2-16.傲慢な和解交渉(第三者視点)
16.傲慢な和解交渉(第三者視点)
ファーラ侯爵令嬢たちは”盗人の証”を顔につけたまま、
それぞれ自宅へと帰っていった。
皇国が新聞社に交渉したため、
窃盗事件についての報道はだいぶ控えた内容だった。
しかし今後、噂で醜聞がどんどん広がっていくことを恐れ
いったん帰国する者や、早々と退学の手続きを進める親も出てきた。
そしてあっという間に、校内に残る人数は数少なくなっていったのだ。
これが今回、わざわざ聖盾会の日を狙って騒ぎを起こした目的だ。
この先を予測すれば、ここに属していることは不利益が多いし
少なくとも、この場に居てはいけない。
あくまでも学園で起きた事件に巻き込まれた被害者として、
ここを去ってもらうのが円満に近いのだ。
どのみち学園の崩壊と、
聖女の名が地に落ちることは避けられないのだから。
リベリアもこの混乱に乗じて退職することにした。
荷物をまとめていると、なんだか外が騒がしい。
部屋を出てみると、そこにいたのは
華麗なドレススーツを身にまとった夫人だった。
「理事長! 戻られたのですか?!」
他の職員たちが大騒ぎしている。
今まで絶対に、学園には近づかなかったのに。
「ええ、大変な事態になりましたわね」
そうか、一応理事長ですしね。リベリアはそう思ったが。
「ずいぶんと急なお戻りでしたわね。お迎えに行きましたのに」
「そうなのよ。私もびっくりして震えあがったわ。
絶対に私に面談したいと、皇国から呼び出しがあるなんて。
今すぐ帰国せよ、という命令だったのよ」
リベリアは耳を疑った。皇国から強制的な呼び出し? あり得ない。
皇国はその絶大な権力を行使するのに、細心の注意を払っている。
強すぎる力を持つものには絶対に必要な配慮だ。
国家に対しては戦略として強靭な対応もするが、
民間の集団や、ましてや一個人に圧力をかけるなど言語道断だ。
おかしい。それは本当に皇国の命令なのか? いぶかしむリベリア。
「それにね、母が夢に出てきたの」
リベリアは気付く。
例の、礼拝堂で行方不明になった前理事長のことだと。
そしてそれは、神の食事室にあった靴と鞄の持ち主だ。
「母が泣いていたのよ。首を横に振ってね。
とても悲しそうだった……」
リベリアは戦慄する。それは典型的な警告夢だ。
「この学園を案じてくださっているのかもしれませんね」
職員がそう言うと、理事長は少し笑って
「でもねえ、さっきは来なきゃよかったわって思ったの。
馬車にたくさんのトンボが群れて、気持ち悪かったわ
ここ、こんなに虫がいたかしら」
リベリアはもう我慢できずに、初対面であるにも関わらず
理事長の前に走り出てしまった。
「初めまして。理事長。
私、占い学で講師をさせていただきましたリベリア・ハルトと申します」
「あら、ごきげんよう」
そこで息をひと息ついて、理事長に告げる。
「理事長、こちらにいてはいけません。
今すぐに、元の国にお戻りください」
ええ?! いきなり何を?! という顔で驚く理事長や職員たち。
「トンボは先祖を表す兆しです。
先祖がここに戻ってきては行けないと示しているのです」
ポカンとする理事長。そしてフフッと笑い。
「さすがに占い学の先生ね。ご心配ありがとう。
どのみち長居はしないわ。泊まるつもりもないの。
手続きを済ませたら、すぐにファリールの宿に戻ります。
皇国の方にもそちらにいらしていただくわ。
それくらいのわがまま、聞いて下さらないと……フフッ」
そう言って会釈し、理事長室へと入っていった。
リベリアは約束の時間も迫っており、見届けることができない。
それに本人もすぐにここを出ると言っているではないか。
それでもリベリアの心の中には、不安の影が大きく広がっていったのだ。
************
今日は、ファリール国城内の屋上庭園において、
アスティレアに対しての罪について協議が開催される日だ。
裁判には判決の前に、両者合意による”和解”という解決手段もある。
少なくとも皇国は、そのための協議と考え、受諾したのだが。
実際彼女たちは、謝るつもりなんて全くなかった。
アスティレアを脅かすか、適当に言いくるめて
”盗人の証”を消してもらうつもりだったのだ。
そのために、ファーラ侯爵令嬢の父であるサペル宰相が
「娘が無実の罪で、皇国より酷い侮辱を受けている」
と国王に説明し、頼み込んで場を提供してもらったのだ。
とりあえず会場を用意することは承諾したが、
トリスティア学園の醜聞はすでに国王の耳に入っていたし、
皇国が無辜の者をいきなり罰するとは考えにくい。
面倒なことに巻き込まれたくなかったため
国王は、あくまでも国としては中立を保つことを、
あらかじめ宰相たちと皇国に宣言しておいた。
屋上庭園には、さまざまなものが用意されていた。
色とりどりのドレスや宝石が散りばめられたアクセサリー。
可愛らしいバッグなどの小物とともに……金貨の袋がいくつか。
一見華やかでゴージャスに見えるが、ドレスは型遅れで素材も悪い。
アクセサリーの宝石も偽物が多く、デザインも粗悪な売れ残り品だ。
小物に関しては誰かの中古品まで混ざっているのだった。
ファーラ、ポエナ、パトリシアの各家族が勢ぞろいで、
アスティレアの到着を待っている。
「まあ、これを見たらその娘も機嫌を直すでしょうな」
ポエナ伯爵令嬢の父が並んだ品を眺めながらそういうと、
サペル侯爵夫人がフン! と、娘のファーラと同じような笑い方をする。
「こんな安物で良ければ、いくらでもご用意いたしますわ」
その言葉に、不安そうにパトリシア子爵令嬢の父が問いかける。
「これでもし断られたら、どうなさいますか?
