八話 『ヴェイルグリーン症候群』
「これは……あきらかに人が壊した感じじゃん?」
「そうだね……ぼくもそう思う」
指示書に記載された振動監視計のあるポイントは岩に囲まれており、地面は整地され、石版で舗装されていた。
だが、舗装された地面の中央にあったであろうの鉄扉はひしゃげて壊され、無理矢理に外されたような状態だった。
鉄扉の向こうには、二メートルほどある縦穴の底に設置された振動監視計が、バラバラに分解された状態で放置されていた。
「状況はどうであれ、それを調べるのは上の仕事よ。写真は数枚とったから、とりあえずこの任務は終了。振動計の部品を回収して帰るわよ」
「回収は僕がやるよ」
「ええ、お願い。念のためアルミロも写真を撮っておいて。私は周りを少し見てくるわ、ヒルダはこの場の警戒をお願い」
「りょーかい、まっかせて」
周囲の状況確認に行くユディタを見送ると、アルミロはポーチから折りたたまれた袋を取り出す。
破壊された扉をヒルダと動かし、狭い縦穴へと入ると魔携端末で分解された写真を数枚撮影する。
バラバラになった部品を一つ一つ手に取り回収していく中で、アルミロは違和感をおぼえた。
「ねえ、ヒルダ。こういう計測機ってさ、動作するためのエネルギーが必要だよね」
「え、そうなんじゃない? エネコンでしょ? つか、そういうのはアルミロの方が詳しいじゃん」
「うん、そうなんだけど」
「なら聞くなやい。んで、それがどったの」
「ないんだよね、そのエネコン」
「はぁ?」
『エネコン』
正式名称は『魔粒結晶版』といい、エネルギー媒体の一つとして、魔法大国モースランドル共和国のみならず、機械の国パルスリート君主国やその他の国々でも広く普及している。
別名ではエネルギーコンデッサーと呼ばれ、日常的にはエネルギーコンデッサーを省略した「エネコン」と呼ばれている。
主に魔法技術を利用した道具のエネルギーとして利用され、魔携端末でも使われているし、ランプやコンロなど一般家庭で扱う道具でも使われている。
そして、それはアルミロが部品回収をしている振動監視計に関しても同じ事だった。
「それって、誰かが盗むために壊したって事? ちょー迷惑じゃん」
「確かに迷惑だけど、それにしたってなんでこんな計測器のエネコンを……」
「まー、考えてもわかんないっしょ。考えすぎはよくないって」
「ははは、ついさっきユディタにも言われたばかりだったね。 よし、回収完了」
「オッケー、辺りに異常はなさげだし、このままユディまっとくかー」
アルミロとヒルダはひしゃげた鉄扉で縦穴を塞ぐと、その場に腰を下ろす。
青空に緑が混じった空を見上げて、ヒルダはぼんやりと雲を眺めた。
「ちっと気になってたんだけどさ」
「……?」
「空、南に向けてきれいになってんじゃない?」
アルミロは、北側の空と南側の空を何度か見比べながら、空の色を確認する。
「あー……そう、かも? 言われないと分かんないくらいだけど、ヒルダってこういう所、気付くよね」
「まー、私は変化に敏感な女なんだよね」
フフンと鼻高々になるヒルダ。
「帰ったら一応、報告しておこうか、魔粒子の流れが変わってるのかも」
「魔粒子かぁ……戦争がなかったら、こんな魔スクなんて付けなくてもここを歩けたんだろうねー」
魔スクを煩わしく感じながら、ヒルダは戦争が原因で魔粒子濃度が上がってしまったこの場所を嫌悪する。
「……結果論でしかないけど、もし戦争がもしなかったら、今僕たちはここに立ってなかったかもしれないけどね」
「…… ……まあ、そのとおりだわ、魔粒子汚染がなければ私達の村だって……」
「……」
沈み込むヒルダの表情に、アルミロは沈黙する。
結果論でしかない。魔粒子汚染がなければ、きっとウィッチャーも存在せず、ヒルダはユディタや他の仲間達とも会うことはなかったはずだ。
