結
―――こんな日々が、ずっと続けば良いのにね……。
優希姫が言ったあの言葉に、嘘はなかった。
それは、僕も同じだ。
こんな日々がずっと続けば良いと、そうなれば良いと、どれだけ強く願っただろう。どれだけ強く求めただろう。
それがこんなにもアッサリと、こんなにも呆気なく壊れてしまうなんて誰が予想出来た。
どうして、どうして、どうして、どうして、どうして!!
どうしてこうなった!!
何でもない平日に、何でもない時間に、何の問題もなく過ごしていただけのあの瞬間に、僕はいったい何を間違った。何を誤った。何を失敗した。
分からない。分からないが、現実はただそこにあるがまま、不死鳥と言われ恐れられたはずの僕をまるで路傍の石ころのように見下していた。
「もう一度言うよ」
優希姫は銀の弓に、同じ銀色の矢を据えながら、
「どいて、夕月。私は、あなただけは何があっても傷付けたくないの」
僕の背後の姫刹を睨めつけている。
今の優希姫は僕を見ていない。いや、厳密に言えば僕を傷付けまいという意識はあるが、その瞳に写るのは姫刹に対する殺意で埋め尽くされている。
前世の世界で嫌というほど見てきた、獲物を狩る獣の眼だ。
優希姫は自分のことを天使だと言った。
天使。
その存在は、かつての僕がいた世界でも、魔物たちの間では有名だった。
神の使い。神に選ばれた魔物を狩る者。
神―――それは、この世で魔物が唯一の天敵とした存在だ。
それが例え、不死鳥だったとしても。
ああ、そうか。そうだったんだ。
今、ようやく思い出した。
何故、不死身であるはずのこの不死鳥が、転生してこの世界に生まれ変わったのか。
何故、不死身であるはずのこの不死鳥が、死んだのか。
目の前にいるその存在こそが、答えだ。
「優希姫………」
僕が溢した呟きは、もう彼女には届いていない。
ギリギリとしなる音と共に、優希姫が弦を引いた。
「下がっていてください、羽川先輩……」
いつの間に立ち上がったのか、姫刹が僕の背後から出てきた。
「赤城先輩が天使だったなんて、流石に驚きました。こんなに身近に、我ら魔物の敵がいるとは………」
その声は先程の彼女とは違う。
敵を見定めた冷徹な魔物。冷たい殺気を放つ伝説の吸血鬼のものに変わっていた。
「それはこっちの台詞だよ、星河さん。まさかこんなところに、こんな危険な怪物が潜んでいるとはね。私の見落としだよ、狩るべき敵を放置していたなんて、平和ボケしすぎたかな………」
優希姫も、姫刹も、すでにお互いを完全に敵と見なし、明らかに牙を向けている。
僕の大切な日常を共に過ごす、二人が。
はは、ははは、はははは、何だよ。何だよそれ、何なんだよこれは! この状況は!!
今にも叫び出しそうな僕の心を置き去りに、土埃を上げて二人の姿が消える。
始まってしまったのが、僕には分かった。
始まってしまったんだ。
二人の戦いが。
僕の大切な日常の、殺し合いが。
僕は視力を不死鳥モードに切り替え、二人の姿を探す。
二人は僕のいる場所から離れ、グラウンドから校舎の方へと動いている。どうやら僕を巻き込まないようにすることは、二人の共通の意思らしい。
だがそれ以上に、二人の殺気は高まり弾けている。
夜の闇の中に、一筋の銀の閃光が輝いた。
優希姫の矢だ。
その銀色は真っ直ぐに、狙った先である姫刹の元へ向かっていく。生身の人間ならとても避けられるスピードではない。
しかし先の不意を突かれた一撃とは違う。あの程度、吸血鬼から見ればどうというスピードでもないはずだ。
僕の予想通り、姫刹は銀の矢をヒラリと避け、御返しというように大きく腕を振りあげた。
僕の記憶が正しければ、吸血鬼の得意とするのは変化の他に、嵐や雷を操る力。
……………ってことは、まさか。
バチバチ、と電気が弾ける音と共に蒼白い光が見えた。
夜の暗闇に染まったグラウンドに、今度は蒼白い稲妻が走った。
激しい雷撃が優希姫を襲う。
いくら天使でも、雷より速く動ける訳はない。
優希姫はなす統べなく、その雷の直撃を受けてしまった。
爆音。そして土埃で彼女の姿が消えた。
「優希姫!!」
僕は思わず叫んだ。
だが僕の心配など必要ないとばかりに、銀色の輝きを放つ美しい翼が土埃を掻き消した。
あれは正しく、天使の翼だ。
優希姫の髪と瞳は、翼と同じ銀色に変わっている。その頭上に浮かぶのは黄金の輪。
ああ、あれだ。あの姿だ。
僕の記憶の奥底にいた。僕を殺した天使の姿。
「クソッ!」
何故だ。僕は優希姫には何の恨みもない。なのに何故、僕の心はどす黒い怒りが溢れてくる!?
