表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/65

6.未知へのカウントダウン

 

日野ひの先生は、〝正義の味方〟ですか」


 ちょうど1年前。

 どこか冷めたような瞳でわたしに問うた青年は、いつから笑うようになったのでしょう。



  ◇ ◆ ◇ ◆



六月むつきてめぇ、ブッ殺すッ!!」


 目を剥いた須藤すどうくんの右手に、サバイバルナイフ。

 彼がなにをするのかは、明白で。


 ――ザシュッ。


「あ……あぁ……あああ!」


 涙があふれます。

 無意味な言葉とともに、あふれて、止まりません。

 そんなわたしを、れいは、満足げに振り返るのです。

 腹部を押さえた華奢な指のすきまから、鮮血を滴らせながら。


「おれ……逃げないよ。えらいでしょ?」


 否定のしようがありません。

 それはたしかに、教え子たちが、加害者と被害者となった瞬間でした。

 よろよろ歩み寄るわたしを、やんわりと手で制し、正面へ向き直る零。


「かゆいなぁ……まともにえぐったらどう?」


 まるで、夕飯の話でもしているかのような声の調子でした。


「心臓でも突いてみる? ほら、ここ。第5肋間から、狙ってきなよ」


 薄笑いを浮かべた零は、右手を自分の血で濡らしながら、左手を胸に当てます。


「むつ、おま……」

「なにグズグズしてるの。殺すっていうのは口先だけ? おれを消さなきゃ、ふぅちゃんは手に入らない。あのヒトを愛したいなら、もっとおれを憎みなよ」


 一言一言を発するごとに、制服のシャツが紅のにじみもようを広げていきます。

 さして気にとめる様子もなく、矢継ぎ早に言葉を浴びせてくる零を目前に、須藤くんは硬直。


「だよね。そんなもんだよ。キミの想いって」


 ちりん――……


 夕に転がる鈴の音。

 須藤くんの後ろで黒猫が1匹、するりと、プールの飛び込み台へ降り立ちます。


「キミとのお遊びは、つまらない。終わりにしよう」


 優雅にしっぽを揺らす黒猫は、たしかに、零の声音で告げました。


「さぁ――これが、キミのごうだ」


 ちりん、ちりん――……


 軽やかに、踊るように、水面を飛び跳ねる零。

 しなやかな足がふれた先から、波紋が広がり……それはやがて、鈴の音を搔き消し、血色の空へと渦を巻き上げます。


 にゃあ


 みゅう


 ウゥ……


 ニ"ャ"ア"ア"ア"!!


 おぞましい〝何か〟の、うめき声をつれて。


「なん、だよ……アレ」

「キミに殺められた猫たち。キミが犯した罪そのもの」

「――ッ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!! その目で俺を見るなぁッ!!」


 絶叫。発狂。

 須藤くんは、正気を失っていました。


「猫をおいといかい? それは何故?」


 のぞき込んだ零は、人形のように綺麗な、青年の姿。


「キミの胸に、訊いてみようか」

「や、め……!」

「大丈夫、怖くはないよ。死にたくなるくらい、痛むだけだ」


 口端を三日月形に持ち上げた零は、後ずさる須藤くんの胸に、右手を当て、


 ズブ、ズブブ……


「うぐぁああッ!!」


 信じられ、ません。

 衣服が裂ける音も、皮膚が破ける音も、骨が砕ける音もなく……

 まるで底なし沼のように、須藤くんの身体が、零の手を飲み込んでいるのです。


「うっ……ぐ……ぁ、はっ!」

「痛い? 刺されたふぅちゃんは、もっと痛かったと思うよ。おれは、キミが憎くてたまらない」

「っくぅ……みつ、ば……みつ……」

「あぁ、あったあった」


 ニヤリと笑んだ刹那、零は、手首まで浸かった右手を引き抜きます。


「ァ"ア"ア"ア"ッ!!!」


 ……恐ろしくて、耳をふさぐこともできなくて。

 わたしは、目の当たりにするのです。


「〝玖〟……九、ね」


 零の手のひらにぽうっと浮かび上がる、 〝理玖りく〟のふた文字を。

 理玖。須藤くんの、下の名前です。


「ごめんね。ふぅちゃんを助けるのに夢中で、うっかりしてたみたい」


 にこやかに放って、グシャリ、と握りつぶされる文字。


「死ぬの、初めてだよね? おめでとう」

「あ……」


 うつろな須藤くんに向かって、1歩。


「今回は、ちゃんともらっておいたから」


 悠然と歩を進める零の腹部に、傷痕は、影も形もありません。

 けれど紅く染まったワイシャツが、〝あったこと〟を如実に証明しています。

 しなやかな右手が、静かに伸ばされ……


「っ、零! 待っ――!」

「じゃあね。須藤理玖くん――だったヒト」


 血に濡れたような、茜空でした。


 トンッ……


 華奢な指先が、須藤くんの肩を後押ししするのを、わたしは、止められませんでした。


「未知なる世界へ、逝ってらっしゃい」


 憔悴しょうすいしきった須藤くんの身体は、惰性のまま、重力に従うほかありません。

 彼の背後には、無数の猫が呻き声を上げる渦が、迫って。


 アノ子ガ、死ンデシマウ……?


「……ば……」


 ハッと顔を上げた先で、うつろな瞳と交わります。


「……ふた、ば……」


 意思はなく、本能のままに、わたしを映す瞳。

 最期の一瞬まで、わたしを求める心。

 わたしは、彼の瞳がこんなに綺麗なエメラルドであることを、初めて知りました。


「須藤くん……理玖くんッ!」


 わたしが駆け出すのは、必然でした。


 知りたくないなんて言って、ごめんなさい。

 わたしは、あなたのことを知るべきでした。

 黙って見ているだけは、もういや。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