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(12)殺されたくない、故に見えざる

前回のあらすじ

現在の葦裁は偽者で、成り代わろうと画策している……そう考えながらも彼女の行動への違和感が拭えない三咲。

そんな中、偶然出会った妖が、現在の葦裁が以前見た葦裁とは別人であることを証言してくれた。



 夜はまだ長い。次に向かう現場は駅周辺だ。

 あの妖とコンビニ前で別れ、少し歩き出したところで、シキが妙な唸り声を上げた。


「うーむ……」

「なにを真剣な顔で考えているんだ。あの妖がバニラアイスを選ばなかったことか?」

「うむ。アイスは絶対にバニラじゃと薦めたのに、あやつは何故小豆ミルクなど……って違うわ! 気になることがあるんじゃ!」

「なんだ」

「うーむ……いや、じゃけど……」

「歯切れが悪いな。まさか本当にくだらない話題か? それでも話くらい付き合うよ」

「ん……もしかしたら、あやつの目的がわかったかもしれん……」

「なんだって?」


 ずっと煙に巻かれてきた葦裁の『動機』。それは意図的に隠匿された事件の核心。ある種の真犯人と言ってもいい。その答えに辿り着くことは即ち事件解決間近を意味する。

 事件解決の立役者にしてMVPともなれば、シキの性格からして大きくテンションを上げそうなものだが、反してその顔と唸り声は渋い。


「とにかく聞かせてくれ」

「あぁ、うむ……いやのう? さっきの話からすると、あやつはやはり葦裁の偽者だったわけじゃ。ならその目的は単純に『完全に葦裁に成り代わること』じゃと思うんじゃ」

「葦裁に成りすまして日々を過ごすのではなく、彼女自身が葦裁になると? どうしてそう思う?」

「昼間、タオルを取りに戻った時のことなんじゃがな? 由比凪の鎌鼬に気を付けるよう薫に言われたんじゃ。つまり噂が広まっておるわけじゃな」

「……それで?」

「お前は知っておることじゃろうが、重要じゃから説明しておこう。よいか? 八百万の神は人の信心や想像力によってその存在を強める。これはわしら妖や都市伝説にも似たようなことが言える。昔に流行った口裂け女や人面犬も初めはフィクションに過ぎんかったが、都市伝説と呼ばれるほど流行ると実際に姿形を得て、流言の通り人を襲った。それと近しいことじゃよ。あやつは葦裁の名を騙り、葦裁のハサミを使って犯行に及んでおるじゃろ? そうすることで切り裂き魔に対する噂の声を『葦裁』という偶像に集めておるんじゃ」

「由比凪の鎌鼬の目的は、目立ち、知られること自体にあった、と」

「んじゃ。同じ学校の生徒を狙ったのも、わざと十字型に傷を刻んだのも、全ては話題性を演出するため。そして鎌鼬の噂は見事、短期間で広がりを見せた。このままいけば由比凪の鎌鼬への『信仰』によって裁ちバサミに力が戻り、それを持つあやつも力を得られる。そういう算段じゃ」


 なるほど。筋は通っているように思える。


「けど葦裁神社の荒れようを見て憧れを抱くとは思えない、という話はどうなる?」

「結局のところ、力というのは持たざる者には振るう権利すらないものじゃ。得た力をどう使うかはそれぞれじゃが、まずは手に入れなければ話にならん。先立つものが最優先、と考えたんじゃろう」

「つまり、彼女の目的はどんな形であれ信仰の力を手に入れ、自分の存在を強めること。葦裁の名を騙るのはその一環だと」

「一応……筋は通っておると思う」

「そうだな。ある話だ。で、歯切れが悪いのは既に否定材料があるからなんだろう?」

「むー……そうなんじゃ。そう考えるとどうしても気にかかることがあってのう」


 夜は静かだが、段々と明かりが増えてきた。丑三つ時を回っていても、街灯は道を照らし、マンションの一室には電気が灯り、乗用車とすれ違い、コンビニの看板だっていくらでも目に付く。もうすぐ高校も見えてくるだろう。事件現場、駅に近づいている。


