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お姉ちゃんが殺された

 台所からいい匂いがしてきた。

 お腹が空いて、ベッドから這い出た。大学のテキストを抱えて階段を下りる。テキストからかわいいパンダの付箋がはみ出ている。ソファーに投げて、キッチンにむかった。付箋は去年受験で苦しんだとき使った残骸。このかわいい雰囲気にしがみつかなければ、ブラックホールに引きずり込まれていた。あの時は病んでいた。その残骸を使える今の自分。なんとか元気でやれている。

 レンジ前に母が立っていた。最近引っ越した家。キッチンが狭い。それでも、三人分の朝食を作る広さは十分だ。

 フライパンには半熟の目玉焼きが三つ。ザルに入ったレタスを分けて皿に盛りつける。ミニトマトをのせたら、そこに目玉焼きを置いていく。乱切りにしたソーセージを追加。

「まったく。ミズキは何をやっているのかしら。ちゃんと話してくれたら、考えてあげたのに。応援だってしてあげたわ。朝ごはんはしっかり食べているのかしら。あの子は面倒くさがりだから」

 あー。また始まった。

「心配する必要ないよ、子どもじゃないだから。それなりに生活してるでしょ」

 ザルを流しに置いた。

「連絡きた? 」

「だから、何度も言っているよね。一度も来てないの。わたしも反対したから怒っているんだよ。心が狭いんだよ、姉ちゃんは。知らないし」

「ミズキにも事情があるのよ」

「くだらない事情がね」

 姉のミズキは半年前に失踪していた。東京に行って芸能人になりたいのだそうだ。スカウトされたわけでも、オーディションに受かったわけでもない。それなのに事務所に所属して、バイトしながら生きていくんだって。理解不能。もちろん親に反対された。

 ハッキリ言ってバカなのだ。そんなふわふわした気持ちでなれるわけがない。歌手なのか、俳優なのか、お笑い芸人なのか、アイドルなのか。それさえも分からない。決めていなかった。ただ、芸能人になりたい。テレビに出たい。注目されたい。それだけだ。本人がなりたくても、簡単になれるような職種でもない。

 それに、母親もバカだ。あんなに反対したくせに、姉がいなくなると、応援しておけばと後悔を口にする始末。いったい何を応援するのだ。

 風俗でむりやり働かされていないことだけを願っている。主役で映画に出してあげるとか言われて、ブラックな大人にだまされて、AVで活躍しているとかあるかもしれない。それも、芸能活動だよね。一部の人たちのアイドルなワケだろうし。本人が納得してれば、別にいいけど。もし、そんなことになったらSNSでうわさが回ってくるだろう。元クラスメートから、見つけた、とか。そうなっても、母には絶対言えないけど。

 ひとつ上の姉が居なくなったせいで、我が家は百八十度変わった。大学は親が喜ぶ地元にした。姉はわたしが受験する前に失踪した。受験勉強最後の追い込みの時に。苦しんで、発狂して地団駄踏んでいたとき、姉がいなくなって大騒ぎになった。母は塾に送ってくれなくなって、夜遅くても、遠くでも一人自転車で行った。家の環境は勉強どころではなくなった。共通テストの日時も知らなかっただろう。二次試験前の学校の面接も欠席していた。心のモチベーションは最悪。同級生がはれ物に触らるように扱われているとき、わたしは家族に触らないように接していった。きっと、母は点数がどうだったかさえ、知らないと思う。行きたい大学には点数は全く届かなかった。姉のせいだけではない。けど、姉のせいだ。全て諦めた。大事なあの時協力なんてしなかったのに、母はわたしに固執した。

 言いたいことは山ほどある。けれど、仕方がない。姉とわたしは関係ない。絶交なんて生易しい言葉では言い表せない。

「母さん、いい加減にしないか。ミズキのことは忘れろ」

 父が不機嫌そうに言う。ほら。朝から機嫌が悪くなった。

 わたしはテーブルにさっきできた目玉焼きを持っていった。父は新聞を読みながら、テレビのニュースを見ている。チャンネルを変えようとするといつも怒る。同時に見るなんてできないくせに。

