サイコパス関西
帰宅した。部屋にこもってベッドに寝そべった。
事件があってから生活は一変した。大学を休みバイトをやめた。家にこもっていたのは初めだけ。気晴らしに外の風景を見に行っていた。散歩だ。
母と同じ家にいるのが苦痛だったから。
母はあれからパートに行かなくなった。情緒不安定。怒鳴ったり、泣いたり、わめいたり。近所には迷惑をかけているのだろうと思う。でも、苦情は来てない。近所の人はやさしい。感謝だ。
携帯のゲームをしていた。うまくいかなくて、携帯を触るのをやめて、マンガを見て寝そべる。集中できない。時計を見た。また、さっきのゲームをして、天井を見た。
ユーチューブは見ていない。前はよくおもしろ動画を見ていた。が、姉の事件に対する素人の事件の検証や、あきらかなウソの投稿にうんざりした。見るのをやめた。最初の画面に、おすすめ動画で出てきたりするのもイヤ。
携帯がなった。寝ぼけたまま探す。ベットの下に落ちていた。いつの間にか寝たのか。見覚えのない番号からだ。
「はい」
だれだ。
「あ、元気? 僕さあ、清水さんの家まで来ちゃった。体調は良くなった? きみの家って質素だね。びっくりしちゃった。今から、外に出てこれない? 」
関西!
ベッドから跳ね起きた。
全身に鳥肌。体中を両手でこすった。彼が最後まで話し終わる前に電話を切った。部屋の窓はまだ明るい。この部屋は玄関の真上だ。レースカーテンの隙間から、そうっと外を覗くと、目の前の屋根の下、柵で一部囲った門の小さな扉の前に立っている関西がいた。門は施錠する構造にはなっていないから、すぐに玄関に入れる。
まじか。
ベッドに戻って、なぜか枕を抱えた。寒気はまだ消えていない。
それからすぐに家のブザーが鳴った。
瞬間的に走り出した。階段を速攻で降りていく。
誰だよ。住所と電話番号教えたの。
階段を駆け下りて、玄関に向かった。
やばい、やばい、やばい。
もはやサイコパス。頭がおかしいのは確かだ。
母さんは一階の和室でいつも横になっている。姉が死体で発見されてからずっとだ。大人の引きこもり。こんなパターンがあるなんて知らなかった。たぶん毎日泣いている。顔は腫れて見た目は変わってしまった。十キロ以上は痩せた。身長も縮んだ。骨格も変わった。お経を唱えて一日中独り言を言って。娘のわたしでさえ、怖くて近寄れない。
勝手に家にくるな。
「なんなのよ」
玄関を開けると笑顔の関西がいた。
「ずっと待っていたんだよ。清水が授業にくるの。それなのに早退ってずるいでしょ」
キモイ。今まで仲良くしたことも話したこともない。しても、あいさつくらいだ。変な奴なのは知っていたけど、もはやホラーだ。こんな奴だったなんて。
「やめてくれる、こういうの。まるで、ストーカーじゃない」
睨みつけた。ひるんでいたら、自分のテリトリーに強引に入ってこられる。
「どこがストーカーだよ。君になんか一ミリも興味なんてないからね。いいよ、もう。お姉さんのこと教えてくれる人だったら別に誰でもいいんだ。君のお母さんでも、お父さんでも。だれかを、呼んでくれない? 」
「やめて」
耳を抑えた。頭が痛い。頭を金づちで叩かれているみたいだ。抱えていた枕が床に落ちた。
「お邪魔するよ」
言い終わらないうちに足を玄関に入れた。扉に手をかけて、大きく玄関の開き戸を開けられた。このまま、靴を脱いで家に入りそうだ。こいつなら絶対する。家じゅう勝手に歩き回って、変貌した母にインタビューするに違いない。
「そ、そそそそそそ、そと。外に出ようか。すぐ先にファミレスがある。そこで待ってて。ね、わたし。財布取ってくる。先に行って」
「ここで待つよ」
「いいから行って。早く行って」
怒鳴って、口を両手でふさいだ。母親に聞かれて、母が玄関に来て関西にひどいこと言われたら。ますます情緒不安定になって、今よりもっと地獄だ。
「女の子にはいろいろあるからここで待たれるのはイヤなの。落ち着いて準備もできないじゃない。化粧とか服とか、もろもろ」