過去に殺された憎しみが、恨みが、優希姫を見ていると僕の心を激しく支配する。
やめろ! やめろ!!
優希姫は僕の親友だ。僕にとって一番大切な存在なんだ。
過去の僕にどうあって死んだのかなんて知らないが、今この瞬間の僕に、優希姫に対する憎しみや恨みなんて植え付けるんじゃねぇよ!!
『本当にそうかな……』
…………誰だ。
頭の中に響くこの声。
聞きなれた。しかし僅かな違和感を持つこの声は。
まさか、僕なのか?
『そう、私は過去の君だよ……』
『あの世界に生きていた不死鳥だ』
何で今、お前が出てくるんだ。今のお前は、この世界の僕に関係ないだろ!!
『それは違うな。私は君だ。他の誰でもない君自身だよ』
だとしても、何で今さらお前が。
『随分と苦悩してるようだから、笑いに来てやったんだ』
何だと!?
『言っておくが、君の心の奥底に溢れる殺意は私のせいではないよ。他ならぬ君自身が発する心の闇だ。君の中にある本心なんだよ』
黙れ!
『君は以前、心の中でこう言っていたね。今の自分を昔の自分が見たらどう思うだろう、っと』
黙れ!
『その答えを今、教えてあげるよ……』
黙れ! 黙れ!
『ハッキリ言って滑稽だな……』
黙れ! 黙れ! 黙れ!
『哀れとも言うか。今のこの状況を目の前に、君はあのときと同じようなことを言えるかい?』
黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!
『私に向かって、この今を羨ましいだろう、と』
「黙れ!!」
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!
分かってるよ! 分かってるんだよ!!
このどうにもならない状況に情けないくらい自分が打ちのめされてることは!!
少しでも、過去の自分の方がまだマシだったかもしれないなんて思ってしまったことは!!
この世界に転生しなければ、こんな思いをせずに済んだなんて考えてしまったことは!!
全部、自分がよく分かってるんだよ!!
大切な日常、大切な世界。
そう思ったことに嘘はない。
けど、今この状況で、僕はどうすれば良いんだ。
爆音、閃光、砂塵。
繰り返し巻き起こる衝撃波が、今なお戦い続ける二人を顕にしている。
僕はただ、立っているだけ。
目の前のこの状況に絶望し、立ち尽くしているだけ。
『―――滑稽だな……』
それは、僕自身から出た言葉だった。
『このままここに突っ立っているだけで本当に良いのか?』
目の前に広がるこの絶望に、何もせずにいて良いのか?
大切な人たちが失われるのを、そのままにしていて良いのか?
「『良いわけないだろ!!』」
二つの心の声が重なった瞬間に、僕は走り出していた。
どうにもならない。けど何もしない訳にはいかない。何かせずにはいられない。
僕の大事な世界。僕の大事な日常。僕の大事な人たち。
それが崩れていくのを、黙って見ていられる訳がない。
どうなるかなんて知らない。
どうにもならないかもしれない。
けど、それでも、
動け!
動いてしまえ!!