「おい。箸がないぞ」

 父はテーブルについたら動かない。

「はいはい」

 母が箸を持っていく。

 ご飯とみそ汁、目玉焼き。そして、お茶。必要なものはすべて父の手の届く範囲に置いた。もともと、口数が多い方ではないが、母のせいでご機嫌斜め。

「ヒカリ、今日は大学早いの? 」

「ううん。午後から。今日はバイトもないし、家で午前中にレポート終わらせてから、ユキと外でお昼食べて学校行く」

 みんなの食事の準備がそろった。父は新聞に目を走らせながら、無言で先に食べている。わたしも母も席に着いた。

 手を合わせて、いただきますって言ってからレタスにドレッシングをかける。母がこちらに手を伸ばしてきたので、ドレッシングを渡した。

「母さんは仕事だから、皿片づけたら出るよ。戸締り大丈夫? 」

「大丈夫だよ。ほんとうに心配性なんだから」

 そう言いながらふと、目の前のテレビの画面を見た。見覚えのある場所だ。

「これ、あそこ。つぶれた工場の近くじゃない」

 ソーセージを口に入れながら話したら、食事中はしゃべるなって父に言われた。自分はいただきます、も言わないくせに。

「すごい。これ、全国ニュースだよね。やだ、知っている人がインタビューされたりして。やばい、レポート書くのやめよう。早めにキャンパス行って情報仕入れようかな。ユキに連絡しなきゃ。やっぱり戸締り、母さんがして」

 一人ごとのように話し続ける。テレビの画面の場所は、通っている大学からそんなに離れていない。テレビの中に映りこんだワンルームマンションは、知っている誰かが住んでいた。誰だっけ。あの連絡先知っていたかな。

『この先に緑色の収納ボックスに入れられた死体が発見された、とのことです。見つかった死体は五体。収納ボックスは一般にホームセンターなどで販売されているものでした。すべて同一の形をしていました。中にはそれぞれ、女性が膝を抱えるように折りたたまれていたようです。発見者は近所の方で愛犬の散歩中、異常な吠え方が気になって工場内に入り、草むらの中に數納ボックスを発見、においが強烈だったため開けてみたところ、死体が発見された、という流れです。まれにみる残虐な事件です。今、他にも何かないか捜査中で』

 父がテレビを消した。

「ちょっと」

 わたしは立ち上がった。

「食事中に気持ち悪いもの見せるな」

 父が持っていたリモコンを奪い取って、テレビをつけた。

 テレビの画面は切り替わっていた。アナウンサーがスタジオで早口でしゃべっている。

「テレビを消せ」

 父の怒鳴り声を無視した。

「早く消せ」

 わたしはリモコンをしっかり握っていた。こんな身近の事件、興味ないなんて、なぞ。

 テレビでは再び事件現場が映っていた。工場前に張られた黄色いテープ。警察車両。たくさんの警察官。そして、しゃべっているアナウンサー。この人、知っている。現場に行ったらサインもらえるかな。インタビューされてテレビに映るかも。

「すごいね。事件だね」

 興奮して早口になっている。

 そのとき家電が鳴った。電話の主は警察だった。


 収納ボックス死体遺棄殺人事件は、あっという間に全国民の関心を集めていった。

 殺害された被害者の共通点は芸能人になりたかった女の子たちばかりだった。十代から二十代。親から芸能界を反対された人たちだ。すべて家出人。将来芸能プロダクションに所属し、女優やアイドルになりたいと夢見た若者。誰一人親とコンタクト取った人はおらず、こつぜんと行方不明になった人たちだった。

 警察からDNAの提示を求められてから一週間経ったある日、死体の一人が姉だったと連絡があった。

 死体を確認したのは父だけだった。警察からは腐乱がひどく見ない方がいいと言われたが、確認しに行っていた。父を初めて尊敬した。

「母さんはどうだ」

「ふつう」

 朝、父がテーブルについて「おはよう」の代わりに言う言葉だ。そして、そのわたしの返しはいつもこの言葉になった。

 ふつうってなんだろう。元気ではない。でも、半狂乱の一歩手前だよって言葉は使いたくない。だから、ふつうだ。

「そうか」

 父はわたしが焼いたトーストとインスタントコーヒーを飲んでから新聞を読む。あれから、我が家にはテレビがなくなった。母が家にあるすべてのテレビを破壊したからだ。

 この事件は異常だ。

 一つの収納ボックスの中に折りたたまれた女性の全裸の死体。その上に石灰がかけられていた。そんな死体入りケースがいくつも出てきた。

 警察は犯人を捜していた。まだ、死体が増えるかもしれない、という内容の報道もあった。若い女性で芸能人にあこがれる行方不明者が、まだ発見されていないからだ。報道で殺された被害者の一部の名前しか公表されなかった。姉はされていない。両親は公表を拒んだ。

