Ⅸ.初めてのファンレター
ツアーファイナルが目前と迫る中、俺は亜紀に会わせると約束してた母を東京駅まで迎えに来ていた。
大きなつばのついた帽子にサングラス。
白と黒のワンピースはきっとブランド品だろう。
手にはシャネルのバーキン。
昔から自分が母親と認識していた人だ。
「賢ちゃん、久しぶりね。」
「母さんは相変わらずですね。」
「またお店を出すことになってね。おばあちゃんと北海道に引っ越そうかと思ってるの。」
「北海道ですか…。」
「ススキノにママのお店を出して欲しいって、昔のお客さんがね。」
「まあ、母さんの好きなことをして、生き生きして暮らしているのであれば、僕は何も言いませんよ。」
「賢ちゃんも大人になったのね。なんだか寂しいけども。」
「今日、会ってもらいたい人が居るんだ。」
「あら、そんな人が?とっても楽しみだわ。」
「まだ大学に通っているから、すぐに結婚とかそんなんじゃないし、僕もちゃんと養えるくらいにならないといけないですから…。でも、本気でお付き合いしてるので、母さんにも会って欲しいと思って。」
家に着き、片付いている台所を見て
「よく教育されてる娘さんなのね。」
と顔も見ていない亜紀の事を評価していた。
「今日は授業で、もうすぐ家にくるはずだから、お茶でも飲んで待ってて」
「久しぶりに東京に来たことだし、明日のライブの時間までこっちの友人とお食事しようと思っているの。ホテルも取ってあるし、今日はその彼女さんに会ったら行くわね。」
そんな話をしていると、ロビーのオートロックのインターホンが鳴る。
モニターには亜紀の姿が映っている。どうやら、緊張しているみたいだ。
普段は合鍵で入ってくるが、今日は気を利かせたみたいだった。
「おじゃまします。」
「亜紀、紹介するよ。」
「賢の母で、由美と申します。」
「はじめまして。谷沢亜紀です。賢さんとは4月からお付き合いしております。」
「本当に可愛らしいお嬢さんね。」
「亜紀は、四谷大の教育学部で、小学校の先生になるために勉強してるんだ。」
「あら、教師に?」
「は、はい。」
「母さんも会ったことある、メンバーの玲架の幼馴染で…。」
「あら、翼くんのお友達なの?ご自宅は翼くんの近所?」
「は、はい。」
「亜紀、さっきから『はい』しか言ってないぞ。」
「だって…お母さまとてもお綺麗なんですもん…。」
「あら、ありがとう。うちのお店で働いて欲しいくらい。私が言うのもあれだけど、水商売の女なんて賢のお嫁さんにしたくないもの。亜紀さんなら賢のこと任せられるわ。」
「任せるって…。
「亜紀さん、賢のことよろしくね。この子は少し苦労させて育ってきたから、少し口うるさいかもしれないけど。」
「わたしにはもったいないくらい素敵な方です。」
「じゃ、私もう行かないと。こちらでお世話になったお客さんにお誘いいただいててね。明日、またライブ会場でお会いしましょうね。」
「はい。」
「母さん、送ろうか?」
「いいわよ、タクシーで行くから。」
と、派手な帽子をかぶり家を出て行った。
「亜紀、大丈夫?」
「え、あ…うん。なんか、想像とは違ってた」
「あんな感じだけど、亜紀のこと気に入ったみたいだよ。」
「ふー、よかった。」
亜紀は胸を撫で下ろした。
「そういえば、今日もイベントなんじゃないの?明日はリハーサルで朝早いんだし、ご飯作っておくからちゃんと食べてね?」
「ありがとう、亜紀。俺って幸せ者だな。」
亜紀には感謝してもしきれない。
俺にこんな幸せな時間が訪れるとは小さい頃の俺には予想できなかっただろう。
「じゃ、行ってくるよ」
「気をつけてね!安全運転で!」
「うん。亜紀…」
「ん?明日、楽しみにしててな。」
「楽しみにしてるよ。」
笑顔の亜紀に見送られて、俺は事務所に向かった。
今日は、インディーズベストアルバムのインストアイベントだ。
「明日のツアーファイナル、とっても楽しみにしてます!」
「剣斗さん、お手紙書いたので読んでください」
そんな言葉をファンのみんなが言ってくれるのに対して、笑顔で対応する。
「楽しみにしてるね」って言ってくれて嬉しいのは亜紀が一番だ。
だからと言って、ファンを失うわけにはいかない。
