Ⅶ.会えない日々
「今日から3週間、5年2組でお世話になる四谷大学3年の谷沢 亜紀です!私はこの小学校を卒業しました。またこうした形で、学校に来れたことをとても嬉しく思います。短い期間ですが、よろしく願いします!」
今日から3週間教育実習。
そして、昨日からDIM-TAMは札幌。
賢から昨日の夜に「頑張れよ」と言われた声を何度も思い出し、少し戸惑う学校現場の状況も乗り越えていこうと思った。
「亜紀せんせー!」
「どうしたの?」
「彼氏はいるんですかー?」
「え…」
しかし、今時の小学生というのは…恐ろしい。特に5年生の担当になって女の子はすでに恋愛話やテレビの話で盛り上がっている。
「亜紀せんせ!彼氏どんな人ー?」
「秘密!」
「あのね、みゆも好きな人いるんだけどね、どうすれば付き合えると思う?」
「つ、付き合う!?5年生でしょ!?」
「6年生で何人か付き合ってる人居るよー?」
わたしはこの3週間…いや、教師になることが少し不安になってきた。
家に帰り、怒涛の初日を終えスーツを着たままベッドに倒れた。
「亜紀!起きなさい!亜紀!」
「ん…?」
「もう、ご飯も食べないで何してるのかと思ったら…スーツのまま寝て…」
「いつの間にか寝ちゃったみたい…」
「亜紀、電話よ。」
「電話?」
「賢くんだっけ?」
「お父さんが勝手に出て、今話してるよ。」
「今、行く…」
階段を下り、リビングに向かう。
「お、亜紀来たよ。変わるからね。」
とお父さんが、わたしの携帯を手渡した。
「亜紀?」
「賢、ごめんね。寝てた」
「起こしちゃったね、ごめん。」
「ううん、少しだけ休もうと思ってたら寝てて。スーツのままだったの。」
わたしは電話をしながら部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。
「大丈夫か?初日で気疲れしたんだろ?」
「5年生担当なんだけどね…最近の女の子っておませでさ。しょっぱなから彼氏いるのー?とか、どうやったら好きな人と付き合える?とか。」
「亜紀がそんなタイプじゃないから困るよな。」
「なんか、小学校の先生って大変。」
「亜紀ならできそうな気がするけど。」
「3週間…頑張れるかな。」
「亜紀なら、頑張れる。」
「賢に会いたいよ…。」
「俺も。…でも、亜紀のために頑張らないと。亜紀のこと幸せにするために頑張るから。」
「……もう…泣かせないでよぉ…。」
「亜紀。お前は社会を知らなすぎる。それじゃ、先生になった時苦労するぞ。」
「そ、そうだよね…。」
「ま、もし教師を辞めたくなっても、俺が養えるようにしないとな。いつでも家もあるし結婚してもらって構わないし。」
「なにその言い方!酷い!」
「亜紀。亜紀らしくないぞ。自分を見失ってる。とにかく子供達一人一人と向き合うことだ。俺の小学校の担任のようにな。亜紀に出会えて人生が変わる子供も出てくるんだよ。わかったか?それが教師ってもんだ。」
「賢。」
「どんなに学校で辛いことがあっても、俺が受け止めてやるからさ。なんでも遠慮しないで言うんだぞ?わかった?」
「うん。…あー、もう!」
「どうしたんだよ。」
「賢に会いたくなった!すぐにでも!」
「明後日帰るからさ。亜紀の家に行くから。亜紀が帰ってくるの待ってるから。」
「うん。わかった。頑張るね。」
「じゃ、朝からリハだから寝るわ。」
「体調には気をつけてね。」
「ありがとう。亜紀…愛してる。」
「もう一回…。」
「もう、恥ずかしいだろ!もうすぐ翼が部屋に戻ってくるから…。」
「帰ってきたら何回も賢にも言ってもらうからね!」
