第5話 魔王が現れましてね。
母さんが眠ってから約半日。
夜になっても、まだ起きる気配はない。
このまま起きて来ないのではないか?
不安で、俺は母さんの傍を離れられないでいる。
しかし、俺の疲れも限界に来ているらしい。
ふあぁぁ、欠伸が止まらな……――。
と、いつの間にか俺は母さんが眠る部屋のソファーで惰眠を貪ってしまったらしい。そして妙な気配を感じて目を覚ました。
俺は気配を辿り、薄目を向けた。
するとパンサーが母さんのベッドの脇で立っていた。
なんだ、パンサーか。
ビックリさせやがっ……ん?
パンサーは、母さんに向かい猫剣を突き立てようとしていたのだ。
「や、やめろー!!」
俺、慌てて起き上がる。
そしてパンサーにタックルを決め、そのまま抱っこして部屋の端までもっていく。
「ぬう! 眠り薬がもう切れたのか、ええい、邪魔をするな」
「眠り薬だと? なんなんだ? どうしたパンサー」
「パンサーとは世を忍ぶ仮の姿よ! くっくっく。俺の名は猫魔王パンデモニウム。リゼを殺すため、わざわざ猫に化けて近づい――」
と、禍々しいオーラを噴き出し、俺の腕の中でみるみる大きくなっていくから、思わず、
『ポイ……』
持てなくなる前に、パンサーを窓から捨てた。
「おいぃぃぃ!!」
だが直ぐにパンサー、もとい猫魔王パンデモニウムは、窓から這い上がって来た。
虎獣人よりさらに厳ついフォルム。俺よりふた回りほど大きいクロヒョウのような姿だ。
「変身中に捨てる奴があるか!? しかも三階だぞ!?」
「いやいやいや、待つ方がおかしいだろ!?」
とは言え、魔王と言うだけあって、相当な魔力量だ。
正直怖い。
だが、逃げ出すという選択肢はなかった。
何故なら今、母さんを守れるのは俺しかいないからだ。
取りあえず、深呼吸。すってぇ、吐いてぇ、もう一度、すってぇ、吐いてぇ。
パンデモニウムも一緒に深呼吸。
「あ、お待たせ」
と、俺はナイフを抜いた。
「うむ、深呼吸は大事だな。では死ね」
ザシュッ
はい? 圧倒的じゃないか。
俺の、ナイフを持った左手がスッ飛んだ。
多分、パンデモニウムがなんかした、くらいにしか分からない。
痛みはワンテンポ遅れてやってくる。
「ぐぁぁっ! 痛い!」
無くなった肩から下、傷口からは見た事ない量の血が噴き出している。
「ぬ、急所に当たらなかっただと? おかしいな。だが、まあいい。そこで母親が死ぬのを見ているがいい」
おかげで即死は免れたが、意識が飛びそうだ。
だが、落ちるわけにはいかない。
くそう、俺は弱っちいな!
せめて誰か! 母さんを助けてくれ!
「誰かぁ!! 母さんを!!」
俺は、ありったけの力で叫んでいた。
「くくく、無駄だ。この部屋は、猫魔法で隔離しているのだ。物音ひとつ外には聞こえまい」
くそう、パンデモニウムめ、説明ありがとう!
結局、俺が何とかするしか無いじゃないか!
「しかし、お前、そんな傷でやけに元気だな……」
パンデモニウムが首を傾げている。
まあ、たしかに。
俺、興奮状態だからか? と言うか、傷から血が止まりつつある気もしなくもないのだが?
なんなら、痛みも和らぎつつあるわけで。
「まあよい。とにかく、リゼよ、死ぬがいい!!」
「させるか! この野郎!!」
俺の残った右手でパンデモニウムに抱き着いた。全力全開で押さえつける!
「いやお前、さすがに元気すぎだろう? もういい、お前から死ねっ」
パンデモニウムが、今やナイフサイズの猫剣を振り上げたのが分かった。
ヤバイ。
だが、引くに引けない状況だ。このままヤツごと窓からダイブしてやるっ!
と、思ったけど、重量差すごくて、ビクともしない。
「ベネットよ、お前は、よく頑張った。うん、嫌いでは無かったが、別れの時だ。安らかに眠れっ」
ああ、くそうっ、打つ手がない。
そしてこの状況で、俺の中の何かがキュピーンしてやがる。
さようなら、母さん!! 俺は覚悟を決めた。
……。
…………。
………………?
