四話 『猛毒』
ティアミンより南東十キロメートル地点
魔粒子汚染エリア B―1エリア境界
ティアミンから南に進むと人々が『死の大地』と呼ぶ、魔粒子によって汚染されたエリアが存在する。
その場所は、人が活動するには困難な場所で、専用の装備をしていなければ長時間の活動が出来ない。
汚染エリアは木々がほとんど生えていない岩と土が続いた大地だが、まだ汚染エリアに該当しない『エリア境界』と呼ばれる場所は、緑色の草木が広がっている。
エリア境界は木々の間隔の広い、視界が開けた林になっており、普段は鳥や虫の声がどこからともなく聞こえてくる場所。
だが、今この場で聞こえてくるのは、ヒルダ達の声とプロティアンの殻を砕こうと殴る、鈍い衝撃音だった。
「アルミロ! もいっかい!」
「ああっ!」
まるで錆び付いて歪な形の鐘がなったような鈍い音が周囲に響く。
アルミロがぶつけたフレイルは、プロティアンの分厚い殻に阻まれていた。
フレイルが地面に落ちると、長かったチェーンが短くなり、アルミロの手元に戻っていく。
「やっぱだめかあ……体はぐにょっとしてるし、殻は硬いし……イヤなんだよねぇ……このでんでん虫」
「でんでん虫ってなによ、カタツムリでしょう」
「いや、一緒だし!」
「は? ……」
「え? ……」
プロティアンを目の前に会話が出来るほどに鈍足で、注意さえしていれば、さほど脅威にはならないカタツムリの見た目をしたプロティアン『レサージック』。
人ほどの大きさがあるレサージックの体表は、青緑色の血液の流れが見えるくらいの透明感があり、背中に背負う分厚い殻は赤黒い反転が散在している。
「二人とも! ホースが出てきたっ!」
レサージックの殻の中から、触手のようにうねうねと動くホースが出てくると三人はレサージックから距離を取った。
ホースからばら撒かれた青緑色の液体。
それは、何かを狙うではなく、周囲の外敵を追い払うようにばら撒かれ、その液体に触れた草花は一瞬で萎れて元気がなくなる。
「あー、めんどー……魔液も面倒なんだけど、あのテカテカがなぁ……」
先ほどレサージックがばら撒いた魔液より、ヒルダはレサージックの体表を覆っているテカテカとした粘液の方に気をもんだ。
レサージックの目がキョロキョロと動きながら少しずつヒルダ達に迫ってくる。レサージックが通った地面は糸を引くように粘液が付着し、輝いていた。
「あれがあるから、下手に近づけないし……」
「面倒じゃないプロティアンの方が珍しいよ、ヒルダ」
「ま、んだねー……ユディ、あいつに種、打ち込めない?」
「そうね……どこでもいいから、掻っ捌いてくれるならいけるわ」
「うげ、やっぱそうなる? んー…………しかたないかあ……」
げんなりしながらも何かに腹をくくるヒルダ。それを了承とみたユディタ。
「決まりね、ヒルダはどこでもいいから掻っ捌いて。アルミロはそのフォローをお願い。私は矢に種を仕込むから、準備できたら声かけるわ」
「了解」
「あいさー!」
全身から粘液を垂らしながらジワリジワリとヒルダ達に詰め寄ってくるレサージック。
カタツムリといってもその巨体から、赤ちゃんのハイハイくらいのスピードがある。
ヒルダは粘液に触れないように、一歩ずつさがりながらレサージックの気を引いた。
「ほらほら、こっち!」
傘を広げて振り回すと、レサージックはヒルダだけを追うようになる。
大きく動くモノに反応する、動物特有の習性だ。
ヒルダにつられたレサージックは、先ほどまでキョロキョロと動かしていた目がヒルダのみを見るようになる。
ヒルダが一定の距離を保ちながら機をうかがっていると、レサージックの方から動き出す。
レサージックはヒルダに魔液を掛けようと、殻の中からホース出して魔液を噴き出した。
水鉄砲のように直接飛ばしてくる液体を、ヒルダは傘を使って得意げに防ぐ。
「アルミロ! 動き、とめてくんない!?」
「わかった!」
アルミロは、レサージックの真上にエアフライトを使って移動すると、殻の上にそのまま飛び乗った。
フレイルをシャープチェンジで鉤爪に変形させ、殻の縁に引っ掛ける。
「ヒルダ、引っ張り上げるよ!」
アルミロは、真上にあった太い枝を滑車代わりにすると、自分の体重を利用しながら力一杯レサージックを引っ張り上げる。
アルミロの何倍も重さがあるレサージックは、ほんの数ミリしか地面から浮き上がらない。
だが、腹足で歩くレサージックは数ミリ浮き上がるだけで、その歩みを止めた。
