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さいごの花束

作者: 白藤あさぎ

12(つき)戀紬(こいつむぎ)


春月4月 さいごの花束



乾いた草を揺らして風の足跡が丘を駆けていく。広い原っぱを見渡して、ひとつ深呼吸をした。微かな花の香りと、葉っぱの青苦い香りが混じった春の空気。陽だまりの温度が優しく胸をいっぱいにしていった。

ところどころに小さな花畑が広がっていて、紫や白、黄色の可憐な彩りが視界いっぱいに散っている。花畑の1つに蹲った細い影に近寄った。


彼は私に気づかずに、黙々と花冠を編んでいた。繊細な指先が緑に絡まれて、よどみなく動いていく。

咲いた小さな花を摘んではときどきに挿し入れて、私がそばに立ってから数分も経たないうちに冠は完成した。


そこではじめて彼は顔を上げる。ちょうど影が彼の視界に入らない位置に立っていた私を見つけて、一瞬見つめあった後に、春みたいな微笑みを見せた。そうして笑うと、目尻にくしゃっとシワができる。私は彼の、目を細くして、口をいっぱいに横に引いた笑顔が大好きだった。


立ち上がると、細い線のような頼りない体でも、私より頭ひとつぶん大きい彼はあっという間に影で覆ってしまう。顔が陰っても、目元の優しさは少しも失われない。そっと頭に冠を乗せて、得意げにまた笑った。


光の中で、溶けて消えかけた柔い時間は至高の幸せをもたらしてくれる。白と、浅黄色と、空色に満ちた世界。永遠に続くことはないとわかっているからこそ、今がとても幸せだった。


ー*ー


「はい、これ」


そう言って差し出した花束。あの日の春色のお花畑と同じ色で作った。灰色の景色の中に弱い色が添えられる。いつも少しひん曲がった下手くそな花束だったけど、今日はなんだかうまくできた。


いつもいつも、渡す機会がくるたびにたくさん練習していたことを彼は多分知ってくれていた。花のトゲで引っ掻いた痕のある手ごと包んで花束を受け取ってくれたから。大げさに見せたくなくて絆創膏を貼らなければ目立たないと思ったのに、彼には全部お見通しで、労わるような優しい手が重なると少し切なくなった。


「あと、今日は特別だから花冠も作ってきたんだよ」


こっちはやっぱり(いびつ)。それに、作り立てじゃないから水々しさもない。彼の指先ばかり追っていたから、どんな風に編み込んでいたのか全然記憶になくて。やり方を見ながらのろのろやってたらだんだん手の温度で元気が無くなってきてしまった。


彼の冷たい手の中なら、花ももう少し生きられたのだろうか。

でも私は(ぬく)い方がよかった。冷たく感じていた指先は、彼の温もりだったことを思い知ったのは1年前。

花を殺すこの手の温度でも、彼を温めることはできなかった。


じわりと、目尻が熱く滲む。見つめていた花束がぼやけて消えた。

自分の中の彼の面影が、月日とともにどんどん消えかかっていくことにもう耐えられそうになかった。喉が苦しく締め上げられて、嗚咽を漏らす。新しい時間なんていらない。感覚全てを失っても、心の中にしかいない彼を留めておけるならそれでいいと思った。

まわりはみんな、これからのことを考えさせようとする。またいい人に出会えるという。いつか必ずこの悲しみから立ち直れるという。


どれも正しい。どれも憎らしいほど正しい。

きっと私自身も、哀に暮れているこの状態を、生きている限りずっと続けていくことはできない。心は勝手に前を向こうとするから。どん底の心は希望のようなものを勝手に見つけて、勝手に救いの光だと思って、勝手に…。

挙げ句の果てには、もういない彼の心を勝手に勘ぐって、前を向くことを望んでくれているはずだとか、都合良く踏み台にしようとする。


いけないことではないのに、私はなんだかそれが嫌で嫌で堪らなかった。これは馬鹿みたいな意地。どう抗おうと、結局行き着くところはひとつだけ。


薄れていく記憶とともに、穏やかな春がまた巡ってくるのだろう。


ー*ー


覚えきった手で白い紙に花束を包んだ。

もうトゲで怪我なんてしないし、花を選ぶのだって一流と鼻高々に言える。形だって、もしかしたら彼よりずっと綺麗かもしれない。今までとずっと変わらないのは、花の色。紫と白と、黄色。


ここのところ、まるで時を遡ってやり直してるように彼との時間をたくさん思い出す。

急に降って湧いたみたいに、細々(こまごま)したやりとりがほんの些細なきっかけで脳裏をなぞっていく。

そのたびに懐かしくてあたたかくて、あの春の原っぱの温もりが心を満たしていった。


前より動きが緩慢になって思うように動かなくなった指先を止めた。ふと窓の外に目を向けると、少しずつ萌黄色が細い枝に色付いている。ついこの間散歩に行った時、もう庭ではたんぽぽが咲いていた。綿毛になって飛んで行く頃、きっと私もそれに乗って彼のところへいくのだろう。空に飲まれて雲の彼方に消えていく先に、懐かしい笑顔が待ってくれていたらとぼんやり思う。


こんなにシワシワになった手を、彼はまた優しく包んでくれるだろうか。

もう自力では歩けない私の車椅子を押して、あのお花畑に連れて行ってくれるだろうか。白い乾いた髪の上に、作りたての可愛い花冠を飾ってくれるだろうか。


そこまで考えて口元が緩んだ。なにがなくたって、もう、十分だ。

ずっと想い続けて重ねてきた時間が後先の感情を穏やかにしてくれるから。


別れはいつか必ずくるけれど、そのとき、お互いがもう十分想いあったと思えるさいごにしよう。


そういった彼の言葉通りになった。

彼が私にいつでも惜しみない愛情をくれたのは、いつくるかわからない自分のさいごにそう思えるようにするため。


感謝と、終わらない気持ちを込めて、私もさいごの花束を今日彼に送ろう。




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