#8「Prologue:End」
聖晶王国騎士軍所属、メルト・フローティス。騎士軍でたった一人だけだった、シーラ・エンジェイトの友人にして理解者。
彼女は今、都市ギルベイスの外れの公園に佇んでいた。柵に囲まれた砂地に、一つの滑り台と数個の木のベンチが備えられているだけの、ごく小さな公園だ。
沈みかけの夕日が、メルトの薄紫の短髪を照らす。子供の姿ももうどこにもなく、彼女はただ一人、ベンチに目的もなく座っている。
シーラの事故死の知らせを受けてから2日。ようやくとめどなく溢れていた涙も止まり、食事も普通にとれるようになった。それでも、胸を押し潰すような痛みは消えはしない。最後まで幸せになれなかった少女の人生を悲しむ気持ちと、そんな彼女を守ってやれなかった悔しさで、彼女は今にも壊れそうだった。
「……シーラ……」
その名を呟いたところで、もう応えてくれる人はいない。失ったものは戻っては来ない。全てはもう、終わってしまっている。
そう思っていたからこそ、耳に入ったその声は煌めいていた。
「……はい。メルトさん」
メルトは驚愕しながら、ゆっくりと声のした方を振り返る。
たった2日ぶりなのに、その白髪の少女の姿がやけに懐かしく見えた。
何十年かぶりに、彼女に会ったような__メルトの姿を一目見た瞬間からシーラは、そんな気分になっていた。
「……シーラ、なの……?」
メルトは問いながら、ゆっくりとベンチから立ち上がる。その問いになんと答えるか、もうシーラは考えていた。
「……ただいま!メルトさん!」
笑顔を向けながら、そう答えた。
メルトは何も言わず、ゆっくりとシーラの方へ歩いてくる。
「えと……あの、ごめんなさい。2日も__」
彼女が怒っていると思い込み、慌てて謝ろうとしたシーラの体が、強く抱きしめられた。シーラの体に、メルトの温かな体温が伝わる。そして、小さな肩には水滴がこぼれる。
「…………良かった……シーラが、生きてた……生きてたよぉ……!!」
子供のように泣きじゃくりながら、メルトは歓喜の声を絞り出した。シーラも本当は泣いてしまいたかったが、こらえる。ほんの少しだけど強くなった姿を、メルトに見せたかったから。
「はい、生きてます。ちゃんと」
「うぅ……あぁ……」
自分のために、こんなにも泣いてくれる__否、ずっと泣いてくれていた人がいた。それが嬉しかった。
「お話、してもいいですか?色々」
「ああ……うん。ごめんね、どうぞどうぞ」
シーラの言葉で我に返ったメルトは、頬を赤くしながら言った。二人はさっきまでメルトが座っていたベンチに、再び座り込む。
「ええと……改めて、ごめんなさい。2日も心配かけて」
「それはもういいよ。大丈夫?ケガとかしてない?ていうか、崖から落ちたって聞いたけど、どうやって……」
メルトは心配そうに、次々と尋ねる。この過保護っぷりは、シーラが彼女と出会った時からずっと変わらない。
「ボクももう駄目だと思ったんですけど……崖の下に、ある傭兵の方がいて、その方に助けてもらえました。ボクがここへ行くのを手伝ってくれたのもその人です」
「そっかあ……じゃあ良かった」
「あ、それと!」
シーラは言うと、メルトの両目にそっと手をかざす。突然のことにメルトが困惑する中、シーラは唱えた。
「ヒール!」
シーラの両手に、暖かな緑の光が灯る。5秒ほどした後、シーラが両手をどかすと、涙のせいで腫れていたメルトの両目は、すっかり元どおりになっていた。
「シーラ、これ……!」
「えへへ……頑張りました。他にも色々使えるんですよ」
シーラは無邪気な笑顔で答える。
「そっか……成長したんだね、シーラ」
魔術が使えるようになった__それが、何より彼女の成長の証になっている。
そんな彼女の成長が喜ぶべきことのはずなのに、メルトはどこか寂しさを感じていた。
「それで、これからまた部隊に戻るの……?」
妙な寂しさを紛らわすように、別の話を振る。
「ボクは……ごめんなさい。ボクは騎士軍を抜けます。アテはあるので、大丈夫です」
「そうだよね……女の子が軍隊になんかいたくないか」
あ、でも……メルトはそう続ける。