せめて娘の顔にある、あの文様だけでも消してもらわないと」
「その時は、あなたの息子さんの出番ですわ。ねえ、クリフ」
ポエナ伯爵令嬢の母がはちきれんばかりの太った体を揺すって笑う。
パトリシアの家は、ポエナの家の分家だ。
身内のようでいて、決して頭が上がらない存在なのだ。
名前を出されたクリフはひょろひょろとした男で、
すでに自分の運命を悲観して青い顔をしている。
しかし、自分が犠牲にならねば。
「そうだぜ、お前がしっかりやるんだぞ」
ポエナ伯爵令嬢の兄弟が、ニヤニヤしながら肩をたたく。
「まあ、これで解決だな」
ファーラ侯爵令嬢の兄も大きく伸びをする。
そのついでに、上空に飛来する皇国の飛竜の群れを見つける。
「おい。来たようだぞ」
最初は全員ニヤニヤと到着を見守っていたが、
その群れが近づくにつれ表情が無くなり、最後には青く変わっていた。
飛竜から舞い降り、多くの皇国兵に囲まれ、
こちらに向かってきたのは。
茶色い髪を皇国の流行りのデザインに美しく結い上げ、
シンプルだが一目見て高価とわかる真珠の髪留めが飾られている。
ドレスも派手さを押さえられてはいるが、生地は最高級のシルク。
可愛らしい淡いピンク色で、ネックレスとピアスは髪留めとお揃いの真珠だ。
全てがクラシカルでいながらも、キュートで洗練されている。
その場の婦人たちは自分たちがひどく野暮ったく思え、一歩下がってしまう。
ピンクのドレスの美女は、優雅にカーテシーで挨拶した。
「アスティレア・クラティオと申します」
顔を布で隠しながら見ていた三人娘は、アスティレアの後ろを見て驚く。
「あれは、占い学の先生……」
「そのとなりは新聞社の!」
そんな視線を気にも留めずに、クルティラとリベリアも挨拶を済ませる。
沈黙が続くので、アスティレアが切り出す。
「お申し出の内容をお聞かせ願えますでしょうか」
はっと我に返り、サペル宰相が咳ばらいをひとつし、語り始める。
「ああ、まず、娘が数々の誤解を招いた件についてだが、
これについてはまったくの無実であると言い切れる。
早く娘のこの呪いを解き、深く謝罪をお願いしたい。
そうすれば、こちらも和解について考えても良かろう」
いきなりの謝罪要求に吹き出しそうになったアスティレアの代わりに
横に控えていた補佐官が一歩前に出て、きっぱり言い切る。
「お断りいたします」
「何っ!」
いきなり拒否されて目をむくサペル宰相。
今までこんな扱いを受けたことが無いのだ。
「ご息女の犯した犯罪については、証拠は全て取り揃えております。
これを無実と主張するのであれば、裁判で争う他ないでしょう。
それならばすぐにご息女を拘留させていただきます」
怒りに震えて声が出ない宰相の横から、その妻が飛び出してくる。
「ちょっと! あんまり調子に乗らないでいただきたいわ。
わかっていらっしゃるの?!
それはファリール国を敵に回すということなのよっ?!」
補佐官は、静かに笑いながら言う。
「もちろん承知しております。
ファリール国王が今回の件では中立を貫くこと。
そしてそちらの御三家が、皇国と戦うつもりということを」
一瞬、場が凍り付いた。彼らはやっと気が付いたのだ。
これはアスティレアVSファリール国ではない。
皇国と三人の貴族の裁判なのだ。
これは旗色が悪いと踏んだのか、ポエナ伯爵令嬢の父が
アスティレアの前に出て、猫なで声で言う。
「君がアスティレアさんか。これはこれは美しい。
娘が誤解を招くような振る舞いをして申し訳ない。
こちらに来たまえ、君に似合う素晴らしい品を集めたんだ」
といって、ドレスやアクセサリーのところへ導く。
さあ、見てごらん、と促され、しぶしぶアスティレアたちは見に行く。
そしてすぐに戻ってくる。
「ど、どうだ。誤解させたお詫びに与えよう。全部君のものだ」
サペル宰相がどうだ、と言わんばかりにあごを上げる。
しかしファーラやポエナの母、そして娘たちは分かっていた。
あの洒落た美しいドレスやアクセサリーを身にまとう者が、
こんな安価でダサいもの、気に入るわけがないことを。
案の定、アスティレアは答える。
「いえ、結構です。お断りいたします」
慌てたポエナ伯爵令嬢の父が、中でも一番良いドレスをつかみ、
「これなんぞ、ブル国産のグーラ織りで仕立てたものだぞ!
