#11「死闘・白蛇」
死神の声。凍りつく世界。再びシーラにまとわりつく、"死"の予感。
「……ホワイト・ショート!」
しかし、一度死線をくぐり抜けたシーラの心中は、恐怖よりも戦う意志が勝った。すぐに後ろに手を向け、魔術を唱える。
白蛇は攻撃が来ると瞬時に察知し、シーラの背後で大きく跳び上がる。遅れて飛び出した光の玉__ホワイト・ショートが、真っ直ぐ伸びてそのまま木に激突し、幹を焼いて煙を上げた。
「びっくりした。そのくらい出来るんだ」
白蛇は空中で呟く。その顔から余裕を含んだ笑みが消えたのは、シーラを力のある敵と認め、体が戦闘モードに入っている証なのだろう。
白蛇は落下しながら、懐のポケットに隠した小さなナイフを取り出す。
「ブロッケル!」
攻撃が来るということは、戦闘の素人であるシーラにも分かった。すぐに防御魔術を上に向けて唱えると、彼女の頭上に天井のように魔力の壁が現れた。
「残念」
しかし、白蛇の着地点は大きく逸れた。まるで予測していたかのようにブロッケルの範囲をかわして着地し、その周囲には砂煙がたちこめる。
シーラの頭上のブロッケルが役目を果たせずに消えていく中、白蛇は再びナイフを構え直す。
話はきっと通じない。今は戦うしかない__!シーラの本能が、そう言った。
「ここで殺されてくれると助かるんだよ。こっちにもノルマがあるから」
正面に立った白蛇は、相変わらず目元が見えない。しかし口元は伺えた。そして、フードの隙間から少しだけ赤い髪が見えた。白めの肌を見るに、女という可能性も大いにある。
白蛇と初めてまっすぐに向かい合い、シーラは言葉が出なかった。以前のブールフのような、外見的な恐ろしさは薄い。しかし、白蛇の全身からは真っ黒な殺意が放たれていた。それがシーラの体を蝕み、足を止め、体を震わせている。
(……生きる。ボクは生きる!)
生きる。生きる。生きる。何度も念じた。無垢な白い感情で、その殺意に対抗する。
そうして打ち勝った心に続き、体もすぐに自由を得た。こちらに向かおうとする白蛇めがけて、再び両手を掲げる。全身を巡る魔力が一気に両腕に流れ、溢れ出す。
「ホワイト・ショート!」
再び、沢山の光の玉がシーラの両手から飛び出した。
「ふむ……」
しかし、光の玉は次々に虚空へ消えていく。白蛇はしゃがみ、頭を傾け、腕で受け流し__そうした最低限の動きだけで、ホワイト・ショートを避け切った。
「当たるわけないんだよ、そんな適当に撃った玉。弱い魔物になら通用するかもしれないけど」
子供を諭すように白蛇は言う。
「……ッ」
シーラは切り替え、踵を返す。全力で走り、すぐに近くの背の高い茂みに飛び込んで身を隠した。
「なるほど。そして……」
白蛇は呟き、両手を左右へ向けて掲げる。その腕には赤い光が集まっていく。
ガサガサと茂みが揺れる音は、1秒後に止んだ。そのさらに数秒後であった。
「……そっちから飛び出して不意打ち、かな?」
「ホワイト・ショート!」
茂みの右の木の陰から、突然シーラが飛び出し、左手でホワイト・ショートを放つ。
「ブロッケル、使うまでもないか……」
片手の分、先ほどより弾数が少ない。白蛇は前回と同じように全てかわした。
「さて、どうする__」
白蛇が言いかけた直後、シーラは木の陰から飛び出した。その刹那、今度は右手を掲げる。その腕には、ホワイト・ショートの時より遥かにまばゆい光が集まり、そこには魔法陣も形成されていた。
「まさか……今のは、囮……!?」
「はあああああああ!!"煌く希望"!!!」
シーラは叫ぶ。右手の魔力の全てが、魔法陣に凝縮されていき、そして極太の白いレーザーが放たれた。
白い光が森を照らし、シーラの視界さえもそのまばゆい光で遮られた。
「やった……?」
シーラが呟く。
希望は、ただの希望で終わった。
「いや、流石にびっくりした。当たるとこだったよ」
「!?」
背後からする声を聞き、シーラは驚愕しながら振り返る。そこには、"煌く希望"を食らったはずの__否、食らっていなかった白蛇が無傷で立っていた。
「教えてあげようか?経験が足りないんだよ。敵意むき出し、レーザーの方向も丸見え……どれだけ強い魔術が使えても、戦闘経験豊富な敵には何発撃ったって当てられないよ」
白蛇はフードに隠れた顔で、授業でもするように語る。だが、シーラはそれを聞きながら、すでに別のことに意識を向けていた。
(……ボクじゃ、勝てない!)
