立志編
夢中になれるものには何か魅力があるはず。
知り合いがラノベに夢中なのでその魅力を探るために書いてみました。
ご感想いただけると幸いです。
胡蝶日記
私の名前は北山胡蝶、曾祖父の代にさる藩のご典医として召し抱えられ、大坂の北山村から離れ日本海を望むこの藩にすんでいる。
冬は雪深く、住まいは湿気を防ぐために床が高く、障子をあけて見える庭には万年生きる亀の甲羅のように彫りの深い樹皮とあざやかに陽光を通す緑の松葉に雪がかぶり自然にはけして無い、自然の摂理に反した作られた庭の、その人の抵抗しているさまがき綺麗であった。
年に一度、日本国じゅうの神様が大勢集まり相談ごとをするこの地は意外と狭く、意外と寒い。
そしてその春、私は川で白い何かにのみ込まれて気が付けばこの川から這い上がり、長椅子に腰かけている。川べりの道に等間隔に提灯のような明かりが浮かび、夜なのに十分に明るく不思議な光景だ。
胡蝶は襦袢一枚のずぶぬれで、結いが解けて腰まで髪が腰まで降りているが、とりあえず生きている。
(水練だけはしなかったなぁ、月のものもあるし、女は不便だ・・)
川で飲んだ水を吐くのに乱れた息を整えながら、胡蝶はようやく寒さを感じ始めたとき
「ハロウィンでそんなかっこで川にでもおちちゃった?だいぶエロいよ」
そんな声が聞こえたと思ったら大柄な男が横に座り股に手をいれてきた。
(こんなにひとけがないところで裸同然で男と女がいればこうなるのも必然かぁ、使ってよい時ですね左門先生)
そう心の中で胡蝶はつぶやくと男の股に入れた手を太ももで挟み、右手二本貫手で思い切り喉をついた。
男は痛みのあまり反射的に前かがみになろうとするところに足をかけ、男の右頬に右手を当てて、自身の左足に力を籠め、前方の地面に男の側頭部を自分の体重ごとドンと思い切り地面にぶつけてやった。
「あたた、体が冷えて、手首をしっかり決め損ねたのでいためてしまったわ」
左門先生とは諸国を武者修行しているという方で、当家には医術の研究のため、しばらく滞在されていた方だ、なんでも人の治し方を学べば壊し方もまた進歩するというものらしい。
まぁその手間賃として、当家滞在の間、私に武術を手ほどきし、父は医術を教えるといったものであった。どうも私には天稟があるらしいのだが、女であるため力の強さで世に出るには何とも難しい、まぁ護身のためにのみ使いなさいとの教えだった。
かじかむ手を自分の吐息で温めていると男がせき込みながらふらふらと四つ這いになり立ち上がろうとしている
(やはり女では限界があるな、一撃とはいかんのぉ)とおもいながら軽く踏み込み緩慢に右足を放り投げて相手の顔面をけり上げる。
男の鼻下の急所に胡蝶の足趾球がくらいこむ。
この蹴りには鎧どおしという名がつけられており、心得の無いものが食らえば立っていられないほどの威力である。文字通り鎧を貫通して相手を屠るという蹴りである
男はのけぞりながら草むらに仰向けに倒れた。
こんどこそ完全に気絶している。
「これも左門先生の教えだから堪忍、堪忍・・」こうつぶやくと胡蝶の瞳は暗く沈み倒れた男に歩み寄る。大きな乳房を右手でつかみ左手で襦袢の合わせをもちあげながら「見てしまうからだめなのであろう、ならそのまなこだな」そういうとまるで卵の黄身をすくい上げるように白く細い指で男の両目をえぐり取った。
「伊達では帰さずじゃ」それを草むらにポイっと投げ捨てて足早に川に向かい歩いていく
「あぁばっちいばっちい」子供っぽくおどけながら川で手をあらうのであった。
(しかし不思議なとこじゃのぉ、夜なのにこんな明るい提灯が何個もかかげてあって、川下の方はさらに明るい・・・男が襲ってくるところをみるとあの世ではなく人の世であること間違いなさそうじゃな)
しかし寒い、足早に街灯沿いの道を川下へむかう胡蝶でありました。
さくらが散りはじめ、山藤がちらほら見えるころ、藩主の茶会で川べりに宴がひらかれていた。
ここの藩主は参勤交代で江戸に向かう際に滞在した京都で茶道に魅入られてしまい、挙句藩を上げて、お茶三昧になってしまったのであった。そのため、お茶の栽培からはじまり、茶道具、和菓子と文化がどんどん呼び込まれた雅な藩になってしまったのであった。
もちろん北山家もお呼びがかかり、その宴に招かれたのであった。
胡蝶には夫がいる。婿をとり、元風という女の子と元龍という男の子の双子がいる。今年早めではではあるが元龍が元服し、当主としてお役御免といったところである。
胡蝶は齢26、13歳で結婚し、子供は12歳、このころの平均寿命は30代であったことを考えるとまぁまぁの年増というあつかいである。
静かな流れで瀞となった川に桜の花びらが流れ、あちこちに毛氈がしかれ、朱傘が立ち茶がふるまわれている。琴や三味線・笛の音がさらに茶会を盛り上げる。
(冬がきつい分春の美しさは格別だな、子供も健やかで良い日じゃな)そう胡蝶が茶をすすりながら目を閉じて周りの賑わいに浸っていると子供たちが話しかける。
「母様、今日はとても満足気ですね」元風が横に座る。
「そなたら立派になったので母は役目を果たしたという感慨に浸っているのじゃ」胡蝶は目を閉じながらはなす。
「キャー」とつんざくような悲鳴がはしる。
胡蝶が目を開けると川に浮かんでいた船から人が落ちた瞬間が目に入った。
川に落ちた子は藩主の子である。皆が慌てふためく中、元龍が着物を脱ぎながら川に向かって走っている。
(さすが元龍、良い判断じゃ、次期藩主の命を救えば大手柄、北山家は安泰じゃな)そう心の中でつぶやきながら胡蝶は川岸に足早にむかうのであった。