自分の姿を見た。Tシャツに短パン。素足。
「君になんて興味ないんだけど」
こっちだってない。ふざけんな。
「とにかく、行って」
ユキ、助けて。とにかく、電話。自分ひとりじゃ、対処できない。時間を確保して。考える時間が欲しい。なんで、わたしの方が優位じゃないの。わからない。
たまご丼を作った。家族の食事。
母はあれからキッチンには立たない。すべてわたしの手作りの食事。レパートリーがないから、インスタントの調味料で味付けした丼ものか、カレー、オムライスくらい。最近はこんな食事には嫌気がさしてきた。スーパーのお惣菜も飽きてきたから、いずれかは焼き魚や煮物も作りたいとは思っている。
ユキに電話したけどつながらなかった。バイトだな、多分。ラインした。待つしかない。
家で計画を練っているときに、何度も関西から電話がかかってきた。ユキと連絡が取れてから家を出ようと思っていたが、それは無理そうだ。再度彼が家に来たら、終わりだ。いいアイデアは、全く思いつかない。知りたいことを全部言ったら、ほっといてくれるだろうか。
ファミレスは自転車で5分の所にある。高校生の時から使っているママチャリで、立ちこぎ。飛ばした。急ブレーキをかけて、直角に曲がる。見覚えのあるチェーン店のファミリーレストラン。ここで受験を乗りえた。ざっと周りを見た。駐車場に車はあまりとまっていない。いつもの入り口のドアを押す。開けて、またドア。押した。すぐレジ。その先にドリンクバー。携帯を見たら、昼とも夕方ともいいがたい四時半過ぎ。お腹は空いていない。
すぐに彼を見つけた。ドリンクバーのすぐ近くのテーブル。テーブルの奥側、ソファーに座っている。店内を見渡す。奥に二組のお客しかいない。
関西の前には、食べかけのパンケーキ。
隣にも座りたくないが、向かい合わせもイヤだ。少し考えて、斜め前に座ったが、ほんとうはこれもイヤ。通路側の椅子。背もたれを引いて座った。
「もう、おなかいっぱいなんだよね。食べられない、食べて」
皿を前に移動してきた。ゲゲ。
「いらない」
パンケーキにかかった生クリームがぐちゃぐちゃに混ざっている。トッピングのチョコもアイスも汚い。これ勧められて、食べる人いるの。
「清水って甘いの嫌いなんだ」
関西の言葉に、かえす言葉が見つからなかった。食べかけのモノを断ったら、どうしてこんな返事が返ってくるのか。
「ほかに食べたいモノあるから」
よく分からないいいわけを言って、メニュー表を開いた。食欲はない。サラダを頼んで、ダイエットしてるのって言われてもしゃくだし、結局胃にたまりそうなグラタンを頼んだ。
「化粧して服着替えるとか言ってたけど、かわってないじゃん」
自分の姿を見た。Tシャツは同じ。短パンをジーンズに履き替えただけ。足元はクロックスのパクリサンダル。化粧なんかしてない。
関西が居なくなってから、ラインして夕食作って置手紙して。そのあとは居間をぐるぐる回って考えたが何も思いつかなかった。結局むだに時間が過ぎただけ。
「ええっと」
笑顔でごまかした。そういえば言った。忘れてた。
「うーん。考えすぎて、三百六十度まわって戻った的な」
わたしはバカなのか。
「で、お姉さんのこと知りたいんだけど」
姿勢は前のめり。近づくな。
「わからないよ。家出して気が付いていたら死んでたって周りに言われただけ。わたしは姉を確認したわけではないから。実は生きてるのかもしれないし」
「いやいや、ソレあるわけないじゃん。DNA一致しているんでしょ」
そうだけど。って、誰のDNAが一致してたんだろう。姉の髪の毛とか残っていたのか。親との親子関係とか。そこら辺の記憶とんじゃっている。
「ウソかもしれないし」
「なんのために」
「そんなの、わからないよ。何も知らない。実感なんて全くないんだから。何も見てない、みんな聞いた話。姉の死体も、発見された状況も」
関西に免疫が付いたのか、朝ほど気分が悪くはならなかった。
「バカなの」