レサージックの横に回り込んだヒルダは、地面から浮き上がった腹足の襞がウネウネともがく姿をみてしまう。
「きも……シャープチェンジ! リジディティ!」
対象の物体の形状を変形させるシャープチェンジに、対象の強度を上げるリジディティ。
その両方の魔法を掛け合わせて変化させた傘は、傘の持ち手が付いた鉈だった。
ヒルダの気持ちが反映されたその鉈は長く、ヒルダの身長の倍はあり、まるで物干し竿の見た目をしている。
「近づきたくないから、これでーーーおりゃ!」
横に一閃。
レサージックの頭から腹にかけて掻っ捌いてやろうとフルスイングしたヒルダ。
だが、レサージックの弾力のある、筋肉質な肉体のせいで思うように切ることはできずに、鉈がめり込んだまま停止してしまう。
「ぬあー! くっついた! 抜けないしっ!」
「もっと勢いよくしないと――うわっ」
「アルミロがやってみろしー! って、暴れんなっ、いや、ちょ、あ……」
ヒルダのフルスイングが効いたのか、めり込んだ傘が気持ち悪いのか、その両方か。
レサージックは力任せに暴れ回り、アルミロもヒルダも互いに魔法展開杖を手放してしまう。
手元から離れた魔法展開杖は魔法の効力を失い、傘もフレイルも元の姿に戻ってしまった。
「ああっ! 私の傘っーー!!」
元の姿に戻った傘は、石突きがちょこんとレサージックに突き刺さった状態で、今にも落ちてきそうなのに、落ちる気配はない。
アルミロのフレイルも同様に皮膚にくっついて離れない。
「あーもう! あの粘液めっちゃめんどう!」
「うーん……困ったね」
レサージックの体を覆っている粘液はボンドのように強力な粘着性がある。ヒルダが魔液よりもこの粘液を嫌がったのは、一度くっついたら剥がすのが大変なためだった。
そして、この粘液はレサージックの最大の防御でもある。
粘液で守られた弾力のある肉質は、ユディタの矢が体内まで届かない。近接、打撃がメインの彼女たちにとって、ある意味、八方塞がりな敵でもある。
「ヒルダ、準備できたわ!」
「はやっ……ユディ、あれでいける?」
「……むり、もっと広げて。それに傘がジャマ」
「だよねぇ……あー、でんでん虫らしく殻に閉じこもれっての、それなら楽なのに」
「レサージックの殻の中は魔液のタンクになってるから、殻の中には入らないね」
「しってる……てかアルミロ、枝、折ってなにやってんの……」
「うん、ちょっとね」
高濃度の魔粒子によって変質したカタツムリ。それがレサージックだ。
本来、身の危険を感じると殻に閉じこもるカタツムリも、プロティアンとなったレサージックの殻は魔液を貯めておくための貯蔵庫だ。
レサージックが殻の隙間からホースを伸ばし、自分の周囲に魔液をばら撒いている。
ヒルダは魔液がかからないように距離を保ちながら策を考える。
幸か不幸か周囲は高低差がなく、変哲のないただの林。足下は木々の太い根で覆われ、ごろりと転がった岩には苔がむしている。なんども来たこの林の足場にはもう慣れている。全力で駆けても躓くことはない。
チラリとユディタの方を見ると、矢を番えて準備万端だ。
レサージックは、相変わらずの鈍足ぐあいと、落ちそうで落ちない傘、そして、皮膚にくっついたアルミロのフレイル。
「ヒルダ、数十センチでいいからお願い。あとは合わせるわ」
考えても結局は、あの傘を利用するのが一番だと、シンプルな考えしか思い浮かばない。
何せヒルダ自身の傘だ、掴んでしまえば、いかようにもできる。
「ああ、もう! わかった。 突っ込んで、あの傘でかくして、ちっちゃくして、抜く! 傷口広げれば、傘も抜けて穴もでかくなって一石二鳥っしょ!」
「あっはは、ヒルダらしいね。フォローするよ」
「ユディ、ばっちり合わせてよね!」
「さっきから、そう言っているわ」
半ばヤケクソだった。
駆け出したヒルダは、一直線にレサージックに突っ込んでいく。
レサージックはヒルダに反応して魔液を飛ばしてくるが、ヒルダには腰に下げていたサブの傘があった。バサッと広げて雨粒のように魔液を防ぐ。
「その粘液、利用させてもらうよ」
アルミロは先ほど集めた葉の付いた大量の枝を腕に抱え、上空を移動していた。
その枝葉をレサージックの真上から投下する。
バサバサと音を立てながら落下した枝葉は、レサージックの視界を塞ぎ、粘液に付着するとまるでギリースーツを着たような姿になる。
目を塞がれたレサージックの視界が真っ黒になる。視界を確保しようと目の付いた触角を伸ばすが、それをアルミロが妨害する。