 最初こそショックで大学に通えなかったが、少しずつ自分の時間が動き出した。

 母は相変わらず、家にこもっていた。父はすでに働き始めていた。自分も異様な雰囲気の家から解放されて、外に出ていくのを決めた。


 大学はいつもと変わらない風景だった。

 門の前にあるバス停も、構内にある道路も、つつじの連なる並木の下にある側溝も以前からずっとそこにあり続けていた。建物の前のサル山もキャンパス内を歩く人たちも、わたしに関心を示さず去っていく。わたしはただの通行人。

 風が吹いた。ほほに当たって気持ちがいい。今まで、こんなこと気づきもしなかった。

 涙が出そうなのをこらえた。自分の感情が分からない。何に感動しているんだろう。

 わたしは生きている。そして、姉は死んでいる。ふと、そんなことを考えると何もかもが不思議だった。この違いって何だろう。

 建物内に入った。古い階段を上がっていく。足に力が入る。

 授業が始まる少し前だった。教室の後ろのドアから入った。目立たないように後ろ奥に行き、つながった備え付けの長机の上にプリントとテキストを置いて、筆記用具を出した。すぐに座って、邪魔にならないように壁横足元にリュックを置いた。

 なんとなく視線を感じた。深呼吸をした。肩が上下に動く。

 よし、大丈夫。自分に言い聞かせる。

「ねえ、ねえ、清水さん。お姉さん殺されたんだって」

 ゆっくり前を見た。同じ学部の関西がいる。

 天然パーマの髪をかきながら、笑顔で話しかけている。体は細い。きっと体重は五十もない。まな板みたいに薄い胸。男だけど、わたしより体重は軽い。

 ユキが教室の前入り口付近から走ってきたのが見えた。

「関西、ちょっとこれ難しくて分からないんだけど。教えて」

 ユキが強引に関西の腕を引っ張る。

「それ、昨日説明したよね」

 関西は一つ年上だ。初めての大学受験で東京大学を受験して落ちた。後期でこの大学を受験し合格したものの納得いかず、もう一度次の年に大学受験をした。結局あこがれた東大を二度落ちて、後期で再度この大学に受かった。

 前期で受かった自分とは家庭環境も脳みそもレベルが違う。理学部の中で断トツ頭がいい。東大に落ちた意味が分からないくらいレベルの違う天才。でも、それ以外はバカだ。

 ここは東大の次に頭がいい大学ではない。だから、なぜここを選んだのかもなぞ。

「ほかにも聞きたいことがあるから来て」

 ユキはわたしから関西を遠ざけようとしている。すぐにわかった。

「僕は清水さんと話したいの。邪魔しないで。みんなだって知りたいはずだよね、清水さんが欠席している間、事件の話ばっかしてたじゃん」

 大声で、教室全体に聞こえるように怒鳴った。

 空気が凍り付いた。

 周りを見渡した。みんなそっぽを向いている。誰とも視線は合わない。でも、全員がこちらに注目している感じがした。

 門の前で空気がおいしいと感じたのは、気のせいだったのか。

「ねえねえ、お姉さんってどんな感じで発見されたの。やっぱり腐っていた? 収納ボックスの中は全裸だったんだよね。警察から死体を返されたときって、ケースごと返されるものなの? お姉さんの捜索願、すぐには出してなかったんだってね。それって、どういうこと。いらない子だったってこと。最初に警察から連絡があったときってどう思った」