「亜紀…その調子で、実習がんばれよ。」
「うん。わかった。じゃ、おやすみ。」
「おやすみ。。」
辛い時にそばに居られることが全てではない。
それはきっと彼がミュージシャンだからというわけではないだろう。
出張が多いとか、仕事の帰りが遅いとか…様々な事情で会えないことなんて普通のカップルにもあるだろう。
「頑張らなきゃ!」
そう自分に言い聞かせて7時には学校に行き、掃除をしたり、自分から積極的に頑張ろうという気持ちになれた。
「ただいま〜。」
今日もなんとか終わった…と玄関に座り込み、靴を脱いでいると
「おかえり!」
と、賢が背中から抱きしめてくれた。
「あ、忘れてた!賢もおかえりなさい。本当忙しくて賢が来るのも忘れてたよ。」
「ご飯出来てるよ。」
「え、賢が作ってくれたの?」
「いや、亜紀のお母さんのお手伝いしてただけ!」
「亜紀ー、早く着替えてご飯食べましょ。」
「はーい!」
着替えてダイニングに行くと、お箸を置いてる賢が笑顔でお母さんと話してる。
「亜紀、早くおいで。」
「亜紀はいいわねー、こんな素敵な彼氏が居て!私もチャン・ユンホ様みたいな旦那様が欲しいわ〜」
「お父さんだって昔はよくマッチに似てるって言われてたんだからな!」
「もう、お父さんそんな面影ないじゃない!」
「亜紀のお父さんお母さんって面白い。」
「賢くん、いつでもいらっしゃいね。息子が一人増えたみたいで本当に嬉しいのよ。」
「博人もたまには遊びに来てくれてもいいんだがね。今、大阪に奥さんと住んでてね。」
「孫はまだだし、なんだか寂しいわよね。」
「賢くん、早く亜紀のこともらってやってね。」
「亜紀が大学卒業したら、将来のこと考えようと思ってます。」
「亜紀、幸せね。」
「うん。」
私たちよりも、お父さんお母さんの方が先のことを考えていて、恥ずかしくなった。
「ごちそうさまでした!」
「今日は賢くん泊まって行くんだろ?」
「でも、亜紀もやることあるだろうし…。」
「土日にはまた地方に行くんだろ?亜紀のそばに居てやって。」
お父さんはわたしの言いたいことを時々読み取る気がした。
「亜紀は…迷惑じゃない?」
「ん…一緒にいてほしい。」
会えない時間の分だけ。一緒に居られる時間を大切にしたい。
その思いが私の中で強くなっていた。
お風呂からあがって部屋に戻ると、賢は私の部屋でベースを弾いていた。
ベースを置いて、「おいで。」と呼んでくれる賢の隣に座るとあの日と同じように私の髪を優しく乾かしてくれる。
「ねえ。」
「ん?」
「ベースやってたことあるの?」
「うん。高校生の時に翼と一緒に組んでたバンドで最初はベースやってたんだ。でも、ギターの奴が辞めちゃって、それでギターに転向して、ベースはそこからやってないかな。」
「男子校って楽しかった?」
「ああ、まあね。文化祭はすっげー馬鹿なことやってたし、楽しかったかな。バンドやってるメンバーの中で誰が一番他校の女子から話しかけられるかって争ってた。」
「で、一番は誰だったの?」
「翼だったよ。あいつ、結構ファンサービスっていうの?そういうの上手いからさ。」
「賢が一番だと思ったのに。」
「そしたら妬いてるだろ、きっと。」
「うーん、そうかなあ。翼よりモテると思ってた。」
「俺がもし高校生の時に亜紀に出逢ってたら、バンドなんてやってなかったかもな。」
「なんで?」
「こんな大切な人を苦しめたり、一人にさせたりするのがこんなに怖いことなんて思わなかったしな。」
「それって、舞ちゃんのことも含めて?」
