case09 あるお茶会の一幕
―― ……気が重い ――
とある日の午後、クロイツァー侯爵家令嬢である私、ソフィー・フォン・クロイツァーは、婚約者であるダンスト公爵家令息、ヴォルフラム・フォン・ダンストの招きに応じてダンスト家の屋敷を訪れていた。
春の柔らかな日差しの降り注ぐ東屋で、婚約者と向かい合ってのお茶会。
先日入学式を終えたばかりの学校について語り合う。
それだけであるなら、婚約者同士が親睦を深め合う、ありふれた微笑ましい光景であったでしょう。
そこに、私にとっての招かれざる客の姿が無ければ、ですが。
ヴォルフラム様と私、そして円卓を三等分する残り一つの頂点の位置に座しているのは、バイラマイ男爵家令嬢、ロズヴィータ・フォン・バイラマイ。
何故に彼女が招かれざる客かと言えば、そもそも婚約者、それも上級貴族の家同士が取り決めた婚約者の間に、下級貴族が同席しているという点が一つ。
そして、これは極めて私事になりますが、この茶会以降、彼女は私の事を恋敵として立ち回る事になるからです。
彼女の立ち回りにより、ヴォルフラム様は彼女に懸想し、彼女の貴族にあるまじき振る舞いに苦言を呈する私を、嫉妬にかられた醜い行いだと糾弾し、庇護と言う名目の元、より彼女に傾倒していきます。
最終的に、卒業式の記念パーティーにおいて、私はヴォルフラム様からそれまでの数々の非道な行いを理由に婚約を破棄され、家族にも見捨てられ悲惨な末路を辿る事になるのです。
何故私がそんな事を知っているのかと言えば、今朝思い出したからですわ。
ここが、前世の私がやりこんだ乙女ゲーの世界だという事に!
今朝目を覚まして、記憶が蘇ってきた時は本気で焦りましたわ。
取り敢えずベッドの上で情報を整理するのに忙しくて、朝食も昼食も抜いているので今とてもお腹が空いています。
前世の記憶が有るとはいえ、それまでの侯爵家令嬢として育てられた教養もありますから、お腹を鳴らすなんてはしたない真似は出来ません。
そんな訳で、現在私は出された紅茶をちびちびとやりながら空腹を誤魔化し、何故だか沈黙が支配するこのお茶会の時間が過ぎ去るのを、ただじっと待っているのです。
とりあえず今後の事を考えないといけませんわね……。
まずは、ここが本当にあのゲームの世界なのか確証を得る事。
それから、ロズヴィータ嬢の今後の動きも見極めないといけません。
とは言え、ここに呼び出されて臆面もなく同席している時点でほぼ確定と言っても良いでしょう。
よくよく見れば、少したれ目がちの大きな目、緩くウェーブを描くアッシュブロンドの髪。
委縮して縮こまっている姿は、なんだか小動物を連想させて庇護欲をそそります。
ゲームの中で居丈高に私を糾弾していた姿はどこにもありません。
まぁ、ヴォルフラム様が靡くのもわからなくはありませんね。
私とて、こんな可愛らしい妹が居たら猫可愛がりすると思いますもの。
ですが、こうして記憶が有る以上、私も座してバッドエンドを待つつもりはさらさら御座いません。
悪役令嬢なら悪役令嬢らしく、その鼻っ柱叩き折って差し上げますわ。
とは言え、そうならないのが一番なのですけれど……。
「ほ、本日は足元のお悪い中、かくも賑々しくお集まり頂きまして……」
重い空気に耐え切れ無くなったのか、ヴォルフラム様が口を開く。
「い、いえ……桜の花もほころび始めるまこと良き日かと存じます……」
ロズヴィータ嬢がそれに追従するように続き、
「ほ、本日はお招きに預かりまして大変恐縮ですわ。花冷えの時節でございますがお二人とも如何お過ごしでしたかしら」
私もそれに倣う。
って、つい前世で使ってたビジネス挨拶が出てしまいましたわ!
大体、ヴォルフラム様が開いた茶会なのに、なんでそんな気まずそうなのかしら?
主催者なら主催者らしく、もっと場を取り仕切って下されば良いものを!
……って、あら?
