日常
気づくとそこは暗闇だった。
私はその中でまた一人佇んでいる。
誰かに名前を呼ばれた気がして振り返っても、そこには闇が広がるだけだった。
やがてリンリンと静かな音が聞こえるとそこには金色に輝くユニコーンが現れる。
そのユニコーンは静かに現れると私をじっと見つめやがて歩き出した。
暗闇しか見えない私にとってその光るユニコーンは道標となった。
何かを見せたいのか、ユニコーンはまた私をどこかに導く。
何も言わずにただそのユニコーンの通り過ぎた光の粒の上を歩いた。
孤独で押しつぶされそうなのに何故かそのユニコーンを見ると心から安心出来たのだ。
ねぇ、君は誰なの?
そうユニコーンに向かって話しかけても、この暗闇の中では自分は声を発することが出来ない。
ただひたすら闇の中を突き進むユニコーンは、突然立ち止まるとまた私をゆっくりと見つめた。
そうして同じように立ち止まると、やがて暗闇の向こう側から誰かの声が聞こえた。
「やめろ!!やめろォォオオオ!!熱い、熱い、苦しい…っ、誰か…誰か…母さん、母さん!」
悲痛の声は私の心を苦しめるには十分だった。
その声のする方に一歩ずつ近づけばそこには炎が燃え上がっていた。
その炎を眺めて哀れな顔をする人々は燃え広がるそれを眺めているだけで何もしない。
その炎に誰も近づかなかった。
赤い火の中を歩くとそこには誰かがいた。
燃え上がる炎の中心に今の私のように孤独に自分を抱きしめる青年がいる。
顔はよく分からない。
けれどさっきの叫び声が彼の声だと理解した。
燃え上がる炎の中、私は手を伸ばす。
けれども青年は私に気づくことなくやがて火の中に飲み込まれて消えてしまった。
残されたのは彼の苦しそうなあの叫び声と、私の泣く声だった。
なんでこんなに涙が溢れるのか分からない。
ただの夢だというのに心が痛くて締め付けられて苦しくなった。
あの青年は一体誰なのか。
これはもしかしたら無くした記憶なのか。
何度問いかけても誰も答えてくれない。
何も、思い出せなかった。
そうしているうちに、景色は変わり今度はまたあの青い花畑の中で寝転がっていた。
その場所から見える月は少しだけ欠けていて、それでも美しさを隠せず輝いている。
この場所へは前も来たことがある。
そう、あれも夢の中だった。
曖昧な夢の中でそれでも景色は鮮明だったのを思い出した。
リンリンと、光るユニコーンが花畑を駆け回る。
睦まじく踊る2匹の青い蝶。
輝く無数の星空。
ずっとここにいたいと強く願う程、心地よかった。
だけどその夢の中では自分の思うように身体を動かすことが出来なかった。
もっと景色を見たいのに、もっと海を感じたいのに、もっと、あの人に近づきたいのに。
…あの人って、誰のこと?
そう問いかけた時、まだ帰りたくないその空間から私は無理やり起こされることとなる。
『……』
目を開けるとまたいつもの光景が広がっていた。
さっきまで花畑にいたのはもしかしたら私の中で想像する美しい場所なのではないかと感じる。
あまりにこの場所にいすぎてついに願望が夢に現れてしまったのだろうか。
それでも、もしそうだとしたらあの炎の夢はあまりに悲劇すぎて出来れば二度と見たくないと思った。
重い身体を起こせばベッドの軋む音が響く。
そうして欠伸をした時、自分がまた大量の涙を流していたことに気づいた。
『…はぁ、夢から覚めるたびに泣く癖やめられないかな』
今まではこんなことなかったのに。
いつからだったか、夢を見て涙を流すようになった。
感情のコントロールが難しくなったのだろうか。
いや、それにしてはコントロールできなすぎでは。
そう思いながらも、私はベッドから降りると裸足で地面を歩いた。
ルキアは部屋で履く靴下を用意してくれていたけど、まさかの足のサイズが合わずに結局履いていない。
何だかそうやって彼に伝えるのも少し恥ずかしかったので今は裸足のままだ。
どうせこのつまらない1日の大半は一人だしルキアがいるほんの数時間はベッドに潜っているから足までは見られない。
まぁ、夏は暑くてそもそも靴下は履かないし。
最近は眠ると必ずと言っていいほど悲しい夢を見るので出来ればずっと起きていたかった。
まぁどうせこれ以上寝ようと思っても寝過ぎて限界だったし。
部屋に窓がないせいで朝昼晩が分からなそうな所だけど、実はこの唯一の扉には太陽までは遮らない隙間があった。
真っ暗だった昨晩と比べて少し明るくなっているのを扉の隙間で確認すれば、今が朝か昼だということは分かった。
『あーあ、退屈だなぁ』
特にやることもないし…否。
特にやれることもないし。
朝や昼だからと言って何かが変化することもないので私はまた白黒の絵本を手に取ってベッドに座った。