元風は水練が得意である。母にできないことは率先して小さいころから習わされてきたのである。着物を着たままでは水中では溺れるのを知っているため、ふんどし姿になり、一番に川に飛び込み溺れる次期藩主の襟首をつかんだのである。
しかし溺れる者は見境がなくなりとにかくしがみついてくる、一度水を飲み、気絶してから救助しても遅くはないともいわれるほど錯乱していてちかづきがたいものである。
その例に漏れることなく、元風もしがみつかれて溺れそうになってしまった。
(まったく元服しても手がかかる・・・いつまでも子供だな元龍・・・親として子供に命かけるのも勤め、今日は晴れていて死ぬには良い日だな)
そう心の中で思い胡蝶の目は暗く沈みはじめた。
「元風、兄ごと川から引き抜いて投げるから受け取りなさい」そういうと
次の瞬間、胡蝶は帯をほどき着物・腰巻を脱ぎ棄てた、そしてその帯を溺れる元龍の方向に投げ、全力ではりだした。
川面を投げられた帯が元龍までの橋となり浮かぶ、そのうえを襦袢一枚の胡蝶が帯を踏みながら川面を走っておぼれた元龍のところまで行き、溺れる子の襟首をつかみ「元龍!その子を死ぬ気ではなすな!」そういうと川から子供二人を引っこ抜き川岸にぶん投げた。水きりの石のように二度ほど川面をはねながら子供らは浅瀬にうちあげられた。
胡蝶は流れに飲まれてながら思う(うん、勤めははたした、二人とも達者で・・冷たい水で溺れるのはちと嫌じゃがな)
と思った瞬間何か生暖かいものにのみ込まれ、目の前が真っ暗になってしまった。
そして目覚めたときには暗い川岸に流れ着きゲホゲホとむせながら長椅子へとたどり着いたのであった。
「母様!」と次期藩主を抱き起しながら叫ぶ元風、川面に沈みゆく母に泳ぎ近づこうとする元龍の目の前で白く太くうねるものが、胡蝶を一飲みにして川底に消えていった。
皆あっけにとられてあたりは何の声も出ない、ただただ次期藩主が泣きわめく声がひびくのみであった。
川岸でしゃがみ呆然と座る兄弟に誰かが母の形見である着物をえらく重そうに抱えて差し出した。「そなたらの母君はなにものじゃったのだ?」受け取った着物を水を含むわけでもないのでおもく、兄妹は不思議そうに広げるとじゃらじゃらと鉄の棒手裏剣や、裏地に細かなくさりかたびらが縫い付けあったりしてある着物でした。
「母上らしい!」兄妹は目を合わせ同時に叫び笑いそして泣きました。
風が冷たい10月の川べりの道をあるいていると橋が見えてきた。昼のようにあかるく人がにぎわっている。
胡蝶の襦袢はある程度渇き、日本髪は崩れたがかろうじて残ったかんざしでまとめ結ってある。「さすがに寒いな」そう呟きながら階段を上りにぎわう橋の上にでた。
「なんと、ここはいったい・・・」
明るくライトがつられて、キッチンカーが整然と並んでいる。机といすが並べられ、バルと呼ばれる酒場が簡易設営されているのである。
(何となく、同じ人間だが、見たことないものが多すぎる。しかしみたところ女がこんな時間に外で酒を飲んでいるところをみるとそんなに野蛮なとこでもなさそうじゃな)と考えながら、しかし本当はきょろきょろ見たいものがあるのを我慢してまっすぐ歩いてみる。(怪しまれないようにせんとな)
ほんとによくわからないものばかりだ、見たことない料理の絵が描かれ見たことない酒らしき飲み物が売られている、男も女も楽しく机を囲み杯を酌み交わし談笑している、「よいところらしいなここは」
「ちょっと~、ハロウィンだからってなんてかっこで歩いてんのよぉ」
一人で酒を飲むショートボブの赤い顔の女性から声がかかる、
「私のことですか?」
胡蝶は身内と話すとき以外は話し言葉を変える、知らぬ土地に来た時に怪しまれない知恵である。もちろん世間体を考えてのこともあるが、なるべく相手にあわせるそして相手に話させるのだ。
「一杯飲む?って名前はなんていうの?私は雪乃」
胡蝶は猫が飛び乗るように椅子にちょこんと腰かけ雪乃の正面から少しずれてすわる「北山胡蝶です。寒くて寒くてお金もないのでごちそうになります!」にっこり笑ってグラスを両手で包み込んだ。
雪乃が重そうにワインボトルからワインを注ぐ「こちょうちゃんね~ 」「ていうか、話聞いてよ~」
なんでも男に誘われて遊びに行ったが、話すとタイプじゃないと食事の途中で席を立たれてレストランで一人で食事をして、帰りにやけ酒をあおっている途中なのだそうだ。
ふんふんと話を聞きながら、この世界のことを何となく聞き出す。
どうも日本であること、自分の生きてきた時代より、だいぶ未来であることがわっかた。
(さて、どうしようかしら、まずは夜をしのげる屋根と壁がほしいな)
そんなことを考えながら、寒さを紛らわすのにワインをあおる。しかしこんな道端の酒屋で透明なグラスを出すとは、日本もなんとも豊かな国であるようで、少し安心してきた。
雪乃はひどく泥酔していて、呂律も回らなくなっていた。「しゃーかえりゅわよ~、ってこちょうちゃん、はだしじゃない?これはきなよぉ」そう言ってバックからスニーカーをだした、ジムを退会してロッカーの私物を持ちかえってきた荷物だそうだ。
「じゃあ、ばぁあいばぁーい」と雪乃は立ち上がったがカニのように真横に歩き始めた。
「こりゃだめだ」と胡蝶は肩をかして、雪乃の言うままに歩いていくのであった。
途中、二度ほど嘔吐する雪乃を介抱しながら家にたどり着く、大きな寺であった。
本堂の隣の家の裏口から雪乃を支えながら家に入る、台所に上がり椅子に雪乃を
座らせる。
見慣れぬ家電製品が整然とならび、胡蝶はきょろきょろする。(なんとも珍妙だが、人が丁寧に暮らしているのがわかるね)
秋の夜は月が明るく台所がぼんやりと照らされている。
