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悪魔のロール・プレイング・ゲーム  作者: かいぞく
1.オリジン:悪魔の館
1/11

囁き声


 死ぬ時には走馬灯が流れる、もしくは暖かく優しい光に包まれる、とはよく聞く話だが、実際にはただ、最後の瞬間、目の前の景色がスローモーションで流れてゆくだけだった。きっと脳内物質の異常分泌か何かだったのだろう。


 交通事故で横転するバスの車内はゆっくりと回転していた。座席に固定された視界が(驚くべき事かもしれないが、僕はシートベルトをしていたんだ)回るのに合わせて、身体が感じる重力もまた、横になってゆくのが分かった。


 飛び散る窓ガラスの欠片が光を反射してキラキラと輝いているのがよく見えた。誰かの頭から外れたヘッドホンからは、場違いな明るい曲が聞こえていた。他の乗客の、回転する重力によって逆立った髪や、驚愕に染まった表情も一緒に思い出すと、いっそ笑える場面と言えるだろう。


 最後の最後の瞬間に感じたのは、頭に何かがゴツンとぶつかった感覚だった。そこまで酷い痛みは感じなかった。そう、笑って済ませられる程度の衝撃だった。だがそれが致命的だったのだろう。何故なら次に目が覚めた時には、重力だけではなく、全てが、そう全てが、それまでの世界とは違っていたのだから。


 死は終わりではないと、父がよく口にしていた。それは本当だったと、今なら分かる。ただ、信心深かった彼は天国の事を言っていたのだろうが、僕が今いるのは地獄だ。僕自身がそう望んだのだ。天国なんてクソ喰らえ、だ。





 2017/10/15 5:48 PM ニューヨーク 98 スキーマーホーン・ストリート


 地下鉄出口を上がってすぐのバス停留所には、数人が並んでいる。


 下車する人達の何人かは、いくらかの解放感を感じているような表情を浮かべていた。自家用車のようにプライベートな空間ではないし、電車のように広い訳でもない。バスというのはどこか、多少なりとも閉塞感を感じる乗り物なのだ。効かせ過ぎの空調と、足を伸ばせない狭い座席。そして染みついた独特な匂い。それに比べれば、まだ排気ガス臭い街の空気の方がマシだった。


 これから乗車しようと立って並ぶ列の最後尾に、少年が一人加わった。誰もが一瞬彼に目を走らせたが、それは少年が車椅子に乗っているからだった。タイヤを回す手際を見れば、その相棒との付き合いがかなり長いものだという事が分かる。


 勿論それは一瞬の事で、ほとんどはすぐに目を逸らす。障碍者を見つめ続けるなど不躾だからだ。しかしただ一人だけ、化粧の濃い赤毛の中年女性だけは、(いぶか)しげに、不機嫌そうに少年をまじまじと見つめ続けると、舌打ちすらしたのだった。


 赤毛の彼女、エマ・ホープウェルにしてみれば、車椅子の少年の存在は邪魔なだけだった。彼女の完璧な一日の計画には登場するべきではないお荷物だった。


 公営バスの一部には、車椅子の乗客が乗り降りするための装置や、車椅子を固定する設備などが設置されてはいるが、その介助にどれだけ私の時間が使われる事になるのかと(もちろん介助するのはバスの運転手であって、彼女ではない)、理不尽さと、不公平さを感じていたのだった。


 空気圧動力の独特な音を立てて、バスのドアが開いて畳まれる。


「やぁアル」

「こんにちは」


 どうやら車椅子の少年……アルとバスの運転手は顔馴染みだったようで、他の乗客が乗り込み終わるのを待つと、互いに笑顔で挨拶を交わした。そして運転手が運転席にあるスイッチを押すと、入口の折り畳み式の床が警告音と共に開く。ウィーン……。それが車椅子用のスロープとして機能するのだった。


 アルは自力でその緩い坂を上り切ると、車内にある車椅子専用のスペースに陣取った。運転手は立ち上がって、床からフックを伸ばすと、車椅子のフレームに引っ掛けて固定する。そしてアルは壁に備え付けられている手摺(てすり)を掴んだ。その作業には数分も掛かっていなかったのだが、エマはやはり、不機嫌そうにそれを睨みながら、ブツブツと何やら文句を呟いていた。