今回の全国でのインストアイベントの中でもらう手紙の中には、もちろん亜紀と付き合っていることを知ったファンも多く、「別れてください」なんて手紙が来ると思っていたが、案外ファンは柔軟的な反応だった
「前のことがあって、剣斗さんの幸せをずっと祈っていました」という手紙もあった。
きっと、本当に舞のことがなかったらバッシングが酷かっただろう。
「魅波さん、これはいつも通り処分でよろしいですか?」
「ああ。よろしく。」
「魅波、全然読まないな」
「魅波のファンって感情的なファン多くない?」
「亜紀ちゃんと別れろって手紙たくさん来てたからな。付き合ってもいないのに別れろって残酷だと思ったけど」
「で、剣斗のファンレターはそんなこと書いてないの?」
「家でよく読むけど、特には書いてないね。幸せになってって書いてあることが多いかも」
「なんか人を選んでるみたいで嫌だな」
「ま、仕方ねーよ。魅波はそれなりの行動をしてきたってことだろ。」
と、事務所に帰る車の中で4人で話していた。
事務所に着くと、名前がずらりと書かれている紙とボールペンを持ち、久山マネージャーが「あの、明日の関係者受付の再確認なのですが…」と恐る恐る聞いてきた。
「ご身内さまから確認します。魅波さんは…南桜子様・聖斗様・聖矢様の3名。剣斗さんは…黒澤由美様、谷沢亜紀様・一雄様。柳さんは…今回はいらっしゃいませんね。玲架さんは…橋詰誠様・美佐子様でよろしいですか?」
「亜紀が身内に入ってるけど。」
「充さんからのリクエストで亜紀さんは身内様の欄に入ってます。」
「なんだ、俺に内緒で結婚でもしたのかと思った。」
「結婚はまだまだ先かな」
「では、お友達様の分ですね…魅波さんは…Revisdy店長 佐藤様、Aliveの佐葵さん、Heavenlyのhiroyaさん。剣斗さんは…今回は、なしですね。柳さんは…Faithの中島ユキヤさん・秋山ケンジさん。玲架さんは、四谷大軽音サークルMillyの山本様、篠塚様、吉田様…スタンディング1階ご希望の3名様ですね、それと風間宗太郎様でよろしいでしょうか?追加がある場合はまた連絡してください。お願いします。今日はこれで解散で大丈夫です。気をつけて帰ってくださいね。」
「久山ちゃん、ありがとねー、じゃ帰りますか。」
「明日は10時に会場入りです。自家用車予定はいらっしゃいますか?」
「賢、亜紀は送っていかないの?」
「明日はお父さんも来るらしいからな…。」
「じゃあ、俺車出そうかな。」
「魅波が?」
「止めておけ。」
「ま、ツアーファイナルだし打ち上げあるし、みんな止めておいたほうがいいんじゃないのか?」
「柳、それでいいと思うわ。」
「では、みなさん事務所に9時集合でお願いします。では、解散で大丈夫です。」
「お疲れ、また明日な。」
車に乗り込み、スマホをチェックすると、亜紀からメッセージが来ていた。
電話をすると、亜紀が少し慌てた様子で「もしもし?」と出た。
「亜紀、ご飯作ってくれたの?ありがとう。」
「ううん、そんな大したものじゃないけど、温めて食べてね。夕飯と朝食しか作ってないけど。」
「明日は帰りは送れないんだけど、大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。打ち上げがあるんでしょ?お父さんも居るし、宗太郎とか大学の友達も居るからさ。」
「亜紀…?」
「なに?」
「ツアーファイナル終わったら、旅行行こうって話。」
「うん、覚えてるよ。」
「どこ行きたいか決めておいてな。」
「もう、決まってるよ。」
「え、本当?」
「まだ言わないけどね!」
「なんだよ〜、じゃあ会ったとき教えてな。」
「うん、わかった。」
「じゃ、おやすみ。」
「おやすみ。明日頑張ってね。」
「ありがとう。さっき会ったばっかりなのに…会いたくなるな。」
「明日も会えるよ。」
「そうだな、じゃ…明日な。」
電話を切るのがこんなに寂しいなんて初めて思ったのは亜紀のことを好きになったとき…
その度に、亜紀のことを大切にしないといけないと思うようになった。
翌朝、事務所に着くとみんなはもう応接室のソファに座り、朝ごはんを食べてるようだった。
「お、賢今日は遅めだな。」
「ああ。」
「賢、パン食べない?」
「魅波の母さんが作ってくれたんだって。」
「いや、家で食べてきたからあとでもらうわ。」
