☆番外編☆ 3-1:ソフィーの研修旅行
☆番外編☆ 1:ソフィーの研修旅行
デセルタ国を震撼させた、
宝石偽造と国王暗殺未遂などの大事件は、
皇国より派遣されたメイナ技能士 アスティレアによって
被害を最小限に抑えた形で鎮圧された。
国はふたたび落ち着きを取り戻すだけでなく、
停滞していた産業を立て直すことにより
新たに活気ある国へと生まれ変わろうとしていた。
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「これが……あの……聖ユビデウス大聖堂……」
首が痛くなるほど見上げながら、ソフィーはつぶやいた。
その言葉に婚約者のカイルは頷きながら説明する。
「ええ、祖父がまだ若いころの作品です」
兼ねてから予定されていた研修旅行に合わせて、
婚約の報告に皇国へ行くことになった二人は
今日、その道程にあるバザルテス国に立ち寄っているのだ。
寄り道の理由は、ここにはカイルの祖父が設計した大聖堂があり
その建立記念の周年式典が明日開かれるのだが、
祖父の代わりにカイルが主賓として出席することになったためだ。
「凄いわ。大理石と木材を組み合わせて、
斬新さよりも安定感や重厚さを感じさせるなんて」
さすが若い頃より天才と称された
エドアール・メイスンの手掛けた建造物だ。
ソフィーは上を見上げたまま、うろうろと動き回る。
「外観だけでも何時間でも見ていたくなるわ」
そう言うソフィーにカイルは笑い、
「私も幼いころ丸一日、この周囲で過ごしました」
似た者夫婦になりそうな二人が顔を見合わせて笑いあう。
そこに、年配の男性が駆け寄ってきて話しかける。
「カイル様、こちらにいらっしゃいましたか。」
カイルは一瞬でいつもの無表情に戻る。
彼が感情を見せるのは愛するソフィーに対してのみだ。
「すみません。すぐに参ります」
記念式典に出席するだけでなく、会議や打ち合わせなどがあり、
カイルはとにかく忙しいが、名だたる建築物の連なるこの町で、
そんな雑事にソフィーを付き合わせるのは忍びなく思い、
やむなく別行動することになったのだ。
「独りで見学できるから大丈夫」
とソフィーは笑う。カイルは心配そうにしていたが、
懐中時計を取り出し方位磁石を示した。
これは常に”ガイアの守護”を受けるソフィーの位置を差し示すものだ。
「何かあったら飛んでいきます」
そう言うカイルに、手を振りながらソフィーは、
”観光名所を歩くだけだから大丈夫だよね”
とノンキに思ったが、その予想は残念ながら外れることになるのだった。
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「ここがインピュード庭園か」
ソフィーは手に持った招待状を確認する。
これは事前にカイルから受け取ったもので、
これを受付に見せれば、庭園の中央にある
古代バロック建築風の宮殿内部を見学させてもらえるという話だった。
庭園を散策しながら横切り、壮麗かつ豪華な建物に近づいていく。
そして受付の人に招待状を取り出し、声をかけた。
「あの、内部を見学させていただきたいのですが」
「あー、はいはい」
さらっと招待状に目を通し、それが正規のものであることを確認すると
ソフィーへ返却する。
「上階の警備員に掲示を求められた際はご掲示願います」
そう言われ、あっさり中へ入ることが許可された。
一般向けには公開されていないこともあり、他は誰もいなかった。
華美な装飾をぐるりと見渡しながら、ため息をつく。
「曲線と、強調されたフォルムと、鮮やかな絵画。
これが自宅だったら落ち着かないなあ、きっと」
そんなことを考えながら、いざ歩き出すと。
「……え。無理だわ」
誰かが背後で呟く声がした。
振り向くと、先ほど通った受付で、3人の男女がこちらを見ていた。
声の主は淡いピンクのドレスを着た、ソフィーと同年代の貴族の娘。
その隣にはどこか神経質そうな夫人とその侍従だ。
何が無理なんだろうとは思ったけど、ソフィーはそのまま歩き出す。
すると今度はもっと大きな声で、