銀の閃光と蒼白い雷がぶつかる直前に、僕は飛び出す。
二つの途方もない力は僕を巻き込んで、激しい爆発で地を揺らした。
僕が二つの力の前に飛び出したとき、同時に二つの悲痛な声がグラウンドに響いた。
「夕月!!」
「先輩!!」
二人は僕が飛び出してくるなんて思ってもみなかっただろうな。
僕を巻き込んで激しい爆発を起こした後、あれだけ強烈に放たれていた二人の殺気が消え失せた。
二人がどんな顔をしているのか、流石にそれを気にする余裕は僕にはなかった。
魔物の天敵である天使と、最強と言われた伝説の魔物である吸血鬼。この二人の力をまともにくらったんだ。
いくら僕でも…………、
「少しは効いたな………」
ぼそり、と二人に聞こえない呟きながら、僕は黄金の炎によって再生していく身体を起こした。
「ゆう、づき?」
そんな僕の姿を視認した優希姫が、愕然とした表情で僕の名を読んだ。
覚悟は出来ていた。
そのつもりで飛び込んだんだ。
彼女に、僕のこの姿を見せるつもりで。
反対側にいる羽川もまた、呆然とした顔で僕を見ている。
もう、誤魔化しはきかない。
「すまない………黙っていたのは僕も同じだ…………」
僕は敢えて優希姫の方に身体を向けて言い放つ。
「僕も魔物―――不死鳥なんだよ」
崩れてしまったこの日常を手放すかのように。
◆ ◆ ◆
どうなるかなんて、分かりきっていた。
僕が不死鳥だと打ち明けることがどういうことなのか、なんてことは。
魔物は天使の敵であり、魔物と魔物も種族が違えば敵にしかならない。
つまり、そういうことだ。
「うそ、夕月………」
だが分かりきっていたその最悪の未来は起こらなかった。
「…………どう、して、どうして、どうして!?」
絶叫を繰り返しながら、優希姫は逃亡という選択を取った。
その間に、姫刹の気配もいつの間にか消えていた。
戦いは終わった。
そう、全て終わった。
僕の生きていた、この日常と共に。
翌日の朝は、これまでにないくらいに起きるのが憂鬱だった。
元より睡眠を必要としないはずの僕が、ここまで寝床から動きたくないと思ったのは始めてだ。
昨夜、あの後のことはあまり覚えていない。どうやって家に帰ってきたのか、どうやって寝床についたのか。
ボンヤリとした意識の中で、フラフラとした足取りで、何を思っていたのか、何を感じていたのか、今この瞬間も分からない。
覚悟していたはずだった。
覚悟していたはずなのに。
あのとき、僕は自分が飛び出したことを後悔しそうになっていて。
そんな自分にも嫌気がさしてくる。
終わった。
終わったんだ。
僕のあの大切だった日常は。
だって仕方ないだろ。仕方なかったんだよ。
他にどうしようもなかったんだ。どうすればいいのか分からなかったんだ。
後から後悔しても、もう遅いっていうのに。何で今になってこんな、こんなにもあの瞬間が頭に過る。
あの、二人の間に飛び出した瞬間を。
あの、悲痛な二人の叫び声を。
あの、姫刹の呆然とした姿を。
あの、優希姫が僕を見て絶望した表情を。
目を閉じれば悪夢のように、その瞬間が鮮明に頭を揺らしてくる。
後悔先に立たず、か。
本当に昔の人たちは良く出来た言葉を残したもんだな。
自分の愚かさに、もはや自虐的な笑いさえ出てくる。
もういっそ、このまま逃げてしまおうか。
どうせ、僕の大事な日々は、終わってしまったんだから。
全てを捨てて、また一人であの空の世界に。
そんな投げやりなことを考えたときだった。
コンコン、と僕の部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「お兄ちゃん、朝だよ? もしかして具合悪い?」
峰月の声だ。
どうやら起こしに来てくれたらしい。
ここ最近、というか今まで僕が寝坊したことなんて一度もなかったから、体調を悪くしてると思ったようだ。
この世界に生まれてから一度も体調不良を起こしていない僕だが、確かに今のこの状態は具合が悪いと言うべきだろうな。
もう返事を返すのも億劫だった。
