点数と中身
先日エッセイを初投稿してみたのだが、中々新鮮で面白い経験になった。自分の考えを文章にするという作業の難しさを痛感した。私に物を書くという行為は向いていないということが分かったので、それはそれで良い発見だったように思う。
あとは、投稿主にしか見れない小説情報か。評価ポイントの、総合評価が赤文字で書いてあるのを見たときは正直ドン引きした。どうみても、煽っている。とはいえ、ある種の刺激になるのは間違いないだろう。私ですらもう少し増えないか、と思ってしまったくらいだ。あとは何かしらの目標を設定しやすいというのもあるだろう。
それで、エッセイを投稿してからエッセイ界隈や書き手の活動報告などを覗いてみるという習慣ができたのだが、私が思うよりもずっと、ポイントを求めている書き手というのは多いようだ。しかしそれを求めている書き手の大半は、ただただポイントが欲しい! というだけの、目的や目標を設定していない人が多いように見える。
ポイントが欲しい。それはつまり、ランキングに載りたい! ということだと私は認識している。それ以外に欲しい理由が見つからないからだ。しかし、ランキングに載るというのは、それはそれですごいものであるのだが、そこまで躍起になって固執するほどのものでも、ないと思っている。凄まじく偏見にまみれた意見だが、とても高い評価を得ている人気作品は、そこまで質の高い作品ではないと思っているからだ。
問題は評価ポイント、その中でも5:5を入れる利用者だ。それを入れるということは、とても面白かったということだと私は思っている。というか、面白かったからこそそれを入れるのが評価システムのあるべき姿だといえるだろう。だから普通は以下のようなことが当てはまるはずである。
物語の大半は覚えている。
印象に残った台詞のひとつやふたつ、そらんじる事ができる。
思わず奇声をあげてしまうような場面があった。
何度も何度も読み返した。
つまり5:5を入れた評価者に。
「あれこれなんだっけ。覚えてねぇwww」
と言われてもへこまない自信が、書き手にはあるのだろうか。
どのような理由があったとしても、物書き、という道を選んだのだ。であるならば、数字よりも人間にこだわるような、自分の作品を相手に刻み込んでやるというような、そんな姿勢で執筆活動に臨まれてみてはいかがだろうか。
宇宙海賊ゴージャス。
それはさておき。欲望というのは果てが無い。だから、些細な事柄で満足しておくべきなのだ。周囲を少し見回せば分かるだろう。あの書き手達はすでに、評価や感想が少し増えたくらいでは満足できない体になっている。