「わたし・・寝る」突然起き上がった雪乃はまたカニのように真横に歩きだし胡蝶に寄りかかってきたのを受け止めた。
「部屋はどこだい?」とききながら雪乃の脇を抱え廊下を進み階段を上がり襖をあけた。
少し床から高くなったところのに布団が敷いてある、いわゆるベッドだ。
掛け布団をめくって雪乃を寝かして、胡蝶はベッド際にことりと腰かけた。
(しかし、ここはどこなんじゃ、地獄でもない、極楽でもない、夢にしてはちと寒いな)
そう、部屋に差し込む月明りを眺めていると眠たくなり、胡蝶は雪乃の横に倒れ込み寝てしまった。
「お手てが冷たいじゃない・・・お布団かけましょうね」急に上半身をおこした酔っぱらう雪乃に布団をかけられて、そのまま二人はねてしまいました。
(くさい・・なんかくさい)目をこする雪乃は自分の吐しゃ物で汚れた袖口の臭いで目が覚めた。
(昨日はバルで飲んでて・・・誰かと呑んで、家に連れて帰ってきてもらって・・・)
「なまぐさい!」雪乃はそう呟き寝返りを打つと襦袢姿の胡蝶が寝ていました。
川に落ちて夜風で乾いたとはいえ、なかなかハイクオリティな香りに仕上がっていました。
「ちょっと・・・生きてるの・・・」肩をトントンと叩かれて胡蝶も寝返りを打ちながら上半身をおこした。(昨日と同じところだね、夢でもないのかね)乳房を持ち上げながら襦袢の合わせを正し、ベットに正座をして胡蝶は雪乃と相対した。
「昨晩は一緒に酒をのみ、あなたをここまでお送りしたが、そのまま寝てしまいすみません。どうも川に落ちたようでそれまでのことがあいまいでよく思い出せないのです。」
両手を重ね深々と胡蝶は頭を下げる。よどみないしぐさで頭を下げる様に、雪乃は思わずかわいいと思ってしまった。
「こちらこそ、酔っぱらいを送ってもらって、ありがとう。いや、ありがとうございます!」
照れ隠しに正座に座り直し、頭を下げる雪乃であるが、狭いベッドであるため、お互いの頭をぶつけ笑いあうのであった。
「ちょっと何を騒いでるの?」襖のむこうから声がかかってきた。雪乃の母が襖を開けると、
コーヒーテーブルの前に正座をして座る胡蝶とだらしなくベッドに座りながらしゃべる雪乃がいた。
「お母さん、昨日一緒に飲んで家まで送ってもらった胡蝶ちゃん、二人とも臭いからシャワーあびてくるぅ」そういうと雪乃はタンスから着替えを探し始めた。
雪乃の母の方を向いて座りなおした胡蝶は深々と頭を下げながら「北山胡蝶と申します。昨晩は雪乃さんとお酒を飲み、送り届けとようとしてそのまま眠ってしまい、ご迷惑をかけてたいへん申し訳ございません。」
雪乃の母はにこりとほほ笑みながら、しかしこちらを刺すようにみながら「こちらこそ娘がご迷惑かけたみたいで、ありがとうございます。」
「ここはお寺ですからね、いろいろご事情がある方と思います、ちゃんとした挨拶もできる方の様ですし、その服の仕立てをみればわかります、しばらく仏さまに手を合わせられたらいかがですか?」
胡蝶はさらに頭を深く下げ「ありがとうございます」とお礼を言った。
「胡蝶ちゃん、服なさそうだから、私のあげるね~」そう言いながら雪乃に手を引かれ、部屋をあとにした。
「うちね~、お寺だから、大昔は施風呂っていって、村の人にお風呂をふるまってたってこともあって、でかいのよ、湯舟」
脱衣所で服を脱ぎながら、雪乃はふろ場を指さす。
胡蝶も襦袢の紐をほどきながらふろ場をのぞくと、なるほど4~5人は入れそうだ。
「しかし何なのよそのでかい乳は、兵器じゃないの」と雪乃に眉をひそめながらつぶやかれた。
「でかいだけで、あまり乳がでなくてな、思ったほど役にたたないのだ、見た目だけだ」と胡蝶は自嘲気味にかえした。
「でかい方がイイヨォー、っていうか胡蝶ちゃん子供いるの!?」
「いるよ、もう一人前になってしまったので母親役は隠居だがね」
「衝撃なんですけどー、私も子供産んだらでかくなるかなぁ」
「なるなる、はよう産んでみろ」
そんなことを話しながら、二人は湯気に消えていくのであった。
ふろから上がり、胡蝶はドライヤーで髪を乾かされている。
しかしなんとも驚かされることばかりだ、シャワーというものは暖かいお湯が出て髪も泡立つシャンプーとやらで洗えばつやつやするし、良い香りまでする。こんなものが毎日家でできるなんて女にとってはなんとも恵まれている。
(さて、これからどうしようか?まずは受けた恩を返すとしようかな)
「朝ごはんの準備ができたわよ、胡蝶ちゃんもどうぞ~」
台所から声がかかり「はーい」と雪乃が返事をする
「髪型完成!ゆるふわネジネジくるりんぱ!顔がいいからみばえするねぇ、ごはんいこー」
(この時代の服装は楽だな、股がすーすーするのが心もとないが・・・)
胡蝶は雪乃のお古の服をもらい、髪も整えられ、見た目はこの時代の女子そのもである。
どかどかと廊下を走る雪乃に対して、胡蝶は音もなくしずしずと歩む。
畳の間に入り大きな机に料理が並んでいる。
「お母さん、今日はテーブルじゃないのぉ 朝ごはん」
「お客さんがいるから朝食は座敷よ」
めんどくさそうに座布団に雪乃が座った。
(なんともかわるもんじゃな)
ガサツな雪乃が、正座で座り食事を始めた途端に別人のように美しくみえる。
(ちゃんと育てられたのだな・・良い母に感謝じゃな)
「おなかいっぱいになったかしら?胡蝶ちゃん」雪乃の母がお茶を入れながらといかける。
「ありがとうございます、満腹です。なにか恩返しをしたいのですが、いま私にできることといえば奥向きの家事くらいですが・・・」
「あら♪それなら本堂の拭き掃除とかお願いしちゃおうかしら?助かるわー」