あれ? 間が長いな、死ぬ前の、時間が止まって感じるあれか?
いや走馬灯流れてないぞ?
ポタポタポタ、ドバァ。
何かが俺に降り注いだ。
俺、そっとパンデモニウムを見上げる。
すると、滝のような汗をかいているパンデモニウム。
いや、訂正、汗の滝だ。
「ダメでしょパンサーちゃん……。オイタが過ぎるわよ……?」
そして聞こえた、聞きなれた声の、聞きなれないトーン。
俺の中で、キュピーンキュピーンが、フルドライブ。うるさいほど鳴り止まない。
圧倒的に対しての、さらに圧倒的じゃないか……。
パンデモニウムが霞むほどの、膨大な魔力を感じる。
というか、メーターを一気に振り切った感。
母さんがベッドより起ちあがった。
「ヒッ」
これは、パンデモニウムの声。
母さんが一歩、俺たちに近付く。
「ヒッ」
パンデモニウムが呻いた。
さらに母さんが近付く。
「ヒィ」
汗の滝が足元に大洪水。
というか、猫でも魔王だと汗をかくのだな、という発見。
そしてさらに近寄った母さんが、拳を握りパンデモニウムの頭を……、
『ゴチン』
「うごぉぉぉ」
パンデモニウムは、頭を抑えてうずくまった。
姿もパンサーに戻って行く。当然抱き着いたままの俺も自動的にうずくまった。
「ち、力が、俺に、何をした……?」
「パンサーちゃん。大きくなるのは封印ね」
そして母さんは、おもむろに俺を抱き締めた。
俺は、そんな母さんに真顔で、
「母さん、もう大丈夫かい?」
と、問い掛けてから微笑んで見せた。
こんな事が言える程度に、不思議だが、俺には余裕はあったのだ。
「ベネットちゃん。腕、今直すからね。痛いの痛いの飛んでいけぇ」
緊張感のない掛け声の後、俺の傷口に、落ちていた腕がくっつき、みるみる繋がった。
そして傷は無くなった。むしろお肌が艶々になった感まである。
「パンサーちゃん?」
母さんは、魔王パンデモニウムの当社比100倍くらいの魔力圧を掛けていた。
ちなみに数値は俺の主観だ。
「いえ、あのにゃ……。その、もうしません……にゃ」
パンデモニウムが猫なパンサーの喋り方に戻っている。
だが、そんな事を言っても、許すわけが――、
「はい、よろしい。ちゃんと仲良くするのよ?」
いや、即許したよ母さん。
「ふあぁ、母さんまだ眠いから寝るねぇ……すやぁ」
と、ベッドに戻った母さんは即寝。
俺は、パンデモニウム、もといパンサーと残された。
「こんな……はずじゃ、なかったにゃ」
意気消沈したパンサー。
俺も、なんだか怒る気も失せるってもんだ。
「なぁパンサー。なんでこんなことしたんだ?」
「……。リゼは、ワタチを、猫魔王パンデモニウムを討伐したのにゃ。しかしリゼは、ワタチを殺し損ねたにゃ。だから復讐を誓い、長い年月を掛けて力を蓄えたにゃ」
母さん、そんなことまでしていたのか。
「パンサーって呼んでいいんだよな?」
「もうワタチはさっきの封印で正真正銘、ただの猫パンサーになってしまったにゃ」
「なぁパンサー。殺し損ねたって、今も本当にそう思うか?」
「いや、見逃されてたんにゃ。リゼはセーブしてたのにゃ。今回ではっきり分かったにゃ」
うむ。俺でも分かった程だ、パンサーが気付いて当たり前なんだ。
「で、このままパンサーとして俺らについてくるんでいいんだな?」
「それが許されるならにゃ。このまま消えろと言われたなら、直ぐに立ち去るにゃ」
「たぶん、母さんは寂しがるだろうなぁ」
「にゃ?」
「普通じゃ考えられんだろうけど、母さんは、そう言うヒトなんだ。大らかと言うか、なんというか……上手くは言えないけど、とにかく、そんな感じの母さんなんだよ」
殺そうとした相手に、正直どうかしてるとは思う。
だが、それが母さんなのだ。