「なんで、アンタにそこまで言われなければならないの」
関西にはある程度話さなければならないのだろう。母に近づかないように。情報提供するつもりはないけど。仕方ない。
「で。収納ボックスのまま、死体は返されたの。中身どうだった」
デリカシーがない。相手が傷つくってことを考えたことがあるのだろうか。想像力がなさすぎる。
「渡されたのは骨つぼ。火葬されて戻ってきた。収納ボックスは見ていない。今、姉は骨になって家にいます」
「えー。クソつまんない、それ」
店員がグラタンを持って来た。お陰で、関西をぶっ飛ばさないで済んだ。
ガマン、ガマン。こいつは人じゃない。化け物だ。触れると祟られる。そう思おう。
警察でどんな風に父が姉と対面したかは知らない。姉の姿を想像することはできない。火葬された骨も見ていない。正解はなんだろう。それすらも分からない。
葬式も骨つぼの状態で行った。涙も出なかった。
祖父が亡くなったときはあんなにみんな泣いたのに。ハスの花の形をした透明の容器に入れられた小さなロウソクに火をつけた。それを親戚みんなで水槽に浮かべた。ロウソクが熱くなると、花びらが開く仕掛けだった。頂いたお花をみんなで御棺に入れた。幼かったから、どんな状況かいまいち覚えていない。でも、豪華なお葬式だった。会場に入りきれないたくさんのお花が外まで並べられていた。
控室の豪勢な食事。おじいさんの話で盛り上がった中、石川のおじさんが酔っ払って暴れたあと倒れて、母さんが介抱していた。それが怖かったのを覚えている。
姉の時は無言だった。食事もなく話もなかった。親戚もだれも来なかった。ただ、お坊さんがお経を唱えて、焼香をして、すぐにおひらきになっただけ。家には位牌も遺影も飾られてはいない。
遺体が警察にあったときは、母は親戚にボロクソになじられた。でも、彼らは葬式には来なかった。まあ、そんな情報は興味ないか。
「なあんだ。何も知らないじゃん。話が終わったんならもう帰るよ。知っている人に聞けばいいよね」
「ちょっと、まってよ」
こいつは何様なんだ。汚い言葉がのどまでかかったが、出てこなかった。しゃべって逆上して家に来られても困る。知っている人って誰だ。母だって詳細は知らない。知っていたところでアンタに答えるわけがないけど。たとえ、わたしの知り合いだと言ったところで、それを信じるほど母はバカではない。
薄っぺらいグラタンを半分ほど食べ終わった。もう無理、入らない。水を飲んだ。ああ、不毛だ。時間を引き伸ばしたところで、意味があるのか。こいつはバカだ。人間の言葉が通じない。勝手に母と話せばいい。もう知らない。
母親の姿が頭に浮かんだ。和室にこもって、目だけがギラギラして。何もかも変わってしまった、母。きっと、関西と話して逆上する。学部中に関西の広めた母のうわさ流れて、わたしの大学生活は終わる。
有機化学の研究したかったな。研究室に入る前に中退か。笑える。
立ち上がった。会計をしようとしたとき、ユキがお店に入ってきた。わたしを見つけて大きく手を振っている。
「ごめん、ごめん。遅くなった」
わたしも手を挙げた。座っている横に来て座った。
「呼んでないんだけど」
ユキは関西の冷たい言葉と視線なんかまったく無視して、近くでテーブルの片づけをしていたウエイトレスを手招きした。高校生くらいのアルバイトの女の子が軽く走ってくる。
メニュー表を見て、指を指していく。
「チーズハンバーグ。ご飯は玄米で。ドリンクバーとスープつけて」
「わたしもドリンクバー追加」
二人ですぐ前のドリンクバーの方へに行った。関西はテーブルについたままだ。
グラスにオレンジジュースを入れた。ユキはスープの鍋をかき交ぜている。
「バイト終わってライン見てびっくりしてさ、速攻で来たよ。腹減った。忙しくて疲れた」
「ごめんね、ありがとう」
「いいよ、いいよ。なんか元気そうでよかった。久しぶりに会えてうれしかった。なんか、連絡できなくて。いろいろ思うこともあるだろうし。辛かったよね。なんでも相談して。解決できなくても話は聞けるから」