「お母さん、その仕事初めから頼む気満々だったでしょうぉ」雪乃が口をとがらせながらはなす
「じゃあ雪乃ちゃんにお願いしてもいいのよ♪」思わぬ返しに雪乃は立ち上がり自室に帰りながら「私は大学に行かないとダメな日だわ、急がなきゃ♪お昼にはかえってくるねぇ」と逃げてしまった。
本堂に入ると薬師如来像が鎮座している。「この時代でも仏様は大切にされているみたいだな」
正面に座りゆっくりと手を合わせて自分に問いかける(なるべく動揺すまいと取り繕ってきたがいったいなんなんだここは、とりあえずは人の住む世の中らしい。自分の居場所が無いのはなんとも浮草に様で不安だが、とりあえずは目の前のことに懸命になってみようか)そして一心不乱に胡蝶は拭き掃除をはじめた。無心に何かに取り組むのは何も考えなくて精神衛生上とてもよい。
(ふぅ 仕事がなくなってしまった。さてどうしたもんかな・・)
拭き掃除を終えて薬師如来を眺めながら胡蝶は呆然としていた。
「どうですか?お薬師様はなにかおっしゃいましたか?」
奥の廊下から声がきこえる。雪乃の父親でありこの寺の和尚である。
「和尚さまでございますか?北山胡蝶ともします。縁あってお世話になっております。」
座して深々と頭を下げながら胡蝶が挨拶をのべた。
視界の端に白い足袋がみえる。こちらに近づき仏像の方を向いて歩みが止まる。
「お顔を御上げなさい、お寺ですから、ゆっくりなさい」頭をあげ柔和にほほ笑む顔を見て胡蝶は思い切って現状を打ち明けた。
川でおぼれたとこ、夜道を歩き雪乃に出会ったこと、そして今ではない時代であろうところにいたとこと・・・・
和尚は時折左上を見ながら傾聴し最後「まぁ不思議な状況でお互い困っているといった感じですね。幸いここは寺です。ご自身の心が定まるまで逗留してください、ただし修養といいますか、いろいろお手伝い願いますね」
「お慈悲をおありがとうございます!誠心誠意務めさせていただきます」
また深々と頭下げる胡蝶であった。
母屋に通じる廊下を歩く和尚が振り向きながら胡蝶に問うた「昔と比べて今の仏法はいかがかな?」
「はい、大変あたたかこうございます。」にっこり笑いながら胡蝶はこたえた。
「それはよかった」満足気に和尚は母屋に消えていった。
とりあえず、雨風をしのぐ場所と暖かい食事が確保され安心したとたん力がぬけて腰がぬけてしまった。
息を吐くたびに体ごとしぼんでいくようだ。
寺の本堂で座り込んでいると左手の人差し指に赤いトンボが手にとまり、ようやく我に返った胡蝶は庭の大イチョウが風にゆれているに目がとまる。
枝先の葉がわずかに黄色く色づき、黄色くなった実がぽとりと庭に落ちた。
「おっといかん、呆けとる場合ではない、さて何か惚れるようなものでも見つけないとな、生きるのに飽きないようにしないと・・・いったいここはどこなんじゃ・・」
「ただいま~」石段をかけあがりながら雪乃が大きな声を張り上げて帰ってきた。
「痛っ!」手を振ろうと上げた右手首に痛みが走る、利き手の左手にとまったトンボはまだ翅を休めている。(昨日のアレで痛めたか、そなたは心行くまで休んでゆくがよい・・・)
赤とんぼはそれから数分後、外に飛び立ち、ようやく胡蝶も立ち上がり雪乃の声がする台所に向かうのであった。
「首が痛―い、顕微鏡のぞきすぎたぁ」雪乃がテーブルに座りながら首をさすっている。
學校で小さい虫の数を数えているらしい。
マッドミジンコを作っている・・・さすがに理解がおよばない・・。
「そうだミナミ先生んとこ行こう!我慢してても首はなおらない!こちょうちゃんも一緒にいこーよ」
「うん、出かけてみたいと思ってたんです。お供します」
「それなら、おひるごはん食べたらシュッパーツ、お母さんお昼ナニー?」
昼食を食べ外に出てみると驚きだ。
道が石のようなもので敷き詰められ、箱のようなものに乗って人が移動している・・
(ここまで元の時代とちがうのかぁ・・・まぁあまり声をあげんようにせんとなぁ。それとこのしゃべり方もかんがえんと、もう当主でもなければ先生でもないし、年頃の女性としてはなさないと怪しすぎるな)
そんなことを考えながら雪乃と歩いていると看板が見えてくる
『南海整体院』
雪乃が首をさすりながら「ここの先生はすごいんだよ、体の痛いとことかはだいたいすぐ治しちゃうし、体の不調不満はだいたい解決しちゃうのよ、マジ神って感じ!」
(ここの医術がどのようなものか楽しみじゃ♪)胡蝶は興味津々に入り口をくぐった。
あけ放たれた施術室から待合室に声が聞こえる
「立って歩いてみてどうですか」
「あれ、痛くない、足挙がる!前かがみになれる!」
「まぁ予定通りに治ってますが、いきなり酷使しないようにしてくださいね」
不思議そうに腰をさすりながら施術室から出てきた女性は会計をすませて不思議そうに院をでていった。
雪乃と胡蝶は待合室のベンチに座りながら順番を待っていた。
「さて雪乃さん今日はどこがだめですか?」南海春平は飄々と言葉をかける。
「顕微鏡のぞいていたら首が痛くなっちゃって・・」「あと今日は付き添いがいてます、こちょうちゃんです。」
春平は右手で施術室を指して「わかりました、そちらの部屋にどうぞ~、こちょうさんも良かったらどうぞ~」
大きな部屋にベッドが一台置いてある。胡蝶は木の丸椅子に座り施術の様子を見ていて思った。「なんてきれいな所作・・まるで舞をみているようじゃ・・・」
施術が終わると雪乃が立ち上がり、「よし、いつも通り痛くなーい。相変わらず何がどうなって、治るのよ、マジカミって感じぃ」
揚々と施術室を出ようと歩く雪乃に続き胡蝶も立ち上がり数歩あるいたところで、春平ら声がかかる「こちょうさんはどこかいためているのですか?」