「大丈夫かな……シーラが街で過ごしてるのが騎士軍の知り合いに見つかったら、騎士軍に連れ戻されちゃうんじゃ……」
騎士軍の所有物である、奴隷兵士だから__とは決して言わない。シーラにとって、それはありがたかった。
「それなら大丈夫です。ボクたちの部隊の隊長にさっき会って、ちゃんと軍を抜けるって伝えて、正式に認められました。みんながギルベイスに駐在してる時で良かったです」
「え……抜けられたの!?」
奴隷兵士が自分から退役するケースなど、当然今までに無い。それ故、メルトの驚きは大きかった。
「抜けた、って言うより、"そもそもボクは騎士軍に入っていない"ってことになりました」
「どういうこと……?」
「ボク、この前事故で死んだってことになりましたよね?多分、もう上層部の人に報告されてると思います」
「うん……」
「奴隷の契約期間って、基本的には一貫して"その奴隷の死亡が認められるまでの間"ってなってるんです。だから、一度死んだと報告されたボクは、もう騎士軍の奴隷じゃなくなりました」
「じゃ、じゃあ!」
「奴隷に正確な戸籍なんて無いですから。もし騎士軍の人に会っても、顔が似てる別人って言って押し通せるんです。だからボクはもう奴隷98番じゃなくて、98番に良く似た放浪者のシーラ・エンジェイトってことになりました。最初からボクは、騎士軍になんか所属してないってことになるんです」
最後まで説明し終えても、メルトはぽかんと口を開いたままだった。
「すごい……そこまで自分で考えたの?」
「流石にそんなの無理ですよ」
この理屈を考えてくれたのも、彼だった。
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先日の夕方。
「ダイゴさん……傭兵団を、抜けてくれませんか?」
宿で、シーラはダイゴにそう言った。
「えと……どうしてかな?」
当然、その問いが帰ってくる。
「その……すごく自分勝手で申し訳ないんですけど……ボク、これからもダイゴさんと一緒にいたいです」
少し恥じらいながら、シーラは言う。
「でもボク、奴隷兵士だから、いつか騎士軍に連れ戻される時が来ます。ボクは騎士軍から出られないから……ダイゴさんが騎士軍に来てくれないかな、って……勝手ですよね。ごめんなさい」
言い終えてから、シーラは自分の愚かさに気付いた。あまりにも勝手で、自分しか得をしない願い__否、子供のわがまま。叶うはずもないと、そう思った。
「ごめん。俺、傭兵として戦いたいんだ。そうしなきゃいけない理由がある。だから、騎士軍には行けない」
「そうですよね……」
「でも、ありがとう。一緒にいたいって言ってくれたこと、嬉しい」
ダイゴは笑顔で言う。
「じゃあさ、シーラが騎士軍を抜けられる方法をどうにか考えて……それで、もし抜けられたら、うちの傭兵団に来いよ。戦闘部隊以外にも色々仕事はあるから、戦わなくても大丈夫!」
「え……良いんですか?一緒にいても」
「ああ。君が俺と一緒にいたいって言ってくれるなら、俺はできる限りのことをする!」
ダイゴは、迷わずシーラにそう言ってくれたのだ。
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こうしてダイゴが思いついたのが、この理屈だ。子供じみているが、筋は通っている。
「そっか……とにかく、騎士軍はもう辞められたんだね」
「はい」
「そう……ようやく終わる、ううん、始まるんだね」
シーラの、新たな人生が。
「メルトさんは、しばらくギルベイスに?」
「ごめん、私は明日すぐここを出るの。それで、だいぶ遠出するから、長いこと会えないかも」
喜ぶべきこと。ずっと救われて欲しいと思っていた少女が救われる時が、ついに来ようとしている__それなのに、この寂しさは、悲しみは。
「私も騎士団辞めてついてっちゃおうかなー、なんて思ったけど。自分から入団した以上、簡単に辞められないしね」
メルトは気付いた。自分は、シーラに巣立って欲しくないのだと。
彼女が時々笑顔になってくれると、それだけで嬉しかった。苦しみに満ちた彼女の人生を、それでも少しでも自分が照らせていることが、嬉しかった。
