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厭世と多幸と魔法使いと

作者: ナナシ

 人生十九年。それは、寂寥の年月。

 「世間」というものがわからない絶え間ない孤独と恐怖の中で、今日まで生きながらえてきました。

 物心着いた頃とは言いませんが、「世間」についてよく、考えるような人間でした。大人は総じて言います。「世間体がどうだ」と。無論、私の両親もよく口にしていました。

 大人の言う「世間」とはなんでしょう。人の集まりでしょうか。はたまた、普遍的な変わることのない世界の真理のことでしょうか。こんなことを考えても、実態もなく、意味もなく囚われている大人にはこんなことは聞けませんでした。

 その中でも、成人を迎えて、なんとなく分かったことがあります。「世間」とは人間が作るものだと思っていましたが、大人にとっては違うようです。人を「世間」と言う得体の知れないものが突き動かしているようです。

 要するに、「世間」を怖がっているのではなく「世間体」が、「世間と呼ばれる自分の周りの人」から「どう見えるか」を気にしているのだと、怖がっているのだと結論づけました。人は一人では生きていけないのですから、依存しないといけないのですから、取り繕うのはわかります。

 何せ、私の両親もよく口にしていました。

 「あの人は、子供をしっかりと見ないからだめ」

 この場合、私の両親が「世間」になるのでしょう。人の価値を値踏みするような、レッテルを貼る裁量者にでも、正義の代理人にでもなったような気分なのでしょうか。

 そんなことを考えながら本を読み、電車に乗っていました。ここ最近、本をよく単調だと思うようになりました。あんなに楽しかった読書が単調に感じるようになってしまって、少し、嫌な感じがしました。本がつまらなくなったのか、はたまた、私がつまらなくなったのか。実際、大人は雲を見ても雲にしか見えず、うさぎやハートには見えないようです。大人になってしまった私は、やはり、単調になってしまったのでしょうか。

 しばらくして、駅に着くと人の乗り降りが激しい駅だったので人の波に流されそうになります。誰も流されそうになる私のことなんて気にも留めず、自分の巣に帰る動物のように雪崩れ込んできます。他人を思いやりなさいと教育されたはずなのですが、大人になって「世間」で生きていると、そんなことさえ忘れてしまうのでしょうか。

 しばらくして、人の乗り降りがひと段落しました。だいぶ、人が減ってくれたので席が空いていました。そこの席に座ろうとすると、腰が曲がったおばあさんがやってきて、私が座ろうとした席に座ってしまいました。優先席は空いています。私が優先席に座ってもいいのですが「世間」の目が痛いので少し我慢して立つことにしました。

 私には老人が空いている優先席に腰掛けない理由がわかりませんでした。老人が優先席に座ったところで誰も文句は言わないでしょう。ですが、私のような若者が優先席に座ってしまった暁には、世間の目からの鋭く磨がれた視線の刃が私を貫くでしょう。

 いつの時代だって「世間」で苦労役を演じなければいけないのは若者です。一番希望に溢れている人たちが、なぜ、老いた人たちの絶望につきあわなければいけないのでしょうか。

 やはり、「世間」は私にはわかりませんでした。と言うよりも、人がわからないのかも知れません。わからないのです。なぜ、人は人を蹴落としながら「幸せだ」なんて顔ができるのか。心の底では不満を抱きながらさぞ尊敬しているような態度を取れるのか。私には到底見当もつかないのです。

 やっと最寄りの駅につきました。結局、思考の後は優先席に腰がける勇気もなく、電車の扉に寄りかかって立ち尽くしていました。立ち尽くしている間も単調になってしまった本を読んで、暇を潰していました。

 改札を抜けて、バス停に向かいます。バス停に向かう最中も人の波に抗い続けながら進みます。イヤフォンをしながら歩く人、スマホを見ながら歩く人、電話をしながら歩く人。色々な人が居ますが、みな、自分のことだけ考えています。

 人通りを抜けて、人気のない細い道を通ります。団地と一軒家の間の狭い道路です。ここの道は夜になると全く明るくなく、安心できます。私の人を怖がっている顔が暗闇で隠せる場所はとても安心できました。しかし、今は昼です。私の顔を隠すどころか、団地から、一軒家から私の顔がや本質すらも見透かされているようで怖くなり、自ずと歩くペースも早くなります。