「えっ、まぁそうですが、わかるのですか?」胡蝶は珍しく驚いてこたえた。
北山家の立場上、自分の見せる所作がどのような影響を与えるか、ふるまい、言葉など、常々気を張って生きてきたので、言い当てられるということは初めてだった。
「良かったら治しますよ」と気軽に言われたのだが、胡蝶はお金を持ち合わせていない。
「袖触れ合うも他生の縁っていいますし、ただでいいです、ちなみに痛めているのは右手だけですか?」
胡蝶は目を丸くして「はい」とこたえた。
言われるがままにベットに仰向けになり、春平の説明が始まる。
「うちの施術はもんだり、捻ってボキッとかしません、腕を動かすと関節が中で動いているのですが、その正しい関節の動きを外から関節を触って行います、それと筋肉を伸ばす柔軟体操を組み合わせて施術を行います、簡単に言うと、正しく関節が動いて筋肉が伸び縮みすると痛くなくなるってかんじです。ちょっと押されてるって感じのつよさです」
そういうとそっと右腕を持ち上げ曲げ伸ばしをはじめた。
羽が舞い落ちるようにふわりと触れられ、温かい手で真綿でつつみこまれたかと思うときっちり骨がつかまれている。
「手首がゴキゴキ言っていますね、これでどうです、手を動かしてみて」
「おう、痛くない!」胡蝶は目を見開いて、手首をぐるぐると回した。
「いったい何がどうして痛くなって、痛くなくなったのですか?」
春平は身振り手振りをしながら話し出した。
「肘から先にうでは二本の骨があります、掌をひっくり返すときにその二本の骨は交差しながらねじれます、その先の手首には8つの骨があってそれが順番に動いて手首が曲がるのですが、その8つの骨が順序良く動かないと痛みがでるんです」
「まぁ筋力が足りなかったんですね、こう手首を伸ばしたまま掌でぐっと何かを押したときにってとこでしょうか?痛めたのは」
「確かに思い当たります、しかしすごい・・・」胡蝶は口を半開きのまま手首を振りながら答えた。
「じゃあ、首も治ったし今日もマッドミジンコどもを数えに行こうかな~、こちょうちゃんも一緒に来る?」
「わたしはぁ 先生の仕事を見学させていただけませんか?私の実家も医業を生業としてまして、お願いいたします。」両手を前で重ね深々と胡蝶は頭をさげた。
「そこまできれいに頭をさげられたら、しょうがないってわけじゃないけど、いいですよ。技術なんて隠すものでもないですし」
そうして、胡蝶は春平のもとに通うようになるのだった
肉厚で黄色の濃い葉を竹ぼうきで掃き集め、先にたきつけておいた火にかぶせるように落ち葉をかける。細く立ち上る煙は本堂の大屋根を超えたあたりで南に流れるのを見ながら落ち葉を燃え切るのを胡蝶は薄い目をして眺めていた。
(しかし、こんな分けのわからない状況でも四季の移ろいは変わらんのぉ・・まぁ子供に家督も譲ったし、憂いはないが、隠居暮らしの身にはちと波乱がすぎるぞ)
胡蝶は若くして家督をつぎ、婿を取り、子を産み、北山家の当主としてふるまいつづけた。言葉遣いも年頃の娘のようなものだと示しが付かないと、無理に変えたものだった。
地位にふさわしくなるように、いろいろ繕っているのだ。
「さて、午後は南海先生のところで見習いじゃ♪」
そうして胡蝶は午前は寺を掃除し、午後は南海のところに行くのが日課になっていた。
昔の暮らしと比べて現代は力仕事が少なすぎる。
寺の階段と石畳の掃除のためのため、庭の隅にある井戸で釣瓶で水を汲んでいると、雪乃に「まじかぁ~」と感嘆された。
胡蝶は雪乃に連れられ、学校の武道場についた。
体が鈍ると雪乃に相談したら、「こちょちゃんは何をしてたの運動は?」と聞くと
「う~ん、馬や小太刀、柔に薙刀ですかね」
「じゃあ学校の武道場で薙刀やってた気がしたから、聞いてみるよ」
と言われ、見学に来たしだいだ。
「ヤァー、キェー」武道館に響くなか、隅を歩いて、向こう側の空いている畳に座ろうと歩みを進める。胡蝶は横目で力量を見ながら歩いている。
(はぁ、とんだ天狗じゃな・・・)
「次、かかって来い!」主将の麻美が声を張り上げて激を飛ばす。
そんな中ちょこんと二人は板の間に座った。しばらく見ていたが、雪乃はうとうとしだして、胡蝶を膝枕に寝入ってしまった。
声が静まり、みな面を外し礼をすると、うずくまる者や手足をさする者をよけながら、横柄に歩くものが近寄ってくる。
部員たちに見向きもせず「お前ら明日も朝から稽古だ一人も遅れるなよ」と麻美がゆがんだ顔で怒鳴り散らす。
(あの主将とやらは弟子どもに何にも教えず己だけで悦に浸っておるのぉ、とりあえず繕って、雪乃を起こして帰るかぁ)
そう思っていると、二人に前に麻美が立ちはだかり「先生に見学が来るといっていたが、人の道場で居眠りしやがってなめてんのか?」
(そうなるのぉ)胡蝶は雪乃を横に転がし、両手をついて頭を下げて謝罪を述べた。
「今回のことは本当に申し訳ありません、連れは疲労のため寝ていまい面目次第もありません。そうそうに去りますのでご勘弁ください・・・」
といい終わらないうちに薙刀の石突でぐりぐりと胡蝶の背中は押し込まれている
「それで済むと思っているのか?えっ」
そういうと麻美は胡蝶の結われた髪を足で乱しながら頭を踏みつける。
土下座の格好で瞬きをせず、床を見つめる胡蝶は現代から比べると厳しい世界に生きてきたため、特に耐えるということに関しては何の抵抗もなかった。背中でゴリゴリと骨が擦れる音を聞きながら、無心に状況を把握している。
「こいつまだ寝てるのか」今度は寝てる雪乃に石突を突き立てようとしたとたん、すらりと腕をのばして石突をつかみながら胡蝶は床を眺めながらゆっくりと話した。