「だから無理だって言ってるじゃない、ひどいわ!」
と娘の泣き出しそうな声がする。
何か揉めているなら、なおさら見るわけにはいかないので
手近な部屋に早く入ってしまおうと足を急ぐと。
「ちょっと! 無視なさるおつもり?!」
神経質そうな夫人がこちらに向かって声をあげる。
え? 私? そう思って振り向くソフィー。
「先ほどから、娘が無理だと申し上げているのに。
これだから平民は常識も節度もなくて嫌なのよ」
急に攻撃を受けて、ソフィーは軽くパニックをおこした。
「あの、私、何かしましたか?」
婦人は体を娘に向けたまま、横目でソフィーを見ながら言う。
「娘はね、とても繊細な子なの。ゆっくりと静かに、
ここで美しい芸術に触れるのを楽しみにしていたのに
あなたがここにいるんじゃ、それができないでしょう?」
はあ……としか言いようがない。
すると部屋の奥から黒服の男が現れて、夫人に挨拶した。
「これはこれは、ナルブス子爵夫人とエミリア様。
ようこそいらっしゃいました」
するとナルブス子爵夫人と呼ばれた女性は、
口元を扇で隠しながら、その男にひそひそと何か話している。
視線は相変わらず、横目でソフィーを睨んだまま。
そして話が終わり、夫人の扇が畳まれた瞬間、
「承知しました。ご安心ください」
そういってその男はソフィーに向かって歩いてくる。
「私はここの館長です。
予約の方が優先ですので、すぐに退出してください」
ソフィーは一瞬戸惑ったが、あの娘さんは何かしらの事情があって
他の人がいることをとても怖がってしまうのかもしれない。
そう思い、ここは退出することにした。
「わかりました。では、何時ごろでしたら大丈夫でしょうか」
ソフィーがそう言うと、館長は鼻で笑った。
「今日は無理ですね。明日も、明後日も」
その言葉に、夫人と娘、侍従が吹き出す。
さすがに鈍いソフィーでも、馬鹿にされていることがわかった。
「それはおかしいですよね?
私は招待状を頂いた時に予約は不要であり、
いつ行ってもかまわないと言われましたが」
一生懸命そう反論すると、館長は片眉を上げて尋ねる。
「招待状?」
ソフィーはバッグから招待状を出して見せる。
「どこの建築学科の学生さんかは知らんが、教授のツテかね?
なんにせよ、戻ったら”施設の整備中で見れなかった”と答えなさい」
「整備中ではありませんよね? 私は嘘はつけません。
”貸し切りにしたいから”と追い出されたと言いますね」
すると館長は醜く顔をゆがめ、ソフィーから素早く招待状を取り上げ、
びりびりと破り捨てポケットに入れて嗤う。
「招待状も持たないのに見せてくれてと言われても
入れるわけにはいかないからな」
あまりの強引さにソフィーはあっけにとられる。
「なんてことを。常識や節度が無いのはそっちのほうだわ!」
思わず叫ぶ。すると館長が厳しい声で命令する。
「警備員! 集まれ!」
受付の男はまごまごと近づいてきて、後から警備員が数人走ってくる。
「この女は案内状も持たずに侵入したのだ! すぐに叩き出せ!」
真相を知らない彼らは大慌てで
不審者とみなしたソフィーを取り押さえようと手を伸ばすが。
触れようとした者から順番に、次々と周囲に弾き飛ばされていく。
当のソフィーはバッグをかかえて身をすくめている。
それでも、何回やっても彼女に近づいた瞬間に
ぐるん!と彼らの身体がひねられるのだ。
「お前たち! 何をしている!」
館長みずからソフィーの腕を掴もうとした瞬間、
首根っこを引きずられるように廊下を滑っていき、転がされる。
その場の全員が立ちすくみ、何が起きたのかわからないでいた。
もちろんソフィーは分かっている。
”地の精霊”の仕業だ。
”ガイアの守護”を受けるソフィーは、
身に危険が迫ると精霊が守ってくれるのだ。
その時。
バタン!と大きな音がして、入り口のドアが開いた。
上背が高く、顔は彫が深く整っており美しい石像のよう。
入り口に立つその青年の凛々しい姿を見つめ、
ナルブス子爵夫人とエミリア嬢はすぐにそれが誰か気が付いた。
あの憧れの存在が、まさか私たちの前に現れるなんて!
