#19「黒炎vs燃ゆる闘志」
同刻、シーラ・エンジェイト。
「はあ……はあ……」
肩で息をしながら、必死に森の中を走る。町の近隣の森へメリッサを攫って逃げ出したクロノを、彼女は全速力で追っていた。
「……っつ」
ふと、右手に熱いものが触れた。ふと見てみると、右手の人差し指にヒモのようなものが巻き付いていた。
そしてそのヒモを追うように、火の欠片が空中を飛んでいる。目を凝らしてみると、それは文字だった。
『そのヒモでシーラの位置は分かるから、あたしたちが応援に行くまでは慎重に!命を第一に!』
火で文字を作る__十中八九、ティナからのメッセージだ。
ありがたい気遣いだが、時は一刻を争う。
「メリッサさん……!」
依頼人の命が危険にさらされている。いつ命を奪われるか分からないのだ。あるいは、既に__
嫌な考えを頭から消し去り、シーラは走り続けた。
そして、たどり着く。
「……んあ?やっべ、ちんたら歩きすぎた」
気だるげな声とともに、シーラの視界についに捉えた。
クロノ・グレートアーミィ。シーラは、メリッサを誘拐した男と向かい合う。肩に抱えるメリッサは、未だに気絶している。
「てかなんで場所バレした……?」
「……」
シーラは、ティナの魔力を図る目薬を使ってクロノを追ったのだ。
「まいいや。嬢ちゃん何しにきた?」
「メリッサさんを……その人を取り返しに来ました」
「ブフッ……え、マジ?嬢ちゃん一人で?」
クロノは嘲笑う口調で言った。だが、そういう態度を取られても仕方ないとシーラは思った。理解している。彼との力の差を。
魔力を発見するとともに彼の魔導力を見た時、彼女は身震いしそうになった。シーラの魔導力約9000に対して、彼の魔導力は15100。シーラを凌駕するのはもちろん、あのダイゴをも超えた数値だ。
「何が目的ですか?」
まずは交渉を__圧倒的な力量差があるからこそ、かえってシーラのような素人でも"戦い"のやり方を落ち着いて考えることができた。
「目的ねえ……説明めんどくせえけど、一言で俺を表すなら"愉快犯"ってヤツ?」
「愉快犯…………」
シーラはそう呟き、黙り込む。
「……って、何ですか」
「マジかお前」
アンジュと過ごした日々の中で、そんなワードを知る機会など無かったのだ。
「あー、じゃあもっと簡単に言うわ。"楽しいからやってる"」
迷わずそう口走るクロノに、シーラは驚きを隠せなかった。
「俺好きなんだよなあ、こうやって人を手中に収めんの。こういう弱いくせに偉そうな奴とか特に。支配が楽しい。俺が誰かの命を握れる状況は愉悦に満ちてる。いいもんだよ」
自身の方にもたれかかるメリッサを指差しながら、クロノが言う。悪魔__彼の一連の発言からシーラに染み付いたイメージは、それだ。
シーラは次の言葉を探り、慎重に口を開く。
「……だけど、絶対にメリッサさんが必要なわけではないんですよね。返してください」
「なんだその言い方?こいつさえ無事なら、他の奴が身代わりでもいいみてえな言い方だな」
あなたがそんなことを言うか__口から出そうになったその言葉を、シーラは寸前で飲み込んだ。
「まいいや。嬢ちゃんの勇敢さに免じて、コイツは返してやるよ」
クロノはそう言うと、意外にもすんなりとメリッサを手離した。腰を両手で持たれて投げられたメリッサの体を、シーラは慌てて受け止めた。一瞬押し倒されそうになったが、すぐに踏み込んで体勢を整えた。
「"カゲロウ"」
「ッ!」
直感で、魔術の名前だとシーラは見抜いた。とっさに前に出て、メリッサの体を自身の背中を盾にして守ると同時に、クロノの手から拳ほどの大きさの黒い塊が放たれた。
防御魔術は間に合わず、高速の塊は傭兵団のジャケット越しにシーラの背中にぶつかった。
「ぐっ……」
爆発のような音とともに強い衝撃に襲われたが、服に守られたのか痛みはあまり無かった。たが直後、焦げ臭いにおいがした。
「燃えてる……!?」
間違いない。あの塊は炎。漆黒の火だ。
「気をつけろよ。触るとしっかりヤケドするぜ?燃やしたいモンだけ燃やせる便利設定だからな」
「……んぃ……?」
クロノの言葉に重なって、シーラの耳元に寝ぼけた声が聞こえた。ふと見ると、今の衝撃がきっかけになったのか、メリッサがゆっくりとその瞼を開いていた。
「……ひゃっ!?やだっ、離してっ!!」
「わっ……ちょ、メリッサさん!」
メリッサは未だクロノに担がれていると思い込んでいるのだろう、半ばパニックになりながら喚いた。
「落ち着いて!ボクです、シーラです!」
「え……あんたは……」
「遅れてごめんなさい。怪我は__」
問いかけようとしたシーラの視界に、右手を掲げるクロノの姿が映った。
「やばっ……!」
「"ニッショク"」
クロノが魔術を唱える。接近する黒い炎を警戒したシーラだったが、炎は彼女の寸前で炸裂するように分散し、彼女を避けた。
来ない……?疑念を抱いたシーラをよそに、分散した炎たちは円形に飛び、地面に着地した。
「つーかまーえた。人質解放したわけねえだろ?お前も捕らえんだよ」
「!しまっ__」
