めたネクタイをほんの軽く締め直した。
「……悪かったよ。今から一緒に行こう」
「お! たまには物分かりがよいのう?」
「いや、ちょうどいいかと思って」
「……? まぁよい。その代わり、忘れた詫びとしてお菓子とジュースは追加じゃからな!」
「わかったわかった。それに関しては概ね僕が悪い」
「絶対にお前が悪いじゃろ。なんでちょっとだけ悪くないと思っておるんじゃ」
肩の上、呆れたように言うシキ。
このまま制服の上だけ脱いで出てしまおう。財布は……いらないか。スマホ一つあれば会計は十分。余分なお金を持たなければ、シキの無茶苦茶を許さないリミッターにもなる。
そう判断して身軽な状態で再び外に出た。シキの散歩がてら外出する、という連絡を薫さんに一言添えて。
――それから少し経ち。僕らは斜陽に沈みかけた古道を歩いていた。
まるで神社の参道のような、細い砂利道。木々のざわめき一つなくシンとして、ただ清涼で冷たい空気だけが流れている。
世界から自分以外の全てが消えたような、それでいて目に見えない何かがそこかしこにいるんじゃないかと錯覚するような、奇妙な感覚。
ひとけのない寂しい道だが、僕にとってなんてことない、日々通う高校の通学路でもあった。
「おっかしっ、あっいすっ、おっかいっものっ」
「…………」
人通りがないのをいいことに、シキは肩の上で上機嫌に鼻歌を歌っていた。だから放っておいたのだが、しばらくすると不意に話しかけてきた。
「なんじゃ三咲。普段なら『バレるから外であまり喋るな』とか言う頃じゃろうに、今日は言わんのじゃな?」
「言って欲しければ言おうか」
「考えごとか?」
「……学校で気になる話を聞いた」
「ほう?」
静謐な古道に響く、砂利を踏む音。僕は瀬々良木から聞いた話……由比凪の鎌鼬をかいつまんで語る。
一通り黙って聞き終えたシキは神妙に呟いた。
「由比凪の鎌鼬のう……」
「姿も気配もない切り裂き魔……その正体が人間の可能性も否定しきれないが、妖の仕業じゃないかと僕は考えている。だとすれば、そこには理由があるはずだ」
「理由?」
「『最近になって突然人を切りつけるようになった』、その理由だ。それがなんであれ、抱えている問題を解決出来れば事態は収まる」
シキはゆっくり首を振り、これ見よがしなため息を吐いた。
「やれやれ……首を突っ込むつもりじゃな?」
「僕がそういう性質じゃなければ、そもそもお前とこうして話してもいない。わかっているだろう?」
「そりゃそうかもしれんが……それこそ通りすがりの鎌鼬かもしれんぞ?」
「悪気はないと?」
「鎌鼬とは流浪の妖。鋭く纏う風は人の身を切るが、悪気はない。放っておけばまた勝手にどこかへ旅立つじゃろうて。お前の危惧も、杞憂と徒労かもしれんぞ?」
「それならそれで構わない」
言い切る。
「見えないフリをすれば人間らしく振る舞える。面倒ごとも避けられる。……けど」
「けど?」
「僕は自分が正しいと思ったことは『やる』。それだけだよ」
目を塞ぎ、耳を塞ぐだけ。それが多分大人になるってことで、上手く生きるコツなんだろう。慣れれば簡単なのかもしれない。
けど僕は、心の痛覚を失くしてまで幸せになりたいとは思えない。
「ま、止めても無駄なのはわかっておった。こうなったらさっさと解決して帰るぞ。うひひっ、アイスを食べながら見たい配信があるんじゃ。今日はずぅっとそれを楽しみにしておったんじゃから!」
「……妖が動画配信を見る時代、ね」
「あ! 配信をする時代にしてやろうか! Vなら妖でもやれるし!」
「馬鹿言うなよ。というか、それならもういる」
「嘘ぉ!?」
「どうかな」
「含みを持たせるな! おい! どっちなんじゃ!?」
頭上に移動したシキにぺしぺし叩かれながら古道を抜けようという、ちょうどその頃だった。
まるで図ったかのようなタイミングで、それは僕らの前に現れた。
「…………」
それは変わった女の子だった。
和人形のように艶やかな黒髪。あちこち擦り切れた、黒地に深紅の和服。それだけでも時代錯誤で奇妙だが、なにより目を引いたのは左手に握られた刃。赤錆びたそれは小さなナイフのように見えた。
彼女の異様な風体を、周囲の誰も気に留めない。人ならざるモノであることは明らか。だが重要なのはそこじゃない。
彼女がその手に握った刃物を構えながら、人の後ろを尾けていたことだ。赤錆びた刃先は見るからに人の背中を狙っている。
由比凪の鎌鼬……! 否、害意を持った切り裂き魔……!
