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人間は元来一種の万能感に侵されている。アスファルトで大地を覆い、すすんで自らコンクリートに箱詰めされて生きる。かかる万能感はただ器用さによって生み出されるものであるということを忘れて、無機な不変性に陶酔する。したたかさを誤解したまま、まるで己が無機物であるかのように錯覚するのである。
優越感なしに彼らは生きてゆけない。無関心を装いながら支配することが彼らにとっての強さの証明と思われる。
雀のことを彼らは、ちっぽけで脆弱なプライドのない生き物であると考えているだろう。超克とは支配ではない。愛することだ。
支配するな、愛せよ。
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淀川メッキ工業は社員十五人、狭い敷地に二つの工場と事務所、食堂と更衣室、そして砂利を敷いた車三台分ほどの空き地がある。
本工場は昭和40年代に建てられ、広さは50メートル四方程あり、中央の間仕切りを境に研磨機とメッキ液のタンクが並び、油圧系シャフトのメッキと研磨を手掛けている。だだっ広い工場に機械や道具、製品などが所狭しと置かれ、油と埃とメッキ液の匂いが充満している。機械も建物も古くなっており、全てが激動の時代を物語っている。
もう一つの工場は本工場の半分程の広さでアルミ製の端子部品のメッキを請け負っている。こちらは比較的新しく清潔だ。アルミのメッキには埃や油は厳禁らしい。
一時期は関西でも指折りのメッキ会社だったそうだが、昨今の不景気を受けて、細々と操業している。淀川の土手近く、中小企業が集まっている地域に肩を並べて、今日も社員が汗を流す。
僕は工業高校を出てからここで働いて四年になる。残暑はもう過ぎたのだが工場の中はまだまだ暑い。機械の熱やメッキ液の湿気で蒸し蒸ししている。
夕方三時頃、いつものように合間を見て、煙草を吸いに工場を出た。手洗い場の前に腰掛け、煙草に火をつけながら顔を上げると雀たちが群れで舞い降りた。この前まで駐車場だった空き地におっちゃんが米を撒いたのだ。近くに駐車場が出来てここがお払い箱となるや、昼の仕出し弁当の残飯を撒くのがおっちゃんの日課になった。
雀たちはキョロキョロしながらぴょんぴょん跳ねては、米を啄んでいる。茶色いヘルメットがころころ動いているのを見ていると、仕事中に張っていた気も少し和らいだように思う。
ふと電線の上を見ると、首元の白がやけに目立つ一羽が目に留った。
「ええ襟巻きやなあ。」
「ええやろ。自慢やねん。」
焦げ茶色い姿とは裏腹に、瑞々しく張りつめた絹糸のような少女の声が返ってきた。
「胸張って自慢できるのってええなあ。」
「なんや、人間さんなんもないんかいな。」
せやなあ、と呟いて僕は煙草を揉み消して上を見た。雨ざらしで角の取れたコンクリート塀の上を底抜けの空が広がり、引っ掻き傷のような筋雲が距離感を無くしていた。
僕はもう一本煙草を出して火をつけた。
「鳥はええなあ。」
鳥には大地の血と空の血が流れている。草の血も木の血も、もちろん鳥の血も。それでいて大地を蹴って空を翔け、草を喰み木で休むのだ。コンクリートに囲まれて、人の撒く米も食べる。だけど、何ものにも侵されないしたたかな生命をもつ。人間なんて脆弱だ。
「それ、なんていう煙草?」
「ピース。」
「ええ名前やね。」
「ええやろ。好っきゃねん。」
雀はくくっと笑った。
「ピースって呼んでいい?」
「うん。ええよ。じゃあ君はえりまきかな。」
雀はまた笑った。
「ええよ。」
そしてこう続けた。
「鳥も楽とちゃうよ。強く生きていかなあかん。せやないとうちら死んでまうからなあ。」
強くないと死んでまう。その言葉は心に響いた。そうだ。僕たちはちょっとやそっとのことじゃ野垂れ死になんてしない。でも、死ねないことってすごく不憫だ。苦しくっても生きなきゃいけない、生きたくて、死にたくて。その狭間でゆらゆらたゆたう、僕の人生ってすごく不憫だ。
フィルターまできた火種が指の間をチリチリ焼いた。その痛みで、生きてる心地がした。そのまま二本目を揉み消した。
「そっか。ほな仕事戻るわ。また。」
「うん。また。」
電線が揺れた。