夜の倉庫街で……
浮気調査の一日目、まずは空振りワンストライクから始まったわけだが、三日目には早速、当たりが出た。
いつもより仕事が早く終わったのか、ケルビンは日が落ちる前にブラウンズを出ると、すぐに帰宅せず商業区の方に向かって坂を下っていったのだ。
「はー……マジかぁ」
職人たちの彼の評判を聞いて、遊びなんて出来ない男なのかと勝手に思っていたが、その期待は裏切られたのかもしれない。
いや、まだ普通に買い物するだけって可能性も無くはない。
さて、これからもちろん尾行するのだが、商業区に近づくにつれて人通りが増え、離れてついていくのが難しくなってくる。
とはいえ何も対策が無いわけではない。
「起動――<収奪の魔眼>」
魔眼の発動と同時に、周囲のすべての魔力が可視化される。それは空中を漂う魔力はもちろんのこと、すべてのヒトやモノが持つ魔力すらも透けて見える。
このチート能力、魔眼で捉えた魔力を奪い取ることがその主な使い方なのだが、その機能を使わなくても、こうして魔力を見る事ができるという部分だけでも活用できるのだ。
魔眼を発動した状態だとちょっと目立つので、ケルビンからはあえて距離を取る。
だが、彼の持つ魔力は人波の向こうからでもしっかり見えていた。
魔力は人によって個性がある。老若男女、種族、魔法使いか否かによって、その量や色、流れがまったく変わってくる。
ケルビンの魔力を見て覚えておけば、多少離れていても見つけ出すことができるわけだ。流石にたくさんのヒトに囲まれていたりすると見えにくくはなるが、その時はヒト混みの中にいるということはわかる。
起動している間はずっと目が発光しているので、周りに見咎められないように普段は消しておき、見失いそうなときだけ魔眼を使って上手いこと尾行を続けた。
さてどんな店に行くつもりなのか……と思っていたら、露店の立ち並ぶ市場はそのまま通り過ぎ、商店の多い駅前の目抜き通りにも寄っていかなかった。
飲み屋街もスルー、風俗街に入って、ここが目的地だったかと思っていると、ケルビンは一切立ち止まらずに通過してしまった。
そしてとうとう倉庫街まで来てしまった。
昼間はむくつけきマッチョ人夫たちが船と倉庫をえっちらおっちら行ったり来たりする喧しい場所だが、夜になるとすっかりヒトの居ない静かなエリアになっている。
ガス灯や明かりの魔道具などはそれなりに高価なので、ヒトのいなくなる場所にまで設置はされていない。
潮の匂いが漂い、月と星の光だけが照らす暗い倉庫街は、異世界からまた別の異世界に来たかのように空気が変わって、なんとも背筋が震えてくる。コート着てきたほうが良かったかな。
他の通行人が居ないのでさすがにケルビンから見えるように身をさらすことはできない。離れた物陰に隠れつつケルビンの後を追っていくが、魔眼があれば撒かれる心配もない。
そうしてケルビンがようやく足を止めたのは、ある倉庫の入口だった。
ケルビンがドアをノックするとしばらくして内側から声が聞こえてくる。ちょっと距離があるせいで内容までは聞き取れない。
「……すべての……つくす」
ケルビンもなにか返事をするとドアが開き、彼は倉庫の中に入っていった。よく聞き取れなかったが、合言葉だろうか。
普通に酒場にでも通っているのかと思っていたのでそのまま一緒に店に入って様子を伺おうと思っていたのだが、素直にドアをノックしても入れてもらえないだろう。
どうしたもんか……このまま回れ右というわけにもいかない。
そんなふうに悩んでいる間にも、一人また一人と男たちがその倉庫へとやってきて、ケルビンと同じようにして中へ消えていく。
薄暗い中で分かる範囲では、みんなケルビンと同じく若い男性で、服装などからみても一般的な庶民層といった感じだ。
これがモグリの酒場か風俗店だったら、まだマシなほう。もし非合法の賭場や危険な代物の密売だったら、保安官にこの場所について報告するべきだろう。
ただの浮気調査をしてると思っていたら、結構大きな犯罪の捜査の可能性が出てきてしまった。
ここは多少強引にでも、倉庫の中を確認しないといけないな。
強引といっても、なにも入口のドアを蹴破って突入するというわけではない。ただ表玄関から入らずに裏口から侵入しようというだけだ。
「<サイレントムーブ>」
口の中で小さく呪文を唱え、風の魔法を発動する。これで俺の周囲の音が消える。
そして身体強化魔法も使って物陰から物陰へ走り、倉庫に近づくと魔眼を使って様子を見る。
倉庫自体は、魔法的な防御などは施されていない、ごく一般的な建物のようだ。そして中に居るヒトの魔力も壁越しにうっすらと透けて見える。
誰がどこにいるかまではわからないが、おおよそどこに大勢集まっているとか、それくらいのことは判断できる。
入口から入ってすぐに数名、あとは建物の各所に一人ずつ、これらは見張りなどだろう。そして倉庫の奥に結構な人数がいるようだ。
正面を避けて倉庫をぐるりと回ってみると、後ろ側の壁の高い位置に明かり取り用だか換気用の窓がいくつかあり、それらは開け放たれていた。