シーラはそう確信し、踵を返した。自分では勝てない。でもダイゴやティナなら、きっと何とか出来る。彼らの元へたどり着けば、彼らに知らせれば、どうにでもなる。
なぜか、背後の白蛇は追ってはこなかった。仕留めるのを諦めてくれたのか、それとも様子を見ているのか__何にせよ、シーラにとってまたとない脱出の機会であった。
(早く……早く……)
長い。遠い。だけど、永遠に続く逃げ道ではない。
(早く!)
走れ。走れ。走れ。早く。速く。疾く。
「あんまりにも遠すぎないか?」
白蛇が突如呟いたのは、シーラがたった今心中で思ったことだった。振り返ると、引き離したはずの白蛇は、走り出す前とほとんど変わらない位置にいた。白蛇だけではない。何十歩も走ったはずのシーラ自身も、走り出して数メートルの地点で止まっていた。
「地脈石。知ってる?」
「ま……まさか……!」
地脈石。以前行商人のリクが使った石だ。この大陸中に散らばる、場所によって異なる性質を持つ魔力の結晶、自然が生み出した魔術。それが地脈石であると、ダイゴに説明を受けていた。
「さっき使ったんだ。効果は、"対象となる範囲を認識できない状態にする"」
「認、識……?」
「仮に君に仲間がいるとして……対象範囲外にいる仲間がいくら探したところで、石の対象範囲内にいる君を、この場所を見つけ出すことはできない。音も外には響かないし、何が起きても外からは見えない。そして、中にいる君は、効果が切れるまではいくら出ようとしてもこの空間から出れない。永遠にゴールのない森を走り続けることになる」
「そんな……」
白蛇の言うことが本当なら、シーラは助けを呼べない、ということになる。そして、さっき走った時の感覚からするに、白蛇の言うことはきっと真実だ。
「さっきでかい音を出した後で使ったから、仲間がいるとしたらきっと、今必死に君を探してるよ。見つかるはずないのに」
「…………」
焦燥感に苛まれながら、シーラはただ黙ることしかできない。汗が額を、頰を伝った。
「でも、効果は約15分間。あと少しだけ耐え抜けたら、脱出できるようになるよ」
おそらく、7,8分ほど経った。あと少しだ。だけど、今明らかに手加減をしている白蛇が、本気を出したとしたら?自分は無事でいられるのか?
そんな嫌な疑念を振り払うように頭を振り、シーラは白蛇をじっと見据える。
「じゃ、そろそろ……終わらせていい?」
白蛇は言うと、顔色を変えてシーラに向かって走り出した。15メートルの距離で見合っていた両者の間隔が、白蛇のダッシュによって急速に狭まっていく。
「ブロッケ__」
シーラは遅れて防御魔術を唱えようとするが、その前に眼前まで迫った白蛇の蹴りが胸元に突き刺さった。胸骨を押し砕くような鈍い衝撃と痛みの後、シーラの体は後方に飛ばされる。受け身も取れぬまま地面と激突し、地を転がった。
「っ……!」
痛みで一瞬動けなかったが、すぐに全身に力を入れ直して立ち上がった。
「遅い」
だが、すぐに白蛇が再び迫る。
「ブロッケル!」
今度は間に合った。しかしシーラの前方に作られた壁を、白蛇は予測していたかのように横から避ける。そこから踏み返し、再びシーラに鍛えられた足の一撃を叩き込もうとした。
(もう……喰らわない!)
顔面へのハイキックを、今度はシーラが読み、瞬時にしゃがんでかわした。命のやり取りの最中だというのに、達成感で一瞬妙に嬉しくなる。
だが、すぐに次の攻撃を察知し、シーラは反射的に後ろに飛び退いた。見ると、白蛇が右手にナイフを構えてシーラの首筋を狙っていた。
(また来る!)
白蛇は虚空を斬ったナイフを、今度はまっすぐに投げつけてきた。殺意のこもった切っ先が首へ迫る。
シーラはとっさに回避した__つもりだったが、僅かに足りず、首の端をナイフがかすめてしまう。
(っ……このくらい!)
鋭い痛みが走り、血も出たが、先ほどの胸元への蹴りよりは遥かにマシだった。
だが、相変わらず防戦一方であることに変わりはなかった。
そしてそれ以上に、度重なって襲いかかる殺意によって、シーラの精神の方が限界を迎えつつあった。なめていた。戦いが、命のやり取りがこんなにも激しく、恐ろしいものだとは思っていなかった。
だけど、だからこそ、シーラは戦わなければならなかった。再び立ち上がり、次の攻撃に備える。
(ボクは、強くなって……!)