「あのっ! あなたはあの有名な……」
その青年は彼女たちに視線を向ける。
きゃあ!とエミリア嬢は嬌声をあげる。
以前から憧れだった方に、こんなに近くでお会いできるなんて。
ナルブス伯爵夫人はこの機を逃すまいと、すかさずアピールする。
「私の夫はナルブス子爵です。
この国の建築や都市計画に携わっておりまして……」
その言葉を片手で遮り、青年はどんどん中へ進んだ。
「カイル! どうしてここに!」
突然のカイルの登場に、ソフィーが驚いて声をあげる。
「地の精霊の、激しい怒りを感じました。
だから大聖堂の窓から直接ここまで飛びました」
開きっぱなしのドアを見ると、その奥には飛竜が見える。
彼は有事の際にすぐ直行できるよう、
式典会場だった聖堂の窓辺に、飛竜を待機させていたのだった。
「私がいた部屋の窓からここまでは、直線距離で700m程でした」
高い高い聖堂の窓なら、市中のどの場所も直線距離で向かえばすぐだろう。
彼が別れ際に言った言葉、
「何かあったら飛んでいきます」
は、決して比喩なんかではなかったのだ。
包み込むようにソフィーを抱きしめながら問いかける。
「大丈夫でしたか? 何があったんです?」
「……大丈夫です。地の精霊さんが守ってくれました」
その言葉に、一同が衝撃を受ける。
館長が震えながらつぶやく。
「そんな……まさか”ガイアの守護”が付いていたとは……」
ソフィーが理由を説明するのを遮るように館長が叫ぶ。
「すみません! 招待状をお持ちでないのにお入りになられたので
不審者と思い対処させていただきました!」
ソフィーが否定しようと身を乗り出すのを制し、カイルは静かに言う。
「では、あなたのポケットに入っているものはなんですか?」
館長はひっ!と叫んでポケットを押さえる。
どうして、誰もまだ何も言ってないのに。
「メイスンを見くびるな。
ここであった事実は全て地の精霊から聞いている」
とたんにソフィーとカイルの前に白く大きな手が現れ
ナルブス子爵夫人とエミリア嬢を指さす。
「先にソフィーが入場していたにも関わらず、その娘が我儘を言い……」
白い手は次に、館長を指さす。
「館長が出ていけと言い、さらには明日も明後日もダメだと……」
館長たちは震えあがった。そこまで詳細に伝わるのか。
メイスン家とは、そこまで”地”とつながっているものなのか。
戸口にはすでに人だかりが出来ていた。
打ち合わせ中に飛び出していったカイルを追いかけて、
式典関係者や警備兵が集まってきたのだ。
「この辺りは評価の高い建築物が多いことで有名だが
それを鼻にかけ、管理や運営が劣化しているとは聞いていた。
まさか、ここまで低俗で下劣とはな」
吐き出すようにカイルは述べる。
そしてナルブス子爵夫人とエミリア嬢に向かって言う。
「ナルブス子爵は確か、建築や都市計画に携わっていると仰いましたね」
入り口で聞いていた式典関係者の役員が飛び出してくる。
「携わっていると言ってもほんの末席です!
何の権限もございませんっ!」
カイルは静かに言葉を続ける。
「その者は建築というものの在り方を、身内に教えていないということか?
