七話 『得手不得手』
『プロティアン』
それは、通常の自然環境ではありえない生物多様性を無視した異常行動と、見るからに異常な形態変化をした体を持つ魔粒子汚染が生んだ怪物。
何種ものプロティアンが存在し、それらは汚染エリアを跋扈し、獲物を見つけると襲ってくる。
高濃度の魔粒子汚染とその環境でしか生きられないプロティアンの存在。この二つが汚染の浄化を阻み、またその汚染が年々広がっているのもまた、浄化がなかなか進まない原因だった。
ヒルダが先行して見つけたプロティアンは、「プーフィー」という透明なフォルムをした、空中を揺蕩うクラゲのようなプロティアンだった。
ウィッチャーの間では「フワフワ」と別称で呼ばれ、透明な丸い胴体と地面まで垂れる長い触腕が特徴的。襞や触腕の先は青く透明で、一見すると見た目は綺麗だが、その実、魔粒子ガスをまき散らし周囲の魔粒子濃度を上げる特徴がある。
ヒルダは、ベルトポーチからクローバーの種が入った袋玉を取り出すと、右手で軽く握るように持ち、投球フォームで構える。
右足を軸にして左足を振り上げ、腰をクッと捻ると右腕を振り切り、袋玉をプーフィーめがけて真っ直ぐに投げた。
「うりゃ!」
クローバーの種は、魔粒子汚染に対抗するために開発された植物の種。
土壌に染みこんだ魔粒子を吸い上げながら成長し、葉を実らせると空気中の魔粒子も取り込んで、成長する。
ある程度成長すると花を咲かせ、種を実らせ、その一帯は一つ葉のクローバーの野畑へと変わっていく。
魔法大国モースランドル共和国と機械の国パルスリート君主国が共同で開発した、魔粒子汚染に人類が対抗できる唯一の希望でもある。
袋玉の縫い目の隙間から、小さな種がこぼれ落ちながら飛翔し、プーフィーに命中するとその周囲に種が飛び散り、ばら撒かれた。
衝撃を受けた方向へゆっくりと体を回すプーフィー。その体には目もなければ口も無い、何処が正面なのか見た目では分からないフォルム。
プーフィーがヒルダの存在を認識すると触手が激しく動き出した。
「怒ってもざーんねん。遅すぎ」
ヒルダは右手にもつ成長促進液が入った瓶をヒラヒラと揺らすと、その瓶をプーフィーの頭上目掛けて、キャップを付けたまま投げた。
ヒルダの後方で、ユディタが弓の弦を引き絞る音が聞こえると、矢を放つ甲高い弦音が響く。
「……プレートスタンプ」
射られた矢はプーフィーではなく投げられた瓶へ真っ直ぐに飛翔していく。当たる直前で矢尻の形状が平皿のように変化すると、瓶を粉砕し光のすじを残して消えていく。
ガラス瓶の破片と成長促進液の飛沫がユディタの瞳に映り込む。プーフィーとその辺り一帯に降り注ぐ光景をみながら、ユディタはもう一本の矢を番え始めた。
降り注いだ成長促進液がクローバーの種に触れると、触れた先から一つ葉のクローバーが一気に発芽していった。それは凄まじいスピードで根が伸び、プーフィーの体にまとわりつき、体内をも侵食していく。
「ユディ、次投げるよ!」
「……」
ヒルダの正確な投擲と一息いれて放たれるユディタの矢は、先ほどと同じようにガラス瓶を割り、成長促進液の飛沫がプーフィーに降り注ぐ。
ウィッチャーたちは、装備として支給される成長促進液を各自二本ずつ持たされる。
遭遇したプロティアンとの戦闘後の処理や、魔粒子汚染が確認されたときに使用するためだ。
プーフィーは、近づきさえしなければ脅威とはなりえない浄化の簡単なプロティアンだ。
プロティアンは本来、行動不能状態にした後にクローバーの種と成長促進液をかけて浄化するのだが、プーフィーに限って言えば、ヒルダ達がやっているようにそのままクローバーの種を蒔いて浄化をする事ができる。
「ンーーー……グロ……」
魔粒子のガスを吹き出し、暴れながら悶えるように縮んでいくプーフィーは、地面と共に一つ葉のクローバーの苗床となった。
それを引きつった表情で見届けるヒルダ。
「慣れなさいよ」
「いや、だから」
「慣れない方がいいんだよね」
「そうそう、アルミロ分かってる」
後方を警戒していたアルミロが二人の元へ合流する。
「魔粒子濃度が高いエリアの不快感はわかるけど、クローバーには慣れなさいよ」
「いやー、悶えてるのみると、ね?」
「まぁまぁ、人には得手不得手あるんだから。ほら、ユディタだって小さいツブツブの集まりとか苦手じゃないか」
「……」
アルミロが「小さいツブツブの集まり」と言っただけでユディタの顔は曇り、アルミロを睨み付ける。
「むはは、ユディ、ウケる」
