#3「嘘を嫌う嘘つき」
「……よし。もう良いな」
肉の焼き加減を見ていた青年__ダイゴは頷き言うと、地面に刺された鉄の串を抜く。串に刺された肉はいい具合に焼き色がついている。
ダイゴは鞄から円柱状の容器を取り出すと、中身を肉に振りかけた。塩胡椒だ。こんなサバイバルもよくあるだろうと、彼は常に持ち歩いている。
「熱いから気をつけてな」
味付けを終えると、ダイゴは二本の串のうち一本をシーラに差し出した。
「えっ……ボクに、ですか……?」
「ん?ああ……女の子はあんまりこういうの食べたくないよな。ごめん、これしか食べ物なくてな」
「いえ、そうじゃなくて……」
シーラが困惑したのは、食べ物の種類が理由ではない。兵士になってから最低限の食料しか与えられず、ましてや肉など与えられたことのなかったシーラにとって、それを躊躇いなく与えてくれるダイゴの態度に困ったのだ。
「……じゃあ、いただきます」
鉄串を掴むと、ほのかな熱が白い手へと伝わってきた。眼前の肉塊は湯気を登らせるとともに、食欲を掻き立てる匂いをシーラに放つ。
本当に食べてしまっていいのだろうか__そんな妙な罪悪感を抱えながら、しかし空腹を堪え切れなくなったシーラは、小さな口で肉の端にかじりついた。
「はふっ……はっ……」
思ったよりも少し熱かったが、丁度いい温度だった。噛みしめるたび、肉汁が溢れ、完璧なさじ加減の塩胡椒の味が広がる。
美味しい……美味しい。美味しい!美味しい!二口、三口と次々に肉を口に運ぶシーラの脳裏には、その一言しか浮かんでいなかった。たっぷりと、そして丁寧に、口の中で幸せを噛みしめる。
だけど__この美味しさは、幸せは、ダメだ。あの時を思い出す。それはダメだ。
「おっ、良い感じ……そっちもちゃんと焼けてるかな?」
自分の分の肉を食べ進め、満足げに微笑んだ後、ダイゴはシーラに尋ねた。
「……はい……」
シーラは答えようとしたが、何故か絞り出すような微かな声しか出せなかった。自分の視界が滲んでいることに気付いたのは、その後だった。
「あれ……おかしいな、なんでボク……」
泣いていた。とっさに腕で涙を拭ったが、涙は溢れ出て止まらなかった。
この幸せはダメだ。いくら気を紛らわせようとしても、勝手に思い出してしまう。美味しいご飯を作ってくれた彼女を。こんな幸せを、幾度となくシーラに与えてくれていた、彼女を__アンジュを。
「シーラ……?」
突然すすり泣いたシーラを見てダイゴは困惑したが、すぐに原因を悟り__
「あっ……ごめん!そんなに不味かったか!?ごめん!」
見当はずれなことを言いながら、必死に謝るのだった。
「…………」
あまりに突然の出来事に、シーラは困惑し、そして思わず口元を緩ませた。
「……ふふ。あははっ!」
真剣な誠意に対して失礼だと分かっていたが、笑いを堪えずにはいられなかった。
「え……な、なんだよ」
笑われた意味がわからないダイゴは、呆れたような、あるいは困ったような顔をして言った。
「ごめんなさい。でも面白くって」
そう言って未だに笑い続けるシーラを見て、ダイゴはますますばつが悪そうな顔になった。
「方向音痴……ですか?」
「あんまり言わないでくれよ……」
食事を終えた後、お互いの現状を伝えあおうということになり、そこでダイゴは『傭兵団の拠点へ帰る途中、仲間とはぐれた。原因は自身の方向音痴である』との旨を明かしたのだ。
「地図は持ってるんだけど……この街の北西の方を目指したんだがな」
「ここ、南東の丘ですね」
地図を見ながらでも真逆の方向に進んでしまうとは、相当な方向音痴らしい。
「それで、雨が降ってきたから雨宿りできる洞窟を見つけて……そうしたら、君が上から降ってきたって感じだ」
「なるほど……」
北西を目指していたら南東へ歩いていた__その偉業に意識が集中してしまい、後半はだいぶ聞き逃してしまった。
「君は?なんで急に落ちてきたりしたんだよ」
「えっと、ボクは……」
なんと答えようか迷ったが、シーラが思っていたよりも早く、彼女の口は動いた。
「……足を踏み外しちゃって」
(あれ、ボク今……何て?)