 やがてバスが走り出す。ブレーキの排気音と、車体が出すか細い金属音。そして独特の籠ったエンジン音、それに振動が車内に響く。窓ガラスがカタカタと揺れる音。座席に座った若者の安物のヘッドホンからは、低音の効いていない軽い音が漏れ出している。曲はボブ・マーリーの"don't worry be happy"だった。


 エマの怨念の標的はそちらに移っていて、若者をまるで親の仇かのように睨んでいたが、若者は気が付いていないのか、おばさんの視線などどうでもよいと思っているのか、その視線をきっぱりと無視していた。


 運転手は眠たそうにコーヒーをすすりながら運転している。無理矢理にでも目を覚まそうと、(まぶた)をしばたたかせると、欠伸をかみ殺して真面目な顔を作った。


 窓から見える太陽は既に沈みかけている。後1時間もしない内に、今日の勤務は終わりだ。家に帰れば一人だが、せめて足は伸ばせるし、冷えたビール瓶を片手にテレビ(NBAファイナル)を観る事だって出来る。何よりぐっすりと眠れるのだ。


 その時、妄想にふけり過ぎないよう努める運転手の隣に、一人の少女が立った。十代の後半といったところだろうか、黒髪で、肌は白く、美しい顔をしているが、まるで死人のように生気が無い表情をしていた。まるで蝋で作られているかのように無機質だった。左目の下に、連なった二つの黒子があった。


 そしてその少女の存在に、乗客も、運転手すらも気がついていないようなのだ。まるで幽霊のように、存在を認識出来ていない。見えていれば……どうなっただろうか?唐突に現れた少女に飛び上がって驚いただろうから、結局、結末は同じだったのかもしれない。


 少女は運転手の耳元にその口を寄せると、何かを(ささや)いた。途端、魔法の呪文でも唱えたのか、それを聞いた運転手は気を失うようにして一瞬で眠りに落ちてしまった。さぁ瞼を閉じて。良い子だ。おやすみなさい。良い夢を。そうしてついには、ハンドルを手放してしまったのだった。


 制御されなくなったバスは酷い蛇行運転になるが、アクセルは踏まれたまま。片側の車輪を軽く浮かせながらも走り続ける。そして赤信号だった交差点の真ん中で、黒のジープに横から衝突されるとついには横転し、そのまま滑るようにして、人が歩いている歩道に突っ込むと、ビル一階にあるダンキン・ドーナッツの店舗に衝突して、ようやくバスは止まったのだった。


 街灯は倒れ、バスの巨体に突っ込まれたドーナッツ屋のガラスは粉々に砕け散り、建物の窓枠自体が最早見る影も無くなっている。歩道の所々には、ビルの瓦礫が散乱している。バスのエンジン音は今だに止んでいない。薄暗くなった空の下、宙に舞う埃や塵を、倒れた街灯の明かりが明滅しながら照らしていた。



 テレビでは痛ましい表情を作ったニュースキャスターが、今日市内で起こったバスの大事故について語っていた。運転手が何度も欠伸をしていたのを目撃したと、軽傷ですんだ乗客がインタビューに答えている。


 また以前から(くだん)のバス会社では、非常に安い給料かつ過度のスケジュールで社員を働かせているとの噂があり、今回の事故は、会社に酷使されて疲れ切った運転手の居眠りが原因だろうと、解説者は得意気にそう言ったのだった。


 今回の事故で運転手を含めた乗客は全員が重軽傷を負い、また歩道を歩いていた者も何人かが巻き込まれたが、どれも軽傷ですんだようだった。しかしその数秒後に、8名の死亡が確認されたと、追加の情報が読み上げられた。





【起きて】


 少女の声が聞こえて、車椅子の少年アルは(まぶた)を開いた。横転したままのバスの車内にはガラスが散乱している。全てが滅茶苦茶だった。


 身体は車椅子から投げ出されていて、床(今はバスが横転しているので、実際には壁)にうつ伏せになって横たわっていた。どうやらシートベルトの設計者は、ここまでの事態を想定していなかったようだ。()()()()()の小鹿のように身体は震え、瞳はせわしなくさ迷っている。