―― 空気が重い…… ――
私ことバイラマイ男爵家令嬢、ロズヴィータ・フォン・バイラマイは、本日ダンスト公爵家令息、ヴォルフラム・フォン・ダンスト様に招かれて彼の御屋敷を訪れた。
男爵である私の家とは比べ物にならない程立派な屋敷と広い庭。その庭の一角にある東屋に案内され、現在そこでヴォルフラム様と斜向かいに座って紅茶を頂いている。
非常に気まずい空気の中で。
何が気まずいかと言えば、ヴォルフラム様とは反対の斜向かいに座っている人物。
クロイツァー侯爵家令嬢、ソフィー・フォン・クロイツァー様の存在である。
元々ヴォルフラム様とソフィー様は上級貴族の家同士が決めた許嫁。そこに余人の立ち入る隙など無いはずなのだが、なぜかそこに下級貴族の娘である私が同席している。
普通に考えて異常な事態ではあるのだが、それがまかり通ってしまうのには訳が有る。
それは、ここが所謂乙女ゲーと言われるゲームの世界だからである。
なんでそんな事を知ってるのかって?
ここに来る途中の馬車の中で急に思い出したからだよ。
馬車の前に飛び出した子供を避ける為に急ブレーキかけられましてね。
その拍子に頭ぶつけたショックで思い出したみたいですよ。
たんこぶさすってたら、あれよあれよと記憶が蘇って来てさぁ大変。
現実逃避している間に馬車は公爵様の御屋敷に到着。その足でこの東屋に案内されて今に至る……と。
取り敢えず場は静まり返っているので、これ幸いと今後の事を考える。
まずここが本当に乙女ゲーの世界なのか確認しないといけない。
ここがただの乙女ゲーならばまぁ良いだろう。
これを機会にヴォルフラム様との仲を深め、ソフィー様のいじめに耐えていれば、やがては彼と恋仲になり、悪役令嬢を蹴落としてその後釜に座り、幸せなエンディングを迎えるというシナリオが待っているはずだ。
問題はそうでなかった場合、所謂『親の顔より見たざまぁ』のパターンだった場合だ。
この場合、追い詰めたつもりが逆に追い詰められ、ヴォルフラム様と共に私は失墜し、家は追い出され、先は奴隷か娼婦かと哀れな末路を辿る事になってしまうだろう。
時ここに至った以上、その見極めはしなければならない。
って言うか、そもそも婚約者がいるのに他の女に手を出す男も、婚約者のいる男に粉かける女も駄目だろう。
男女問わず、浮気をする人間と言うのは繰り返すものだ。
言うに事欠いて『真実の愛』とか脳内お花畑にも程が有る。
まともな神経していたら、恥ずかしくてそんな事口に出来ないわ。
っていうか、ソフィー様めっちゃ素敵なんですけど。
サラサラストレートのプラチナブロンドの髪、お肌はすべすべで真っ白。切れ長の涼し気な目元に泣き黒子がとってもセクシー。
紅茶を飲む仕草一つとっても、洗練されていて美しい。
あ、なんか凄く良い匂いがする気がする……。
こんなお姉ちゃん欲しかったなぁ……。
こんな浮気男より、むしろソフィー様と御近付きになりたいです。
……はぁ……どうしたもんか……。
「ほ、本日は足元のお悪い中、かくも賑々しくお集まり頂きまして……」
重い空気に耐え切れ無くなったのか、ヴォルフラム様が口を開く。
「い、いえ……桜の花もほころび始めるまこと良き日かと存じます……」
つられて挨拶したけれど、慌てていたので、出てきた言葉は校長先生の挨拶みたいな言葉だった。
っていうか、この世界に桜なんて存在しないよ!
「ほ、本日はお招きに預かりまして大変恐縮ですわ。花冷えの時節でございますがお二人とも如何お過ごしでしたかしら」
気まずさのせいか、ソフィー様の挨拶もややぎくしゃく。
っていうか、ヴォルフラム様が開いたお茶会なんだから、もちょっと場を和ませるとかしてくれないかなぁ。
……って、あれ?