心配させてしまったことは申し訳ないが、今はそこまで気を回す余裕もない。
「夕月? 大丈夫なの?」
母さんもそこにいるようだ。
いつもなら気配で誰がいるのかなんてすぐに分かったのに、今の僕は本当に弱っているらしい。
「夕月、入るわよ?」
ガチャリ、と扉が開く音がする。
だが僕はいまだにベッドの上でうずくまったまま。
「どうしたの、夕月? 本当に大丈夫?」
「母さん………」
母さんは横になる僕のひたいに手を当てる。
「熱はないみたいだけど……」
「お兄ちゃん、どこか痛いの?」
流石に答えない訳にはいかない、か。
「別に………どこも、悪くないよ」
気分は最悪、だけどな………。
「ただ、今日は学校、休みたいんだけど………」
「そう、学校には母さんが連絡しておくから、もう寝てなさい」
「うん、ごめん……」
始めてだな、学校休むなんて。
昔から面倒だとは思っていたけど、実際に行かなかったことは一度もなかった。
それに、母さんたちにもかなり心配掛けたみたいだ。
二人の表情に、僕は申し訳ない気持ちが滲み出てくる。
情けないな。
太古の時代から伝説の生物と言われてきた者の姿とは思えない。
「あ、お母さん。お兄ちゃん心配だけど、今日は日直だから私もう学校行くね」
「ええ、いってらっしゃい」
峰月が出て行ってからも、母さんはそこにいた。
いつもなら仕事に行く時間のはずだが、よっぽど心配させてしまったのだろうか。いくらなんでも仕事を休ませてしまうのは申し訳ないどころではない。
「あの、母さん………」
「夕月、もしかして優希姫ちゃんと喧嘩でもしたの?」
僕が何かを言う前に、母さんがいきなり核心をついてきた。
色んな本を読んで、色んな話を見てきたが、多くの話に出てくる親という存在は、大概が子供のことを一番に考えてくれていて、子供たちのことを一番よく見てくれている。
どうやら僕のことも、母さんには全てお見通しらしい。
僕の唯一の友達だった優希姫のことも、母さんは知っている。何度か家に遊びに来ていたから対面もしていたし、当然と言えば当然だ。
仲が良いのは傍から見ても分かっただろう。
そしてそれを、母さんが嬉しそうに見ていたのも、僕は知っている。
「ちょっと、ね。喧嘩というか、すれ違いというか。正直、今は会いたくない気分かな」
だから素直に観念して、僕は胸の内を言葉にして出した。口にしないと、今にも自分の中の何かが壊れてしまいそうだったから。
「そう……」
母さんはそれで察してくれたらしい。
そのまま出て行くものだと思ったが、
「夕月は、どうしたいの?」
息が止まりそうになるような質問が飛んできた。
「どう、って………」
一瞬、何を言えばいいのか分からなくなって言葉に詰まる。
母さんは、僕と優希姫、そして姫刹の間にあったことを正確に理解している訳ではない。ただの喧嘩、すれ違いと言った僕の言葉をそのまま受け取ってのこの質問だ。
実際の状況を知っていたとしたら、こんなことはまず言えないだろう。
僕が不死鳥だとか、優希姫が天使だとか、姫刹が吸血鬼だとか、そういう話じゃなくて、もう終わってしまった関係に、今さらどうしたいもないからだ。
どうもこうも、どうにもならない。
「どうしようもないって、顔してるわね」
ああ、そうだろうな。だって、本当にどうしようもないんだから。そんな顔してて当たり前だ。
「でもね、夕月………」
母さんは言う。
「夕月は、それで、そのままで良いの?」
それは、奇しくも昨夜の僕と同じ疑問だった。
それで良いのか、と。
良いわけないだろ、と。
そう答えた昨夜の僕。そして結果がこの様だ。
「どうにかしようとしたよ。けどダメなんだ。ダメだったんだ。どうにも、ならなかったんだ………」
気付けば、僕は泣いていた。
涙を流すなんて、悲しみに心を痛めるなんて、何億年も生きていて始めてのことだ。
僕は、こんなにも脆かったのか。
「それで、諦めちゃうの?」
歯を食い縛り涙する僕に、母さんの質問は続く。
「優希姫ちゃんとの関係を、このまま終わらせちゃっても良いの?」
良いわけない! 良いわけないんだよ!
