浮気調査
「夫を調べてほしいんです」
事務所兼応接間に案内した獣人の女性は、ソファに座って一息つくと再びそう言ってきた。
「旦那さんの、なにについて調べるんでしょうか?」
「浮気してると思うんです」
「なるほど」
女性は眉間にシワを寄せ、こちらを睨んでくる。
俺を睨まれても困るんだが。
前世では、探偵と言えば殺人事件に遭遇して見事な推理で事件を解決……というのは創作で、実際には浮気調査ばっかりする仕事というイメージがあった。
今世の私立探偵はそれとはまた少々事情が異なる。
この世界にはまだ警察という治安維持、違法行為の取り締まりを主とする公的機関が存在していない。それらの仕事は、軍や保安官の業務の一部になっている。
軍隊が常に街中を警邏していると物々しくなりすぎる。
保安官は任命されている数が少なく、手が足りない。
ということで警備会社や探偵といった仕事が成立していた。
俺のような私立探偵や警備会社は民間業者として、免許を得て、ある程度の武装や捜査、逮捕を許可されている。
特に犯罪者を追って逮捕する仕事は、賞金稼ぎといえばわかりやすいだろうか。
そんなわけでどちらかといえば、今世の探偵は荒事に関わる仕事なのだが、浮気調査の依頼がまったく無いというわけではない。
様々な理由で身辺・素行の調査を依頼されることがあり、その中には浮気を理由にした調査も含まれるといった感じだ。
ただその件数はあまり多くはない。
ぶっちゃけ、依頼料が高いのだ。もともと普段が命を対価に稼ぐ稼業であるため、いかに危険が無いといっても相応の金額をもらうことになる。
「身辺調査は期間によって依頼料をいただきますが、一日あたり千ラニーから。一日だけで調べられることはありませんので何日か……」
「お金なら払います。どうせ夫の稼いだ金ですから」
「わ、わかりました……調査依頼を引き受けます」
うーん奥さん、覚悟の決まった顔をしていらっしゃる。
いま提示した金額は俺の感覚から言えばぼったくりだ。シェルウェイの他の会社と比べても割高なくらいなのだが、それでもためらいなく払うと言い切られてしまった。
どうして安くしてあげないのかといえば、そんなことしたらシェルウェイ中の浮気調査依頼が俺のところに集まってきてしまうからだ。
それで稼ぎたいという人はやればいいと思うのだが、俺は元軍人という肩書もあって仕事を選り好みできる程度には依頼に困っていない。
「それでは詳しい話を……」
「あの人、絶対に浮気してるんです……前はいつも仕事が終わったらすぐ帰ってきたのに、最近は夜遅くに帰ってくることが増えて!」
「ええ、そうなんですね……まずはお名前を教えていただけますか?」
「はぁ、はぁ……すいません。ええと、名前ですね、私はセーニャ、夫の名前はケルビンです」
「旦那さんも獣人の方ですか?」
「いえ、ヒューマンです」
奥さんは犬の獣人で、ノズルがしっかり突き出した顔や手足の体毛など、かなり獣寄りの姿だ。
今世では見慣れた姿ではあるものの、ヒューマンにとって愛しやすい姿かというと、なかなか意見のわかれるところであることは、この世界の人間にとってもあまり変わらない。
「旦那さんの仕事は?」
「仕立て屋の下職です」
仕立て屋か。ちょうどコートを受け取ってきたところなので、俺にとってはタイムリーだ。
下職は簡単にいえば下請けのこと。仕立て屋なら、メインの職人の下で部分的な縫い仕事などをしているのだろう。店によっては、親方の下で勉強する徒弟のような関係の場合もある。
「仕立て屋ですか。どちらのお店ですか?」
「何軒か手伝っていますが、主にプラタナス通りのブラウンズというお店で」
「ああ、あそこですか。貴族の御用も多い老舗ですね」
「知ってるんですか?」
あまり一般庶民が行くような店ではないので知られていないと思ったのだろう。
俺も自分の趣味のために仕立て屋を一通り調べていなかったら知らなかっただろうし、それはしょうがない。
奥さんは、その時になってようやく俺の着ているスーツに気付いた様子で、あっと声をあげた。
「その服は、結構な仕事ですね」
「見てわかるものなんですか?」
「一応、私も仕立て屋の娘なので……」
「ということは、職場の出会いで?」
「ええ、うちの父も夫のことはよく知っています」
なるほど、職場結婚はそうそう珍しい話ではないけど、それで浮気の話が出てくるとなると、その旦那は大変なことになりそうだ。
職人仲間に悪い噂が広まったら、今後の仕事に差し障ることになるだろう……自業自得なのでどうしようもないが。
「浮気していると感じた理由はなんですか?」
「さっきも言ったように、夜遅くまで出かけることが増えたんです。どこに行っているのか聞いても曖昧なことしか言わないんですよ!」
「それは確かに怪しいですね」
「先週なんかとうとう朝帰りして、靴もどこかで無くしたなんていって裸足で帰ってきて! 本人はその後、心当たりを探したけど見つからなかったなんて言ってますけど、ひょっとしたら質に入れたのかもしれません。しっかりした革靴だったから、水商売の女にでも貢ぐために金にしたのかも……!」
「な、なるほど……」
「前に一度、知らない女の匂いをつけて帰ってきたこともあって……それを言ったら、以降は無くなりましたけど、代わりにタバコのニオイが濃くなって……あれはきっと私の鼻が効かないように誤魔化してるに違いないわ!」
どんどんヒートアップしていくなぁ……。
すでに奥さんの中では浮気は決まりみたいで、証拠を見つけて欲しいという感じのようだ。女性のこういう勘が当たりがちなのはどの世界も変わらないが、だからといって決めてかかるわけにもいかない。
調べてみたら白でしたってことも結構あったりする。
じゃあ、その朝帰りはなんなんだという話になってくるわけだが、人それぞれ、事情はいくつもあるものだ。
その後、いくつか必要な話をして奥さんは帰っていった。
事務所兼応接室となっている客間を出て奥の生活スペース、リビングにいくとクロエが半眼で俺を出迎えた。
「浮気調査ねぇ……聞いてたら結構酷い男っぽいけど」
応対中、クロエは客間には一度も来ていないのだが、仕事の内容についてすでに理解していた。
客間には、後から話が違うだの依頼の内容に齟齬があったときのために集音の魔道具、いわばマイクが置いてあった。
それによって話を魔法で録音しておくと同時に、リビングにいるクロエも依頼内容を聞くことが出来るようになっているのだ。
「一方からの話だけじゃ判断できないよ」
「ふぅん……」
「意味深なジト目でこっちを見るのはやめてもらえませんか、クロエさん」
「……あの怒りっぷり、他にも言ってない不満がいっぱいあったと思うわよ?」
「そりゃそうかもしれないけどさ……別のすれ違いってこともありえるから」
「ずいぶんと浮気男の肩を持つのね」
「決めつけは良くないって言ってるだけだって」
納得してないと顔に書いてあるクロエから逃げるように家を出て、調査に向かった。