過去の結果があったから、今、この場にアルミロと座っている。
ヒルダの溜息が魔スクで覆われた口周りを熱くする。頭を振り払った。気にしないように振る舞っているのに、油断すると負へと流される。
「ああっ! やめやめ、なんで暗い話になっちゃったかなー。そんなつもりじゃないっての」
「あはは、そうだね、ヒルダにシリアスは似合わないよ」
「あん? それは聞き捨てなら無いんだけど?」
「ま、一つ一つ頑張っていくしかないよね」
立ち上がり、伸びをするアルミロを見上げながら、ヒルダはもう一つ小さく溜息をこぼす。
アルミロにはやっぱり敵わないとヒルダは思った。自分と違ってアルミロは、周りをよく見ていて、アルミロの言葉はいつも淀みを溶かす力がある。
ヒルダも立ち上がって、グッと伸びをして息を大きく吸い込んだ。
ヒルダには、無謀な、しかし、あがき続ければきっとどうにかなると信じている目的がある。
だが、焦っちゃダメだと自身に言い聞かせる。
「はぁーーっ。ま、やるっきゃないよね」
ヒルダとアルミロの故郷だった『カーララ』は十年前、『エリア変動』と呼ばれる、魔粒子濃度が急激に変化する現象によって飲み込まれた。
まだ当時、幼かったヒルダとアルミロは、他の生存者と共に北へと逃げ延び、ウィッチャーの部隊に保護された。
保護された十人のうち六人は子供で、四人は大人。
『カーララの悲劇』と呼ばれているこの事件の生き残りは、四パーセントに満たない。
ヒルダの胸には忘れられない記憶と共に深く刻まれているモノがある。
焦ったところで取り戻せない。もし浄化が終わっても、きっと数十年は、人は住むことすら出来ない。
――でも、取り戻したい。
青緑色の空から降り注ぐ暖かい光と、魔粒子の濃さを感じるぬるっとした風を感じながら、握りしめていた傘をくるりと一回しすると、ヒルダは気合いを入れた。
「よし! ……つーか、ユディおそくね?」
「え、そんな気合いの入れ方ある?」
いつもなら、周囲の状況確認は、少し確認する程度で戻ってくるユディタが、今日は五分を越えても戻ってきていない。
二人がユディタの帰りを気にし始めたとき、聞き慣れない乾いた破裂音が三回、周囲に鳴り響いた。
「何、今のっ!?」
‡‡‡
「ビンゴ……あの変な機械、壊したら誰か来ると思ったわ」
動体検知センサーが設置されている施設から二百メートルほど離れた場所で、ネラはライフルスコープを片手に岩陰に隠れて様子を伺う。
施設で作業をしている二人の男女、ヒルダとアルミロをスコープ越しに見ながら、どこの部隊かのあたりを付けた。
「二人……モースランドル共和国の……あの服のマークは浄化処理を専門とするやつらね。あの施設はそいつらの管轄か……」
ウィッチャーが支給するジャケットやコートの肩にはウィッチャーのマークが刺繍されている。
魔法大国モースランドル共和国では、ウィッチャーに限らず、軍隊や警邏隊なども同じように、肩に所属のマークが刺繍されている。
ネラは、刺繍を確認すると、アルミロとヒルダの容姿や持っている装備を確認する。
――細マッチョイケメンは真面目そうで……ピンクギャルは……脳天気そうね。二人ともあまり装備を持ってない……ってことは近くに町が――。
「あなた、そこで何をしているの」
足音もなく、気配もなく背後に近づいてきたユディタに、全く気付かなかったネラはピクリと体を震わせた。
――ッチ、もう一人いたのね……。
ネラの背後で、キリキリキリと弓の弦を引き絞る音が聞こえると、ネラは振り返ることなく、胸元に装着させていたナイフに手を掛ける。
「……別に、とくに何もしてないわよ? そうね、あえて言うなら生存戦略ってところかしら」
「……質問を変えるわ。パルスリートの人間が、こんな所に何の用?」