昨日顔に乗っけたまま過ごしたせいで本が床に落ちている。
そうして読み飽きた物語を、絵本を開かずに声に出して読む。
話し相手がいないからこうすることでしか声を出せなかったのだ。
それに、あの夢の中でも自分の声は出せないし。
『ある所に、女神と悪魔がいました。
女神は人々から愛され、悪魔は人々から嫌われていました。
女神は人々を癒し人々に愛され、悪魔は人々を苦しめ人々を嫌っていました』
何度読んだだろうか。
この物語はとある女神と悪魔の話だ。
バッドエンドのようなハッピーエンドで終わるものの、なんだかモヤモヤする内容だった。
最終的には悪魔は女神に倒されてしまうけれど、悪魔は本当は女神を愛していたのだ。
けれどすれ違いや悪魔の性格のせいで結果的に悪魔は愛する人の手で死んでしまう。
そして悪魔が愛していたことに気づいた女神は最期は自ら命を絶ってしまうのだ。
こうして女神と悪魔は存在をなくしたものの魂で結ばれる。
そんな物語だった。
『どうして悪魔は女神に好きだって伝えなかったんだろう。お互い話し合えばこんなことにはならなかったはずなのに』
これを初めて読み終わった時も同じことをルキアに言った。
彼には、お前は恋愛なんてまったく知らないお子様だからななんて煽られたから暫く口を聞かなくなったのを覚えている。
退屈すぎる日々の中で何か暇つぶしが欲しいと言ったら、ルキアが適当に本を選んで持ってきたのだ。
海や遠くの街へ旅へ行きたいと言っていたから、一番挿絵にそういう景色が載ってるやつを選んだとか言っていたけど、そういうことじゃない。
私が見たいのは本物の海だ。
まぁ、それでもその本のお陰で前よりは少しだけマシになった。
暗記してしまうほど読み込んだ本をいつも置いているベッドの脇の棚の上に乗せると私はベッドへまた横になった。
『…いいなぁ、私もいつか誰かを心から愛せる日が来るかなぁ』
ルキアからたまに恋人の話を聞く。
彼の恋人はユナと言って、薄茶色の長い髪がサラサラしたお淑やかな人なのだと言っていた。
何となくとても美人な人なんだろうと察する。
あまり多くを語らない彼だけど、私が聞けば彼は過去のこと以外なら答えてくれた。
ルキアがここにいない時何をしているのかは、教えてくれないけど。
けどユナ様の話をする時、お前と違ってな。と必ず付け加えるのは本当にやめてほしい。
私だって会ったことがないけどその彼女と比べられないのはなんとなく分かるから。
そう思いながら真っ黒のこの自分の髪を撫でた。
ルキアは同じ黒髪でも、あの輝く青い瞳を持っている。あまりに綺麗でこの世の者とは思えないほどに。
私の瞳は、何色なんだろう。
鏡がないこの部屋では自分の姿を確認することは叶わなかった。
『ルキアも毎度毎度ここに来るの、面倒だろうに』
誰かに命令されてここへ来ているとしても、毎日欠かさずこの小屋に来てくれるのは流石の私でも少し気が引けた。
ルキアにはルキアの時間があって、それこそ大事な恋人がいるというのに私なんかに時間を割いていて申し訳ない。
けどルキア以外に、頼れる人は知らなかった。
『あーぁ』
気づくとため息が出る。
それから何度かベッドに横になっては絵本の挿絵を眺め、たまに部屋を意味もなく歩き時々扉が開いていないか確認して、気づくと夜になっていた。
そろそろルキアが来る時間になりベッドに潜ると、いつものようにガチャと扉が音を立てて開く。
やがてルキアは寝ている(フリをした)私に近づくとベッドの近くの棚にマグカップをそっと置いた。
やがて向こう側へ歩く音がして、薪を足す音が聞こえる。
そうしてそんな中、私は今起きたかのように欠伸をして身体を起こした。
毎回寝ているフリをするのには理由がいる。
いつかこうして寝ていると思わせてこっそりルキアがやってきたと同時に扉の外へ出るためだ。
始めの頃は毎度ルキアが来る時間になると扉の前に待機して開いた瞬間外へ飛び出そうとしていたけれど、その一瞬でも外を見ることなくルキアに片手で持ち上げられベッドに返されたのでもうその作戦は無理だった。
だから新しく策を考えたのだ。
上半身だけを起こして伸びをし、暖炉へ薪を足すいつもの後ろ姿を見る。
彼はいつも黒い服を着ている。
頭の上には雪が積もり、来てしばらくは黒いコートを脱がない。
しかし暖炉に薪を足し終えるとその黒いコートを脱いで中のワイシャツが見えるラフな姿になるのだ。
「起きたか」
薪を足しながら、こちらをチラッと見てルキアは言った。
昨日彼の胸ぐらを掴んで目覚めたのを思い出してしまい思わず目を逸らす。
そうして目を逸らした先に見えたマグカップを手に取り私は頷いた。
『うん、おはよ…今日は?』
「ロイヤルミルクティーだ、お前それしか飲まないだろ」