 小さなガラス片が頬に刺さっている。それを指で触ると、痛さとそのおぞましい感触に、女の子のように小さく悲鳴を漏らしてしまった。また、身体中がバキバキと音を立てて痛むが、感触的に、何処かが骨折している訳ではなさそうだった。……足は全く動かないが、それは元からだ。


 ゆっくりとボリュームのノブを捻るように、誰かが叫んでいる声が聞こえるようになってくると、アルは今まで自分の耳がまともに機能していなかった事に気がついた。まるで近くで手榴弾が炸裂した、映画の中の兵士のような気分だ。口内を切ってしまったのか、ぽたぽたと血が垂れて、床に零れ落ちる。


「……おい!なぁおい!君、大丈夫か!?怪我をしてるのか!?」


 横たわるアルに屈みこんで話しかけているのは髭面(ひげづら)の男だった。彼も所々に軽傷を負い、鼻血を垂らしている。立派なヒゲをたくわえているが、歳は未だ三十にもなっていないだろう。人の良さそうな顔をしているが、本人も目が覚めたばかりで、その表情は酷く混乱していて、頼りない子供のようにも見えた。


 アルは震える指で、倒れている自分の車椅子を指さした(どうやら固定用のフックもその意味を為さなかったようだ)。うつ伏せで胸が圧迫されていて、喉からはうめくような情けない音しか出て来ないのだ。


 それに今だ身体から力が抜けたままで、上手く動かせず、一人ではどうしようもなかった。それは彼の小さなプライドを刺激したが、今はそれどころではない。乗っていたバスが大事故で横転したのだから。


 髭面の男はアルのやせ細った足を見た。「ああ足が……そうか、分かった」スポーツが得意だとはお世辞にも言えなさそうな体型の彼は、息を切らせながらも、少年を抱え上げようとする。もっと普段から運動しておくんだったと、ぼやいていた。誰かが動くたびに、チャリチャリと床に散らばったガラスが音を立てる。


 そこにスーツを着た背の高い黒人の男が横からやってきて「ここじゃ駄目だ」と言った。横になった座席を掴んで、屈みながらも、何とか立てている様子だ。


 ショックが抜けきっていないのか、飛び出しそうな程に目を見開いて顔を引きつらせているが、その意見は冷静で正しいものだった。子供が玩具を入れた宝箱を無茶苦茶に振り回した後のような車内を見れば、車椅子をどうこうするような場所ではないのだと、すぐに納得出来た。


「そっちを持て……よし」今だ身体を動かせないでいる少年を二人で持ち上げると、頭を下げながら、バスの外へと脱出したのだった。


 フロントガラスは大破して窓枠ごと外れている。バスのワイパーや自動ドアがまるで死にかけの生き物のように、ビクビクと痙攣(けいれん)していた。煙は出ていないし、ガソリン臭くもないが、二人は脱出を急いだ。まるで戦場にいる衛生兵か何かのように。そう、間違ってはいないだろう。ここはクソッ垂れの静かな戦場だ。


 バスに追突されたドーナッツショップの店内も同じく、滅茶苦茶だった。車体に押されて回転したカウンター。ヒビ割れたショーケース内の照明は不気味に明滅し、床に散乱したドーナッツは人が踏んだのか、潰れていて、天井からは電灯がぶら下がり、揺れながら火花を飛び散らせている。


「何で俺達は生きてるんだ?こんな大事故で……」

「ちょっと、これ。必要でしょ?」


 いつの間にか、勝気そうな目つきの少女が、車内からアルの車椅子を持ってきていた。その額からは今だに出血していて、無理矢理に眠りから起こされた猫のように、不機嫌そうな表情をしていた。髭面の男が、少年を車椅子に座らせた。


「ありがとう」


 彼らは店内を見回したが、他には誰もいないようだ。「誰もいないのか?」髭面の男の呑気そうにも聞こえるその声に答える者すら、そこには居なかった。他のバスの乗客は?運転手は?店内の人間は?警察は?駆けつけているはずの救急隊員の姿すら、どこにも見あたらない。