彼女といる時間は、メルトにとって幸せだった。
「……じゃあ、人生の先輩として、親友に3つアドバイス!」
それでも、彼女が進む道を妨げるわけにはいかない。メルトの1番の願いは、シーラの幸せなのだから。
一緒に帰ろう、と手を繋ぎたい__その気持ちを押しとどめて、メルトは代わりに、シーラを強く抱きしめた。
「わっ……メルトさん?」
「1つ、目上の人にも不満はちゃんと言うこと。言わなくても伝わることってあるけど、言わなきゃ伝わらないことのがよっぽど多いからね」
「わかりました」
シーラがほんの僅かに震えている__抱きしめながら、メルトは一瞬そう思った。
でも違う。震えているのはメルトだ。
「2つ、泣きたい時はちゃんと泣くこと。泣くべき時に堪えたら、涙は心に溜まっちゃうの。それは枷に、重荷になる。だから、ちゃんと泣かなきゃダメ。その代わり、次の日は必ず、みんなに笑顔を見せること!」
「……はい」
絞り出すような声で、シーラが言う。
最後の一つ__これを言い終えれば、すぐに別れの時が来る。それでも、メルトは迷わずに口を開いた。
「3つ……自分も、自分も大切な人も幸せにするため。そのために頑張り続けること!雨に打たれても、風に煽られても、一生懸命進むこと!そういう人生は……きっと、楽しいよ」
結局言いたかったことは、最後の一つだけだったかもしれない。
「……頑張れ。シーラならきっと、幸せになれる。何回泣いても、きっとまた全力で笑える。必ず。私、信じてるから」
「…………はい……!」
シーラが絞り出したその声は、涙の色をしていた。
「頑張ります……ボク、頑張ります……」
シーラはメルトの両腕をそっと離れる。その目には、ついに堪え切れなくなった__あるいは、最初から堪えるべきではなかった涙が浮かんでいた。
「うん!頑張れ!」
「はい!」
涙に顔を濡らしながらも、シーラは最後の一言だけは強く言った。
「……最後に、教えてくれる?その……私のこと、好きだった?」
言おうか迷った。だけど、聞いておきたかった。
「……ずっと大好きです。当たり前じゃないですか」
メルトは、その言葉が何より嬉しかった。
シーラは、彼女のことが大好きだ。でも今は、ミクモ・ダイゴも同じように大切な存在だ。だから恩を返すため、そして強くなるために、今は彼と一緒に生きたいと思った。
そして、今よりずっと強くなったら、必ずその姿をメルトに見せに来ようと決めた。
「メルトさん……ありがとうございました!」
そして、シーラは深く、深く深く、頭を下げる。彼女と過ごした日々、その全ての感謝を込めて。
「うん、こちらこそ!」
メルトは笑顔で、そう答える。頭を上げ、一瞬笑顔を見せたシーラは、街の方へと走り出した。全力で走るその姿が、少しずつ小さくなっていく。別れは一瞬だった。その方がいいと、二人とも分かっていた。
「……頑張れ、シーラ。頑張れ」
最後の言葉を、メルトは呟く。
夕日に照らされる背中が、暖かかった。
出会ったばかりの頃、メルトはシーラに話した。
メルトは子供の頃、戦争で幼い弟や妹4人を失った。故郷の村が焼け、その中、瓦礫に潰されたり、何かの破片に体を貫かれたり、煙に小さな身体を侵されたり__色々な理由で、みんな死んでしまった。かけがえのない家族が悲鳴をあげながら倒れていく中、彼女は何もできなかった。
だから、強くなって、この国の子供たちをみんな守ってみせる。そのために騎士軍に入った。彼女はそう語った。
彼女と過ごす中で、シーラは思った。彼女のそれは、過去の罪滅ぼしでも、賞賛を得たいがための偽善でもない。彼女は本当に心の底から、誰かを守りたいと、ただ純粋にそう思っているのだ。
そんな純粋な願いを、シーラはただ素敵だと思った。そして、そんな人間に自分もなりたいと思った。
(ボクの、願いは……)
それはまだ、ただの利己的なわがままかもしれない。それでも、彼女のたった一つの願いだ。だから失くさない。彼女はそう決めた。
街道の向こうで待つ、緑の髪の青年を見据えながら、シーラは想った。
(ボクは、彼と一緒に戦い続けたい!)
プロローグは終わりを告げた。
奴隷英雄の物語は、ここから始まる。




