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エピローグ


 由比凪の鎌鼬事件が人知れず終息して数日が経った。季節も変わり、本格的に梅雨になろうとしている。


 校内でも噂は立ち消えた。都市伝説が実体化することもなかった。

 瀬々良木は未練がましく僕に愚痴っていたが、さすがに音沙汰がないと諦めたようで、由比凪の鎌鼬の話題は本当に見られなくなった。


 学校の方は落ち着いたが、由比凪の鎌鼬に遭った人物といえば、もう一人。


「――というわけで、すみません。亡骸のない空の壺になってしまうんですが……」

「気にしないで本当に。見ず知らずの私達のためにここまでしてもらって、まさか責めるわけない。本当にありがとう」


 訪れた岩名邸は引越しの当日だったようで、業者に任せなかったいくつかの家具や荷物を乗用車に積んでいた。父親らしき人が慎重に家具を運ぶ姿と、嬉しそうにシキとじゃれる蒼が見える。


 空っぽの小さな壺を丁寧に鞄にしまい込んだ岩名さんと共に少し離れる。


「あれから蒼の調子は?」

「うん? 特に変わりないよ。あー、やっぱりちょっと変わったかも……」

「……なんです?」

「新しい学校が楽しみ、って最近言うんだよね。今の学校で辛い目に遭って引きこもってたのに」

「それは……すごいですね」

「あの子なりに色々考えてたみたい。私より大人な考え方もしてて、結構びっくりした。人付き合いに関しては追い抜かれちゃったかも」


 どうやらあの後お互いに向き合って話をしたらしい。そして結果はシキの予言通り、僕の憂いは大ハズレだったようだ。


「蒼!」


 母に呼ばれた蒼がこちらへ。相変わらずマスク姿で引っ込み思案なようだ。あるいは僕が怖いだけかもしれないが。


「モミのお墓、またこのお兄さんが届けてくれたんだって」

「あ……ありがとう」


 顔をシキの陰に隠しながらも、十分聞こえる声量でそう口にする。僕が頷きを返すと、そそくさと逃げるように戻ってしまった。


「あっ、ちょっと蒼! ……ごめんね? 人見知りは治ってなくて」

「いえ、あの子はあれでいいと僕は思います。無理な振る舞いで築いた関係より……ああやって素直に気を許せる関係の方がいい。モミともきっとそうだったんでしょう?」

「……そうだね」


 ちょうどその時、父親が最後の荷物を載せたらしい。トランクが閉じられ、何事か告げられた蒼が名残惜しそうにシキをぎゅっと抱き、手放した。とてとてと歩んできた白狐が定位置である肩の上に飛び乗ると、岩名さんは丁寧に頭を下げた。


「本当にありがとう。全部あなたのおかげ」

「いえ。僕はなにも」

「せめてこれ貰って? こんなによくしてくれたお礼がお菓子なんかで申し訳ないけど……」

「……わかりました。ありがたくいただきます」


 本当は僕のおかげなんかじゃない。だがそれをわざわざ口にはせず、厚意を受け取るのが人間らしい振る舞いだ。


 最後の準備があるのだろう岩名さんも家族の下へ。車にもエンジンが掛けられ、あとはもう見送るだけ。

 近づく別れを遠巻きに見つめながら、シキが口を開いた。


「あの蒼の様子、ちゃんと見たか? のう?」


 その返答は僕からではなく、傍らにずっといたもう一人の彼女から。


「元気に……なったんですね。顔色もよくなってて、別人みたいです」

「じゃろ? そしてその笑顔を作ったのが葦裁、お前なんじゃぞ? じゃからこの菓子折りはお前が受け取るべきじゃ」

「…………」


 僕が受け取った菓子折りを静かに見ながら、考え込むような間を置いて。


 葦裁は首を横に振って、春終わりの小さな空にため息を吐いた。


「……やっぱり、あたしはダメなんですね。こうして自分の目で見てもまだ信じられないんです」

「はあ? なんでじゃ?」

「だって、ただあの子が頑張っただけで、あたしのしたことに意味があったなんて……」

「卑屈じゃのう」

「……ごめんなさい」

「あぁ、いや、別に謝ることはないが……」


 バツが悪そうに目を逸らすシキ。そそくさと逃げるように僕の後ろに隠れた。その眼差しが申し訳なさそうな色で僕に助けを求めていた。

 シキにはわからないだろう。本来嬉しいはずのことが重くなる心持ちは。けどシキはそれでいい。


 僕が代わりに言葉をかける。


「葦裁、僕は」

「いいんです、三咲さん」


 遮られる。その目はじっと、蒼の姿だけを見つめていた。


「実は……思い出したことがあるんです。いつも明るくて頼れるお姉ちゃんが、夜二人きりになると、よくあたしに膝枕して欲しがったこと。それで、昼間あったことを楽しそうに話してくれて、あたしはそれをただ聞いていて、いつの間にか話していたお姉ちゃんの方が寝ちゃってるってことがよくあって……それで……」

「……それで?」

「えっと……あはは、ごめんなさい。それを思い出したっていうだけの話です」


 振り返った葦裁は、夜に咲く花のようにふわりと笑った。


「たったそれだけの話、です」

「……そうか」


 どうやら、葦裁に余計な言葉は必要なさそうだ。

 岩名家の人々が車に乗り込もうとしていた。お辞儀をする彼女らに、僕とシキも別れの意を示す。


 ただ葦裁だけは、数歩を前に踏み出した。


「あたしも、もう行きます」

「葦裁? どこに?」

「あたしのしたこと……今まで見えなかったモノを教えてもらいに。見えるモノは……そばにいてくれてますから」


 別離した一対の裁ちバサミ。壊れたままのそれだけを胸に抱いて、葦裁は歩き出す。由比凪の鎌鼬だった彼女は誰にも見えないまま、車の屋根にそっと腰かけた。


「お二人ともありがとうございました。最後まで真実を見ていてくれて」


 車が走り出す。窓から手を出して振る蒼と、淑やかで控えめに手を振る葦裁が遠ざかっていく。

 曲がり角を曲がり、本当に見えなくなる寸前。風に乗った声が聞こえた。


「縁があれば、またいつか」



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