「踏み外したって……あのまま落ちてたら死んでたぞ?」
「ごめんなさい。あとそれから、ボクも部隊からはぐれちゃった身で」
「はは。お互い迷子か」
違う。はぐれたのではなく、追い出された。足を踏み外した?違う、殺されかけたのだ。だけど、どうして自分が嘘をついているのか__シーラ自身にも分からない。
「そういえば話変わるけど、シーラって今いくつだ?騎士軍の兵士にしては若いよな」
「え、えっと、ボクは……」
ダイゴの疑問はごく自然なもの。なぜなら、"本来は"騎士軍に入軍するのは18歳からであるからだ。14歳の少女が正規入軍しているのは有り得ない。
「……18歳ですよ。身長低いから、よく子供だと思われるんですけど」
また嘘だ。何故か、"14歳で奴隷兵士である"と言うことができない。ダイゴを騙すつもりはないのに、彼女の舌が勝手に嘘を騙る。
「……ごめんなさい。ちょっと、外出てきます」
「え?ああ……」
雨が止んでいたのが幸いだった。洞窟から少し離れた森の中で、大木に体を委ねながら、シーラは静かに曇り空を見上げる。
「……問題。どうしてボクは嘘をついたのでしょう」
誰もいない森の中、ひとりで呟く。当然回答者などいないので、シーラは問いの答えを自分で考え出す。
おかしい。何かがおかしい。ダイゴに出会って、彼を"アンジュに似ている"と思い始めた時から。
彼への不信感から嘘をついているのではない。それとは全く違う何かが理由で__だけど、その理由がなんなのかは見当もつかない。そんな状態だから、シーラの心はもやもやし、イライラとさえするのだ。
そんな心の陰りをかき消すように、シーラはわざと足音を大きくして、わざと足を強く踏み鳴らして、森を歩く。草の擦れる音と、木の葉が風に揺すられる音しか響いていない、静かな森を。
静かな森の、はずだった。
「グラァッ!!」
「!?」
突如獣の吠える声が聞こえ、シーラは反射的にしゃがんで頭を下げた。攻撃ではなかったことを確認すると、再びゆっくり立ち上がり、周囲を見回す。
(狼……?)
背後に見つけた獣は、少し背の低い、青い狼の姿をしていた。だが血走った目、鋭くていびつなほど大きな牙__その獣がただの動物ではないことを、それらは示していた。
(まさか、魔も__)
「ガアアウッ!!」
シーラの思考を遮るように、獣は牙をむき出しにしながら突進してきた。寸前のところで左に回転して回避するも、獣はすぐに切り返し、起き上がったシーラを狙い討つ。
「っ……ブロッケル!」
二発目は避けきれないと思ったシーラは右手を獣に向けて掲げ、防御魔術を唱える。しかし、何が起こるでもなく、ただ無防備な状態を晒したまま、獣の突進を受けた。
体勢を崩され、獣にのしかかられる形になったまま、シーラは地面に激突する。
「かはっ……この!」
衝撃と痛みに怯む体を無理やり動かし、シーラはさらに獣ごと半回転し、今度は獣の上にのしかかった。
「ホワイト・ショート!」
今度は光の攻撃魔術を、狼の顔面へ向けて唱える。だが、またも魔術が発動することはない。
「ガウッ!!」
獣の上半身が起き上がる。反応が遅れたシーラの左腕に、獣は鋭い牙で強く噛み付いた。
「っあああ……!!」
肉を引き裂かれそうになる激しい痛みに、シーラは悲鳴をあげる。細く白い手から鮮血が滲んでもなお、獣は牙を抜かない。
シーラは腰のベルトに付けた護身剣を右腕で抜く。ナイフとも呼ぶべき小さな鋼の剣を、獣の左目に思いっきり突き立てた。
「グ、ガアアア!?」
今度は獣が悲痛な叫びをあげる。獣がシーラの左腕からとっさに離れ、14歳の少女にはあまりにも不似合いな血生臭い戦いは、一旦振り出しに戻された。
「グラァ……」「ガルルルル……」「グギァァ!!」
(嘘……!)
一瞬、幻聴かと疑った。新たに三匹現れた、その獣たちの鳴き声を。
合わせて4匹。いつのまにか、シーラは四方から完全に囲まれていた。
(そんな……)
1匹倒す__否、食い止めるだけでも精一杯な獣が、4匹に増えた。その事実が示す自身の運命を悟ったシーラの体は、恐怖に震えだす。両足が肉体を支える使命さえ果たせなくなり、シーラは呆然としたまま膝をついた。
先ほど切り抜けたばかりの死という贈り物を、彼女は再び押し付けられようとしているのだ。
(……さよなら、ダイゴさん。ごめんなさい)
自分を救ってくれた人の顔を思い浮かべながら、シーラは生を諦め、そっと目を閉じた。
「……グガァァッ!?」
そして、獣の雄叫びが響く。
だがそれは、興奮による叫びではなく、断末魔であった。
長い剣を頭に突き刺され、倒れる1匹の獣__その背後には、緑の髪の青年が息を切らしながら立っていた。
「……すまない。遅れた」
「ダイゴ……さん……!」