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ケセラセラ  作者: ソーダ
7/20

視点

 今回のお題は、視点。

 小説を執筆する上で欠かせない要素だ。主に一人称視点と三人称視点が使われているが、なろうではどちらかというと、一人称の方が多いのだろうか。どちらの視点も明確な利点や欠点が存在するが、一人の読み手としては面白ければどんな視点でもどんとこいといったところである。


 とはいえ、ことなろうにおいては三人称視点の物語の方が、好みだ。なぜかといえば、なろうに存在する一人称の物語は、物語として成り立っていないものが多いからである。例として、私が思う問題点を上げてみよう。


・自己紹介

・状況説明

・未来予知

・視点変更


 まず、自己紹介。

 これは簡単だ。一話目で主人公が、「俺が主人公だ! よろしくな!」と読み手に向かって挨拶することをいう。これの何がいけないのかなんて説明するのはめんどうなので省略するが、本当にやめていただきたいものである。ここで手抜きする書き手、本当に多い。


 次に、状況説明。

 これは主人公が、自分の身に起きていることや現状を、懇切丁寧に読み手へと説明することをいう。これも、本当にやめていただきたい。微に入り細を穿つような描写をしたいのなら、三人称でしてくれ。


 未来予知。

 みんなよく知るあれである。あれは、とてもおかしいことなので、本当に以下略。



 そして、私が最も苦手としていて嫌っているともいえる、視点変更。

 一人称視点というものは主人公の目線で語られる形式のものだ。だから、主人公が知らないことは読み手にも分からないので、他の人物や団体の背景が分からず、面白味に欠けるかもしれない、といったような欠点がある。その欠点を補う為に編み出されたのが、主人公以外の人物へと視点を変更する、という小技である。


 これの何が問題なのかといえば、基本的に問題しかない。一つ言えるのは、この視点変更というのは読み手にわかりやすくする為に、というよりは、書き手自身がより楽しむ為に書かれている場合が多い、ということだ。そう、これは書き手にとって、とても楽しくて面白い作業なのだ。


 書き手にとっては主人公とそれ以外の人物に、思い入れといったような感情にあまり差がない。もっといえば、登場人物みんなが一個の主人公として存在しているといってもいいだろう。だから、物語が始まって五話目くらいからことあるごとに視点変更したり、二章から主人公を不在にしたとしても何ら違和感を覚えることがない。


「全員よく知っていて、全てを熟知しているから」


 が、大抵の読み手からするとそれはたまったものではないのだ。主人公が主軸の物語だったはずなのに、主人公が主人公? になり、よくわからん人物が主役ヅラして物語を進めていくのだから、面白くなるはずがない。


「主人公しか、よく知らないから」


 なので、視点変更は極力しない方がいいだろう。




 最後に番外編。

・その壱、没個性。

 無感情な地の文。一人称の意味がない。


・その弐、俺は、私は、僕は。

 基本的にそれは要らない。


・その参、( )で主人公の内心を表現。

 地の文は誰が語っているのか。

一人称の小説と言われてぱっと思い浮かぶのは、とある召喚術士の物語だろうか。あれほど徹底した一人称の話は他にないと思われる。クソ面白くなくてかなり面白い物語だ。

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