「朝ごはんたべるって珍しいな、雪でも降るんじゃねえか?」
「亜紀が昨日家に来てて、朝ごはん用意して帰っていったんだ。」
「あー、羨ましいな!亜紀ちゃんの手作りの料理を朝から食べれるなんて。」
「魅波は好き嫌い多いから、亜紀も作るの大変かもな〜。
「玲架ひどい〜。」
「おはようございます!みなさん、集まりましたね。じゃ、機材積んだんで、車に乗ってください。」
「そーいや、久山って彼女いるの?」
「え、僕ですか?」
「ひっさー、うちのバンドについてまだ2ヶ月だもんな」
「僕、結婚してるんですよ。」
「え!?既婚者だったの?」
「僕、こう見えて34歳なので。」
「ひっさー、かなりの童顔じゃん!」
「よく言われます。」
「奥さんの名前は?何歳?」
「それは、また今度…」
事務所から車で30分。今日は港区のライブハウスでツアーファイナルだ。
「おはよーございまーす」
「よろしくお願いします!」
会場のスタッフさんに挨拶をし、楽屋に入った。
「魅波さん、吸入器準備しておきました。」
久山マネージャーはとっても仕事ができる。
充さんが見込んだだけある。
「柳さん、ベースのチューニング終わりました。」
「ん。」
「剣斗さんもギターのチューニングもそろそろ終わるので、お願いします。」
「ありがとね。」
11時。リハーサルが始まった。
魅波は客席に入りながら歌う。
魅波曰く、俺らが聞こえてる音とオーディエンスが聞こえてる音は全く違うとのこと。
「次、Preciousの前奏入りまーす」
ピアノの前奏で始まる『Precious』
これが、魅波が亜紀のために書いた曲だ。
「永遠を…誓うよ…今…」
ギターでピアノのメロディーに乗っかる。
「剣斗、もっと感情込めて。亜紀ちゃんの席に機械的に聞こえてくるぞ。」
他人が自分の彼女のために作ったラブソング…
「剣斗!聞いてるか?どうした?」
「いや…ごめん。最初からお願いします。」
きっと…一番戸惑うのは亜紀だろう。
魅波だって、本気で好きになった人を他人に取られるなんて、かなりショックだったはずだ。
「よし、じゃあ本番もそんな感じで!本編ラスト曲、しっかり締めましょう!」
「次、アンコール行きます!セットリストは…」
リハーサルが終わり、ヘアメイクが始まる。
「玲架さん、柳さん、剣斗さん、魅波さんの順番になります。よろしくお願いします。」
「また俺一番最初?」
「魅波に一番時間がかかるから仕方ないな」
「ま、さっさとやってもらうか」
メイクをすると一気に気分が変わる。
さっきまで“橋詰翼”だったのに“DIM-TAMの玲架”になって戻ってくる。
「じゃ、玲架さんこのカメラ預けるんで、ファンクラブ用の映像適当に撮っちゃってください」
「玲架、ちゃんと撮れよ。」
「なんか久しぶりだな。」
「まずは、自撮りでファンにご挨拶ですね。」
玲架になった翼が、ビデオカメラを自分に向けて撮影を始める。
「はい、みなさん久しぶりですね。今日はついにツアーファイナル!えー、これが最後の単独でのインディーズツアーになりました。ま、僕は顔がもう出来上がってるので、まだすっぴんのメンバー達にインタビューしていこうと思いまーす。まずは、剣斗!」
「え、俺?」
「剣斗さん、ファイナルの意気込みお願いします」
「えー、会場に足を運んでいただいたみなさん、またツアーの全国各地のライブハウスに足を運んでくださったファンの方。そして、今回はツアーには来れなかった方もたくさんの応援ありがとうございます!今日は、みんなの想いを胸にツアーファイナルを成功させてみせます。今日が終わると、当分はライブがなくなって寂しい思いさせてしまいますが、イベントにはたくさん出ますので、会場に会いに来てください!やるぞーー!」
「おーー!ということで、剣斗さんでした!続きまして…柳さんに行きましょうかね。」
と、メイク中の柳の元に向かっていった。
玲架のファンクラブ用の撮影が終わり、久山マネージャーが、大きな袋を持って入ってきた。
「えー、谷沢亜紀さん、一雄さんからの差し入れです!」
「え!亜紀ちゃんから!?」
「亜紀の父さんのことだから、お酒だな。」
「すごい、酒饅頭だよ!」
「お、手紙入ってるぞ、剣斗!」
「あ、本当だ。」
「さすが、剣斗さんの彼女さんは気が利きますね。」