 バス停が見えてきました。並んでいた人がまだ乗車しきっていないところを見るに、このバスは今来たばかりのようです。

 私も乗車列に並びバスに乗ると前の老人たちが敬老パスで楽々と乗っていきました。この「世間」の風潮も私には理解できませんでした。老人を敬いなさいと言うのは、昔の人間は長生きが珍しいから敬うと本で読みました。今の日本は少子高齢化の影響で長寿です。敬われるべきは若者ではないのでしょうか。

 そんな不満をひた隠しながらICカードをタッチして乗車しました。バスの中は静かにするのがマナーのはずなのですが老人たちは団結意識が高いのかよく舌が回るようです。赤ん坊でもないのに私には理解できません。

 人生十九年。それは憤怒の年月とも言えるのかも知れません。憤怒、寂寥、恐怖。どれも当てはまり、どれも私が嫌悪するものでした、

 感情なんて、不必要でした。喜怒も哀楽もただの枷でしかありませんでした。そう思っているのに、感情だけは過敏になってしまいました。

 バスを降り、家に向かいます。両親は共働きで夜遅くまで帰ってきません。いわば、私だけの城です。

 ドアに鍵を差し込み、時計回りに腕を回します。そのまま勢いよく扉を引き家に帰りました。風呂を沸かし、洗濯物を取り込み、インスタントラーメンを啜ります。いつものルーティーンです。

 インスタントラーメンを食べ終わり、母に連絡します。

 「家に帰りました。洗濯物は取り込んであります。夜ご飯はいらないです」

 母にメッセージを送ると風呂が沸いた音がなりました。いつ聞いても不愉快な音をしています。

 風呂は嫌いです。疲れます。なぜかはわからないのですが嫌いです。

 ジャージとバスタオルを手に持って風呂場に向かいます。

 嫌いなものはさっさとすませる主義だったのでシャワーだけにして風呂を出ました。髪を乾かし今日はもう不貞寝をしました。体を包む布団の感覚は、私を「世間」から解放してくれているようで、安心できました。

 

 カラスの鳴き声で目を覚ましました。不貞寝をしてしまったのでアラームを設定していなかったので、起こしてくれたカラスに感謝です。

 動物は好きです。「世間」とは離れていますから。彼らは自由で家族を作って、真の意味で家族なのかも知れません。「世間体」なんて気にしないで、あるがままに愛のままにいきる。そんな動物たちが好きでした。

 朝は忙しいです。なんせ、私は朝が弱いですからギリギリまで寝てしまいがちです。今日も、カラスの鳴き声で目が覚めなかったら、確定で遅刻でした。

 身支度を済ませたら急いで家を出ました。このバス停はバスの時間の設定の影響なのか、バスが固まって来ます。ですから、流れを逃すとしばらくの間はバスが来ません。

 バス停まで走るとちょうどバスが来てくれたので、ギリギリで私も乗車しました。朝早くということもあってそれなりに人がいたので私は立つことになりました。

 三つほど進んだババスが止まったところで、私は声をかけられました。

 「席どうぞ」

 声の持ち主は私の前の席に座っていた老人でした。正直言って座りたかったです。老人よりも私は高いお金を払ってバスに乗っているのですから当然だろうとすら思いもしました。ですが、「周りの目」という世間がある手前、譲ってもらうわけにもいきませんでした。

 「大丈夫ですよ。お気遣い感謝します」

 「いやいや、あなた顔色すぐれないわよ。ほら座って」

 そういうとご老人は席を立ち上がって、私にさあさと席に座るように促してきた。確かに、気分は悪い。だけどそれは、いつものことであり、私が人間として生きていくには仕方のないことなのです。それに、あなたの気遣いは優しさではなく、鞭になるのです。「あいつは老人に席を譲らせた」という烙印を押されるだけなのです。

 「本当に大丈夫ですので」

 そう説得すると老人は席に座りました。私も一息つけそうです。

 ますます「世間」がわからなくなりました。「世間」すなわち「個人」は私利私欲のために動いているものだと思いました。人生とは厭世そのものだと。「個人」とは、闘争の種そのものだと。

 しかし、それは少し違ったようでした。所詮「世間」とは実態もなく、恐ることなんてなかったのです。優しい「個人」もいたのです。私は、自分お見識の狭さ恥じました。

 人生十九年。それは、寂寥の年月。

 人生においてそれは変わることのない事実であり、人は、私は根源的に孤独だと思います。ですが、少しは温かみがあるのなら、「世間」が個人によって少しでも暖かくなるのなら、私は少しだけ、多幸を信じて生きてみようと思えました。

 私に席を譲ろうとしてくれた老人は、私に世界をよりいいところに招待してくれた、魔法使いのようでした。

ご愛読ありがとうございました。

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