「連れには手を出さないでもらえないでしょうか?私がお願いしてここに連れてきてもらいましたので、このまま帰らせてもらえないでしょうか?」
しかしすでに眼前にはボールをけるように引かれた麻美の足が、雪乃の腹をけり上げようとしている。
にぎった石突をミシミシとへし折りながら丸くらんらんとした黒い目をして胡蝶が立ち上がると同時に、持った薙刀に押されて足が空振りして後ろにひっくり返る麻美の耳をかすめて薙刀が床を激しく叩いた。
「この国では法はないのかね・・・わしの見てる 『科学捜査MARIKO』 じゃそうでもないのがのぉ」
「そうじゃ、そうじゃ、スポーツでの事故はしょうがないんじゃろ♪『MARIKO』でみたぞ!よしよし、いっちょもんでやろうか♪ホレホレ、立ち上がって新しい獲物を持って来い。」
胡蝶はワンピースをフワフワさせながら、素早く乱れた髪をまとめ上げ、瞬きせずに倒れた麻美によると、胴着の襟を片手でつかみ片手で引きずり起こした。
芝居がかったポップな言葉と女子女子した見た目とは裏腹に、それとはかけ離れた竹刀をへし折り片手で人を持ち上げる腕力、そして毛を逆立ててボリュームアップした髪と丸い大きな瞳を潤ませ近寄る胡蝶はまるで怒ったヤマネコのようだった。
麻美は前月に昇段試験に落ちた。試合では負けなしなのに昇段試験だけは上手くいかないのは人を育てるのにいささか品性の欠けるからだ。それが型に出る。
当の本人は「なぜ弱い奴らが上がって私が落ちる・・」そんな歪んだ逆恨みが、部員へのシゴキに現れていたのだ。
そんな虫の居所が悪い中、フワフワワンピースにゆるゆるヘアのバカ女と道場で居眠りかますバカ女がやってきて、私ときたら臭い面と小手をつけて汗だくになってるのに、こいつらときたら・・・そんなイライラもあって、無礼を少し戒めても構わんだろ・・・
そんなつもりでかかわったはずなのに、床に転がされ、近寄る華奢な女が猛獣のように見え、胸倉をつかまれ、引きずり起こされて、立ち会えと言われて、目が白黒していると背中に激痛が走って我に返った。
「壁にかけてあるではないか、ほれ、とってまいれ」そういうと胡蝶はだらりと脱力した左手を鞭のようにしならせ、壁を向かせて歩かせた麻美の背中を思いっきり打った。
「ピシッ」と乾いた音が道場に響くとともに痛みでのけぞる麻美がいた。
「あっ、私、間違っていた、どこからだろ?」放心した麻美はそんなことを考えながら、かけてある薙刀の竹刀を二本つかんで、持ってきたものの一本を胡蝶が受け取った。
「そなた、最後に叱られたのはいつじゃ、かわいそうにの。さぁかかってこい、死ぬ気で来い、遊んでやる、でないと死ぬぞ」
その言葉に激高しようとした麻美が息を吸おうとした瞬間、胡蝶の突きが麻美の耳をかすめた。
耳があつくなり右にかがもうとしたら今度は視界の隅に目を狙う突きが見え、慌てて後ろに下がった。
と思ったらくるりと竹刀を回して、切先で指の爪をひっかけて指を撥ねてあらぬ方向に曲げた。
「どうした?面や小手に守られているとわからんだろ、竹刀でも十分痛いぞ」
一撃、一撃が局所破壊を狙ってくるのがヒリヒリと伝わってくる攻撃をぎりぎりで防ぎながら、そして焼けるような痛みの一撃が柔らかいところをえぐってくる。
そう思う間もなく、連続での切り付けに防戦一方の麻美は気づいた。
「これは・・型だ・・・」
型とは武道の流派の祖が、初心者が初めにする練習に思えるが奥義でもある。
そのまま打ち合うこと5分・・
型の動きを高速ですべて終え、肩で息をする麻美が息を吸った瞬間、鮫胴を砕くかと思うような突きから滑らせて 垂れ を突き上げた。
その瞬間に胡蝶がふわりと崩れ落ちたかとおもうと麻美が薙刀につきあがられ、踏み込んだ胡蝶が突き立てた薙刀の先に持ち上げた麻美がもがいていた。
「真剣とはよく言ったものだ、なかなか良い動きじゃったぞ」
そういうと竹刀を引き抜き、落下する麻美の両脇を抱えて、直立させた。
「奢らず励め、頂はまだまだ高いぞ・・わしとてな・・」
そういうと踵を返し、寝ている雪乃を揺さぶり優しく声をかけた
「運動はおわりました、帰りましょう」「もういいの?」
そういってふらふら立ち上がった雪乃はちょこんとお辞儀をして、胡蝶に手を引かれ武道場を後にした。
ある日の昼前、患者さんが袋をもって院を訪れた。
「ちょっとそこのスーパーでマグロの解体販売がやっていたから、先生もどうぞでもマグロの背骨が折れてたから先生のお口にあうかどうか?」
「ありがとうございます!早速お昼にいただきますよ。」
春平はそう言って入り口にカギをかけて冷蔵庫から醤油を出してきた。
「やっぱりいい魚にはこれでないとな・・」
そういうと弁当の蓋にとろりとした濃い醤油を垂らした。
「胡蝶もたべてみ、この醤油はちょっとうまいぞ」春平は胡蝶の皿にも醤油をそそいだ。
「いただきます!」
「!?」「この醤油はどこの醤油ですか!」焦る気持ちを抑えながら胡蝶はゆっくりと春平に聞いた。
「これは俺の母方の田舎の醤油で 奥出雲 紅白醤油 っていうんだ」
「この味は知っています、お郷の地名はなんというのですか?」
「島根県飯石郡三刀屋町ってとこ」
「ああ、それはほんとうかぁ・・・」
「先生・・ 馬鹿げたとこを言いているように聞こえると思いますが、わたしはその三刀屋に住んでおりました、北山家は曾祖父の代に御典医として召し抱えられ、医者をしておりました。川で溺れたところを何かにのみ込まれ、流れ流れて、今ここにおります。」
「まじかぁ しかし、昔の三刀屋で医者と言えば北山家だし・・・あっ 北山胡蝶!」