その言葉でようやくクロノの企みに気づくが、既に遅かった。円形に散らばった黒い炎はたちまち巨大化し、結界のように辺りを囲った。もう逃げ場はない。
「ちょっと!どうするのよこれ!」
「うぅっ……」
「強行突破しても無駄だぜ?俺が燃やさないと決めたモノには、壁として立ちはだかる」
高さ自分が追い込まれたのはまだいい。だが、メリッサもこの結界から出られないのはまずい。戦いになれば危険だ。
「ねえ……」
「"スート・ブロッケル"」
メリッサの不安げな声をかき消すように、シーラは防御魔術を唱えた。メリッサの体を、魔力の膜が包み込む。
「大丈夫。ボクが守ります」
シーラはメリッサをかばうように前に立ち、再びクロノを見据える。
心臓が高鳴る。緊張が体を襲い、炎の暑さも相まって、汗が頰を流れる。体も心も、彼との力量差を分かっている。
だけど、死を恐れる気持ちはなかった。白蛇との戦いが、シーラに戦う覚悟と勇気を確かに与えている。
あるいはそれは、"生きたい"という意志から生まれるヤケクソな闘志なのだろうか。
「……はああああああ!!」
どちらでもいいと、シーラは思った。両腕に魔力を集中させる。血がたぎるかのような感覚とともに、魔力が結集していくのを感じた。
「"ホワイト・ショート"!」
やはり、先手を打つならこの技だ。両手の魔力がいくつもの光の玉に変わり、弾かれるように飛び出してクロノを襲う。
「"カゲロウ"」
クロノは冷静に、すぐに魔術を唱えた。黒い炎が飛び出し、光の玉とぶつかると、その全てを爆風とともに相殺して消滅した。
「……ッまだ!」
「おっ?」
爆風が吹き荒れる中、シーラはクロノに急接近した。すかさず魔力を絞り出し、右手にこめる。そして、拳を後ろに引いた。
「"エンジェル・フィスト"!」
唱えると、シーラの拳は姿を変えた。真っ白で美しく、そして巨大な大天使の拳に変化すると、そのままクロノの懐に巨大な一撃を打ち込んだ。クロノは胸元を殴られた勢いのまま吹き飛び、黒い炎の壁に叩きつけられた。彼を燃やす設定にはしていないらしく、炎はあくまで壁として彼を受け止めた。
だが壁にぶつかる衝撃も含め、ダメージは大きいはず。先にダメージを与えたのはシーラだ。
「……なるほど。やるじゃん」
だが、クロノはあっさりと起き上がった。まるで負傷など微塵もないかのように。
「そんな、直撃したのに__」
「"ヒゴロモ"。戦いの前に備えとくのは当たりめえだろ」
クロノはそう言い、上の服を捲り上げて腹を見せた。そこには、黒い炎の膜、否、鎧が燃え盛っていた。
「ま、ちょっとは効いたよ。カブトムシに突っつかれたぐらいにはな」
「……ならっ!」
シーラは腰から、ダイゴに授かった短剣を抜いた。大きな衝撃を炎に吸収されるなら、炎の合間を貫く一閃の切断ならどうだ__思惑とともに、再びクロノに向かって走り出す。
「殴りがダメなら斬り……いいじゃん。戦闘センスあるぜ嬢ちゃん」
「やああああっ!」
クロノの言葉を無視し、シーラは剣を振りかざした。ダイゴの剣技を見ての見よう見まねの素人技だが、クロノも見たところ剣士ではない。それならば付け焼き刃でも一矢報いれる可能性はある。
「"ブロッケル"」
光の壁が出現し、斬撃を防ぐ。シーラの手に強い衝撃が響き、骨を振動させる。縦一閃に振るった剣撃を、クロノは下級のブロッケル一つであっさりと受け止めた。
「よっと」
ブロッケルが音を立てて砕け散った瞬間、クロノは一歩近づいてシーラの手首を掴む。彼女の腕力を配慮した、短すぎるほどに短い刀身が仇になった。
「おらよっ!」
「うぁぁっ……!?」
クロノは手首を掴んだ右腕を振って一回転した後、恐るべき筋力でシーラを投げ飛ばした。
「わああああっ!?」
「ちょっ……こっち来ないでよ!?」
メリッサの元へと吹っ飛んだシーラを、彼女は慌てて受け止める。だがシーラの飛ぶ勢いを抑えきれず、そのまま彼女の下敷きになった。
「あっ、ご、ごめんなさい!」
慌ててシーラは謝る。
「……いいから!勝ちなさいよ!」
「はい、分かってます!」
自分の命も、メリッサの命も、この戦いにかかっている。ティナたちもいつ来てくれるか分からない。自分で何とかしなければならないのだ。力をしぼり出せ。立ち上がれ。シーラは自分に言い聞かせる。
シーラは、未だ自分が剣を握り続けていたことに今更気付く。右手で握り直して、クロノに切っ先を向けた。
「今の剣撃を、わざわざブロッケルで防いだ……その炎の鎧じゃ、剣の攻撃は防げないんですね?」
「ヒュー、正解。やるなあ嬢ちゃん、やっぱ才能あるわ」
褒めながらも、クロノはその嘲笑的な態度を崩さない。余裕にまみれたクロノと、微塵も余裕のないシーラ。力の差がここまで顕著に出るとは。
「気に入ったぜ。名前は?」
「……シーラ・エンジェイト!」
シーラは力強く名乗った。
「オーケー。シーラ、足掻く手段はあと何個残ってる?せいぜい楽しませろよ!」
「……!!」
シーラは闘志を燃やした諦めのない眼差しで、悪魔を睨んだ。
諦めない。必ず勝つ。彼女は3度目の戦いにして、既に戦士として完成していた。