どうだ! 着たことあるか?」
アスティレアの代わりに、クルティラが答える。
「ありましたわね。確か、皇太子の誕生会で来たブルーの……」
「いいえあれは、ルークス様が贈られたルドニア・シルクのドレスですわ。
ブル国産のドレスは、先日の茶話会で着たオフホワイトのです。
まあ織生地はこれと違って、エクスティレント織りですけど」
リベリアが間違いを正す。その答えに全員が硬直する。
簡素なグーラ織りに比べ、エクスティレント織りは芸術品の域だ。
そして皇太子の誕生会だと? ルークス様に贈られただと?
背中を嫌な汗が流れる。これは、作戦を変えねば。
親たちがそう考えているにも関わらず、状況を理解していないのか、
パトリシア子爵令嬢の兄クリフが前に出てくる。
確か、プレゼント作戦を失敗したら自分の出番だったはず。
「では、僕が責任を取ります!
僕と結婚すれば、子爵家の夫人となれます!」
あまりのことに言葉を失うアスティレアたち。
なるほど。嫁にもらってやるというのが最大の褒美のつもりか。
いかにもトリスティア学園に娘を通わせる親らしい考えだ。
その時、予想外のことが起きた。
「いや、子爵家よりも伯爵家のほうが良いだろう」
打ち合わせと異なり、ポエナの兄弟がしゃしゃり出てきたのだ。
皇国とのつながりを考えたのもあるが、何より。
”こんなに美人とは思わなった。妹たちの話では
ゲスで欲深い、見た目が地味な女だということだったのに”
というのがありありと出ていた。
それどころか侯爵家の息子まで
「今回の件、皇国との対立を避けることを考えたら、
侯爵家で君を迎えるのが一番かもしれない」
などと表情は苦悩を浮かべながらも、瞳を輝かせて前に出てきた。
やれやれ。アスティレアがため息をつき、断りの弁を述べようと
「お断りします。何故なら……」
言いかけた時、上空に火竜の影が差した。来てくれたのか。
いつもながらのナイスタイミングだ。
リベリアが、三家に向けてにこやかに言う。
「あら、いらっしゃったようですわ。アスティレア様のご婚約者、
皇国将軍ルークス・フォルティアス様が」
火竜を降りて歩み寄るルークスとは反対に、
じりじりと後ずさっていく家族。
ファーラは顔をいっそう布で覆いながらも
嘘よ、そんなの嘘よ、とつぶやいている。
補佐官の簡潔な説明に、眉を寄せるルークス。
「和解の会合と聞いていたが、和解金の提案はともかく
結婚とはどういうことだ? 理解できないな。
なぜアスティレアが降嫁しなくてはならない?」
「私もなぜそのような罰を受けねばならないのか理解できません。
そもそも、私にはルークス様が……」
そういって寄り添う。ルークスは優しく彼女を腕で包み込む。
これは全然いつものアスティレアではないが、
ファーラに対し”特別な関係というのはこういうことだ”と教えているのだ。
「結婚については、本気で申し込まれるなら俺が受けて立つが?」
その言葉に、三家の子息たちは首がもげそうなくらい横に振る。
「ならば、和解の交渉は決裂だな。帰ろう」
てきぱきと進めるルークスに、
今まで奥の方にいたパトリシア子爵令嬢の母が声をかける。
「あ、あの、お待ちください!
せめて、あの、娘の顔の呪いを解いてください!
娘はずっと泣いております。充分に反省しました。
どうかもう、このくらいにしてあげてください!」
他の親たちもうんうん頷き、呪いを解けと合唱を始める。
アスティレアはうんざりし、彼らが聞き飽きてきただろう言葉を放つ。
「お断りします」
一斉に非難の声を上げる彼らに向かって、ある事実を突きつける。
「これまで、それからこの場に私が参ってからも一度も、
どなたからも罪を認めた正式な謝罪の言葉はお聞きしていません。
証拠もきちんとあるのに誤解、誤解とそればかり。
それで充分に反省したと言われても、誰が納得できるでしょうか」
すると慌てたように三人の娘が前にでてきて
ごめんなさい、違うの、そんなつもりでは私、などと言い始めた。
「もう遅いですわ。それにそれは謝罪ではないわ。
本当に申し訳ないと思うなら、皇国の進言通り自首すべきです」
アスティレアはドレスを翻し、ルーカスに手を取られ火竜に乗り込む。
次々と退却する皇国の飛竜を、三家はぼうせんと眺めるしかなかった。
こうして和解交渉は決裂したのだ。