春平は胡蝶を指さし、目を丸くしている。
ぐるぐる部屋の中を歩きながら春平は右手で伸びたひげをさすっていた。
「まぁ 考えててもわからん時は 動く に限る」そういうと胡蝶を伴い、春平
は実家に向かうのだった。
車に乗り込み春平の実家にむかう道中、春平の母親の旧姓が北山であることや先祖の話しをしていたのだが、胡蝶はそれどころではなかった、自動車という乗り物に乗ったのは初めてだった。
(なんじゃこの乗り物、恐ろしく速くそして同じものがビュンビュンはしっておる)胡蝶は窓の外をちらちら覗いては頭を下げるのを繰り返していた。
「ここが俺の実家だ」そう言って白く四角い家の駐車場に車を止めて、後部座席のドアを開けて胡蝶が車から降りるのを促した。
車からかろうじて降りた胡蝶はがくがくと足を震わせ腰が抜けていた。「ちょっと手を貸していただけませんか?」
凛とした印象の胡蝶は脇を抱えられ、老人のように春平にすがりながら玄関をくぐった。
「この時間は誰もいないから、気兼ねなくはいってよ」そういうと廊下を進み畳の間にはいった。
そこには壁際に仏壇がおいており、春平は仏壇の前に座り、おりんを一度鳴らしてから手を合わせ、手を伸ばして位牌のようなものを取り出した。
位牌の屋根のような部分を外して、中から数枚の杉板を取り出した。
「胡蝶、この中に見知った名前はある?」そう言うと座卓に肘をつき白い顔をしている胡蝶の前に一枚づつ並べていく。その杉板には春平の亡くなった先祖の名前と日付が書かれていた。
胡蝶は板をひとつづつ両手で包み顔に近づけて読んでいく
ふいに目を閉じて点を仰ぎ、涙が頬を伝う、「この元風は私の娘でございます。」
窓から差し込む陽光が胡蝶の膝を温かく包む。ぽろぽろとあふれる涙をぬぐうことなく杉板を見つめている。
「嘘って感じじゃないし、その様子だと 当たり ってとこかな・・・ しかしこれ以上詳しくご先祖を知ろうとすると、お寺に行かないとだめだなぁ」
(しかし元風よ、88歳まで生きたとはどんなお婆になっていたんじゃ)胡蝶はほほ笑みながら杉板の文字を指でなぞり、を抱きしめて涙をぬぐい始めた。
「来週、祖父の13回忌で島根にいくが、胡蝶もくるか?なにかわかるかもしれないぞ」
「ぜひに!」間髪入れず胡蝶が答えた。
「しかし車で行くから、なれてもらわないとな、あれに」と意地悪そうに春平がからかいながら言った。
胡蝶は目を細めて口をあけてうなだれた・・
ヤマタノオロチのもとにもなった斐伊川を眺めながら川べりの土手沿いに車を走らせ細い道を曲がり、ようやく寺に到着した。
車から降り、赤茶色の石州瓦が陽光に照らされ、ぬらぬらと波打つように見える大屋根を石段の下から見上げて、胡蝶は息を大きく吸い込んだ。胡蝶のよく知る寺が目の前にあった。
(変わらないものがあるということは、より所があるというか、根っこがあるというか、安心するものだな)
そういうとチャイルドシートから赤子を抱き上げるとすたすたと石段を上がっていった。
春平には妻がいる、産後の日だちが悪く妻は入院を余儀なくされている。そのため子ずれで法事に訪れたのだった
お経が終わり、神妙な和尚の顔に柔らかさが戻り、和やかに話し出された。
「おばあさまの7回忌、おじいさまの13回忌もつつがなく終わり、ちょうどご先祖様の100回忌も重なり、同じくお経を上げさせてもらいました。去年、いままでのお墓をここの檀家總廟に入られて、今までの馴染みのなるお墓がなくなってしまったのは残念です。」
春平も安堵の表情でゆっくり話し出した「まぁこちらの家も処分して、お墓の管理もなかなかできないので、しょうがなかったいという感じでしょうか、しかし總廟というものがあってよかったです。手を合わせるものが残ったというのはなんだか安心したって感じです。」
「それはよかったです。さて地縁というものでしょうか?ご親戚もまだ親交があるとお聞きしています。お近くに来た時にはいつでもお越し下さい。今回の法事に際して少し北山家のことを覚えておいていただきたいと、ご先祖さまの話しをしたいと思います。」
「最近映画が公開された伊能忠敬というお方をごぞんじでしょうか?日本の地図を歩いて土地土地を測量して回ったお方の話しだそうです、実はそのご一行がこの土地を訪れたとき、北山家のご先祖様がご自宅にお泊めして接待されたらいしですよ」
「へぇ、そうだったんですか!歴史に名が出てくる人にご先祖が関わっていたなんて、なかなかおもしろいですね、この土地と自分の結び目が硬く締まった気がします。わざわざお調べいただいてありがとうございます、地縁が切れずにつながっている気が致します。ありがとうございます、和尚様」
和尚は柔和に目を細め軽く春平の礼にあわせてくれた。
「ところで、つかぬ事をお伺いしますが、私の先祖に 北山胡蝶 とうものはいますでしょうか?」
「ちょっとおまちください」
そういうと小さな巻物のようなものを広げながら名前を読み上げていくと和尚のめがとまった。
「6代前におられます。北山胡蝶というお方が、元龍様のお母さまですね。」
「あのそれで・・元龍は・・いくつまでいきたのでしょうか?」
か細く、祈るように胡蝶は聞き返した。
「齢95、この当時としてはたいへん長寿だったと思います。」
(そうですか・・・・あの子はそんな爺になるまで生きましたか・・・)
目を閉じ、頬を伝う涙が、抱いた赤ちゃんの頬にぽたぽたと落ちた。
本堂の横の座敷を借りて、子供のおむつを交換しがてら、お茶をいただいていた。
「となると、胡蝶は俺のひいひいひいひいひいひいひいひいおばあさんなのか?