魔法大国モースランドル共和国と機械の国パルスリート君主国との戦争は、魔粒子汚染とプロティアンの出現によって、三十年ほど前に終戦している。
現在は、両国間に広がる巨大な魔粒子汚染の大地を正常、もしくは危険域から脱することを目的としているため、共同歩調という形で同盟を結んではいるが、長い間戦争状態にあった両国の関係はそこまで良くはない。
むしろ、汚染域を正常に戻した場所は、その国の領土となるため、実際は浄化の競い合いが国家間で行われいる。
しかし、現実はむしろ魔粒子汚染は両国を蝕んでおり、国土を広げるどころか、じわじわと失いつつある。パルスリート君主国側はそれが顕著で、モースランドル共和国よりも汚染の浄化に注力しているが現状だった。
また、浄化の進まない大きな原因は汚染自体よりも、プロティアンの方だった。倒しても倒してもどこからともなく別の個体が現われてくる。プロティアンがどうやって増殖しているのか、その成長過程や行動原理がまるで分かっていない。分かっているとすれば、魔粒子汚染域を中心にプロティアンが存在していることくらいだ。
ネラは警鐘をならす。
「目的? そうね、しいて言うなら……発生源の特定、かしらね。あなたも不思議だと思うでしょ? 倒しても沸いてくる化け物、一向に薄まらない汚染……」
ユディタは警戒する。
「その発生源の特定に、わざわざここまで? この辺りは私達――モースランドル共和国――がすでに調査済みよ。その報告はそちらにも行っているはずだけど?」
汚染エリアはどちらの国にも属さない場所と協定が結ばれているが、モースランドル共和国の国境付近にまで、パルスリート君主国の兵士の格好をした人間がいるとはユディタは思ってもみなかった。
いまいち掴めないネラの発言に、ユディタは警戒する以外にない。
ネラにとっては、不幸が重なりに重なってしまった故の生存戦略だが、ユディタとしては他国の兵士が領土侵犯をしかけているようにしか見えなかった。
「そうじゃないのよ、言ったでしょ、生存戦略、だって!!」
今まで動かずにユディタからの問いを答えていたネラは、握っていた胸元のナイフを振り向きざまにユディタに投げつける。ユディタは突如として動き出したネラに反応して、咄嗟に矢を放ってしまった。
ネラが投げたナイフとユディタが放った魔法矢、クリエイション・アローが衝突する。
ネラを拘束するために、クリエイション・アローにネットの魔法を仕込んでいたユディタだったが、ネラが投げたナイフに相殺される。
網がナイフを包み込み、推進力を失ったナイフはその場に落ちると魔法の網は光の粒となって消えていく。
ネラは間髪入れずに、ホルスターからハンドガンを抜き出して牽制射撃を行うと、三発の銃声が周囲に響いた。
ユディタは本能的に大きく転がるように射線を避け、放たれた弾丸はユディタに当たることなく、空を切り彼方へと飛んでいく。
攻撃の手を止めたネラは息を切らしながら、その場に立ち尽くす。そして、ネラと対峙したユディタは、目を見開き言葉を詰まらせる。
「あなた、その痣……魔スクも付けないで……いったいどれだけ……」
「生存戦略だって、言ってるじゃない……こっちには後が、ないのよっ」
余裕のない表情を見せるネラは、先ほどの攻防だけで胸を上下させるほど呼吸が乱れていた。手に持つハンドガンの銃口は下がり、重そうに構える。
そして、彼女の首元には青緑の痣が見て取れ、ユディタは、その痣を見て表情を曇らせ、胸を痛めた。
一体どれだけの期間、死の大地にいたのか……と。
『ヴェイルグリーン症候群』
高濃度の魔粒子を過剰に摂取することで起こる病気。体に緑青色の痣が現われ、少しずつ体力低下や呼吸困難になっていく。
ネラは誰が見てもすぐにわかるほどに、ヴェイルグリーン症候群が進行しており、その状態はかなり重篤な状態だった。