「舞とは高校時代のバイト先からの仲間でさ。恋人同士ってわけじゃなかったんだけど、境遇が俺と似てて。舞からは何度も付き合って欲しいって言われたんだけど、俺は友達の一線を越えるのが怖かったというか。戻れなくなるくらいなら友達のままでいいかなって思ってた。」
「それは、わたしも同じかも。最初から恋愛対象として出逢いたかったって思うもん。」
「根も葉もない噂を流したのは他でもない、瞳って奴だよ。あいつがいなければ、舞は今でも生きてたかもしれない。」
「瞳ちゃんって魅波くんと仲良かったって人だよね…」
「舞には悪いけど、本当に大切に思える人が…まあ、俺だけじゃなくて、他のメンバーにとってもそういう存在が出来た時、暖かくメンバーを見守ってくれるファンであってほしいと思って、あれから俺はSNSを更新しないことにした。」
「でも、この業界じゃ厳しいよね…」
「そりゃそうだよ。結婚するからってバンドマン辞める奴も居るしな。バンドの人気を左右するのは恋愛の噂だからな」
「そっか…」
「でも、俺はメジャーデビューにこぎつけてくれたスタッフとメンバーのためにもDIM-TAMを守らなきゃいけないと思ってる。それと同じくらい、亜紀のことは守りたい。俺って…欲張りだよな…」
少し俯く賢を見て居た堪れなくなり、
「そんなことないよ」
…と言って、賢のことを抱きしめる。
「わたしの大事にしてほしいっていう気持ちより、賢の大事にしたいって気持ちがとっても強いもん。わたしにだってDIM-TAMは大切な存在だよ?賢の夢だけじゃない。翼や魅波くん、柳くんの夢も背負ってる。だから…わたしはどんなことがあっても賢の夢を応援してるから。」
「ありがとう…亜紀。」
「結婚なんて…今は考えないで。私が一人前にならないと…賢のそばで支えていけない気がするんだもん」
「俺の想像する将来には、隣には必ず亜紀がいるんだ。」
「…なんか、ウェディングソングの歌詞みたいだね」
「魅波に負けないラブソング書こうかな。」
「わたしだけに?」
「あたりまえだろ。」
「ふふ。」
そんな暖かい想いに包まれて、私達は眠りについた。
「亜紀…目覚まし時計なってるぞ…」
「ん…」
「何時に学校に行くの?」
「7時には学校に着くように行く。」
「早くしないと、間に合わないぞ。」
「もー、ずっと賢と一緒に居たい…。」
「俺も。」
「でも、行かなきゃ…一人前になるための第一歩だもん。」
「学校まで送るからさ。俺も今日は雑誌の撮影があるから9時にはバンドのミーティングあるし。」
「そっか。あ、魅波くんにお手紙書いてたの。渡してもらってもいい?」
「彼氏に頼むことか?」
「だって、最近の魅波くん元気なさそうなんだもん。ツイッターとかさ…」
「お前はよく分かってんな。」
「賢のことは全国のファンは知れないし、私しか知らないから独占してるみたいだけど。」
「俺は亜紀のものってことか。」
「ふふ。正確に言うと、剣斗はみんなのものだけど、賢はわたしのもの!」
「可愛いこと朝から言いやがって!」
ベッドの中で突き合い、朝から幸せな気分になった。
「久々に会ったのにエッチ無しってキツイな…」
「実習が終わったら、賢の家に毎日泊まりに行ってあげるから!」
「本当?来てくれる?」
「その代わり、一つだけお願い聞いて?」
「ん…?」
「旅行に行きたい!」
「わかったよ。連れて行く。実習のご褒美な。ツアー終わったら。」
「うん。わかった。」
付き合った頃とは違った私たちの関係。
なんだか、少しずつ家族になっているような感覚だ。
「行ってきます!」
「頑張れよ。」
「賢も。頑張ってね。」
学校の校門で、賢とまた少し会えなくなる寂しさを押しこらえて職員玄関に向かった。