第四話
フレデリック・ショパン作曲。
エチュード・作品10-4。
海外では"torrent"などと呼ばれている曲。 意味は奔流とかそんな感じ。
浅いやつは「ショパンのエチュードと言えばコレ」と言うだろう。
俺だって浅くないけどそう言う。
torrentと呼ばれるとおりに、音の洪水が押し寄せてくる情熱的な曲。
俺が第2音楽準備室で弾いているそれは、校舎の半分近くまで響いて波のように消えてゆく。
練習嫌いの俺は、毎日こんな曲だけ弾いている。
付け加えるなら、高い技工が要求されて、かつ弾いていて楽しい曲しか弾いていない。
今日は奇しくも"ピアノ練習曲"だったわけだが。
故に、たまに無理やり出されるコンクールは、練習も本番も不承不承やっている。
別に家で弾いててもいいんだけど、ちょっとした事情があり、ピアノはここで弾いているのだ。
小休止の為椅子から立ち上がり、コーヒーポットへ向かったところへ誰か声をかけてきた。
「アンタ、ピアノうまいな」
「何だお前」
窓枠に腕を乗っけて、不良漫画のモブみてぇなロン毛が話しかけてきた。
「俺はキョウスケ、よろしく」
「よろしくしない。 帰れ」
俺はピアノが上手い。
ピアノが弾けるから生きる事を許されていると、俺のアンチスレで書かれたことがあるくらいに。
故にこういう近付き方をするやつは大方、自分が目立つために俺を利用しようとしている……事が多い。
「ツレねぇな」
「今俺は忙しい」
コーヒーをカップに注ぎ、ソファに腰掛けながら言うそのセリフは、相手にする気がない。
ということを煽り気味にアピールしている。
スマホを片手に取り、姿勢を更に崩しながら無視を続けていると、キョウスケとかいうロン毛は気になることを口走る。
「アンタ、ショパン弾いてるときは楽しそうだな」
「……わかるのか?」
「そりゃあな」
……こいつが言うことは事実だ。
まあ詳しく言うなら、他にも好きな作曲家はいるが。
「しかもエチュードだとか、忙しい曲が」
「ストーカー?」
「そんなわけねぇだろ」
ほぼほぼ毎日ここでピアノ弾いてりゃ、そりゃわかるやつにはわかるか。
「そういや、何か用か?」
「ああ、そうだった」
コイツなら、話くらいは聞いてやってもいいかな。
という気まぐれで、今更ながら俺は聞いてみた。
キョウスケは、ポケットから折りたたまれたノートの切れ端を取り出す。
「これ見たことある?」
「ああ、軽音部の募集か。 帰れ」
軽音部、ないしバンドにはロクなイメージがない。
中学の頃はリズム感や音感の欠片もないカス共に、気持ちの悪い笑顔でバンドに誘われ、
高校生になると、外から組むに値しないヘタクソから多数声をかけられ。
コイツもどうせ似たようなモン。
少しでも心を開く素振りを見せた俺がアホだった。
「コンクール終わったし、部活にも入ってないんだろ?」
「何で知ってるんだよ」
「トウゴに聞いた」
む。
あのノッポ、俺を売りやがったな。
……いや、でも寡黙なアイツが俺の事を教えるって事は、トウゴも軽音部に?
キョウスケなる男と親しくしているのは見たことがないしな。
「とにかく、軽音部なんてやらん。 下らんコピーとかつまんねえオリジナルだろ」
「お、言ったな」
「……?」
待ってましたと言わんばかりに、キョウスケはカバンを手に持ち、部屋に入ってくる。
「おい入ってくるなよ」
「まあまあ、いいじゃねぇか」
無理やり入ってきた彼は、カバンからスピーカーを取り出すと、自身のスマホに連携させる。
「まあ聞いてみてくれ」
「つまらんモノ聞かすなよ」
適当に貶して、俺と関わりたくないと思って貰おう。
そう事前に心構えをして、音楽が流れる瞬間を待つ。
キョウスケがスマホを操作し、なにやらタップした瞬間──
「……これ、お前が?」
「俺達が、だ。 軽音部の現メンバー」
出だしはギター。
ロック調のリフを奏で、後にドラムとベースが続く。
中々いい音作りだな、と感心していると、ブレイクをはさみピアノが入ってくる。
打ち込みのピアノは、広範囲のアルペジオ(分散和音)を奏でながらも、メロディアスさを欠かない作りになっている……が。
「お前、ピアノ全然弾けないだろ」
「やっぱりわかるか」
3分程に纏められた音源が終わり、室内に、遠くから聞こえる野球部の声が届く。
「例えば最初のアルペジオの部分は、まだ何音か足したほうがよくなる」
「あれ以上!?」
「俺ならできる」
コーヒーカップを机に置き、ピアノへ手を伸ばした俺は、さっき聞いたフレーズをコピーした上で修正する。
「一発で……」
「お前が勧誘しているのは、そういう奴だ」
俺はその後も何回か音源を聞き、適宜修正を施していった。
ノッポのベースが上手いのは知っていたが、他のパートも中々悪くない。
ドラムは安定感があって技術面でも申し分ないし、ギターは……まあ良し悪しとかいまいちわからんわ。
でもメロディセンスとグルーヴ感は抜群に思える。
「こんなところだな」
「よし、いまから俺んちでレコーディングするぞ」
「しねーよ、帰れ」
「えー」
不覚にもちょっと楽しかったが、あんまり心を開くとずるずると行ってしまいそうだ。
「ちっ、また誘いに来るぜ」
「来なくていいっての」
そう言ってキョウスケ片付けを始める。
こりゃ何日か押しかけてくるパターンだな。
……あっ興が乗って貶し損ねた。
あからさまに俺を意識して作りやがって。
「ま、どっちにしろマネージャーの許可がねーと」
「マネージャーまで付いてんのか」
《《あれ》》がマネージャーと言っていいものなのかはわからんが、俺のマネージメントをしてくれている以上、そういうことにしておこう。
「ま、今日《《は》》帰るわ」
俺は「もう来るんじゃないぞ」と、看守みたいな事を言ってキョウスケを帰した。
……また来るんだろうなぁ。
────
「ってことがあったんだけど、マネージャー的にはどう思う?」
「いいじゃん、入ってみたら?」
「えーそっち系~~?」