第30話 世界が消滅する、なんて話されましてね。
「お互い一目惚れだったわ。運命ってこういうことを言うんだって思ったの」
「ちょっと待った。母さん……」
「うん、なぁに?」
「誰と一目ぼれしたって?」
「え、父さんとだけど?」
流れ的には分かるけども、超高速で辿り着いた事実に俺はびっくりだよ。
出会い方までトンデモだね、母さん。
「「ロマンチックだにゃあん」」
パンサーとミライが目をキラキラさせて言ったのだが、お前たち、それでいいのか? 俺は置いてけぼり気分だよ?
「惹かれあった私達は、もう戦うことをやめて駆け落ちしたの」
これが大戦が終わった真実ですよ? 歴史家さんたち。
「当時、魔界は首領を失って大混乱だったな」
グレイが当時のことを思い出す様に言った。
「駆け落ちした後、パパは漁師になったのよ」
それは俺の知らない母さんの生活。
「アイツが獲って来たクラーケンは絶品だったわ」
と、ノーラさんが思い出したように言った。よだれ、垂れそうですよ?
というか、それ以前に、なんというものを漁獲してるんだ父よ。
一狩りですか? 漁師とは?
「パパは漁師だったけど、ほとんどの時間は家でお酒を飲んでいたわ。『リゼのそばを離れたくないんだ』って、とっても可愛かったわ」
ん? なんか怪しくなってきたぞ。
「ベネットが生まれてしばらくしたある日、お酒を買いに行くって言って消えたの。私のお財布ごとね。でもお金なんていいの。それより帰りを待つ時間の方が辛かったわ」
いい話っぽく聞こえるが、完璧にクズじゃないか、父よ。
「母さん……、消えた親父がまだ好きなのか?」
「ええ。パパはたくさん愛してくれたもの。それは私も同じで、今だって変わりなく愛しているわ」
「ウザイほどイチャイチャしてたものね」
ノーラさん……、その節は母と父がご迷惑をおかけしまして……。
その時、
『ピンポーン』
魔界製の呼び鈴が鳴った。
魔界通販ヤミゾンで、ミーアゴッズに買ってもらったものだ。
まあ、つまり誰かが来たようだ。
俺は、対応に向かおうとしたローザを手で制し、玄関へと向かった。
そして扉を開けば、そこには見たことのある男が立っていた。
「美人コンテストの時の……、ああ、酒代でも返しに来たか?」
「よう、あんときは世話になったな」
そのオッサンは、以前のよれた感じとは違って、やけに身綺麗だった。金髪をオールバックに流し、切れ長の目は酔っ払いの目ではなく眼光が輝いている。
「パ、パパ! 帰ってきてくれたのね!」
と、母さんが俺の脇をすり抜けて飛び出して行った。
一瞬、聞き間違えたかと、俺の脳がその言葉を認識しなかった。
だが、そんなのは、母さんの行動で一目瞭然だろう。
「噂をすればってレベルじゃないですわね」
俺の心を代弁するかのように、そう呟いたのはシャルだった。
その時にはもう、母さんはオッサンに飛びついていた。
オッサンも両手で母さんを抱きしめている。
「リゼ、元気だったか?」
「この通り元気よぉ! でも、でもね、凄く寂しかったんだから!」
母さんがいつもよりも無邪気な少女のように見えた。
「悪かったな。ああ、ただいま」
「感動の再会にゃぁ!」
パンサーが言うと、ミライと一緒に涙目になっている。
だけど俺には、そんな感動なんて微塵もない。
「今さら……、どの面さげて」
これでも我慢した。結果、出た一言だった。
母さんの“寂しかった”が、“悪かった”だけで済むわけがない。いや俺が、済ませたくないのだ。
心の底からぶん殴ってやりたいと思った。
だけど、嬉しそうな母さんを見て必死に我慢したのだ。
言い表せないような感情が、俺の中で暴れている。
「旦那様、リビングに移動しませんか?」
「あ? ……ああ、すまない」
ローザの一言のおかげで、俺の怒りが少しだけ冷めた。
ああ、つまり俺、怒っていたのか。
夕食会の名残あるリビングで、親父はローザの淹れた紅茶を美味しそうに飲んでから、改めて言った。
「今日、ここに来たのには理由がある」
「今まで母さんに、寂しい思いをさせた理由もあるんだろうな?」
これでも我慢しているんだ。だがどうしても感情的になってしまう。
それから俺を見た親父は、少しだけ伏せ目がちになって言った。
「俺は、ずっと魔界にいたんだ。魔界は今、みんなが想像できないような危機に瀕しているんだ。だから、恥を忍んで頼む。どうか魔界を救うために力を貸してほしい」