「うるさいわよ、ヒルダはフワフワの確認でもしてきて」
二人にいじられて、口をとがらせながら腕を組むと、ユディタはヒルダに指示を出すことでその場を濁す。
魔スク越しでもわかるヒルダのニヤけ顔とアルミロの笑い声。
「はいはーい」
傘を回しながらプーフィーに近づくと、ヒルダは傘の石突きでつついて生死の確認をする。
ぷにぷにとしたプーフィーの体は、波打ち際で死に絶えたクラゲのような弾力で、ピクリともしなかった。
そして、ヒルダが一つ葉のクローバーを見てみると、未だにじわじわとプーフィーの体に根を伸ばしていた。
「グロ……そーいや、振動監視計の異常検知って、フワフワじゃむりじゃんね?」
「……そうね、フワフワが原因とは考えにくいわね」
「浮いてるもんねーフワフワ」
「振動計は地面に埋めてあるはずだからね。まぁ、見に行けば分かるよ」
「んだね、よしフワフワは問題なし。指示された場所ってこの先でしょ?」
「そうね、あと三百メートルほど」
「うーし、きばってこー! 早く終わらせて、帰ったら『四角いフライパン』にいくよ!」
ヒルダが、皆を鼓舞しようとビシッと進行方向へ傘の石突きを向ける。
「……振動監視計の場所はあっちよ。一時の方向」
「いや、細かいよ!?」
ユディタはヒルダが傘で刺す方向のズレを指摘した。その角度はわずか二度ほど……。
ヒルダは、細かすぎるユディタの指摘を突っ込みながらも、傘の方向を微調整した。
‡‡‡
「十五ミリが残り三発、手榴弾が一つ、九ミリは……マガジンごとあるわね」
コーーッと音をたてる携帯用のコンパクトバーナーに温められた野営用のケトルの注ぎ口から勢いよく白い蒸気が噴き出す。
コンパクトバーナーのガス栓を締めると、あたりはしんと静まりかえり、コポコポとステンレス製のマグカップに注がれるお湯の音以外は、衣擦れの音と時折吹く風の音。
そして、独り言を呟くネラ・クベルカの声が静かな風にながれて消えてゆく。
「我ながらギリギリの状況ね……けど、あと一体くらいならもつ、わね」
全身黒ずくめの装備に身を包み、目の前に広げたライフルにハンドガンなどの銃器を指で追いながら、弾の数や装備の異常がないか確認をしていく。
大岩を背にした眼前にはだだっ広い荒野が広がっており、彼女は時折、周囲を警戒するように見渡す。
「まあ、そろそろ町でも見つけないと……北西か北東か……北、どこに向かおうかしら」
南から死の大地を単身で歩いて来た彼女は、どこでもいいから町を探していた。
レーションなどの物資はとうに底をつき、この二日は温めた水……白湯しか飲んでいない。
「踏ん張りどころよネラ、あなたならこんな状況、余裕じゃない?」
自ら自分の名前を呼び、自身を鼓舞する。地図もなければ、コンパスもない。
頼りになるのは、手に持った大型のライフルと装備一式。
そして、訓練で培った自分の技術だけ。
ネラは頭上を悠然と輝く太陽と、自身の影を見つめると北の方角に体をむけた。真っ直ぐと前を見据えた視線の先には、高台のようにせった岩が見える。
――北に行けばモースランドルがあるはず……。
北へ向かえば、魔法大国モースランドル共和国があるのは分かっているが、その方向に町や村があるのかまではネラにはわからない。
魔法使いのように空が飛べれば遠くが見渡せただろうが、ネラにとって魔法は縁遠いもので、軍で鍛えた己の技術のみが今を生き残る唯一の術だった。
ネラは一日を休息についやしたこの場所を離れようと、先ほどまで広げていた装備を背嚢にまとめていく。
背嚢を背負い、軍学校を卒業してから相棒になったライフルを肩に担いだとき、胸に取り付けていた動体検知センサーの受信デバイスからアラートが鳴りだした。
ピピピッ、ピピピッ、ピッ――。
そのアラートは、明日死ぬかもしれなかった極限の状況で差し込んだ、生き残るための一筋の可能性だった。
カチッとアラート解除ボタンを押したネラは、歓喜に打ちひしがれる。
「あっはは! 賭けは私の勝ちね、ルーベン! ベットした金は全部、私のものよ!」
ネラ以外にこの場には誰もいない。まるで誰かが側にいるように発したネラの声は、喜びと狂気を帯びていた。
ネラは北へ向かおうとした進路を北西に切り替える。
地面を踏みしめるブーツの音がひそやかに響く。
高台のようにせった岩が右手に見えてきだした頃、ネラの表情は苦しそうにゆがんでいた。
「こんなもの――」
《毎週金曜日に更新予定》
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