」
指を折りながら春平が宙を見上げながらはなしかける。
「そう何個も ひい をつけなくてもいいではないですか、おばあ様と言われる見た目ではないので、いままで通り名で呼んだ方がいいんじゃないのでは?」
春平は目を閉じて困った感じでうなずいた。
「とりあえず一泊して、明日はこのあたりを回ってみるか」
春平はため息を吐きながらスマホで宿探し始めた。
「あと言葉遣いも元に戻します。これでも北山家の家長だったからの、言葉使いを変えねば周りに示しがつかんかったのが始まりじゃが、我を通すにはなかなか便利なものじゃ」
「しゃべり方でえらく変わるものだな、印象が・・・しかし日本語はほんとに多様だな、地位が人を作って言葉も地位を作るのか?この近くの潮温泉でいいか?なんか空いてそうだし電話してみるわ」
宿につくとぐずり始めた子供に粉ミルクを作り、手早く子供に哺乳瓶を吸わせた。
「春平、前々から気になっておったのだが、その子に飲ませておる白いものを一体何なんじゃ?」
「これは粉ミルクって言って、母乳のかわりだな」
「粉の乳かぁ、それは人の乳でできているのか?」そう言われて春平は粉ミルクをネット検索して「いや、牛の乳だそうだ」と検索結果を胡蝶にみせた。
胡蝶は困った顔をして目を閉じて、目を開けると春平をまっすぐ見て話し始めた、「春平よ、ほんとに牛の乳で人の子が育つと思っておるのか?身近におらんのか?もらい乳ができる娘は?」
子供の口元からミルクがこぼれるのをぬぐいながら、春平も困った顔をしながら答えた。
「確かに言われてみれば牛の乳は牛を育だてるもんだよなぁ、今の世の中じゃもらい乳はきかないなぁ、そんな知り合いもいないしなぁ」
子供にげっぷをさせて寝かせると、潮温泉への道をマップで確認して寺を後にした。
川べりの小さなトンネルを抜けて案内看板を進むとナビが宿への到着を告げた。
「秘湯の湯」と提灯にかかれていた
部屋に備えてある煎茶を入れ、『薄小倉』という和菓子を食べながら、子供の寝顔をながめていた。
部屋でうつらうつらしていると、宿の仲居さんが料理を運んできた。御膳の隅にある割子そばを見つけ胡蝶は器を手に取り箸をつける。
「これが出雲そばか?つるつるとすすれるではないか?」
「確かに・・昔はもっと噛んで食べるような荒々しい感じのイメージだったけどなぁ」
「まっ、うまいから良いか!」
食事を終えて、窓を開けると冷たい風が一筋吹き込んだ、晩秋の風は暖かい部屋の中に大きな蛇が居座るようにゆるりと蜷局をまくようだ。
苦手な車移動で疲労した胡蝶は大きなあくびを我慢できなかった。
「胡蝶、今日は疲れてそうだから、先に風呂に入って、寝たらどうだ。」
「そうさせてもらいます。車は苦手じゃ・・」そういうと部屋を、春平に寝巻用の浴衣を渡されて、ふらふらと部屋を出ようとしたら後ろから声がかかる
「帰りも車だから、はやく寝ないとな」
頼りなく手を挙げて、部屋をでる白目の胡蝶でした。
胡蝶は湯から目だけを出し、ワニのように湯につかっていた。自分のルーツというか、立ち位置が分かったというのはなんだか落ち着くものだ。
そして帰りの車のことを考ええると、白目になりそうになりぶくぶくと温泉に沈んでいった。
春平と子守りを交代して風呂に送り出し、赤ちゃんを一緒の布団に寝かした。
子供の体に顔を押し当てて大きく息を吸い込んだ。
甘く乳臭いにおいを吸い込み、「愛おしいのぉ」
そんなことをつぶやきながら、胡蝶は眠りに落ちた。
目が開き部屋の障子が月明りで薄明るくなっているが視界に入ると、何かが胸をまさぐっているのに胡蝶は気付いた
「なんじゃなんじゃ、何か吸われておるぞ」
はだけた寝間着からでた片方の乳房に赤子が吸い付き、一生懸命に鼻を鳴らしながら吸っている。
「見た目はうまそうじゃが、乳はでんぞ、すまんな・・」そう呟きながら赤子を抱きながら起き上がり、柱にもたれ、胡坐を組みで座った。するともう片方の乳房から白いものがこぼれる。
滴る乳を手で受けながらにっこりと胡蝶はほほ笑みながら子供にかたりかけた。
「はぁ、まことか・・・自分の子の時は全然役に立たなかったのに、いざ赤子を目の前にするとこんなこともあるもんじゃな・・」
懸命に乳を吸う赤子を見つめにっこりほほえむと、柔らかい赤子のほほをつつきながらかたりかけた。
「よし、わしが乳母になってやろう、存分に吸って大きくなれ」
温泉から帰ってきた春平は視線を斜め上に向けながら、胡蝶に話しかけた。
「で・・・どんな状況で、こうなっているんだ?とりあず足を閉じろ、足を」
胡蝶はゆっくりと立膝を正座に座り直し、寝間着の浴衣の裾を整え、赤子を抱きなおした。
「うっかり寝ておったら乳をすわれての、そうしたら、出たんじゃ乳が」
そういうともう片方の乳房からこぼれるものを手で受け、春平にみせた。
「いや、わかった、わかったから、ちょっとは隠せ・・」そう言いながら、バスタオルを胡蝶の肩にかけた。
「わかるか、春平・・ この乳を与えるという満ちた心が、この子はわしの乳だけが頼りで求めてくれる、それはほんとに純粋でそんな手で握られたら抗える大人はいないんじゃよ」
「いくら世話ができても、これだけは勝てないなぁ・・・ 俺にも乳がでればなぁ」
そう言いながら、子供のほほをつついた。
「安心せい春平、わしがこの子の乳母になってやる、それでよいか?」
「まぁ、いちおう身内ってことだし、頼めるならお願いしたいがいいのか?」
「よしよし、婆さまにまかせい。断られてももうこの乳はこの子のもんじゃからな♪」
そういうと、抱きかかえた赤ちゃんのお尻をリズムよく叩きながら胡蝶は満足げに子供に乳を吸われている。
次の日、かつて北山家の家のあった更地に立ち胡蝶は大きく息を吸い込んだ。
(家はなくなり、町も賑わいはなくなってしまっているが、子々孫々、人は続いておる・・・)
赤子を抱く春平に向かいにっこり微笑むと囲いの水路をぴょんと飛び越えて、「よし、では行くか!」
少し悲しくもあり、少しうれしくもあり、赤子を抱きかかえながら紅白醤油へ向かった。
(変わらぬ味はやはり良いのぉ、しかも美味いからな)
昔にはなかった、薄口や刺身醤油を買い求め胡蝶は満足した。
店を出て車に醤油を積んでふと山を見上げた胡蝶は目を細めて春平に問いかけた。
「城はないのか?」
「そうだな、あの山の上は原っぱになってる、行ってみるか?」
そう言うと車に乗って川をわたる橋にさしかかった。
「サバの姿焼き、懐かしいぃ!、ちょっと寄るぞ」、そういうと春平は車を止め、焼きサバを買い求めてきた。
「胡蝶の時代はあったのか?焼きサバは?」「わしの世はアジだった気がすがのぉ」
車は土手沿いを進み山に登る道に入っていった。
その後、晩秋の茶色く焼けた芝生を歩きながら城跡にある公園ついた。
町を見下ろしながら胡蝶はつぶやいた。「変わったものもあるが、変わらないものもあるな」
春平はベンチでサバの姿焼きを広げて先ほど買った醤油をかけて、割りばしで身をほぐしはじめていた。「胡蝶、たべないか?」「もちろん食べないわけはないぞ」
ベビーカーを押しながら、胡蝶はベンチに歩み寄ってきた。
「やはり、この醤油はうまい!」「魚がうまい!」
お互い感想を言いながら、競うように魚をつついていた。
春平が箸をとめてつぶやいた「ところで、胡蝶、いままで人を殺したことあるだろ?」
魚の身を口に運びながら、胡蝶はもささやいた「おまえも本当に人か?」
需要があれば続きを書きます。






