2-12.学園へ、皇国からの使者(第三者視点)
12.学園へ、皇国からの使者(第三者視点)
アスティレアが退学を受けてから三日後。
視察以降、不在を続けていた学園長がやっと帰ってくる。
あのような強引な退学を阻止できなかったことを
スタービル先生はずっと悔やみ、彼女のことを案じていた。
だから学園長がお戻りになられたら、
すぐに退学を取り消してもらおう。
そう考えて、ずっと帰りを待っていたのだ。
受け持ちの授業が終わり、大急ぎで学園長室に向かった。
ドアをノックし、どうぞと促されて入室する。
教師として雇用された時から、
この学園長は生徒思いで、いつも穏やかで優しかった。
「あの、すみません。アスティレア・クラティオの件で……」
スタービル先生は、事のあらましを説明する。
そして彼女はとても良い子で、そんなことをするはずがない、と
具体例や事実を交えて、一生懸命に訴えたのだ。
学園長はふむふむと話を聞き、頷いた。
スタービル先生はほっとした、のも束の間。
「彼女の件は、すでにプレサ主幹教諭からも聞いてます。
証拠もそろっている以上、仕方のないことでしょう。
他の生徒への影響も心配ですから、退学は致し方ありません。
残念ですが、このお話はこれで終わりです」
凍りつくスタービル先生に、いつもの優しい笑顔で学園長は言った。
「さあ、生徒のところにお戻りなさい」
呆然としながら学園長室を出て、ドアを閉める。
何かがおかしい。
スタービル先生は、安全だと思っていた場所の床下が
実は底なし沼だったような、そんな恐怖にかられ、
ドアを見つめたまま固まっているしかなかった。
************
学園は以前にも増して荒れてきていた。
アスティレアがいなくなり、
すっかり勢いづいたファーラ侯爵令嬢たちは
他の生徒に対してもますます威圧的に振舞い、
時に無茶な要求をしたり、酷い侮辱の言葉を浴びせていた。
いじめの対象になりがちな特待生たちは委縮してしまい、
授業も休みがちになってしまう。
そのため陽のメイナを作る者がますます減ってしまったのだ。
さらには、淀んだ穢れが学園内にも漂うようになっていた。
学園中に、不穏な空気が流れていた。
それには気付かず、プレサ主幹教諭は自室でゆっくりとお茶を飲んでいた。
あの、初対面の時からなんだか気に入らなかった娘。
自分の指示にいちいち歯向かい、そして命令を無視する娘。
それをやっと追い出すことが出来たのだ。
私の完全な勝利だわ。そう、思った瞬間。
ドアがノックされ、焦った表情の事務員が顔をのぞかせた。
「何事ですか?」
「皇国から使者が来ました。プレサ主幹教諭にお話があると……」
プレサ主幹教諭の気分はたちまち、真っ逆さまに転落してしまう。
「皇国の使者ですってえ?!」
目をきょろきょろさせながら考える。
”あの子を退学させた時、たしかに皇国が大騒ぎするっていってたけど
あんなのくだらない脅しだってエセンタが言ってたわ。
いざとなったらファーラ侯爵令嬢の父上が守ってくださる、とも”
考えをめぐらし、必死に気持ちを立て直す。
”どのみち、あんな娘のいうことより、
主幹教諭である私の言葉が優先されるはずよ。
ただの使者くらい、すぐに納得させられるわ”
「了解しましたわ。すぐ参ります。学園長は?」
「学園長は今日もご不在です」
ま、いつものことよね。プレサ主幹教諭は鼻で笑った。
************
プレサ主幹教諭が応接間に着くと、
彼女は思惑が外れたことに気が付いた。
そこにいたのは、ただの連絡員などではなかったのだ。
深い青色に、金色の縁取りの制服。
腰には逸品と思われる剣を帯刀している。
一目見てわかる威厳と品格。
青い顔をし、いつもより細く見えるエセンタ事務長が彼を紹介する。
「皇国の立法院、上級議員のディクシャー侯爵様です」
想像以上に格の高い相手に、プレサ主幹教諭は言葉を失う。
ディクシャー侯爵は椅子から立ち上がり、
張りのある声で挨拶の言葉を述べる。
プレサ主幹教諭は精一杯、平静を保とうと挨拶を返す。
「主幹教諭のプレサ・イニバと申します。ご来校、心より歓迎いたします。
……本日はどのようなご用件で?」
ディクシャー侯爵は済ました様子で
「これは話が早くて良いですな。皇国好みです」
皇国出身の学生を追い出されたくらいで、
こんな偉そうな男を寄こすなんて。どういうこと?