「ひっさー、いつかは俺のお嫁さんになってもらうんだ!」
「亜紀さんって本当に素敵な女性なんですね。」
封筒には、DIM-TAM 剣斗様と書いてあった。
剣斗くんへ
初めてお手紙を書きます。
今回は、剣斗くんに…と思って。初めてのファンレターだね。
初めて会った日。それは悠奈がインストアイベントに連れて行ってくれた時です。
その時はどんな人かわからなくて、まさか私たち2人がこうして今付き合ってるなんて不思議なことだよね。
剣斗くんと付き合うまで、わたしは恋愛に少し臆病になってました。
男の人を信じることができなかった。でも…あの日「俺に守らせてくれ」と言ってくれた剣斗くんになら…ついて行けると思ったのです。
本当に嬉しかったよ。
なかなか会えなくて寂しく思うこともあるけど…それでも会えない分だけ会えた時にたくさんの愛を注いでくれる剣斗くん。わたしってこんなに幸せなんだって思わせられます。
まだまだ付き合って3ヶ月。もっともっと…一緒に思い出を作っていこうね。
今日は大事な大事な…インディーズ最後のツアーファイナル。ファンのために最高の演奏をしてくださいね。応援してます。
谷沢亜紀
「剣斗、なに泣いてるの?」
「泣いてねえよ!」
「亜紀ちゃんからのラブレター?」
「ラブレターのような…亜紀的にはファンレターらしい。」
「え、俺には?亜紀ちゃーん!」
「この前渡しただろ?」
「あの手紙は俺の家宝。」
「亜紀の手紙が家宝なんて、本当にお前の家金持ちすぎて頭がおかしくなってるんだな。」
「たしかに。」
「翼は亜紀ちゃんから手紙もらったことないから妬いてるんだろ!」
「昔もらったよ。折り紙の裏とかに書いてさ。ほとんど愚痴だったけどな。バカとか書いてあったわ。」
「亜紀のことだから、好きの裏返しだな。」
「だから、亜紀が好きだったのは二個上の兄貴だよ。」
「薬剤師になるっていう?」
「そうそう。頭もいいし、亜紀はいつも後ろくっついていっててたんだよ。ひっくん!ひっくん!ってさ。中学の時も兄貴と付き合ってるんじゃねえかって噂になってたけどさ。」
「なるほど、橋詰家はみんなモテモテなんだな。」
「ま、俺が一番モテるけどな!」
「中学の時、亜紀ちゃんのこと振ったくせに?」
「付き合うわけねーだろ、幼馴染と付き合うってかなりのリスク背負うってことだぜ?親も知ってるわ、兄弟も知ってたら別れたくても別れられねーだろ。」
そんな話をしていると、俺のメイクの順番になった。
メイクさんは長く担当してくれてる事務所専属の青柳 啓人さん。
充さんの後輩バンドのメンバー。バンドが解散して元々美容学校に通っていたから、充さんが雇ったらしい。
「今日は噂の彼女くるんだって?魅波がいつも以上にうるさいもんな。」
と、笑顔で話しかけてくる。
「今日は一段とかっこよくしないとね。」
「いや、いつも通りでいいっす。なんか、意識しちゃうとなんかいつも通りに出来なさそうだから。」
「剣斗は本当に真面目だよな。ま、そこがいいんだろうな、彼女も。」
啓人さんは、今は結婚して子供がいる。
ヘアメイクがだんだん出来上がってくると、最後の魅波が隣にもうスタンバイしている。
「魅波、早いな。」
「今日は啓っちにかっこよくしてもらわなきゃいけないからな。」
「剣斗と反対だな。」
「亜紀ちゃんが来るのにいつも通りでいいの?」
「亜紀にはいつも通りを見て欲しいんだよ。俺たちにすればずっとやってきたツアーは今日で終わりだけど、亜紀にとっては最初で最後なんだよ。」
「なるほどな、だからいつも通りって言ったのか。」
「じゃあ、俺もいつも通りでいい。」
そんな素直な魅波を羨ましく思う。
こんなに恋愛に真剣になると、夢中になるなんて思いつかなかったけど…
さっき翼が言った言葉が駆け巡った。
ー付き合うわけねーだろ、幼馴染と付き合うってかなりのリスク背負うってことだぜ?親も知ってるわ、兄弟も知ってたら別れたくても別れられねーだろ。
翼も本当は亜紀のことが好きだったんだと思う。
もし、俺と亜紀がそんな関係だったら、俺も今までの関係を壊したくないがために…恋人という関係には踏み出せなかったんじゃないかと思った。
過去に俺は舞と友達という関係から一歩踏み出すのが怖くて逃げた。
友達には戻れない…そんな思いが巡り巡ったあの日を思い出した。