 妖と関わっていると、人目を避けて夜を歩きたい機会は少なくない。その度に僕は思う。


 人間は不確かな夜の闇さえ照らし、目に見えるよう明かしてしまった。


 光照らす場所は人間が生きる場所。……なら、人間でないモノが静かに息づける場所は一体どこにあるのだろう。


 人間の営みの中、白狐の妖は疑問を口にした。


「あの偽者、力が強まっておらんのよ」

「力?」

「んじゃ。今の理屈じゃと、噂が広まるほどあやつの力も強まるはずじゃ。じゃがわしが見たところ、あやつの力は初対面――つまり信仰を失った神と信じ込んだあの時――と少しも変わっておらん。噂が広まっておるのは事実なんじゃし、多少は影響するはずなんじゃが……やはりなにか間違っておるのかのう? どう思う三咲?」

「…………」


 信仰と噂を集めて葦裁に成り代わることが彼女の狙いだとして。確かに噂は広がっているのに、彼女はその力を得ていない。


 矛盾した話だ。まるで、帳簿上では莫大な収益を上げているのに、金銭自体はどこにもないと言われているかのような……。


 ……はた、と。


 頭の中で不意に繋がったなにかが、僕に足を止めさせた。


「三咲? もうすぐ目的地じゃぞ? 腹痛はらいたか?」

「信仰……そうか、そういうことか……!」

「お、もしかしてなにかわかっ――うおわあっ!?」


 シキのセリフをぶった切って身を翻した。僕は彼女の言葉を聞かず、向かっていた方向とは真逆に走り出す。


 もし僕の考えが正しければ……正しかったとすれば!


「き、急に走り出してどこへ行く気じゃ!? 駅の方に行くんじゃなかったのか!?」

「先に確かめなきゃならないことが出来た」

「へぇっ!?」

「一刻を争うかもしれない……!」




「葦裁! いるか!」


 僕の第一声は朽木の社に虚しく吸い込まれていった。


 葦裁神社にはなんの気配もない。人も、妖も。

 構わない。僕は早足で目的にまっすぐ向かう。

 壊れた賽銭箱。蓋はなんの抵抗もなく容易に引き剥がせた。中をライトで照らす。


「……やっぱりそうか」

「ふぅ、ふぅ……み、三咲? 目的地周辺でいきなりドタキャンして走り出したかと思えば、賽銭箱漁りなどしおって。なにがやっぱりなんじゃ? いい加減教えてくれんか?」


 一つこの目で確かめられたことで気持ちも少し落ち着いた。心臓はやや早鐘だが、呼吸は整えられる範囲だ。


 ゆっくりと言い含めるようにして、シキに説明する。


「賽銭箱の四隅に埃が溜まっているのがわかるか?」

「そりゃ隅っこには溜まるもんじゃろ」

「そうだな。それが自然だ。なら中央はどうだ? 薄く積もっているが、明らかに綺麗な箇所がいくつかあるだろう」

「……本当じゃ。ちょっと歪んでおるが、丸く切り取られた跡みたいになっておる」

「掃除の際に大型の家具を退かすと、その下の床だけ新品のように綺麗なことがある。埃が入り込む隙間もないからだな。それと同じだ」

「まぁ賽銭箱じゃし、賽銭が入っておった跡じゃろ?」

「惜しいけど違うな。これは『賽銭が入っていた跡』じゃなく、『最近まで賽銭があった跡』だ。もっと言い換えれば『つい最近、誰かが賽銭を持ち去った形跡』なんだよ」

「あ……そうか確かに! この円が歪んだ感じ、小銭を拾う指が埃を拭った跡か!」

「葦裁神社の賽銭箱から小銭を持ち去ったのが誰なのか……想像はつくはずだ」


 情報を知った上で改めて調査を行うと、以前は見逃した別の情報が目につくことがある。あるいは見え方が違ってくることがある。

 賽銭箱の蓋も僕が壊したわけじゃない。初めからただ被せられただけの状態だった。


 僕は社の扉を開け、足を踏み入れた。相変わらず床は空虚に軋み、そして空気からは廃墟でなく住居の匂いがする。

 部屋の最奥。ちっぽけな拝殿。そこにはかつて裁ちバサミが祀られていたのだろう。今は空っぽのそこに、以前はなかった物が置かれていた。


「……硬貨だ。埃も纏わりついている」

「前はこんなのなかったよな? 賽銭箱の中身はこっちに移してきたのか……いや、元々賽銭箱自体が神に捧げる意味を持つんじゃから、別に神体の近くに寄せても意味はないぞ?」