それともくだらぬ権力を行使し、私用で使うべきという認識なのか?」
すると遅れて現れたバザルテス国の重鎮と思われる貴族が、頭を下げて言う。
「先ほど会議でお話した運営が劣化しているという件を、
このような形でお見せすることになり恥じ入るばかりです。
本当に申し訳なく、また対策が後手に回り慙愧にたえません」
カイルは向き直り、首を横に振ってとりなす。
「公爵の責任ではありません。
こういう輩はどんなに管理しようと湧いて出るものです。
どんなに清掃を完璧にしようと害虫は外から入ると言いますから」
生まれて初めて、そして憧れの人から害虫呼ばわりされて
エミリア嬢は恥辱と悲しみで気絶しそうだった。
その横でナルブス子爵夫人は一瞬怒りを覚えたが、
今はそれ以上に夫の進退が気になってしょうがなかった。
公爵にまで知られてしまったのだから。
「ご迷惑をおかけした後で申し訳ないが、これらの処分は迅速に
また確実にするとお約束します。二度と再発することのないように」
公爵はそう言って、一同に向き直る。
「受付の者は不正を見聞きした時点ですぐに国に連絡すべきだった。
よってそれなりの処分が下されるだろう。
警備員は事情を理解していないため、不問とする。
ただし、仕事が残っているぞ」
キョロキョロと慌てる警備員だち。
「館長を捕らえて入牢させろ。重大な業務違反を犯した罪だ」
「な、なぜですか? たった1人、中に入れなかっただけですよね!」
そう叫ぶ館長に公爵は言う。
「予約などと虚偽の案内、入場者の私物である紹介状を破損し遺棄、
権限を違法に行使し警備員を使って入場者に暴行を加えた罪です。
もしあの方に守護がついていなかったらと思うとゾッとしますね。
あなたも、あなたたちも、死罪では済まなかったでしょう」
そう言って館長とナルブス子爵夫人とエミリア嬢を指す。
あまりに恐ろしい言葉に、エミリア嬢は叫んでしゃがみ込む。
その様子を眉1つ動かさず見つめながら公爵は言った。
「だからナルブス子爵の解任で済んで良かったと思うことです」
崩れ落ちる夫人。これはナルブス家の大きな収入源が絶たれたということだ。
自分は間違いなく夫から離縁されるだろう。
公爵は最後に、ソフィーに向かって詫びた。
「本当に申し訳ございません。たとえあなたが誰であっても、
今日のような待遇をされることは許されません」
その言葉にソフィーは安堵する。
私がカイルの婚約者でもなくても、この件を理不尽ととらえてくれるなら
この国の人たちは大丈夫だろう。
式典の関係者が焦りながら言う。
「申し訳ありません。時間がもう……」
カイルは頷き、ソフィーに向き直る。
「私たちは式典の準備に戻ります。ソフィー、君はどうする?」
ソフィーはちょっと首をかしげ、言いづらそうにいう。
「もし、許されるなら……この建物を引き続き見たいのですが」
「そう言うと思いました」
カイルは笑って、警備員たちに後を頼む。
彼らが出ていくときに、入り口に一般の人たちが大勢集まっていた。
「何かあったんですか?」
その問いに、公爵は微笑んで皆に伝える。
「今日は特別に一般公開しています。良かったらどうぞ」
歓声をあげ、わらわらと入っていく人々。
最初の部屋にある、見事な室内装飾を眺めていたソフィーは
小さな子どもが遠慮がちに、
自分の後ろで順番を待っていることに気が付いた。
「前で見てごらん。天使の彫刻だよ」
そう言って、自分の前にうながす。
”特権”とは、そういうものだ。ソフィーはそう思った。
「本当に、素晴らしいわね」
彫刻を見て思わずつぶやくソフィーに、
目を輝かせながらも、恥ずかしそうに振り返って子どもが言う。
「……キレイだねえ」
その可愛らしい感動の様子をみるうちに、
今日の嫌な事全てが清々しく払しょくされるのを感じ、
ソフィーは思わず笑みをこぼした。