でも、僕には………、
「母さんね、後悔してるのよ。昔、夕月とちゃんと向き合おうとしなかったこと」
唐突に、母さんがそんなことを言い出した。
「母さん、昔は夕月のことが怖かったの。小さい頃から、何だか大人みたいで、母さんたちのことも視界に入ってないみたいで、親としてどう接して良いのか分からなくなっちゃってね……」
それは、母さんたちが悪かったんじゃない。
僕が分かってなかっただけだ。
「優希姫ちゃんと知り合ってから、夕月は変わっていったわよね。あのとき母さんたちが優希姫ちゃんみたいに、夕月とちゃんと向き合ってたら、もっと早くに夕月と楽しく話せたり、ご飯を食べたり出来たんじゃないかって、大事な思い出をもっといっぱい作れたんじゃないかって、今は思うのよ」
ああ、今の日々の全ては赤城優希姫との出会いから始まった。
優希姫がいたから、こうして家族とも話せるようになって。
優希姫がいたから、色んな感情を得ることが出来て。
優希姫がいたから、姫刹と知り合う切っ掛けを掴めて。
優希姫がいたから、今の日常を大切に思えるようになって。
優希姫がいたから、今こうして涙を流している。
「だからね。夕月にはそんな思いしてほしくないの。優希姫ちゃんとの関係を終わらせずに、最後まで精一杯繋ぎ止めてほしい。夕月を変えてくれた、母さんたち家族を変えてくれた娘との、大事な繋がりをね」
もう僕が流していたのは、悲しみの涙じゃなかった。
「夕月が優希姫ちゃんの傍にいたいと思うなら諦めないで、本当に最後の最後まで……」
―――君が離れていかない限り、僕は一緒にいるつもりだから……。
ああ、そうだ。僕は優希姫にそう言ったんだ。
「母さん………」
胸の内にあったはずの痛みは、温もりに変わっていた。
「ありがとう……」
自然と、僕は身体を起こしていた。
後悔はあるが、もう迷いはない。
いや、このままにしていたら、今よりももっと後悔しそうだ。
やるべきことは、どうしたいかは、決まった。いや、すでに決まっていたのに動き出せなかっただけだ。
曇りは晴れた。
動くことにも、すでに躊躇いはない。
僕は、優希姫と一緒にいたい。
優希姫と、姫刹と、過ごしていく日々をずっと続けていたい。
例え、それが叶わないんだとしても。
最後の最後までやるだけのことはやってやる。
何もしないまま、これ以上後悔しないために。
◆ ◆ ◆
結局、僕は今日の学校には行かなかった。たぶん、優希姫や姫刹も来ていないと思ったからだ。
今のこの状況では、平凡な日常の中で二人に会うことは出来ないだろうしな。
けど諦めた訳じゃない。
もう一度、二人とあの日々に戻りたい。
知らなかった頃には戻れないんだとしても、もう一度二人とくだらないことで笑いあいたい。
そのために、僕は行く。
優希姫と会えるとしたら、あそこしかないだろう。
夜の十一時を過ぎた頃。
僕はそこへ続く坂道を登っていた。
あのときと同じ、紫色のライトアップ。違うのは、身体に刺さるような冷たい風と、春を待ちわびる芽のなった桜の木。
不安はある。無い訳がない。
でももう、足踏みはしない。
力強く地を蹴って、僕は城の本丸の前まで登りきった。その先に、
僕は彼女を見つける。
始めて彼女と言葉を交わした、あのときと同じように。
あのときとはまるで違う、銀色の髪を靡かせて。
「こんばんは、夕月」
底冷えするような声と共に、彼女は僕に視線を向ける。
その銀の弓矢で、僕に狙いを定めながら。
「随分と物々しい歓迎だな、優希姫……」
まさかいきなり矢を突きつけられるとは流石に予想外だ。
だがその震える手を見ると、不思議と怖さはなくなる。
「どうして来たの?」
遠回しな拒絶の言葉。
まさか優希姫にそんなことを言われる日がくるとは。たった一言の疑問を受けて、心にトゲが刺さったような気がした。
