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ケセラセラ  作者: ソーダ
13/20

表現

 小説という媒体は、自由に様々な表現を使うことが出来る。

 要するに表現は自由だ! というものだ。だが、この「自由」の意味をきちんと理解して小説を作っている書き手というのは、なろう界に限っていえば多くはない、と言えるだろう。


 偉そうなこと言っている私はもちろんよく分かっていないが、表現は自由というのがどういったものなのか、欠片くらいは理解しているつもりだ。それを文字に起こすとしたら、固定観念に囚われない閃きでもって創作しよう、といったようなもの。であるはずだ。


 が、そんなこと言われてもさっぱりだと思われるので、大抵の人が知っている有名な言葉を借りてくるとする。


 I love you. = 月がきれいですね。


 ズバリ、こういうやつだ。

 一目で分かる、表現は自由、というやつだろう。

 しかし、大抵の書き手はその自由という言葉を、


「書き手の思う通りに、なんでもかんでも作っていい」


 といった感じのように解釈しているのだ。

 表現は自由ではあるが、なんでもアリ、という訳ではない。


 例を挙げてみよう。

 VRゲームというジャンルがある。近未来の科学技術によってプレイヤーの精神を仮想世界に飛ばし、自身を主人公としたゲーム世界を冒険する、というものだ。


 このジャンル自体に問題はない。現実ではできないことを小説という形で表現する、というのは至極ありふれたものであるからだ。しかし、いくら表現は自由とはいえ、やってはいけないことというのは当然ある。それは、「ゲーム内時間を加速させる」という設定だ。


 ゲーム内時間の加速。

 例えば、現実の一分がゲーム内では一日に相当する、といったような設定だ。これの何がダメなのか。ありえない技術を小説という形で表現できて、ゲーム内時間の加速がダメな理由とは。


 登場人物が、日本人、であるのが問題なのだ。

 今を生きる私たちと同じ日本人、でもある。


 ここまで書くと大抵の人は何がダメなのか理解できると思うが、一応最後まで説明する。現実の一分がゲーム内時間での一日ということは、一分という短い時間の内に、一日分の情報が脳にブチ込まれる、ということになる。


 つまり、普通に、死ぬ。

 最低でも廃人にはなるだろう。


 いくら謎の技術で様々な対策が立てられていようとも、それを使う登場人物が私たちと同じでは、意味がない。私たちが使えないのなら、作中の日本人も、使えないのだ。分かりづらいなら、「バタフライエフェクト」という映画を観るといいだろう。ゲーム内時間を加速させて遊んだプレイヤーは、ああなる。


 といった感じだ。

 表現は自由。だが、題材にしたものによって制限がかかる、ということをきちんと理解しなければ、さくっと詰んだ物語になってしまうこと受け合いである。


 むしろ、制限だらけなのでは、なんて思っていたりする。

 が、そこは個人の考え方次第、なのだろう。

可愛そうは可哀想、という誤字報告を受けた書き手がツイッターで。


「所詮はどっちも当て字で誤字じゃないんだけど知らないの?元はかわいいって言葉が語源になってるのも知らないのかな?一応かわいそう、と直したけど、通じればなんでもいいでしょ別に。表現は自由なんだから、作法とかに囚われてんじゃないよ」


と、呟いていた。

ならその自由を駆使して、かわいそうをデブネコのようだ、とでも表現しろよと思った。割烹ではまともだけどツイッターじゃアレな書き手が多いのは、なんでだろうね。

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