黄昏と呼ぶにはまだ明るく、人通りも多い。僕は言葉より先に、古道の砂利を強く蹴り出した。
「……っ!?」
音に気づいた切り裂き魔がびくりと振り返る。その目元は切り裂かれた痕のような筋に覆い隠されていた。まるで恨みを買った人間の写真に刻まれる傷痕のようだったが、その向こうにあるはずの目は間違いなく僕と合っていた。
瞬間、切り裂き魔は脱兎の如く逃げ出した。その後を、一も二もなく僕は追う。
小柄な切り裂き魔は、物陰に隠れるように逃げていく。それはそう、ひとけのない方へ誘われるように。
知らず知らず闇は深まり、漂う空気は冷え込み、不気味な薄ら寒さが肌を撫で始めていた。
足下に伸びるのは舗装された道。ただ外灯は姿をくらまし、朽ちた廃屋に蔦が絡まり、湿った木々の匂いが満ちていく。
まるでゴーストタウンだ。
「気をつけろ三咲。深入りするなよ」
ほとんど無音の薄気味悪い空気に、シキの声も強張る。
やがて切り裂き魔は古いトンネルに逃げ込んだ。空気は一層冷たく、二人分の足音がやけに木霊する。息を切らしながら追う背中がトンネルを抜けて向こうへ消えたのが見え、僕も見失わないようすぐにトンネルを抜けた。
……だが。
「どこに行った……?」
抜けた先は鬱蒼と茂る山道だった。妖の姿を求めて辺りを見回すが、どこを見ても目に入るのは深緑だけ。足下にはかすかに上へ向かう道が伸びているようだが、それもあってないようなものだ。あの妖の姿はどこにも見えず、どの方角へ身を隠したのかもわからない。
渇いた喉が擦り切れる痛みを感じながら肩で息をしていると、不意にシキが僕の目の前に降り立った。
「静かにしておれ」
感情を感じさせない声でそう言うと、シキは目を閉じ、耳をそばだて、意識の内側に深く潜るように黙り込む。
……そして数秒。目を開けたシキは黙ったままある一点に視線を向け、それから僕を見た。
「…………」
僕も黙って頷き返す。シキを再び肩に乗せ、僕は彼女の視線の先、枝葉を退けて道なき道へと歩を進めた。一歩一歩、上へ、上へ。
やがて木漏れ日を抜け、視界が大きく開けたその先に見えたのは、切り取られた静寂の社だった。
僕らを見下ろす赤い鳥居。誘うように石畳が伸びる。その向こうにあるのは、淡い闇と夕日色に包まれてひっそりと眠る、朽ちかけの孤独な社。
そこは小さな廃神社だった。
そして小柄な着物姿の少女は、足の折れた絵馬掛けのそばに屈みこんでいた。
「あ……っ!?」
切り裂き魔は僕らの到来に気づくと声を上げ、慌てたように立ち上がった。身体ごとこちらに向き直り、じりじりと対峙する。
「観念するんじゃな」
「…………っ」
息詰まる沈黙が張り詰める。切り裂き魔はチラと背後を気にしながら身を強張らせていたが、やがて諦めたように肩を落とした。
ため息。
「…………」
俯く彼女だったが、時折前髪の向こうからチラチラと視線を感じる。まるで飼い始めの猫のようだ。
気を張ってこちらの様子を窺ってはいるが、攻撃の意思はないように思えた。
僕は威圧しないよう、努めて穏やかに。
「君が噂の鎌鼬か?」
「…………」
彼女は目を背けて答えない。
「心配いらない。僕は妖を殺したいわけじゃない」
「……あ、あなたは一体、なんなんですか」
「人間だよ。少し見え過ぎるだけのね」
「え……?」
覆われた線の向こう、目が丸くなるのがアリアリとわかった。
「話を聞かせて欲しい。もし君に事情があるなら、解決に手を貸せるかもしれない」
「……………………」
長い、沈黙。
言葉こそなかったが、着物の袖から覗く細い指を落ち着きなく合わせ、モザイクに覆われた向こうで視線が泳ぐ。
小さな身体は緊張に強張り、震えていた。何度も息を吸っては吐いて、僕と目を合わせようとしては俯く。
しかし、ぐっ、と唇を引き締めた彼女は顔を上げ僕をまっすぐに見据えると、ハッキリとこう言った。
「……そ、そうです。あたしが由比凪の鎌鼬です……!」
「へ? お、おい三咲。犯人捕まえちゃったが……か、解決か?」
犯人の自白。それは事件の解決じゃない。
これこそが、この奇妙な事件の始まりだった。