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#1「奴隷兵士シーラ」

 ボクは、今まで多くの人に救われてきた果てに、ここにいる。無償の愛と犠牲によって形作られてきた存在__それが、ボクだ。


 だから、ボクにこれ以上の幸福はいらない。大切な誰かが幸せになってくれるだけでいい。


 自分のためだけの力もいらない。自分を犠牲にしてでも、傷ついた人を守り抜きたい。


 だから、この背には、心の闇を晴らす翼を。この手には、大切な人を守りたいという愚かな"望み"を。


 ボクは自分を捨てて他人の幸福を欲する、狂った人間だ。だけど、そんな生き方でも良い。その生き方が良い。


 だから、誰かのための力を、ボクにください。


「__英雄の儚き渇望(デザイア・ブレイヴ)






 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「……んん」


 斜光に瞳を照らされて、少女は浅い眠りから目覚めた。夢の中の世界から一転、視界には木の床や壁、白い布の天井が映る。確か……そう。馬車の中で一休みしようと思って、そのまま居眠りしたのだった。


 まだ頭はぼーっとしている。さっきまで見ていた夢の内容は早くもほとんど忘れてしまったけど、見ておかなければならない大事な夢だった気がする。その続きが知りたいのもあって、彼女は再びまどろみの世界に戻りたいという欲望に駆られている。


 首を傾けると、今度は視界の端に少し大きな手鏡が映った。その中にいる少女の容姿は、長く伸びた白い髪、汚れた顔と赤い瞳、そしてまともに手入れしてもらえない、ボロボロの青の騎士軍制服。当たり前だが、鏡に映っているのは今まで眠りこけていた少女自身だ。


「シーラ?いる?」


 女性の声がした直後、馬車の側面から光が射す。突然強くなった日射しに、少女__シーラは、思わず顔をしかめた。


「あっ、いたいた。寝てた?」


 馬車の出入口のカーテンを開き、端正な顔立ちの女性が顔を見せた。20歳前後の若い女だ。薄紫の髪の一部は、おそらく寝癖を直し忘れたのだろう、重力と逆の方向に跳ねている。


「えっ、いえ、その……」


「いいよ。他の人にチクったりしないから」


 慌てるシーラを諭すように、女性は言った。そして彼女はカーテンをさらに大きく開くと、手招きしてシーラを馬車から降りさせた。


 馬車を降り、地面を踏む。乾いた土が微かに擦れる音がした。


「おい、メルト!またサボってんのかてめえ!」


「げ、バーン先輩……」


 聞きなれた男の声が耳に入るや否や、女性__メルトは、餌の盗み食いがバレたペットのような焦り顔で振り返る。その先には、短い茶髪と大きめのピアスが特徴的な恵体の男がいた。


「って、いやいや先輩!私今回はサボってたわけじゃないから!」


「嘘つけ!今さっきテントから出てきたじゃねえか!お前のことだ、絶対昼寝でもして__」


 いつものように言い合いを始めた二人。付け入る隙のないシーラは、どうしようか困り、あたふたするのみだ。


 そんなシーラの存在に、バーンは遅れて気づき、そして2人の目が合った。


「……んだよ、98番」


 その声色は、さっきまでメルトと喧嘩していた時とは全く違う、嫌悪と軽蔑のこもった冷たいものだった。


「い、いえ……」


「先輩!だから、この子はシーラ__」


「奴隷兵士に名前なんかいらねえって、他の奴らも言ってんだろ。おかしいのはお前の方だって気づけ」


 行くぞ、と、バーンはメルト一人を手招きする。


「……行こっか」


 シーラの方を振り返り言ったメルトの顔は、少しだけ悲しげだった。






「はぁ……なんで皆そうなんだろ。シーラにはちゃんと名前があるのに、98番、98番って……道具かなんかだと思ってるんだから、シーラのこと」


 休憩時間に入り、先ほどの馬車の手前で二人は再び話していた。


「仕方ないですよ……事実、道具じゃないですか」


 そう__14歳という、軍に所属するには若すぎる年齢のシーラは、正規の兵士ではない。


 魔晶王国と、シーラたちが所属する聖晶王国との戦争が始まって、早20年。わずかに、だが確実に人手不足を迎えつつある聖晶王国騎士軍が採択した方針は、奴隷兵士、すなわち、国中に大量に流通している奴隷のうち一部を買い取り、兵士と言う名の道具として使う、というもの。シーラもその奴隷兵士の一人なのだ。