プレサ主幹教諭の思考を遮るように、伯爵は単刀直入に話を進めた。
「本日は事実確認と口頭質問をさせていただきます。
先日、本学園に学生として入学していたアスティレア様を
貴殿が強制退学したのは事実ですな」
名前に”様”がついていることに驚愕し、目を見開く。
もしかすると、まずいことになったのかもしれない。
「わ、私ではありません。学園の決定です」
ディクシャー侯爵の顔がとたんに険しくなる。
「時間の無駄となります。事実のみでお願いいたします」
主幹教諭はぐっと詰まるが、なめられてはいけない、と語気を強めた。
「学園の規則によって退学が決定し、
本人も納得の上で出ていかれました」
しばらく沈黙の後、侯爵は無表情になった。
やりすごしたか、と思いきや。
「プレサ殿。皇国は時間の無駄を嫌います。
時間の無駄となる嘘を、大変重い罪ととらえます」
だから! と言いながら説明しようとした彼女に対し、
伯爵は丸い機械を差し出した。そこから聞こえてきたのは……
「アスティレア・クラティオ!
本日をもってあなたを退学処分とします!」
「何が原告ですかっ! この学園では私が法です!
私が退学と言ったら退学なのよっいい加減にしなさい!」
「いいえっ、その必要もありません!
学園長のお帰りを待つまでもないわっ!
証拠を見せれば学園長も出て行けというはずですからね!」
プレサ主幹教諭は真っ青になって固まった。固まるしかなかった。
その横でエセンタ事務長は汗をだらだらと流し、震えている。
「皇国は音声および映像を入手し、
その内容はすでに議会で共有されています」
二人の教師は目を合わせる。
誰なの? 誰があの場でそんなものをうつしていたの!
「これだけではありません。証言する者も複数います。
すでに裏付けも充分にとれています」
「誰です! その生徒は!」
絶対に許さない。すぐに退学にしてやる。
そんなプレサ主幹教諭の考えを見透かしたように
「その者を罰することは、貴女には不可能です。皇国の者ですから」
くやしさと恐怖に震えるプレサ主幹教諭に、伯爵は続けた。
「では改めて確認いたします。
アスティリア様を強制退学にしたのは事実ですね」
こうなったら仕方ない。だって悪いのはあの子だから。
「ええ、そうですわ!
本当にだらしのない、素行の悪い生徒でしたわ!
他の生徒の悪影響になるくらいに。
そ、そうよ、他の生徒からも苦情が来ていたのよ!」
伯爵はすました顔で、片眉を上げて答えた。
「ファーラ侯爵令嬢、ポエナ伯爵令嬢、パトリシア子爵令嬢ですね?」
三人の名前が、書類などに目を通すことなく
スラスラと出てきたことに驚愕する。
この男……いや、皇国は、どこまで、なにを知っているの?!
「まずは素行についてですが。
皇国に定期的に送られていたレポートには
まったく問題ないどころか優秀と記され、
学園長の捺印もいただいております」
プレサ主幹教諭は顔をしかめる。
しまった! そういうルートがあったのか。知らなかったわ。
「もちろんテストの結果や成績表も大変良いものでした。
他の生徒に対しても、先ほどの三人以外は
まったくトラブルを起こしておりません」
プレサ主幹教諭は自身の発言の矛盾を撤回できず、
必死に伯爵を睨むしかなかった。
「その三人の令嬢、特にファーラ侯爵令嬢が、
彼女に多大な迷惑をかけられたのです」
苦し紛れに言うと、ディクシャー侯爵はわざとらしい驚き顔で
「ほお、迷惑ですか。奇遇ですな。
こちらも先日、その令嬢に多大な迷惑をかけられたのですよ。
皇国の将軍に対し、なんの面識もないのに親しいなどと虚偽を語り
さらには謁見を強要した挙句”お前の戦歴を教えろ”ですからね」
その言葉を聞き二人の教師は口に手を当て、ガタガタと震え出した。
しまった! ファーラ侯爵令嬢の名は、できるだけ避けるべきだった!