『いや失礼な、アップルティーも好きだって』
「しっかりお子様のご要望に応えてハチミツ入れといたぞ」
『いつも思ってるけど一言多いよね、ありがと』
熱すぎもなく冷たくもないそのいつものミルクティーを口に運ぶ。
紅茶の香りが全体に広がり思わず微笑んでしまった。
この時間が私にとって何よりも幸せだった。
ルキアが作ってくれるこのハチミツロイヤルミルクティーは本当に美味しくて、いつかの日に大絶賛したらその日からこれが定着した。
常に暖炉の火がつくこの狭い部屋では寒さをあまり感じないけれど、この紅茶を飲んだ時に身体の芯から暖まっているこの感じが大好きだった。
私がゆっくりとミルクティーを飲むのを見て少し微笑むルキア。
意地悪だけど、彼は優しい。
やがてミルクティーを飲み終わる頃、ルキアは薪を足し終えてこちらへとやって来た。
長い黒いコートを脱ぎ、扉の横にあるフックに掛ける。
やがて隣まで来ると彼はいつものようにベッドの傍らにある椅子に座った。
私すらその椅子に座らないから、勝手にその椅子はルキア専用にしている。
「今日はどうだった?」
『今日もすっごく退屈だった』
「悪いな」
『絶対思ってないでしょ』
「なら、何て言えばいい」
『…ごめん?』
「同じ意味じゃねぇか」
そう言ってルキアは笑った。
彼が笑うと、ただでさえ鋭いその目がもっと細められて不思議な魅力となる。
最近切っていないのか、彼の前髪で目が少し隠れてしまっていた。
私は未だに優しく笑うルキアの髪を見て手を伸ばしかけてやめた。
『髪、伸びたね。目が見えずらいんじゃない?』
そうしてルキアを見ながら言えば、彼はその骨ばった大きな手で自分の前髪を触った。
確かに、最近そんな時間がなくて、という彼。
前髪で目が隠れていても整った顔を隠しきれていないのだから何だかムカつく。
私はルキアの髪が雪が溶けてきて濡れているのを見て、そっと自分の毛布を彼に渡した。
掛け布団もあるし毛布くらいなくても寒くなかったから。
『ほら風邪引いちゃうよ』
そう言ってその毛布をルキアに掛けてあげれば、彼は小さく微笑んでいた。
宝石のような青い瞳にじっと見つめられるとどうも上手く目が合わせられない。
やがて何だか気まずくなって咳払いをすれば、私はベッドに潜って鼻まで隠れた。
ルキアのその優しい瞳の理由が、分からない。
彼のその表情は通常運転なのか。何に対する表情なのか。
私に人の感情を読み取るのは無理があった。
「もう寝るのか?」
低くて優しい声が響く。
寝るわけがない、ルキアだって私がまだ寝ないと知っている癖に。
そう思いながら私はルキアとは反対を向いた。
「お姫様はすぐに機嫌を損ねるみたいだな」
私が何も言い返さないのを良いことに、何だか色々言ってくる。
これは彼なりの構って欲しい時の癖だった。
以前私が何かルキアに意地悪を言われて拗ねた時も彼は一人で喋っていた。
いつか絶対我慢できずに私が何かを言い返すと知っているからだ。
こうして彼を一人で喋らせるとタチが悪い。
「折角明日はお姫様の好きなアップルパイを持ってこようと思ったのに、返事がないならいらないのか」
『アップルパイ!?た、食べたい!!』
ほら、彼はズルい。
私が大大大好きなアップルパイを人質に取るんだから。…いや、アップルパイは人じゃないか。
絶対に反応すると分かっていたルキアはここぞとばかりにニヤニヤしながら身を乗り出して声を出した私を見つめる。
そのことに少し睨んでやった。
でも滅多に食べることが出来ないアップルパイを食べれるとなればモチベーションも変わってきた。
もう私の頭の中はアップルパイで埋め尽くされていた。
「お前が単純すぎて少し心配だ」
『単純とか言わないでくれる?』
こうしてルキアとは他愛もない話をしていた。
時間にすると、2時間ほどだろうか。
笑い合い話し合いふざけ合っていたら、あっという間に時間はやってくる。
「そろそろ時間だ」
『また明日ね』
「ああ、おやすみユキ。良い夢を見るといいな」
『おやすみ、ルキア』
そしてまた彼はランプの火を吹き消すと再びコートを着た。
ベッドに潜る私の元へ来て髪を優しく撫でる。
そうして今日も彼との時間が終わりを告げた。
ガチャン…
ルキアが帰ると、いつもこの静寂が訪れた。
暖炉の火が弾ける音はあるものの、やっぱり誰かがいるのといないのとでは全然違う。
私はルキアがやってくる2時間だけを楽しみに、今日も眠りにつこうとしていた。
『…今日は、なんか、いつもより眠い…』
いつもなら脱出作戦を始めるのだけど、今日はやたらと眠くてそのまま瞼が落ちてきた。
やがて完全に瞳を閉じると、また私は暗闇で目覚めた。
貴重なお時間の中お読みいただきありがとうございます。
カクヨムにて先行更新しています。