 ゆえに彼女に自由はなく、その生命は戦争で役立てるための道具として使われ続ける。道具ではなく、こうして仲間として接してくれるのは、かつては"彼女"ただ一人__そして、今いる中隊ではメルトただ一人だ。


「だーかーら!その意識ダメ!シーラは人間なんだから、道具じゃないの!」


「は、はい……」


 そうはいっても、シーラの根底に染み付いた意識はちょっとやそっとでは変えることが出来ない。奴隷としての経歴、そして何より__


 "あの日"のトラウマが、ずっと枷になっているから。






 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 時は数年前に遡る。


 よく晴れた春の日だった。シーラがその女性と出会ったのは。その日以前の日々のことは、奴隷として売られていたこと以外、何も覚えていない。だからこそ、女性と出会ったその日の記憶は、シーラの脳に、心に、強く染み付いている。


 アンジェリカ・エンジェイト。シーラはアンジュさんと呼んだ。名もない奴隷に、シーラ・エンジェイトという名を付けてくれたのも彼女だった。


 アンジュは、シーラに似た白髪の、美しい女性だった。だけど左足の先が無く、顔や体には多くの傷がついていた。彼女は負傷が原因で戦線を退いた元兵士。今もなお続く戦争を戦い、そして永遠に治しようのない傷を受けた人間だったのだ。


「身寄りのない子供の命を守ってあげる……それが、たくさんの人間の命を奪ってきた私の義務なの。一人しか養えないのが悔しいけど」


 出会ったばかりの頃、アンジュはシーラにそう語った。当時の幼いシーラには言っていることがよく分からなかったが、今なら分かる。彼女は自分が戦場で浴びてきた血の償いを、自分なりに果たそうと一生懸命だったと。


 アンジュと過ごした木の家の匂いを、庭から見える遠くの山々の景色を、シーラは鮮明に覚えている。


「シーラ、美味しい?まだまだおかわりあるからね」


 そう言って微笑んだ優しい顔も。


「シーラ!自分の部屋だけは自分で掃除しなさいって言ったでしょ!なんなのあのホコリまみれの部屋は!」


 そうやって叱る時のちょっと怖い顔も。シーラの脳裏に焼き付いている。そして、その記憶はこれからも一生消えはしないだろう。それほどまでに、当時のシーラにとって、アンジュは人生の全てだった。


 そして、彼女と過ごした日々の中で一番印象に残っているのは、魔術の修行だ。


「体には魔力が流れているの……血と同じようにね。落ち着いて流れを感じて……そして、栓を開けるようにゆっくりと、手から放つのよ」


 草の生い茂る広い庭で、アンジュは毎日ゆっくりと、丁寧に魔術を教えてくれた。片足がないせいで杖をつきながらの移動を強いられる彼女だったが、それでも懇切丁寧に、手取り足取り、シーラに修行をつけてくれた。


 彼女は防御魔術と治癒魔術しか教えなかった。その真意も、今のシーラになら分かる。彼女は何かを傷つけてしまう魔術を、シーラに使って欲しくなかったのだ。


「あとは、自分の使いたい魔術の形をイメージして。そう、イメージが大事なの。集中して……そう、そうよ!凄いわ、シーラ」


 毎日、アンジュはシーラを褒めてくれた。それが嬉しくて、修行が終わった後も、シーラは一人で特訓をしていた。


 それが間違いだったのだ。独学で魔術を身につけて、アンジュに褒めて欲しい__そう思ったシーラは、アンジュの想いを無視して、攻撃系の属性魔法の特訓を始めてしまった。


 色々と試すうち、シーラの得意な属性が光の魔術だと気付いた。以前本で、光の魔術は極一部の人間しか扱えない特異なものだと知っていたシーラは、これならアンジュもきっと褒めてくれると確信した。


 そして__その日は、灰色の雲が空の覆い尽くした日だった。シーラはアンジュを庭に呼んだ。


「見ててね……ホワイト・ショート!」


 幼い両腕を前に構え、シーラは言い放った。全身の魔力回路を伝っていた魔力が一斉に手のひらに集まり、輝き出す。そしてシーラの両手から、強い輝きを放つ光の玉がいくつも飛び出した。飛行する鳥のように飛んでいく球のうち数発が遠くの木にぶつかり、焼き印のような丸い焦げ色を幹に付けた。


「ね?ボク、自分で頑張って練習して__」




「馬鹿!!」


 右頬に鋭き痛みを感じた直後、怒号が聞こえた。半ば放心したままアンジュの方を見ると、今までで一番怖い表情でシーラをにらんでいた。左手を掲げているのを見て、自分が頬をはたかれたのだと、シーラは理解した。


