#16「襲来」
「メリッサさん〜!待ってください〜!」
町の中、本を抱えて逃げるように駆けるメリッサを、シーラは追いかけていた。追いつけそうなスピードなのに、道に人が多くて本気で走れない。
煉瓦の家の間の小道に入る彼女を視認したシーラは、曲がり角に留まった小鳥をジャンプで避けてその奥へ入った。
「はぁ…はぁ…」
(あ、バテてる)
メリッサは、息が上がった様子で壁に寄りかかっていた。まだ一分ぐらいしか走ってないのに。
「あの、ボク何かいけないことしましたか……?」
「……どこまで読んだ?」
「はい?」
「この本!どこまで読んだ?」
メリッサが、手元の本の表紙を叩きながら言う。タイトルが刻まれていない表紙が、トントンと音を立てた。
「えと、いえ、一話だけですけど……」
「一話……まあそれならまだ……いや、ううん……」
メリッサは悩ましげに、独り言を繰り返している。
「……とにかく。もう読まないで」
「えっ……あっ、もしかして売り物でした!?ごめんなさい、それならお金払うので……いや、でもボクお金持ってないし……」
「そうじゃなくて!」
メリッサはシーラに指差し、半ば怒るように言った。
「お金とかの問題じゃない。読まれるのが嫌なのよ!」
(どうして……あ、そっか、そういうことか!)
シーラはついに閃いた。
「大丈夫です、ほんとにすっごく面白くて、続きが気になりました!だからそんなに自信をなくさないで__」
「だああ!そういう意味でもない!!」
「えぇ!?」
予想を外し続け、ただただシーラは困り果てる。
「……あのね、これは私だけの本なの。私の世界なの、私の領域なの、私のアイデンティティなの!」
力強く、気高く。だけど、なぜか寂しく響く。
「……誰かが踏み入れていいエリアじゃ、ないのよ」
そんな声色だった。
「メリッサさん……」
__ドゴオォォォン!!!
「!?」
「な、何よ今の!?」
爆音。町の遠くの方からだ。だが幸い、シーラたちの馬車からは正反対の方角だ。ならば__
「メリッサさん、すぐに馬車に戻って!ボク、様子を見てきます」
「え……ちょっと、あなた」
メリッサが何か言おうとする前に、シーラは彼女の腕を握った。そして、両手に魔力を込める。
「…………スート・ブロッケル!」
メリッサの体の周りを、魔力が取り囲んでいく。
中級防御魔術、スート・ブロッケル。膜状のブロッケルだ。
「これで、多少のアクシデントからは身を守れます。急いで!」
「えっ……えと、わ、分かった」
メリッサが走り去るのを見届けると、シーラはリバースの制服の袖を引っ張って伸ばした。他の住民の人たちも備えをし始めている。彼らは心配いらないだろう。
「よし……」
シーラは、爆音のした方へ走り出した。
「……ボク、ちょっと衛兵っぽかった……!」
そう呟きながら。
同刻。
「……かはっ……!」
爆音と共に住宅の壁に叩きつけられ、呼吸が止まりそうなほどの衝撃を全身に受けた。全身がジンジンするが、ダイゴはすぐに立ち上がった。
買い出しに出かけたダイゴたちの前に突如現れた、黒髪の青年。敵意むき出しの彼を前にし、ダイゴはジャンニーらをメリッサの元へ向かわせ、自分は一人彼と剣を交えていた。そして、今に至る。
実力は互角__否、それは自分の傲慢だと、ダイゴは思った。実際は彼がダイゴを凌いでいる。
「……やるな。君、名は」
ダイゴより2,3歳若そうな、目の前の青年に尋ねる。街道を一歩ずつ歩いて寄ってくる青年は、少しだけ切り傷を負っているが、まだまだピンピンしている様子だ。ボロボロの服は手入れ不足か、あるいは彼の今までの戦いの証か。
「……バスター。自分で考えた名だから、姓は無い」
「そうか。大した力だな。どうやって手に入れた」
少年時代から剣を振り続け、神すら味方につけた自分をも凌ぐ力。過去を全て犠牲にし、剣一本に捧げた結果あるいは、たった今何かの代償を支払った結果。そうでもなければ得られるはずのない力を、バスターは持っていた。
「特別なことはしてない。剣を振り続けただけだ」
「……まあ、そうだよな」
バカなことを聞いたと、ダイゴは自分自身に呆れて苦笑いを浮かべた。
全力で戦っても、勝てるかどうかは五分五分。だけど、もう少しでメリッサの安全を確認したジャンニーかティナか、あるいはシーラが応援に駆けつけてくれるはずだ。一対一で勝てないのは格好がつかないが、これは試合じゃない。敵が命を狙いに来る以上、どうやってでも勝たなければならないのだ。
(要するに、俺はここで食い止めさえすれば__)
思考をまとめきる間も無く、眼前のバスターが剣を構えた。殺気がダイゴの全身を襲う。
だが、それが彼に恐怖を与えることはなかった。むしろ、それは彼の野心を__"勝ちたい"その意志を呼び覚ました。
弱気になれば、死ぬ。ようやく気がついたダイゴは、再び魂を燃やす。立ち上がり、"神御剣"の構えをとった。
(……今ここで、俺が倒す!)