「関西」

 ユキが怒鳴った。

 ユキの顔を見た。怒りで真っ赤だ。

 関西はユキのことなんか存在してないみたいに扱っている。わたしに好奇のまなざしを向けている。

「清水さん。無視しないで教えてよ。ねえ、清水さん」

 関西の声が聞こえる。クリクリのくせ毛の髪の毛を右手でかきながら、笑顔でこっちを見ている。

「そっちこそ、無視するな」

 ユキの声。

「どうして、半年も行方不明だったのに探さなかったの。でも、結局は見つかったわけだからほっとしたよね。腐乱死体だけど、見つかった方がましだし。テレビのニュースってどうなの。やっぱりテレビで言ってること本当なの。SNSでヤクザと付き合っていたとか、高校生の時からトラブルメーカーでケンカばかりしていたとか、盗み癖があったとか、いろいろ書かれているけど。夜の繁華街でうろうろしていたとか、警察に補導されてたとか、いろんなヤバイ情報が出てるけど、それってほんとう」

 そんな情報出てるのか。ウソばっかり。姉は内気で外に出ないタイプだった。それで、芸能人になりたいなんて逆にびっくりしたのに。

 この男はいったい何を言いたいのか。知的好奇心ではない。ただのゴシップ大好きクズ人間。

「ねえ、清水さん無視しないでよ。ねえ、清水さんって」

 関西がかわいく首をかしげる。でも、全然かわいく見えない。

 ユキが関西の腕を掴んだ。その手を関西は振り払った。

「お葬式もう終わったんだって。なんで、密葬なんかにするんだよ。事件の被害者のお葬式ってニュースで取り上げられるじゃない。大勢の関係者が参列している様子が全国放送で流れるチャンスだったのに。出られたら香典奮発したよ、僕ケチじゃないから」

「関西」

 もう一度ユキが腕を掴んだ。関西はユキを睨みつけると、その手を振りほどいた。ユキがバランスを崩した。わたしはユキが倒れないように立ち上がって支えた。

 高校時代、ユキはソフトボール女子で、今も真っ黒に日焼けして体格もがっちり。なのに、倒れそうになるなんて。関西はぶれることなくそこに立っている。細くても男なのだ。

「ユキ、ありがとう。大丈夫だよ」

 こんなことくらいしか言えない自分が情けない。

「あんた、本当に大学生? しゃべり方バカっぽいし、内容は小学生レベルだね」

 わたしの言葉を聞いて、ユキはこっちを向いた。驚いている。

 こんなこと言ったのは初めてだった。我慢して、胸にためるタイプだからだ。我慢して我慢して、愚痴をユキに吐き出す。ユキはそれを漏らさない。ストレスだよね。いつも、ごめんね。

 机の上に置いていたテキストをリュックに入れた。

「ケチ。何かしゃべってよ。こんなスペシャルなこと、独り占めなんてずるい。生の声が聞きたいんだっって言ってるでしょ。ねえ、話してよ。みんなだって知りたかっているんだよ」

「だまれ」

 ユキの声が響く。

「すごいなあ。いいなあ。テレビの主人公みたいじゃん」

 なにがうらやましいのか、説明してみろ。

 関西の言葉に反応したのか、手が小刻みに震えた。両手の平を見た。

「ユキ。なんか気分が悪い。吐きそう、帰る。教授に言っといて」

 久し振りに授業を受ける気になったのに、まだ無理なのかも。時間が必要なのかな。

 気が付いたら涙が出ていた。姉とはケンカばかりして仲が良かったわけではなかった。でも、だから殺されていいわけではない。悲しいのだろうか。自分の気持ちが分からない。

「どうしたの。お腹でも痛くなったの。下痢かなあ」

 関西がわたしの腕を掴もうとした。無意識に手をはねのけた。

「さわるな」

 わたしじゃない。ユキが怒鳴った。

 空気をよんだりよまれたりするのは嫌い。腫れ物に触るように接してこられるのもイヤ。でも。デリカシーなく来られるのはもっと大っ嫌い。今はじめて知った。

「ヒカリに触るな」

 ユキの声の後、教授が教室に入ってきた。教授は大きく手を叩いた。みんなが前方に視線をうつした。

「はいはい。席について。関西も斎藤も座って。清水、帰っていいぞ。今日は出席にしとくから、いいな。レポートはメールに添付しとくから、返信してこい」

 わたしは頭を下げてその場を出た。

 ほんとうに気分が悪かった。えずいてトイレに直行した。  

最後まで読んでいただきありがとうございます。もし、読んでいただけたなら「読んだよ」って一言お願いします。読んだのか、途中で「面白くない」とやめたのか、知りたいです。

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