投稿と削除
とある場所で、全くもってその通りだ、と思った意見があったのでそれに関する諸々を書いてみたいと思う。
感想についての議論など散々出し尽くされたものだとは思う。だが、こういった視点からの議論的なものがなされてきたのかは、少し疑問である。それとは、「小説家になろうはそもそも、気軽に感想を投稿できる環境にない」というものだ。
運営は「感想について」というマニュアルを作成しており、「こうしなければいけない」ということではなく、「こうした方が望ましい」と明記したものがある。面白かったという一言がダメなのではなく、せっかく書き込むのならば、と柔らかい表現で書いてはあるが、面白いと思ったものは面白いとしか書けない私からすると、それだけで感想を書くのを戸惑ってしまう理由に十分なったりするのだ。
そもそも懇切丁寧に、とまではいかなくとも、ある程度詳しくここは何であれはどうだ、なんて説明できる人というのは少数派なのではなかろうか。偏見かもしれないが。例えば外食に行ったとして、料理を注文し、届けられたものを食べた一口目の感想を考えた時。
「うまい」「まずい」「微妙」
パッと思い浮かぶ感想はこういう感じのものが大半だと思われる。そこから更に踏み込んで、どこがうまくてどこがまずいのかなんて説明を、単にご飯を食べに来た客がする必要なんてないのではなかろうか。その道の人ならともかくとして。
だから書き手勢は「面白い」だけで満足すべきなのである!
それはさておき。
続いてどうして気軽に書き込めないのかを書いていく。
気軽に書き込めない説、その壱。
前提の大前提として、上であげた例がある。即ち、読み手は小説を読んで趣味を満喫したり時間を潰すために利用しているのであって、作品の感想を書きに来ているわけではない。
あれ……これは書き込まない説に……。
こほん。つまりは無料で誰でも利用できる利便性を求めてやってきた人が多いはずだから、感想を書く手間を惜しむ人もそれなりにいるのでは、ということ。だが、その壱の壁くらいならどうということはない、と言う人は当然いるだろう。ここからが本番の、「感想を敬遠、あるいは嫌厭する」理由になっていく。
気軽に感想を書き込めない説、その弐。
スルー。
これはどういうことかと言えば。文字通り書いた感想をスルーされることである。いや、感想に対する返信なんて書き手の自由だろ。と仰るあなた、その通りではある。しかし、そうじゃない。「自分の書いた感想だけ」がスルーされる現象のことを言っているのだ。もちろん書き手側にも色々な理由があるのだと思う。しかし自分だけがスルーされた、という事実の前にはもはやどうでもいいことである。悲しみのあまり、感想なんてもう書かない、となる読み手が現れても不思議ではない。
気軽に感想を書き込めない説、その参。
エターナル。
これはもう、しょうがない。しょうがないけど、何かしら応援する形で感想を書き込んだ小説がエタってしまうと、思うところができてしまう読み手がいるのもまた事実。だから、感想なんて以下略。
気軽に感想を書き込めない説、その肆。
お前が書け。
読み手の心を一撃で破壊する究極魔法である。感想こわい。
気軽に感想を書き込めない説、その伍。
主人公=書き手。
これは読み手にとっては難しいたぐいのものである。なにせ書き手の趣味趣向や価値感といったものがそのまま、まるっと主人公のそれとなっているから、書き手と似たような価値感を持ってないと楽しめないのだ。つまりは、その価値感から外れた読み手が、「ここはちょっと変じゃない?」といった感想を書いた場合、大抵は「自分(の価値感で)はこう思うから(自分と同じ価値感の主人公も)不自然ではない」と返されてしまうからである。書き手と主人公は違うだろう……というある意味真っ当な考えを持っている読み手からすれば、肩透かしを食らって脱力し、感想なんて……と続く。
気軽に感想を書き込めない説、その陸。
感想欲しい欲しい詐欺。
これは主に二種類ある。一つは、感想欲しいです!(何でも欲しいとは言ってない)という副音声のついたものだ。どういうことかと言えば、書き手をよいしょする感想以外はいらん! ということだ。それ以外のものだと大概は削除される。書き手が傷ついていればブロックもされるだろう。
もう一つは、投稿された感想を論破して感想投稿者を貶めて楽しもうとする書き手のことだ。あとはよくある流れである。そして読み手はいなくなる。
気軽に感想を書き込めない説、その漆。
削除。
私が一番言いたいのはこの部分で、上にちらっと書いた部分でもある。
それなりになろうを利用してる人ならこういった文章を見たことがあるだろう。
「読み手が感想を書くのも書かないのも自由。
だから書き手が感想を削除するのもしないのも自由」
細かい部分で違ってる所はあると思うが、大体このような感じの文章を。確かにその通りである。自由なんだろう。しかし、そこには公平性というのものが、全く無い。なぜといって、書き手と読み手とでは当たり前ではあるが立ち位置が違い、書き手の立場の方が上で、強いからだ。分かりやすく階級で例をあげると。
読み手は、平民。
書き手は、貴族。
ついでに運営は、王。
そう、平民は貴族に逆らえないのがこのなろうのシステムなのだ。
なんのこっちゃと言われそうなので具体的に書くと、一方的に感想を削除できる権利を持ち、ブロックすることで読み手を遮断していなかったことにできるが故に、書き手という立場は強く、読み手を好きなように扱えてしまうのが現状のなろうシステムなのだ。
もちろん書き手としては無くてはならないシステムなのは十分に分かっている。感想じゃない感想を書く、読み手のようなナニカが蔓延っているからむしろ無いほうが問題であるということも。しかし、まともな感想を書いたはずなのに、消されてしまった読み手というのは存外、多いのではなかろうか。その時のやるせなさや徒労感というものは、想像するだけでもしんどいものだ。
そしてもう一つ見たことがあるかもしれない文章を書いてみよう。
「感想を書く際は書き手に配慮して、マナーを守った上で書き込みしましょう」
当たり前のことしか書いていない。だが、この逆の種類のものを私はまだ見たことが無い。
「感想を削除する際は本当に削除していいものなのか、よく考えてから削除しましょう」
こんな感じの文章を。運営のマニュアルにすらないのだから当然といえば当然ではあるが。何が言いたいのかって、書き手を配慮しろという風潮はあるけど逆はほぼないな、ということ。感想欲しい何でも欲しいという声はあるけど、じゃあ何で感想を書かない読み手がいるのか、を考えたことがある人はあまりいないのでは、ということ。
さて、大分意味不明でとっちらかった内容になってしまった気がする。
簡潔に言うと、様々な理由から感想を忌避している読み手もいる、ということになる。
余談。
私がまだなろうに慣れていなかった時に、こんなことを経験した、というか失敗したことがある。慣れない感想を書いて投稿し、後に気になって確認したら投稿した感想が消えていた。疑問に思いつつ、何か失敗したかと思い込んだ私は感想を投稿し直した。後に気になって確認すると、また消えていた。
この辺で察することができたら良かったのだが、なにしろなろうの仕様なんて全く知らなかったから、あるぇ? と思いつつ三度投稿した。そして、また消えていた。ここでやっと、あぁ、もしかして書き手の方で感想を削除することができるのか、と思いついたが後の祭りだった。
さっさとブロックしとけよこのやろう! とかなんとか、今だからこそそんな思いが沸いてでたが、何回も投稿されて何回も削除するはめになった書き手を思うと、ちょっと悪いことをしたかな、とは……思わないな、全然。
書き手を上に、読み手を下に見ている利用者がわりと多いこのなろう界。
見分け方は簡単だ。
①作者様はxx。読者はxx。
②言動が作者陣営。