剣と剣が再び交わり、美しくも鉄臭い火花を散らした。
「……あっ、シーラ!」
爆音のした方へ全速力で走っていたシーラは、聞き慣れた声を聞いて足に急ブレーキをかけた。現場へ近づくほどに逃げ惑う住民は増えていき、今では人々が軽いパニック状態になっている。
声の主は、ティナであった。横にジャンニーもいる。
「あの、さっきの爆音は……」
「不審者よ」
「ふ……不審者!?」
「一人でやってきて暴れてるけど、魔晶王国の軍人か分かんないのよ。ダイゴが応戦してるから、あたしたちはあのお嬢様を守るわよ」
馬車を止めた方角を指差し、ティナが言う。
「応援に行かなくていいんでしょうか……」
「心配いらねえ。ダイゴは一対一じゃ絶対負けねえよ」
確かに、シーラから見ても彼の強さは強靭にして未だ未知数。信頼は出来る。
「あたしたちの任務はアイツを倒すことじゃない。お嬢様を守ることでしょ?」
「分かりました。じゃあ、こっちに来てください」
「え……なんでそっち?」
馬車とは違う方角に二人を誘うシーラを見て、当然ティナは疑問を抱いた。
「さっき、メリッサさんと町に来ていて……あっ、勝手に出かけたことはすみません……それで、さっき馬車に逃げてって言ったんです」
「なるほどね……」
「多分、まだ道の途中です。追いかけましょう」
二人は頷き、シーラの後について走る。
「……にしても、シーラも立派になったじゃない。まだ2日しか一緒に過ごしてないけど」
「そ、そうですか?」
「最初は子供だしビクついてて、こんな子大丈夫かって思ったけど。今じゃちゃんと大人に負けない良い顔してるわ」
まだまだ母アンジュや恩人のメルト、それにダイゴにも遠く及ばない。それでも、少しずつ自分は前に進んでいる。シーラ自身、そう思ってはいた。
「……ありがとうございます」
自分はもっと強くなれる。いや、強くなる。そんな思いも十分にあった。
「それでも、過去の罪は消えないわよ」
「……え……」
今のは、誰の声だ?
「ティナさん……その、今何か言いましたか?」
「え?だから、立派になったねって」
「ああ、いえ。そうですよね。何でもないです」
彼女ではない。ジャンニーも、声色も口調も遠く離れている。なら幻聴か?いや、そんなはずはない。
(……今は護衛に集中しろ!)
自分に喝を入れ、再び前を見据えた瞬間。
「傭兵団!」
聞き覚えのある声が聞こえた。シーラたちは声がした、大きな住宅の屋根の上を見上げた。
「め、メリッサさん!?」
確かにメリッサだ。屋根の上に彼女がいる。
「……よお。探し人はこの子かい?」
見知らぬ男に担ぎ上げられた、彼女が。
「あなたは……!?」
「はじめましてぇ。クロノ・グレートアーミィっす」
邪悪な笑みを崩さずに、そう名乗る男。
「えー、今からー……」
クロノは、そのまま言葉を繋げた。
「…………ひっ!?」
「こいつ殺しまーす」
メリッサの首元に突き立てられた、一つのナイフ。
「……ッ!!」
奴はすでに、彼女の心臓を握り締めていた。