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(11)彼女と葦裁とアシタチ様

前回のあらすじ

岩名蒼が由比凪の鎌鼬に切られ救われたという現場、細い橋を訪れると、葦裁が川底に引き摺り込まれるところであった。

それを助けた三咲はしおらしく俯く葦裁の口から過去を聞く。それは葦裁神社が廃れる経緯。

元は縁切り神社として慎ましく暮らしていたが、『アシタチ様は縁切りのためなら人をも殺してくれる』と流言が広まり、葦裁は縁切りをやめてしまった……と、葦裁は涙混じりにそう口にするのだった。



 日が沈み、夜が来て、月が昇る。

 深夜を歩く隣人はシキに戻っていた。


「わからないことがある」

「んぉ? なんじゃ藪から棒に」

「葦裁の目的。事件を起こした動機はなんなのかってことだ」


 初対面のあの日から数日が経過し、情報も集まり、明らかになったことも増えつつある。だが、最初から今に至るまで少しも見えてこないのが『動機』だった。そして動機がわからなければ、由比凪の鎌鼬の目的もわからないままだ。


 シキがきょとんとした声で言った。


「あやつは葦裁の名を騙る偽者なんじゃろ? じゃったら、葦裁に成り代わるのが目的なんじゃないのか? あやつからも縁切りの神様的なエピソードを聞かされたんじゃろ?」

「だったら何故切り裂き魔なんだ?」

「へ?」

「確かに葦裁とは縁切りの神だ。事実、蒼は救出され、真っ当な絵馬も存在している。にもかかわらず、彼女が選んだのは『人殺しの神としての葦裁』だ。あの荒れ果てた神社と願いを見て、そんな末路を辿った縁切りに成り代わりたいと思うか?」

「それは……まぁ、人それぞれじゃろ」

「僕ならごめんだが」

「まぁ……わしも嫌じゃけど……」


 シキの歯切れの悪さが、そのままこの事件の不自然さだ。

 そしてその不自然過ぎる行動を彼女は実際に続けている。


「いわば妖流の炎上商法だ。確かに話題にはなるだろうが、センセーショナルな切り裂き魔の噂に群がるのは、絵馬掛けに掛かっていた願いのような者達だけ。あの神社の荒れようを目の当たりにしてそれが想像出来ないとは思えない。であれば、自分は違う道を辿ろうとするのが普通じゃないのか?」

「うぅむ。悲惨な末路に続くとわかりきった茨の道を、それでも選んだ理由……か……」

「それだけじゃない。仮に覚悟を決めていたのなら、腕に傷を刻むだけの半端な犯行はなんだ? より過激で話題性にも富む手段、それこそ被害者の首筋を切り裂くことも出来たはずだ」


 さらに、もう一つ。


「あの裁ちバサミが、まだ僕の手元にある」

「ん? あぁ、偽者じゃからハサミを渡さなかったのか」

「そうじゃない。……彼女がその話をしなかったんだよ。一度も」

「返せと言われなかったのか? それは……」

「妙な話だろう?」

「う、むぅ……」


 シキはごちゃつく頭を整理するためか、身振り手振りを交えながら。


「あやつの計画では、自分は誤解を受けた縁切りの善神ということになっておるはずじゃ。であれば、『疑いが晴れたのなら大事なハサミも返して欲しい』と主張して然るべきじゃろ?」

「僕もそう思う」

「忘れておったのかのう?」

「……どうかな」

「ふうむ……? 考えれば考えるほど、名を騙って切り裂き魔を行う理由から遠ざかっておるではないか! なにがしたいんじゃあやつは!」

「だから言ったんだ。『わからないことがある』と」


 謎というのはいくら考えても答えに辿り着けず、迷宮を彷徨うことがある。それは情報が足りない状況、パズルのピースが足りない状態だ。


 だから、葦裁の溺れた橋に改めてやってきた。外灯もない額面通りの真っ暗闇。昼間と同じ場所のはずなのに、耳に届く水音も、向こうにそびえる山影も、光がないだけでこんなにも不気味だ。


「うぅ、気味が悪いのう……今にも出そうじゃぁ……」

「なにが?」

「そ、そりゃお前っ! あああああれじゃよ、あれ!」

「おばけか?」

「ぎゃああああああぁぁっ!?」


 由比凪市中に響き渡る大きな悲鳴を上げたシキの口を慌てて塞ぐ。人差し指を立てた『静かに』のジェスチャーを見せ、こくこくと人形みたいに頷くのを見てから彼女を放した。


「とにかく手がかりを探してみよう。昼間はなにも調べられなかったからな」

「う、うん……」

「……手分けしないで一緒にいるか?」

「うん……」

「……悪かったよ。ほら、おいで」


 幼児のような返事。明かりで照らさずとも、ほぼ本泣きなのがよくわかる。シキは別に夜そのものが苦手なわけではない。この雰囲気に呑まれて怖がっているだけだ。シキはいつも空気や感情を素直に受け取り、素直に表現する。普段はまったく気にしないくせに、怪談を聞いた夜は急に寝付けなくなるタイプだ。