「はいはい、おとなしくしててね。ヒルダがやる気になったらすぐに終わるから」
殻の上を陣取り、ハタキのように長い枝葉を使ってレサージックの目をバシバシと叩くと触覚の先に付いた目が、ヒコヒコと縮んでは伸びる。
レサージックは外敵を振り払おうと魔液を振りまくが、自分には掛からないように振りまく習性がある為、アルミロには全く掛からなかった。
アルミロが妨害している間に、傘をさしながらレサージックの目の前まで来たヒルダは、粘液にまみれて突き刺さる傘の持ち手を握った。
ベチャっとした嫌な感触に一瞬「ウッ」となった。
「シャープチェンジ! とリジディティ!」
ただ単純に、傘を限りなく大きくするヒルダ。
その大きさは特大で、レサージックの皮膚を押し広げる石突きは、巨大な鉄の杭となっていた。
レサージックの触覚が苦しそうに慌ただしく暴れる。
「んでもって、シャープチェンジ!」
一瞬で元のサイズに収縮する傘。
それを合図とするように、一本の矢が弦音とともに飛翔する。
ヒルダの真横を通り抜けた矢は、押し広げた大穴のど真ん中に矢が突き刺さる。
「クリエイションアロー」
矢が突き刺さったのを確認したヒルダは、左手をベルトポーチに突っ込むと瓶をとりだした。
先ほど空けた大穴がじわじわと収縮していく中、その瓶を放り込む。
「ユディ!」
ヒルダのかけ声と同時に飛んできた二射目の矢が、収縮によって閉じていくレサージックの筋肉に飲み込まれる。
レサージックの体内で命中した矢は、瓶を砕き、透明な液体が飛び散った。
レサージックの動きが止まる。
「どお……?」
アルミロとヒルダが距離を取ると、二拍おいて苦しみ出したレサージック。
触覚が伸びきり、腹足が波打つ。皮膚からは粘液があふれ出し膨張する。
苦しみから、魔液を振りまき続けるレサージックは、次第に動きが緩慢になり、項垂れるように停止する。
ユディタの矢尻に仕込んだ|一つ葉のクローバーの種。
そして、ヒルダが投げ入れた成長促進液。
この二つがレサージックの体内で合わさり、一つ葉のクローバーが急速に成長する。
魔粒子を吸収して成長する一つ葉のクローバーは、プロティアンであるレサージックにとって猛毒だった。
「だーー、カタツムリめんどう! しかもデカくて気持ち悪い!」
「……ほら、やっぱり、カタツムリじゃない」
「……? カタツムリだね?」
ユディタの言葉をイマイチ理解しないまま同意するヒルダ。
少し離れた位置から二人の会話を聞いていたアルミロは、ユディタの言いたいことを理解するが、沈黙を決め込んだ。
「つか、やっぱこの粘液とれないんだけど!? あ、両手ともくっついたし!」
右手で握りしめていた傘が粘液によってくっついて離れず、左手で粘液を剥がそうとして両手とも犠牲にってしまうヒルダ。
アルミロも手伝おうとするが、手を出したら出したで、くっついてしまう嫌な連鎖に二人してあたふたとしていた。
「そいつの足の裏で洗いなさい、足の裏の粘液は、剥離剤だから」
レサージックは自らの粘液で動けなくならないように、地面に接する皮膚から粘着液を溶かす物質を分泌している。
ヒルダは項垂れたレサージックの死体を見る。
周囲は粘液だらけで、ユディタが言っている腹足は地面に面しており、レサージックをどうやって裏返せば良いのか見当も付かない。
「ユディ……鬼?」
「冗談よ、はい、これ。アルミロ、かけてやって」
「いや、もってんなら最初から出せやい」
ユディタがベルトポーチから取り出したのは、レサージックの粘液に対応出来る剥離剤。
ティアミンの支部を出る前に、事前に準備していたもので、先ほどのはユディタなりのジョーク。だが、普段が冷静沈着で、見た目がクールな彼女がやるとジョークに聞こえない。
アルミロが剥離剤を受け取り、ヒルダの手元に垂らすと、驚くようにきれいにとれていく。
そして、今度はアルミロのフレイルを救出しようと、項垂れるレサージックをみて、二人はレサージックと同じように項垂れていた。
ユディタはスマートデバイスを取り出す。
任務完了のボタンをタップしようとするとタイミングよくコールが鳴った。
画面には『心配性』と大きく表示され、ユディタは受け話ボタンを押す。
「おつかれさまです、副隊長。任務なら今、完了したところです」
心配性……それは、白の部隊の副隊長からの通話だった。
《毎週金曜日に更新予定》
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