「信仰的な効力はない、か……」


 だが、葦裁にとっては意味があった。


 ……葦裁。他人にとって意味のわからない矛盾した振る舞いを続ける切り裂き魔。けど、僕にはそこにある真実がようやく見えてきた気がする。


 シキは部屋の中央へ歩いていき、海色の目で辺りを見回す。


「そういえば三咲? 一刻を争うとか言っておったが、賽銭箱の確認がそんなに重要じゃったとは思えんのじゃが?」

「『見えざるを想いて、想いを示せ』」

「……いやどうした急に。寝不足でバグったか?」

「昔、僕が教わったことだ。『見えるモノの見えない部分を想像しろ。そしてその見えない想像を誰の目にも明らかな共通認識で示せ。それが推理だ』と。シキの言葉から僕はある想像を繋げた。その想像をこの目で確かめるためにここに来た」


 綺麗なのは空気だけじゃない。四隅に埃が溜まっている様子もなければ、蜘蛛の巣一つ張っていない。


「シキの話には興味深い点があった。鎌鼬という噂の力を集め、葦裁に成り代わるのが彼女の狙いだったと言ったろう? そして確かに噂は広がっているが、彼女はその噂……信仰の力を得られなかったと」

「うむ。あやつの力が現状増しておらんのは間違いない」

「なら問おう。人々が信じ始めた、姿なき切り裂き魔の存在。その噂の持つ力を葦裁が得られなかったのなら、それは一体どこへ消えた? 蒸発して消えたのか?」

「じゃーかーらー。それがおかしいから悩んでおったんじゃって」

「そしてこの社の空気だ。ここはずいぶん綺麗に保たれている。もちろんそれをしているのは彼女なわけだが……彼女はどうしてわざわざそんなことを?」

「……ただの掃除じゃろ? 言うほど変か?」

「あちこち擦り切れた着物を着て、危険を顧みず淀んだ川に飛び込める彼女が、社の中が汚れていることだけは許せないのか?」

「む……確かに、切り裂き魔でもあるんじゃから、既に色々汚れておるしな」

「だが彼女はそれを許せなかった。その理由がおそらく、持ち去られた賽銭にある」


 部屋中をなんとなしに歩いているシキは、まだなにも見つけられずにいる顔で。


「三咲、もったいつけずに教えろ。お前にはこの謎が解けたんじゃろ?」

「謎が解けた……か。どうかな。一つの推理ってだけだ」

「いいから早く教えろ! 結局この事件はっ、あやつは一体なんじゃったんじゃ!?」

「僕が思うに――」


 一息吐いて、僕は自分の考えをシキに話した。順を追って丁寧に。


 最初こそ興味深そうに聞いていたシキだったが、話が核心に迫るにつれ、顔色を変えていった。顔はみるみる青ざめ、焦燥に駆られた尻尾が揺れる。

 全てを聞き終えたシキは居ても立っても居られないと、肩に飛び乗ってきた。


「早速行くぞ三咲!」

「どこに?」

「決まっておろう!? あやつを止めるんじゃ! もしお前の推理が正しければ一刻を争う! 取り返しのつかんことになるぞ! ああぁそうか! お前がさっき目的地を翻したのはこれに気づいたからか……!」