 ほぼ密着した頬から不安げな息遣いと体温を感じながら、橋の上、袂、川べりと探る。しかしいくら探してみても、手がかりらしい手がかりは出てこなかった。


「……収穫なしか。古道近くの現場と同じだな」

「う、うむ。じゃけど、あやつはここで溺れておったんじゃし、そもそもここであった事件は蒼が葦裁に救われたというオチじゃったんじゃ。さすがに今回の事件とは関係ないんじゃないのか?」

「かもしれないな。あったとしても、葦裁が握って隠していた『なにか』だけか……」

「の、のう、三咲?」

「ん?」

「ここの調査はもう、い、いいじゃろ? せめて明るい時にせん? べ、別に怖いとかそういうのはないがお前が足を滑らせて川に落ちたらわしが助けることになるしお前もまた服を汚して今度こそ薫に叱られるし誰にとってもあまり得はないと思うんじゃよな別に怖くはない断じて怖くはないが」


 ガササササッ!


「ぎゃあああああぁぁっ!? 三咲っ、三咲いぃぃっ!?」


 今度こそ由比凪中に悲鳴を轟かせながら、シキは僕の胸に飛び込んできた。爪が食い込むほど強く掴み、顔を埋めてしゃくり上げている。

 ただでさえ小さいのにさらに小さくなった頭を撫でながら、僕は音のした方へとスマホのライトを向けた。


「眩しい」


 それは真っ黒いグミのような塊だった。大きな単眼が言葉通り、眩しそうに細められている。


「シキ。あれはおばけじゃない。ただの妖だ」

「うぇっ、っく、ぅぅん、ホント……? しょ、証拠は……?」

「僕は妖は見えても霊感はない」

「そ、そうか……」


 提示した証拠にいくらか安心してくれたようで、シキはしめりけを僕の胸元にぐしぐしと擦りつけて背中側に移動した。肩に器用に手を引っかけぶら下がり、僕を盾にしている。


 グミの妖は眠い目を擦るような気だるい声で言う。


「また来たのか。お前、さっきも来た」

「……また? もしかして昼間もここにいたのか?」

「そう、昼間。でも違う。さっきはさっき。忘れたか?」


 やや要領を得ない喋り口調だが、どうにか意図を翻訳出来なくもない。


「どういうことだ? つまり、昼間だけじゃなく、ついさっきも僕らがここに来たと言いたいのか?」

「そう。違うか?」

「違うよ。別の誰かと勘違いしているんじゃないか?」

「…………あ」


 その一文字が、十分過ぎる解答だ。大きな一つ目に当てないようライトを下げると、グミはのそりと頭を下げた。


「誤解した。お前、さっきのやつと同じ臭い」

「同じ臭い?」

「魚くさい」


 魚……?


 その単語にはたと閃いたのは、僕もシキも全くの同時だった。


「おい三咲。魚の臭いとはもしや……」

「ああ。おそらく鯉ノ掘。そしてそれに呑まれかけたという共通点……君がさっき会ったというのは、和服を着た少女の妖じゃなかったか?」

「そう。お前、よくわかった」

「葦裁だ……!」


 彼女は昼間別れた後、再びこの場所を訪れていた。そしてこの妖は実際にそれを見ている。


 思わぬ展開で繋がった手がかりに思わず気が逸る。それは僕だけでなくシキも同じだったようだ。


「おい、その妖について聞かせてくれ!」

「わかった。対価」

「えっ! た、対価じゃとぉ? ちょっと話を聞かせてくれるだけでいいんじゃが?」

「対価は必要。等価交換が資本主義社会の基本」

「こ、小難しいことを言うな! ……み、三咲? 資本主義社会ってなんじゃ……?」

「妖以外の社会のことかな」

「妖であるお前に資本主義社会は関係ないじゃろうが! 論破じゃ!」

「他人の褌で論破するなよ」

「対価は必要。不公平」


 頑なに対価を要求してくるが、彼の言い分もわかるところだ。仕方ない。


「なら交渉だ。君の要求は?」

「…………魂?」

「流石に渡せないな。他の物にしてくれないか」

「…………肉体?」

「後でアイスを買おう。それで手を打てないか?」

「アイス? なんだ?」

「人間界の冷たいお菓子だよ」

「交渉成立」


 未知の食べ物で興味を引けたのか、すんなり頷いてもらえた。肩の上ではシキが「それでよいのか……?」と呆れ混じりな呟きを漏らしているが、妖は意外とこんなものだ。


 さて、なにから訊くべきか。そうだな……。


「早速だが教えてくれ。彼女とはどういう繋がりなんだ?」

「これ」

「古い鍵、か……?」

「そう。大事な物。ここで落とした。あいつ、拾って届けてくれた」

「対価を要求して拾ってもらったってことか?」

「違う。向こうが言い出した。見返りも要らないと言われた」


 それはつまり……葦裁が川に飛び込んで溺れかけたのは、ただただ赤の他人の大切な鍵を拾って返すためだったっていうのか? あの時、僕から隠し握っていたのもこの鍵だったのだろうか?