胸の中の夢を思い出し、自分を奮わせる。
攻撃が来る。躱した。防いだ。受け流した。防戦一方といっても、少しずつ白蛇の体術に対応できるようになってきている。強敵だが、絶対に手が届かないほどの力の差ではなくなってきた。必ず追いつける。
「ブロッケル!」
左手で防御魔術を放った場所にピンポイントで、白蛇のナイフが飛んでくる。壁に弾かれたナイフは、回転しながら森の奥へ飛んで行った。
シーラの魔力が、少しずつ限界に近づいてきている。本人もそれに薄々気づいていた。ここで決定打が、少なくとも反撃の一撃が欲しい。そう思って、シーラは防御しながら、あるタイミングをずっと待っている。
白蛇の蹴りが、しなる鞭のように飛んできた。シーラはすぐに左腕で受けて立つ。正面から受けるのではなく、斜めに弾く__この短時間でそれを覚え、実践できるほどに彼女は成長していた。
「ちっ……いい加減ウザいな!」
予想以上に手こずっていることに苛つきだしたのか、白蛇がそう吐き捨てた。言いながらダッシュしていた白蛇は、そこから空中に大きく跳ぶ。
人間離れした跳躍を見せた白蛇だったが、シーラはずっとそれを待っていた。
右手を天に、白蛇の方に掲げる。その手の先には、既に魔力が溜まり、白い魔法陣が形成されていた。左手だけで防御していたのは、右手で別の魔術の準備をするためだったのだ。
「最後の……"煌く希望"!!」
シーラが叫ぶと同時に、魔法陣から光のレーザーが放たれた。1発目よりさらに大きい特大サイズだ。
「当たらないってば!」
白蛇は言いながら空中で身を捻らせ、器用にレーザーを交わす。驚くべき身のこなしだが、シーラはそうすることも予測していた。予測していたが、ここから先は神に祈るしかない。
「っ……だあああああああっ!!!」
「何!?」
シーラはレーザーの反動をこらえながら、掲げた右腕を左手で支え、横に引っ張る。それに引かれ、レーザーも少しずつ横に逸れていく。
「まさか、レーザーを__」
「曲がれえええええええええっ!!!!」
さらに叫びながら、さらに力を込めながら、さらに魂を込めながら。
スピードを上げて曲がっていくレーザーが、ついに白蛇の体に届いた。
「くそ……ブロッケル!」
白蛇が唱えた直後、極太の光は少しずつ消えていく。完全に光が消え去る前に、シーラは体の限界を迎え倒れた。10発近くのブロッケルと、ホワイト・ショート、2発の"煌く希望"。魔力が尽きかけ、体調に影響しているのだ。
倒れながら、前方上方を見据える。たしかに白蛇に攻撃を当てられたはずだ。
光が消え去り、白蛇が中から出てくるように降りてくる。その体には、ブロッケルでは防ぎきれなかったのだろう、確かに軽いやけど傷を負っていた。
「……さっさと殺しておけば良かった」
傷口を押さえながら、白蛇は不満げに言い、シーラに近づく。確かにダメージは初めて与えられたが、シーラの方はもう限界だ。
「待った!!」
絶体絶命のピンチに、光を差すような声が響いた。シーラはその声を覚えていた。
「ティナ……さん……?」
「シーラ!無事か!?」
「ダイゴさんも……!」
その優しい声も、もちろん覚えている。しかし、二人の声はすれど、姿は全く見えない。
「どうして……外からは姿も、声すら分からないのに」
「良い目薬持ってるのよ、あたし」
ティナが言う。
「視認できず、音も聞こえなくなる……良い地脈石じゃない。だけど、魔力は感知できるみたいね」
何もなかった場所に、うっすらと二人の人影が現れる。徐々に濃くなり、ティナとダイゴがその姿を現した。二人とも、右目が緑に光っていた。魔力感知の目薬だ。
「そして、外の人間が中の人間の存在を完全に確認した時、効力が消えるみたいよ」
二人の目からも、白蛇と傷ついたシーラの姿が見えるようになった。
「白蛇……お前のような気がしたんだ」
「久しぶり、傭兵の人。会うの2回目だっけ」
「武器を捨てて手を上げ__」
真剣な面持ちで言いかけたダイゴだったが、白蛇の傷ついた腕を見て言葉を詰まらせる。
(あの傷……シーラが喰らわせたのか!?)