―― 胃が痛い…… ――
ルートラッハ王国三公爵家の一つである・ダンスト家。その嫡子である俺、ヴォルフラム・フォン・ダンストは、現在背中に嫌な汗を掻きながら胃痛に耐えていた。
俺の胃にストレスを与えている原因と言えば、
ソフィー・フォン・クロイツァー
ロズヴィータ・フォン・バイラマイ
円卓の両斜向かいに腰かけている二人の令嬢の存在である。
婚約者であるソフィーはともかく、ついぞ面識のない下級貴族令嬢であるロズヴィータがなぜこの場に居るかと言えば、なんでもおや ―― 父上の昔の知り合いの娘さんで、今年から一緒の学校に通う事になるので、色々面倒見てやってくれと言われてその顔合わせを兼ねて招待したという事だ。
なんだかとってつけたような理由ではあるが、物語の設定の都合上としか言いようがない。
いや、わかってる。
俺だって、他人がこんなことを言い出したら『こいつ頭おかしいんじゃねーの?』と思うに違いない。
だが、昨夜の就寝前に、専属メイドのクララに日課のセクハラをしようとしてビンタ喰らった時に、そのショックで俺は思い出してしまったのだ。
この世界が乙女ゲーと言われるゲーム、或いはラノベの世界だという事に。
考えてみれば、例えセクハラされたとはいえ、一介のメイドが公爵家の嫡男に手を上げるなど言語道断ではあるのだが、それが許されていたのも、ここがお話の中の世界だったからだろう。
ともあれ、蘇った記憶に混乱し、落ち着いた頃にはすでに日も登り、何をする間もなくあれよあれよと時間が進む中、このお茶会の事を思い出して、その異常性に気付いた頃には、既に二人とも我が家へ到着しており、気付けばこんなのっぴきならない状況であった訳だ。
回想終わり。
つか記憶を取り戻す前の俺よ、いったい何をやってるんだ……。
これも物語の強制力ってやつなのか?
とは言え、起こってしまった事を嘆いてもどうにもならない。
今はこれからの事を考えるべきだ。
取り急ぎ確認しなければならない事は、ここが物語の世界であるか否かと行く事。
そして、各人の立ち位置の話である。
俺が記憶を取り戻している以上、パターンとしては以下が考えられる。
1:俺だけが記憶を持っている。
2:俺とソフィーが記憶を持っている。
3:俺とロズヴィータが記憶を持っている。
4:ここに居る三人全員が記憶を持っている。
関係者とか細かく言い出せばキリがないので、当面意識すべきはこの4パターンだろう。
そしてもうひとつ。
この世界が、『どのルート』に入っているかという事だ。
A:俺主人公のソフィールート
B:俺主人公のロズヴィータルート
C:俺主人公のハーレムルート
D:ソフィー主人公の悪役令嬢ルート
E:ロズヴィータ主人公の乙女ゲールート
各ルートの名称は暫定であり、他のルートも考えだしたらこっちもキリがないが、大きく考えられるのはこれくらいだろう。
最も問題なのがDルートだった場合である。
この場合は俺とロズヴィータが揃ってバッドエンドを迎える事になる。
次いでBルートだが、この場合も俺やロズヴィータに対する世間の風当たりは非常に強いものとなり、ハッピーエンドとは言い難いものになるだろう。
また、D或いはEルートであった場合、ソフィーとロズヴィータのいずれか、或いは双方が記憶を持っている可能性が高い。
今まで培ったラノベ知識で考えられるのは、今のところはそんなものだろう。
あとは、今後の学園生活でそれぞれを見極めていく事になるが……正直気が重い。
大体さぁ、貴族は元より王族まで学園に通うってどういう事よ。
普通は家庭教師がつくよな?
王族には申し訳ない程度に護衛がつくって言ってもさ、武器も無ければ実戦経験も無い餓鬼が何人居たって何の役にも立ちゃしないっての。
そんで他の貴族の子供には護衛もつかないとか。
そもそも王族や貴族を一つの建物に押し込むとか、テロリストに餌場を与えているようなもんだと思うんだがその辺はどうか。
爆弾一発で国が傾くような危険性にも気付かずに、平等だなんだとお題目並べて悦に浸るお花畑振りは、流石乙女ゲーとしか言いようがない。
そんな物理的にも精神的にも危険な所に通いたくねーよ!
なんて事を考えて現実逃避したところで物事は進まないので、とりあえず様子を見つつ話をする事にしよう。
頑張れ俺。
「ほ、本日は足元のお悪い中、かくも賑々しくお集まり頂きまして……」
っておいぃっ!
緊張とストレスから、前世でやってた接客業の挨拶が出ちまったじゃね~か!
「い、いえ……桜の花もほころび始めるまこと良き日かと存じます……」
俺につられたのか、次いでロズヴィータがたどたどしく口を開く。
うん。空気重いもんね。良く頑張ったよ。
「ほ、本日はお招きに預かりまして大変恐縮ですわ。花冷えの時節でございますがお二人とも如何お過ごしでしたかしら」
ソフィーも挨拶を返してくれたけれど、口調が固い。
そして、二人の俺を見る目がなんだか冷たいというか……。
俺のせいだけど俺のせいじゃないこの状況を誰か何とかして下さい!
……って、ん?
今後の予想
①:ヴォルフラム主人公のハーレムルート
②:ソフィー主人公の悪役令嬢ルート
③:ロズヴィータ主人公の乙女ゲールート
④:ソフィー&ロズヴィータ主人公のマリ〇てルート