 だがそれは、嘘吐きで偽者の切り裂き魔がするような行為じゃない。それではまるで、本当に他人を救う神様のような振る舞いだ。場所といい、岩名蒼の一件を思い出す。


「それで見返りもなくただ助けてくれたのか? 彼女は」

「礼はした。等価交換。拒否は許されない」

「君からはなにを?」

かね。拾った小銭を渡した」

「現金とはまた俗っぽい礼だな。妖が現金なんか貰っても……いや、だからこそか。『礼は要らない、どうしてもと言うなら拾った小銭で十分だ』と、そんなところか」

「違う。向こうが欲しがった」

「なんだって? どういうことなんだ?」

「知らない。ただの汚い小銭。けど強く欲しがった。だから渡した。嬉しそうに感謝された。……変なやつ」


 僕も完全に同意見だ。

 シキが軽い調子で考えを口にする。


「アイスでも食べたいんじゃないかのう?」

「お前と一緒にするなよ。仮にそうだとしても買い物が出来るわけじゃない」

「じゃよなぁ。あやつの行動はずっと意味がわからん。隠しておる目的とやらに関係するのは間違いないんじゃろうが……」


 切り裂き魔を自称したり、かと思えば他人のために川に飛び込んだり。

 見返りは要らないと言ったり、金銭と知った途端欲しがったり。


 由比凪の鎌鼬にして、目的と正体を秘匿し他人を騙らんとする偽者の神。

 気弱で繊細さを感じさせながら、他人のために迷わず行動に移せる心根の強い少女。


 善悪の印象。その振れ幅があまりにも大きすぎる。一貫性のない無茶苦茶な行動にしか見えないのだが、それが気分屋や好き嫌い、ダブルスタンダード、裏表の顔を狡猾に使い分けるのともまた違う。


 それは……そう、誤解を恐れずに言わせてもらうなら。

 葦裁は気を張って、無理に悪人を演じているかのようだ。


「葦裁はなにがしたいのか……か」


 彼女の行動も必ず一本の筋道を通り、目的という名の終着駅に向かっているはずだ。それはわかっていて、そしてそれがずっとわからずにいる。


 今のはただの独り言のつもりだった。しかしその独り言に、意外な角度から返答が飛んできた。


「あれは葦裁に似ている」

「「え?」」


 目の前の妖に目を向けると、彼は変わらない表情で続けた。


「前に見たことがある」

「お、お前っ、葦裁を知っておるのか?」

「葦裁、縁切りの神。ハサミを持った小さい神。昼間のやつと姿は同じ。でも性格が違う……別人」

「おいおいおい!? 姿は同じ別人じゃって!? と、とんでもない証言をしれっと!?」


 シキは尻尾を大きく振りながら言う。僕の後頭部を叩いていることにも気づかない様子だ。だが構わない。この時は叩かれる僕だって気づいていなかったくらいだ。


「おいお前っ、お前の鍵を拾ってくれた妖は、葦裁とは別人なんじゃな!? 間違いないんじゃな!?」

「葦裁は明るいしよく笑う。あれは暗いし笑うのも下手。でも暗いのは嫌いじゃない」

「お前の好き嫌いは知らんが、よい情報じゃぞこれは!」


 気が急く分、確認は慎重に重ねなければならない。


「確認しておきたいんだが、本当に別人か? 性格が変わったわけじゃなく?」

「保証はない。けど別人だと思う。葦裁とあれは芯が違う」

「芯?」

「んー……例を出す。人間の方のお前が明るい性格になっても、白い方のお前みたいに馬鹿っぽくはならない。違う明るさになる。それと同じ。わかるか?」

「おい誰が馬鹿じゃ誰が!」

「なるほどな。ちなみに本物の葦裁を最後に見たのはいつだ? この橋の付近に来ていたこともあったはずなんだが」

「前」

「具体的に思い出せないか?」

「…………」

「…………」

「……前」

「そうか。ありがとう」


 感謝の言葉は毛を逆立てるシキを宥めすかしながら。家を出た時には思いもしなかったが、重要な証言が手に入った。


 切り裂き魔として動いている彼女は、かつて縁切りの神として存在した葦裁とは別人である。


 この確定情報は非常に大きい。ここに来てようやく第一歩目を踏み出せたような気さえする。

 僕らは彼に礼を言い、コンビニでアイスを買い与え、そして別れた。


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