「シキ。少し落ち着け」

「三咲ッ!」

「落ち着けと言ったんだ」

「っ……」


 窘める声音で言うと、シキは驚き竦んだように耳を立て、萎れさせた。激しい叫びが木霊して消えた後には、痛ましいほどの静けさだけが降りる。


 月明かりの下、僕はゆっくりと境内に腰を下ろした。シキを見て床をそっと叩くと、彼女はバツが悪そうにしながらも、隣にちょこんと座ってくれた。

 そんなシキの頭をそっと撫でる。作り物のはずの毛並みを通して、やわらかな体温が感じられる。


「お前は優しいな」

「ん……」

「でもだからこそ落ち着け。大丈夫、急いで確かめるべきことはもう確かめた」

「……すまん」

「謝ることじゃない。僕はお前のそういうところが好きなんだ」


 一息、風が流れた。

 間を置いて、僕は言った。


「シキ。一つ考えてみて欲しい。妖が起こした事件は、どうすれば解決する?」

「え? それは……うーむ……」

「妖相手の事件は人間のそれよりずっと厄介だ。物的証拠はほとんど残らない、仮に残っても警察が妖を逮捕することはなく、司法も裁いてはくれない。ならどうすれば事件は終息する?」

「それは……真実に辿り着くことじゃろ?」

「それで? その真実を犯人に突きつけたら、参りましたって言って犯行から手を引くのか? 暴いた罪を罵倒すれば泣いて改心するのか?」

「……ないな」

「だから普通は害を為す妖は有無を言わさず『駆除』する。間違いなく正しい解決策だ。話を聞かなければ余計な情も湧かないし、騙されることもない。最効率、最小限の被害で事を収められる」

「ならお前は……何故妖の真実を知ろうとする? 目で見て、話を聞いて、大変な目に遭って、それだけの手間をかけた果てに手に入るのは、解決には直結せん他人事の事情なんじゃろ?」


 僕は多分、馬鹿なんだ。

 人間には嘲笑われるだろう。説教を受けるだろう。

 妖にも……どう思われるかわからない。

 それでも変えられない。変えたくない。


「嘘を吐くのは殺したいからじゃない。真実を殺されたくないからだ」

「…………」

「だから脆いとわかっていても、疑われるとわかっていても、嘘や隠しごとで固めて守ろうとする。……ただ、必死なだけだ」

「バカな、それはいいように捉えておるだけじゃ。大抵の嘘は身勝手で、誰かを殺すためのモノばかりじゃ」

「かもしれない。けど他人がどう言おうと、この目で見ようともしないまま、真実を見殺しには出来ない。だって――」


 隣に座る小さな白狐の妖。きょとんと見上げてくるその頭をそっと撫でる。作り物のはずの毛並みを通して、やわらかな体温が感じられる。不思議そうな息遣いだって耳元に届いている。


「――僕も殺されたくない真実を嘘で守っている身だから」

「三咲……」


 呟きの下、夜風。白狐の妖が境内を飛び下りた。

 月明かりので抑揚なく揺れる白い背中が僕に言う。


「お前の推理が正しければ、あやつの計画を成功させては絶対にならん。……これだけは覚悟しておけ三咲。もしも間に合わんと判断したら、その前にわしはこの事件を文字通り『食い止める』」

「…………」

「その時はお前の言葉など聞かんし、お前も見たくなかった結末を見ることになる。誰も幸せにならん最悪の結末じゃ。じゃがその結末はわしだけでなく、お前も目を背けてはならん。背負わねばならんぞ」

「むしろお前も背負ってくれるつもりなのか?」

「おっと、別に無理にとは言わん。その方が楽じゃし?」


 シキは軽薄に笑って、大きく白い月を見上げた。釣られるようにして僕も見上げた。


 大きく白い満月だ。あんなにも大きく永遠に輝き照らしてくれそうな星でさえ、いつかは死んで消えるという。

 星も、人間も、妖も、そして事件も。いつか必ず終わる。終わらなければならない。


「三咲」


 不意に名を呼ばれた。月明かり、シキが振り返っていた。


 その顔は月明かりの下でなお眩ゆい、太陽のような満面の笑みだった。

 にっ、と翳りなく笑って。


「ま、どうせわしの出番はないんじゃろ?」


 ……まったく。

 そう言われるだけで余計な迷いが消え失せるのだから、本当に厄介な妖だ。

 逃げる選択肢は残しておいた方が、人間としては利口なんだけどな。


「もちろん。あるわけない」



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