 全員が、唖然とその場に()()尽くしていた(もちろん、アル以外はだ)。


 どこかで、大きなガラス片が床に落ちて割れる音がした。店内には音楽が流れているが、プレイヤーが壊れているのか、引っかかったように同じ部分を繰り返している。"あなたの愛が欲しい"──状況が状況で、ポップソングは酷く虚ろに聞こえる。愛を語る歌詞はまるで、遠い国の言葉のようだった。


 そのBGMと、バスが立てる喘息患者のような物音以外には、何一つ音がしない。人の声も、車の音も、風も。世界は黙り込んでいるようだ。


 ばりばりジャリジャリとガラスや瓦礫を踏む音を響かせながら(それが異様に響くのだ。まるで無人のコンサートホールのステージにでも居るかのように)全員で、ドーナッツショップの外、街の通りへと出た。



「誰もいないんだ……僕達は全員死んだんだよ……もう死んでるんだ……バスが……交通事故で……分かってるだろう?なぁ……」


 そう言ったのは、店の外壁に寄りかかって座る一人の青年だった。割れた眼鏡をかけ、髪はボサボサで、その目は血走っている。黒いパーカーにはアヴェンジャーズのイラストが描かれている。彼らは今どこにいるんだ?今が一番必要とされている時ではないのか?こういう時こそヒーローの出番なのでは?


 オタクの青年は座ったまま膝を抱えて、頭を揺らしている。まるで正気には見えないが、むしろ彼が唯一、真剣に状況を受け止めているのだとも言える。その言葉も、誰に向けるでもなく、ただの独り言のようだった。


 そして彼の言う事は間違っていないかもしれないと、アル達は思った。携帯には電源が入らないが、街並みの暗さで今は夜だと分かる。そしてそこには、誰もいなかったのだ。人っ子一人、誰一人、存在していなかった。


 深夜だから……と納得する事は難しい。ドーナッツショップ周辺の一ブロック以外には、明かりが全く灯っていなかったのだ。店の看板にも、民家にも、街灯にすらも。それはあり得ないはずだろう。


 まるで電気が生きているのはここいらだけであるかのように。今や世界で生き残っているのは、文明を保っているのはここだけだとでも言うかのように。月明かりの所為か、遠くの建物の形は薄っすらと判別出来るが、更に一ブロックも先を見やると、全ては暗闇だった。


「やぁ!!誰かいないのか!!」


 いきなり叫んだ髭面の男の声に、全員が飛び上がった。膝を抱えて自分の世界に閉じこもっていたオタクの青年も、まるで今初めて隣にいる彼らの存在に気がついたかのように、目を丸くして彼に顔を向けていた。


 飛び上がる程驚いたのは、街の空気に、雰囲気に、その静寂に、その暗闇に圧倒されて、飲み込まれていたからだ。まるで悪夢の中にでもいるような気分になっていた。ここはエルム街で、そのうちフレディ・クルーガーがやって来ると言われたら一瞬信じる程度には、皆恐怖を覚えていたらしい。


 それは本能的なものだった。超常現象的なものに巻き込まれた、という確信めいた直感が働いたのだった。(うずくま)る青年の言葉を丸呑みさせてしまうような雰囲気が、街にはあった。


 街に明かりがついていない事、人がいない事もそうだが、大破したバスと、衝突して鼻先が潰れたジープ、それに滅茶苦茶になったドーナッツショップがそのまま、事故当時のままに放っておかれているなど、普通では有り得ないだろう。


 せめて事故現場の周囲には立ち入り禁止のテープが貼られていて、今はパトカーと救急車に囲まれているべきだ。そう、お祭り騒ぎであるべきなのだ。


 夢ならばと頬をつねる必要も無い。何故ならこの場にいる誰もが交通事故の被害者であり、擦り傷や打ち身などの軽傷を負っているのだから、痛みは元から存在している。それに夢だとしても、目覚める事が出来ないのなら、現実と変わらないだろう。我々は事故で死んだのか?分からない。確かめようもないじゃないか?



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