ドアの外で立ち聞きしていた本人は、すでに失神しそうになっている。
プレサ主幹教諭は苦悶の表情で耐えていたが、
はっ! と思い出したように、切り札を出した。
「そもそもあの子は、皇国の知らないところで
重大な校則違反、いいえ淑女とはとうてい言えない
はしたない振る舞いをしていたのです」
横でエセンタ事務長が、なぜか慌てたように主幹教諭を見上げた。
「おお、それは大変だ。何をしていたのです?」
伯爵の軽い口調が気になったが、プレサ主幹教諭は続ける。
「彼女は毎日、下町にあるいかがわしいお店で
多くの男性とお酒を飲み、そのまま朝まで過ごしたのです!」
伯爵は黙った。そして口の端にあざ笑うような笑みを浮かべる。
「皇国の知らないところで、ですか。ふふふ」
「そうですわ! 何がおかしいんです?!」
「まず、録音では”たびたび”だったのが”毎日”になってますね」
うっと詰まるが、同じことです……とつぶやいた。
「そして”下町にあるいかがわしいお店”とはどこなのか。
そして学生生活の記録において、
アスティレア様が外泊した記録はありません」
「そ、それはあの娘が誰にも知られずに抜け出して……」
「この山奥の寮から? 就寝の点呼の後に抜け出し、徒歩で下町に行き
さんざんお酒を飲んで男と過ごし、また徒歩で早朝のお祈りまでに帰る、と」
ここから下町まで歩くなんて、片道でも5,6時間はかかるだろう。
プレサ主幹教諭はエセンタ事務長を見る。彼女は目をそらす。
続く沈黙。そして、ディクシャー侯爵は静かに宣言した。
「事実確認および質問終了とします。……それではお伝えする」
そして急に声色が代わり、厳しく強い声が室内を響き渡る。
ドアの外でハラハラと聞いている教師や生徒は飛び上がった。
「アスティレア様を無実の罪で退学にし、
学業を受ける権利を妨害したこと。
また同様に、ありもしない情報で名誉を棄損したことに対し、
皇国はこの国に対し、強い抗議と非難の意を表明する」
この学園は正式に訴えられたのだ。よりによって、皇国に。
しかも今回はそれだけではすまなかった。
「並びに、アスティレア様の私物を横領および窃盗を行った件については
その犯人を見つけ次第、起訴し厳罰に処する」
これに青くなったのは、ドアの外で聞いていたファーラ侯爵令嬢たちだ。
大慌てで応接間になだれこみ、違います、違うのです! と喚いた。
これはなんとか言い繕うしかない、そう考えて。
「あの、荷物をいったんこちらで保留にしたのは、
彼女に盗まれたものがあったので、それを探すためです」
ディクシャー侯爵はうすら笑いを浮かべ、録画機を取り出して言った。
「そうですか。アスティレア様が、どなたの何を盗んだのです?」
録音されていると知りつつ、ファーラが答える。
「わ、わたくしの大切な……イヤリングですわ。
祖母の形見の、大切な大切なダイヤのイヤリングでしたの。それで……」
ほうほう、とあごを撫でながら、イヤリングね、と繰り返す伯爵。
「で、それは見つかりましたか?」
「も、もちろん。彼女の荷物の中にありましたわ」
「んー、でも、同じデザインのものを、彼女も持っていたとしたら?」
「んまあ! そんなこと絶対にありませんわ! 一点ものですもの!」
ディクシャー侯爵は満足そうに、頷く。
「一点ものですか。それなら、すぐに分かりますな」
すっかり安心した令嬢たちをみながら、エセンタ事務長が話を合わせる。
「だから、もう他の私物は全てお返ししますわ。
皇国のどちらに送れば良いでしょうか?」
ふっ、と笑う伯爵。そして強い目で彼女たちを指すようなまなざしで見る。
「後日、改めて取りにお伺いいたします。
それまで一つも欠けることなく、必ず元の状態のまま、お返しください」
三人の令嬢は声をあげそうになる。待って、まさか。
ドレスは破いてしまったし、いろいろな私物にインクをかけたのに。
「それまでにこちらも、無断外泊をしていない証拠や
窃盗などしていない事実をきちんとそろえてご提示いたします。
皇国の情報網や捜査力をあまり舐めないでいただきたいものですな」
教師や令嬢が、それぞれの思惑で呆然と立ち尽くすなか、
伯爵は退出の礼をし、応接間を出て行く。そして。
「最後にお伝えいたします。皇国は嘘が嫌いです。
偽りを述べるものに、皇帝は容赦いたしません。
絶対にそのようなことは無きよう、お願いいたします」
そしてファーラ侯爵令嬢を横目で見ながら。
「立ち聞きのうえ、ノックも無しに室内に乱入とは。
聞きしに勝る淑女ぶりですな。
ルークス様への、良いみやげ話ができました。
聖女になる前に、まずは初歩的なマナーを学ぶべきかと思いますがね」