身体強化の掛かった足で飛び上がり、壁の出っ張りを使ってその窓にぶら下がった。
曲芸かカンフー映画みたいな動きだが、特殊魔法士隊にいた頃の無茶な作戦に比べたら楽なもんだ。
さてさて、中ではどんな退廃的で享楽的なサバトが催されているのやら。
腕の力で身体を引き上げ、窓から中を覗き込む。
と、まずは倉庫内の匂いが気になった。なぜか嗅ぎ慣れた匂いを感じたような気がする。
そして倉庫の中に見えた景色に、俺は思わず目をぱちぱちと瞬かせ、自分の目が信じられずに魔眼を起動してみたが、まやかしの魔法などは掛けられていなかった。
「なんだこれ……」
倉庫の中にはたくさんの机が整然と並べられており、その机に向かって何人もの男たちが向かっている。
そして手元にあるのは酒でも薬でもなく、布、そして針と糸だ。
彼らは作業机に向かい、一心不乱に布を縫っていた。
よく見ると縫い上げている布はシャツのようで、縫い上がったものを検品する者、アイロンがけする者、箱詰めする者などもいるみたいだ。
さっきの嗅ぎ慣れた匂いは、仕立て屋の新品の布類などから感じる匂いだったのか。
「デリル! 手が遅い! そんなんじゃ一着縫うまでに日が昇っちまうぞ!」
「はい!」
机に向かう男たちとは別に彼らの様子を見ている男が降り、こちらは筋肉を強調するような薄着で手にはなんだかわからんが長い棒を持っている。
その棒で床や机をガンガンと叩きながら、布を縫う男たちに激を飛ばしているようだ。
「マーティ! 縫い目の間隔が不揃いだ! 解いてやりなおせ!」
「すいません!」
かなり高圧的な指示に、従順に従う男たち。
前世での旧時代的な体育会系のノリを思い出してちょっとつらくなってくるな……。
やってることはただひたすら裁縫しているだけのようだが、あまりにもブラックすぎて強制労働させられる奴隷と監督官でも見ている気分だ。
今世には、まだミシンが発明されていない。そのため、蒸気機関や魔導機関の恩恵で糸や布の生産が早くなったとしても、服としての完成品を作るには手縫いするしかないわけだ。
「ランド! なんだその縫い方は! 曲がりすぎだ! まっすぐに縫え!」
「す、すいません……でも、そんなに早く綺麗に縫うなんて……」
「腑抜けたことを抜かすな! 見てみろ!」
ブラック上司ならぬ監督官は、棒でビシッと一人の男を指した。
そこにいたのはひょろっと背の高い金髪の男……ケルビンだ。
「ケルビンの運針の速さとリズムを! ほとんど乱れが無いだろう!」
「ほ、本当だ……」
「すげえ……ケルビンってこんなにやる奴だったのか」
自分に注目が集まっている事に気づいているのかいないのか、彼はじっと布に向かい手を動かし続けている。そしてあっという間にシャツが仕上がっていく。
それを見た他の男たちも奮起したのか、自分の手元に集中する。
親方たちには真面目過ぎる真っ直ぐ過ぎると言われていたケルビンだが、それがこんなところで評価されているとは。
こんな倉庫街に隠れるようにして、それも夜中に稼働している工場というところで、おそらくは後ろ暗い部分があるだろう。ブラック労働なあたりとか。
しかし、今世にホワイト労働の観念はないし、服を作ってるだけだし、保安官に報告するほどのことではないかな。
その後、二時間ほどケルビンは休憩を挟まず縫い続け、結構な枚数のシャツを縫い上げた。
労働を終えた彼に監督官は笑顔で工賃を手渡す。遠目に見ただけだが、百ラニーくらいだろうか。
少ないようにも思うが、短時間作業のバイト代だと思えばこの程度……いや、やっぱり若手とはいえ職人仕事としては安いなぁ。
倉庫を出たケルビンは潮風の冷たさに一瞬身震いし、足早に歩き始めた。
さて、これで彼の帰りが遅かった理由はわかった。
あとは無事にアパートメントまで帰るのを見届ければ、今回の仕事も一区切り……って、ちょっと待て。
まっすぐ帰るものかと思っていたケルビンの足は途中で飲み屋街の方に向かった。
そして、彼が迷いなく入っていった店は、仕立て街にチラシのあったショークラブだった。
「うおおおお! ヘイゼルちゃーん!」
店内に入って見回すと、ステージ上で艶めかしくダンスを踊る半裸の獣人の女の子に、歓声を上げる金髪男の姿があった。
これ以上ないくらいデレッデレに緩んだケルビンの顔はとても幸せそうだ。
俺の報告がどんな結果をもたらすことになるのか……今だけは何も知らないまま楽しんでくれ。
数日後。
仕立て街の若手たちに闇労働禁止令が出ることとなった。
まともな指導もなくスピードばかり追求する針仕事なんて芸が荒れるとかなんとか。
下手なバイトに手を出すより、内職でもやったほうが練習にもお金にもなりそうだしな。
ケルビンは奥さんに半殺しにされたようだ。
ただ、踊り子に入れあげていただけで決定的な浮気はしていなかったみたいで、離婚などはせず、今後はお小遣いを減らして門限も厳しくすることで落ち着いたらしい。
「……で、このチラシはなーに?」
「だからそれは仕事の一環で取っておいただけでね……?」
後から水商売のチラシをスーツのポケットから見つけたクロエが、笑顔で詰め寄ってくるのを宥めるのに半日かかった。