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えりまきは殆ど毎日、空き地にやってきた。
「おう、えりまき。今日はえらい天気ええなあ。」
「せやね。お陽さん気持ちええわあ。」
この照りつける太陽を背に、風を切って空を翔けるとどんなに気持ちいいだろう。羨ましいばかりだ。
「まだ米食べへんの?」
「うん。みんな食べ終わってから。」
「またなんで。」
「カラスが来たら教えたらんとあかんし、うちはゆっくりでええねん。」
「えりまきは優しい子やなあ。」
くくっと笑ってえりまきは、僕のほうを見た。
「もうすぐ夕立が来るで。」
「そんなんわかるん。」
「うん。遠くから雨の匂いがする。雨雲も来てる。」
えりまきは高く飛び上がって、そう言った。
「雀って便利やなあ。」
僕はぼんやりとその姿を見ていた。
1時間もしないうちに、急に空が暗くなって夕立が降った。
焼けたアスファルトを濡らす、雨の匂いが立ち込めた。
仕事を片付けて空き地に向かうと、えりまきは相変わらず電線の上にいた。
「えりまき、こっちおいで。カラスは俺が見とく。」
辺りを少し見回してから、えりまきは僕の隣に降り立った。
雨は辺り一面に強かに打ち付け、激しい音を響かせている。
頭上の屋根には雨樋が無いので、目の前を滝のような雨が流れ落ちてゆく。
僕は煙草に火をつけた。
「慣れっこやから大丈夫やで。」
そう言ってえりまきはくくっと笑ったが、全身ずぶ濡れで身震いしている。
「もう、夏も終わりやな。」
「夏、好き?」
「うん。」
「うちも。」
吐き出した煙が、雨に掻き乱されながら薄れて、消えてゆく。
「人間に強がりは通用せえへんで。」
「それはどうかな?今、自分も強がって生きてみたいなって、ちょっと思ったやろ。」
僕は答えずに、軽く笑って煙を吹き飛ばした。
「言いたい事は分かってる。」
えりまきはそう言って、僕のすぐそばまで来た。
僕はポケットからクッキーを出して、半分をえりまきにあげた。さっき、差し入れでトラックの運転手に貰ったものだ。
「あんまうまないな。」
「せやな。」
えりまきの笑う声が、よく聞こえた。
ふと、昼のニュースを思い出した。
「せや、ちょっと待ってて。」
僕は食堂へ向かった。
戻って来ると、少し雨足は弱まってきていた。
「明日、台風来るらしいから、気ィつけや。」
僕はそう言って、米を入れたお椀を傍に置いた。
「明日の分?」
「そう、ここやったら飛ばへんやろ。」
「ありがと。ピースは優しい子やな。」
「やかましわい。」
僕は煙草を揉み消した。えりまきはまた、くくっと笑った。
僕はぶっきらぼうに、乾いた布切れをえりまきに放った。
雨はもう、止みそうだった。
4
台風が去った。
そこいらが瓦礫の山となって、自然の猛威を僕は思い知った。
今日は後片付けに追われて、仕事にはならなかった。
粉々に砕けたスレートが辺りに飛散し、工場の二階から伸びたダクトが鉄枠ごともぎ取られていた。
クーリングタワーの回収には骨が折れた。
二百キロはあろうかというタワーが、十数メートル吹き飛ばされていた。アンカーボルトは根っこから引きちぎられ、コンクリートの基礎が割れていた。
人に当たらなくて良かった。当たっていれば、間違いなく即死だっただろう。
明日も今日の続きだ。完全な復旧には時間が掛かりそうだ。
僕は仕事を終え、そのまま大きな駅へ向かった。
駅ビルのファッションフロアをひとしきり回ったが、目当ての品は無かった。
百貨店へ向かおう。
道すがら、僕は死の意味を思った。
死とはきっと、土の匂いのことだろう。コンクリートに囲まれて生活していると、時々土の匂いを嗅ぎたくなる。そういうものなのだろう。
生命が芽生え、還る場所。
生きることもきっと同じようなものなのだ。
僕は今朝、その匂いを嗅いだ。
百貨店の衣料品売り場を歩いた。
十五分程見回って、ようやく見つけた。
やけに目立つ、白い絹の襟巻き。
僕はそれを買って帰った。
電車の中で、待ちきれなくなって包みを開けて、綺麗な絹の真っ白い襟巻きを首に巻いた。
少し誇らしい気分だ。
「ええやろ。自慢やねん。」
そう言って、くくっと笑ってみた。
えりまきがまだ、どこかにいるような気がした。