隣を見ると、ティナも傷に気が付いたのか、少し驚いた顔をしている。二人が思わず足を止めてしまったその瞬間を、白蛇は逃さなかった。
「15分」
「!?しまった!」
呟く白蛇は、一瞬で後方の木へジャンプした。反応が遅れたダイゴが悔しがる。同時に、周囲の結界__地脈石の効果が消えた。
「じゃあね。君、次は本気で行くから」
白蛇は最後にシーラにそう言い残すと、兎のように枝の間を跳びながらぐんぐん距離を伸ばしていき、去っていく。
去り際、白蛇は一つの石を落とした。石は着地と同時に砕け散る。
「あいつ、またあの地脈石を……!」
ティナが気付いた時にはもう、石の効力は始まってしまった。さっきまで少し遠くにいた白蛇が、突如消滅する。これでは探すのは難しい。
「待ちなさい!」
「ティナ、仕方ない。シーラの治療が先だ」
ティナは一瞬躊躇ったが、すぐに頷いた。二人はシーラの元へ近づく。
「大丈夫です、自分でヒールを……」
「残存魔力410。それ以上魔力を使うと体に毒よ。いいから、じっとしてて」
立ち上がろうとしたシーラを、ティナが止める。
「ヒール」
ティナが、シーラの膝に片手を、右腕にもう片方の手を当てながら呟く。いつのまにか、軽い擦り傷や切り傷を負っていた。数秒で全ての傷が癒えていく。
「すごい……」
「ヒールは体の止血・修復機能を無理やり効率化する魔術。見た目は完治しててもその傷跡は不安定だから、無理しちゃ駄目よ」
「はい。ありがとうございます」
「それと、シーラ」
シーラは、話しかけてきたダイゴの方を向いた。
「白蛇のあの傷……君がやったのか?」
「頑張ってみたんですけど……一撃しか当てられませんでした」
「いや、十分すぎるよ!よく頑張ったな。それに、無事でよかった」
ダイゴが褒めると、シーラは半分恥ずかしげで、半分自慢げな笑顔を見せた。
「でもボク、もっと強くならないと……」
シーラのその言葉を聞き、何かを察したような顔をしたのはティナだった。
「ねえ。シーラが戦闘部隊に入りたいのって、強くなりたいから?」
「えと……はい」
「戦闘狂……じゃないわよね?ダイゴみたいな」
「俺は戦闘狂じゃないぞ!?」
一コント挟んだところで、ティナは再びシーラの方を向く。シーラが口を開いたのはそれと同時だった。
「ボク、ダイゴさんに救ってもらったから……強くなって、それでダイゴさんと一緒に戦って、守りたいんです。だから、戦闘部隊に入りたくて……」
救ってくれたダイゴを、命をかけて守りたい。肩を並べたい。そして強くなって、いつかメルトも__ずっと支えてくれていた彼女も、どこかで守りたい。自分が命を絶ってしまったアンジェリカの分まで。無垢で純白な望みで、願いであった。
「……馬鹿馬鹿しいですよね」
恥じらいながら顔を伏せようとするシーラ。その顔を、ティナが両手で持ち上げた。凛とした、大人びて美しい顔。その視線がシーラと合った。
「わっ、ティナさん?」
「……はぁ。似た者同士ね、ダイゴと」
ため息をつきながらも、ティナの口元は緩んでいた。
「合格。あたし、入隊させてもいいわよ」
先ほどまでの否定が嘘のように、ティナはあっさり認めてしまった。彼女なりに思うことがあったのだろう。
「どうする?隊長」
「俺は……」
未だ答えが出ぬまま、ダイゴは顔を伏せて考え込む。彼女自身が戦うことを望むなら、そうさせよう__というわけにもいかないのだ。そもそも子供に戦いをさせていいのかと、ダイゴは悩み続けている。
「ダイゴさん」
名を呼ばれ、ダイゴはシーラの方を向いた。
「ボク、さっきので戦うことの恐さがわかりました。死が間近にあるっていうのがどういうことか。それでもボクは、戦いを選びます。だから……お願いします」
彼女の強い決意に、ダイゴは気付かされた。
自分が彼女を守ってやればいい。そうしなければならない。枷になっているのは彼女じゃなく、その覚悟が出来ていなかった弱い自分自信だ。
ダイゴもまた、覚悟を決める。それが、自分を大切な人と言ってくれる彼女への、感謝と応えになると信じて。
「シーラ」
しゃがんで、彼女に手を伸ばす。
「よろしく。今日みたいな無理はさせないからな」
「……はい!」
シーラもまた、彼の手を取る。
シーラ・エンジェイトの経歴に、『職業:傭兵』と新たに書き加えられた。