「こんな……人を傷つける魔術なんて会得して、どうする気なの!!こんなことのために魔術を教えてきたわけじゃないのよ、私は!!」


 幼いシーラには分からなかった。教えられながら覚えた魔術ですら褒めてくれたアンジュが、独学で覚えた魔術を見せたら、激昂した理由が。


 そこで止めれば、あんなことにはならなかっただろう。


「……まだ!まだあるの!」


 なんとかして、アンジュに褒めて欲しかった。そのためだけに特訓をしてきたから、ここで諦めをつけることができなかったのだ。


「今日は、魔力回路の調子が凄くいいから……だから、"あれ"もきっとできるの!」


 シーラは両手を空に掲げる。そして再び、全身をめぐる魔力を両手に集めた。先程よりも強く、強く__それだけをイメージする。


「シーラ、待って__あっ!?」


 アンジュはすぐに止めようとしたが、焦り故にバランスを崩し、倒れ込んでしまう。その間もシーラは魔術を放とうとするのをやめない。今まで一度も成功したことはなかったが、調子の良い今日なら"あの術"も使えると、そう確信していたから。


 そして、眩い光が彼女の両手に集まるとともに、その上に二つの魔法陣が現れた。


「魔法陣……上級の魔術!?駄目、シーラ……!」


「うっ!?うあ、うぁぁ……!」


 突然腕に激痛が走り、シーラは呻く。魔力の逆流。無理に強力な魔術を打とうとした結果、体に不具合が起こり、魔力が暴走しだしている。


「くっ……シーラ!落ち着いて、私を見て!」


「うっ……アンジュ、さん……!」


 身長差が幸いして、アンジュは膝立ちでもシーラと目線を合わせることができた。両手を伸ばしてシーラの腕を掴み、自分の手前までおろさせる。自分の方に魔法陣が向き、一瞬ひるんだが、しかし正面から呼びかけなければ彼女を止められないと思った。


「落ち着いて……魔術に変換した魔力を、再び体内に戻すことは可能よ。少しずつ、リラックスして少しずつ、体内に戻していくの……あなたならできる」


 シーラの両腕を自らの手で支え続けながら、アンジュはゆっくりと呼びかける。


「っ……ごめんなさい、ごめんなさい……ボク、こんな風になるなんて」


 シーラは瞳に涙を浮かべながら、絞り出したような声を上げた。


「いいの。いいのよ、今は落ち着いて__」


「ボクは……うぁ、あぁ!?」


 昂ぶった感情が、魔力回路に影響してしまったのだろう。シーラの体に戻りかけていた魔力が再び暴走しだし、シーラの手の中で強く輝く。同時に魔法陣も輝きを増していく。


「あ、あぁ……アンジュさん!!」


「くっ……ブロッケル!!」


 アンジュはすぐさま防御魔術を発動する。


(この一瞬では、二人ともを守る防壁は作れない……なら!)


 ブロッケル__魔力でできた長方形の防壁が、シーラを取り囲み、彼女を暴走する魔術から守る。


 だが、ブロッケルがシーラだけしか守っていないことを__アンジュを守らなかったことにシーラが気づいた瞬間、彼女の視界は、白い爆発の光に包まれた。






「アンジュさん!!アンジュさん!!駄目、ボクのヒールじゃ治癒が間に合わない……!!」


 血まみれで横たわるアンジュの体に、シーラの涙がこぼれ落ちる。二人の家も爆発の影響で焼け始めていたが、それどころではなかった。


「……シー、ラ……もういいの……助からないわ」


 アンジュが薄れゆく意識の中、少しずつ言葉を絞り出していく。必死に、最愛の娘に言い遺すために。


「そんな……ボクが、ボクのせいで……」


「自分を、責めないで……シーラ……それ、から……今日の、ことを、忘れないで……辛い……だろうけど、でも……覚えていて」


「うぁぁ……アンジュさん……ボクは……」


「あなたに、"力"は……持って欲し、く、なかったけど……でも、あなたなら、きっと、その、力……"救う"ために、使、えるわ……」


 意識が消えていく中で、アンジュは最期に言った。


「……あり、がとう……大好きよ」


「…………アンジュさん……アンジュさん……お母さん!!!」


 シーラが泣き叫んだ時、既にアンジュの意識はなかった。






 こうして、シーラは最愛の母であるアンジュを自分の手で殺した。それ以来、シーラは二度と、どんな種類の魔術も発動することができなくなった。


 これが、この哀れな奴隷兵士のルーツ。

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