「うん」
ユキはスープを入れたが、具はお玉から逃げてカップの中身はほとんど汁だった。
ユキはグラスにウーロン茶も注ぐ。
「で。この男と二人きりでファミレス? 」
声を潜めてユキが言う。頭をたてに振った。
「がんばったね」
泣きそうになった。
ドリンクバーとテーブルの間には広めのスペースがあって、大声で話さないかぎりこっちの言葉は聞こえないみたいだ。関西はこっちの方を気にする様子もない。
「関西が、事件を知ってる人間に聞きに行くって言ってる。お母さん疲弊してて。あんなバカに会わせたくない」
「家に行くってこと? さすがにそれは、やんないんじゃない」
「あいつは絶対する。さっきも来たし」
「それは家にヒカリがいたからでしょ。今行ってもただの怪しいバカだよ」
「来ると思う。アレはそういうやつだ」
「そう。わかった。行かないように策を講じるか」
ユキはカップとグラスを持ってテーブルに戻った。わたしもオレンジジュースを持って後ろをついていく。
「関西はドリンクバー頼んだの。ここのコーヒー上手いよ、取ってきたら」
ユキは関西の目の前、わたしの隣に座った。関西の前にあるカップは空。紅茶を飲んだ形跡がある。ユキはドリンクバーに視線を移した。
「ねえ、斎藤さん。そんなことより、いっしょに清水さんの家に今から行かない」
「は? 行かないよ」
「えーなんで。面白い話が聞けるかもしれないんだよ」
「行かないし。それに、ハンバーグ頼んだの見てなかった? 今から食事するんだけど」
「もう。ねえ、行こうよ。斎藤さんだって気になるでしょ、事件の事」
ユキはわたしの方を見た。
「こいつのこと無視していいから」
「ひどーい」
関西のぶりっ子口調の声がした。
「あんたってデリカシーないよね。あれか。金持ちか。どうせ、住み込みのお手伝いさんとか執事とかなんか家族じゃない人がいて、ちやほやされて生きてきたとか。おぼっちゃま、なんて呼ばれて、調子に乗ったクチか。専属の家庭教師がいて、すべて家で完結する世界があって。あんたが使用人から言われていることすべてお世辞だから」
「住み込みの人はいるよ、離れに。窪田さんと青木さん」
は? どうでもいい情報なんですけど。
オレンジジュースを飲みながら、二人の会話を黙って聞いている。
やば。お金持ちなんだ。来ている服は安っぽいけど、きっと高価なブランドものなんだろう。でも、そう見えない。センスないなー、なんて漠然と考える。
「うわさじゃ、総合病院の院長の息子なんだろ。創業者一族。医学部じゃなくていいのかよ」
ユキすごい。そんなこと、知っているんだ。
「医師か」
思わずつぶやく。
「イシだ」
ユキもつぶやく。
「小石だけどな」
「小石ってなに」
関西が口を挟む。
「レベルが低いし身長も低いから小石というより砂利だ」
と、ユキ。そして、笑い出した。
ハンバーグをウエイトレスが持ってきた。ユキはフォークを掴んで、ハンバーグを割った。中から、チーズが肉汁と一緒に鉄板に流れ出した。
「砂利。いい。小物だし。おい、ジャリ」
なんか気が楽になった。化け物じゃなくて、めんどくさい蟻くらいの存在にしとこう。今はかじられて痛いけど、死にはしないだろう。
「ひどい」
関西が顔を赤くして怒っている。
「ねえ、早く食べてよ。清水の家に行こう」
ユキは関西の言葉を無視して、わたしの方を向いた。鉄板の油がはねて、わたしはのけ反った。
「犯人探さない? 犯人が捕まっていないの、悔しすぎる」
ユキが言った。
「わたしたちも収納ボックスに入れられたらどうするの」
「このままじゃ、納得できないじゃない」
これって関西を家に来させないための策か、それとも本気なのか。
「わかった。なにすればいい」
ユキはハンバーグに添えられたポテトを口に入れた。
「ちょっと、僕を無視しないで。僕も入れて」
「ジャリは黙ってろ」
ユキが言った。
「ひどい」
関西が体をくねらせた。