そして、視線を上げた親父は母さんを見つめていた。
「元から恥知らずじゃない」
そう言ったのはノーラさんだった。酷く冷めた目だ。
「ノーラ……。ああ、否定はしない。俺はクズで恥知らずだ。だが真剣に頼む。この通りだ」
そう親父は明らかに母さんに向け、テーブルに頭を擦り付ける様にして言った。
「パパの頼みなら仕方ないわ。何があったか、話して――」
「ふざけるなっ!」
気が付けば俺の怒声が、母さんの言葉を遮っていた。
「ベネットちゃん……」
「母さんを置き去りにしたことは、『悪かった』で済まして、魔界の危機には頭を下げるのかよ? 知るかよ魔界がどうとかなんて関係ない! 母さんも母さんだ、また安請け合いしようとしてさ」
そしてまた、気が付けば俺は親父の胸倉を掴んでいた。
親父はやはり伏せ目がちだった。
「負い目があるからか、殴るなら殴れってか? ふざけるな! ふざけるなよ!」
“ふざけるな”と、今の俺の語彙力では、それ以上出て来なかった。
途中まで上がった俺の震える拳。
そんな俺の手に、母さんの柔らかい両手が乗っかった。
「ねぇベネット。まずはパパの話を聞きましょ? きっとこっちの世界にとっても重要な話だから、ね?」
だけどね母さん。俺には、世界なんてどうでもいいんだよ。
……なんて言えなかった。
俺は、やり場のない気持ちをそのままに、拳を解き、そして親父を解放した。
「魔界が滅べば、人界も滅ぶ。コンクレアスよ、つまりそのレベルの話だろう?」
ミーアゴッズは俺の肩に手を置いて、そして親父に問いかけた。
その手と母さんの手で、俺は少しだけ落ち着いた気がした。
「分かった。聞くよ……」
「ベネット……、ありがとう」
気安く呼ぶなと言ってやりたかったが、俺は親父に顎で先を促した。
「俺が魔界にいたのは、魔界を、世界を安定させるクリスタルを守るためだった。実は、クリスタルが原因不明の崩壊を始めたのだ」
ミーアゴッズやグレイの表情があからさまに険しくなった。
「で、クリスタルが崩壊すると、なんなんだよ」
俺は、真っ先に問いかけていた。
「魔界が滅ぶのよ。そしてね、片翼を失った鳥が落ちるように、人界も追って消滅するわ」
そう答えたのは母さんだった。
俺は気がついたさ。これが今までと違って、ただ事じゃないって事。
ああ、まただ。
「いつもいつも、なんで母さんなんだよ……なぁ。そりゃ、散々俺も頼ってきたけどさ。でも、母さんにだって、出来ない事だってあるだろう? 出来ないなら出来ないでいいよな!?」
俺は、みんなを見渡していた。
母さんなら、リーゼロッテなら大丈夫。みんなどこかでそう思っているに違いない。だけど、空気で分かれよ? 今回はそう言うのじゃないって。
そして同時に、無力な自分が凄く情けない。
それから俺は、母さんに視線を合わせた。
そして、母さんはお決まりのセリフを絶対言うだろう。
「できるわ」
……ほら言った。
それは、俺が聞きたい言葉じゃない。
そして母さんは、真っすぐな笑みで、
「ベネット、ごはんはちゃんと食べるのよ。寝る前に歯磨きを忘れないこと。シャルちゃんとミカちゃんと仲良くすること。いいわね?」
「まるでお別れみたいに言うなよ!」
「お別れじゃないわ。でも大事な約束よ?」
「何をする気なんだ」
「クリスタルの崩壊を防ぐのよ」
「だから、どうやってするかって聞いたんだ」
母さんは悲し気に笑っていた。
「ベネットちゃん、そんな顔しないで?」
母さんこそ、そんな顔……。
って、言われて初めて気が付いたさ、俺は泣いていたのだ。
こんなにダラダラと流れ出るまで気が付かなかった。
そして母さんが両手で俺の頬を拭っている。
「ね、パパ。この子、こんなに優しい子に育ったのよ?」
「母さん……」
正直、周りの事なんて見ていない。俺は母さんだけを見つめていた。
「母さん寝るから。ベネットちゃん、そしてみんな、あとはよろしくね」
唐突過ぎる母さんの言葉。意味が分からない。
そして母さんは、俺に体重を掛けて来た。
「……母さん?」
そして満足げに俺の胸に抱かれ、騒ぎ疲れた子供のように、すでに眠っていた。
俺は、できる限り優しく母さんを抱き上げ、寝室のベッドに運んだ。
母さんは、微笑む様な笑顔で眠っている。
そして母さんは、朝になっても起きることはなかった。