「君に会うためだ」
僕は間髪いれずに答える。
「殺されると分かってるのに?」
優希姫の視線が鋭さを増す。
「分かってはいる。けど分かり切ってはいない」
「分かり切ってるよ!!」
僕の返しに、激情を叩き付けるような声が響いた。
「分かり切ってる。あなたは人間じゃなかったんだよ!?」
「そうだな………隠してたことは本当にすまないと思ってる」
「今さら、今さらそんなこと言わないでよ! どうしてなの!? どうして夕月なの!? 何で夕月が!! 隠すつもりがあったならずっと隠しててくれればよかったのに!! 何で、何で私たちに明かしたの!!」
優希姫の心の吐露は、あまりにも悲痛な叫びによって響き渡った。こんな感情のままに声を荒げる彼女は見たことがない。
「何でよりによって、私に………私は………」
「天使だろ? もう、僕にも分かってるよ。その事実も、その意味もな………」
そうだ。分かってるんだ。
彼女にとって僕は殺すべき敵で。
僕にとっても彼女は対立する敵で。
決して相容れることの無い種族の壁があることを。
たけど、
「優希姫………今の君にとって、僕は忌むべき敵か?」
ビクッ、と優希姫の身体がいっきに強ばりを見せた。
「それとも、かけがえのない友か?」
優希姫の震える唇。
そして、それは僕も同じだった。
どんな答えが返ってくるのか、その不安が心を締め付ける。
口を閉ざしてしまった優希姫を見て、僕は大きく腕を広げ、矢を受け入れるような体勢をとった。
「夕月、何を………」
優希姫が目を見開く。
「今の僕が―――羽川夕月という一人の人間がいるのは、君のおかげだ。君に出会うまでの僕は、自分が現世に生まれ変わった魔物であることを強く意識していた。親や教師、クラスメイトとも距離を取って、自分は他とは違うんだと、こんなつまらない日常にいる意味などないんだと、そう思いながら毎日を過ごしていた」
それが普通だと、思ってしまっていた。
「そんな僕と話してくれた。そんな僕と友達になってくれた。優希姫―――君は僕に、日常の楽しさを、日常の大切さを、僕に人として生きることを教えてくれた」
優希姫の表情が悲痛に歪む。でも僕は言葉を止めない。
「君がいたから、今の僕がここにいる」
だからあの日常に戻れないんだとしても、自分が一番納得できる選択をしよう。
「君にここで射られるなら、僕はそれでも構わない!」
それが今の、僕の本心だ。
優希姫に伝えられる、今の僕の精一杯だ。
「分かんないよ………」
ポツリ、と優希姫が震える声で呟きを溢す。
「なんで………そんなことが言えるの………」
泣きそうな、いや、すでに彼女は泣いていた。
「私は天使で、夕月は魔物…………私はあなたを殺さないといけないの!! それが私なんだよ!!」
「優希姫、僕は……」
「うるさい!!」
声が、届かない。
「うあぁぁぁぁ!!」
嘆くような叫びと共に、優希姫は張りつめた弦を鳴らし、銀の矢を放った。
「ッ!!」
いや、だが、これは……軌道がズレてる。
ギリギリだが僕には当たらない。
そう思った瞬間のことだ。
後方から飛来した雷が銀の矢にぶつかり、弾け飛んだ。
これは、まさか…………、
僕は慌てて雷が放たれた先を見ると、予想に違わず。
吸血鬼・星河姫刹がそこに立っていた。
「赤城先輩………まさか、羽川先輩のことまで殺そうとするとは思いませんでしたよ」
明らかな殺気をその身に抱いて。
「姫刹……」
「すみません、羽川先輩………隠れて付いてきてました。本当は横槍を入れるつもりはありませんでしたが、殺し合いになるなら話しは別です」
「おい姫刹、待て……」
「私たち魔物が平穏に暮らすには、どうやら彼女に死んでもらうしかないようなので」
僕の制止も聞くことなく、姫刹は優希姫に向かって駆け出した。
「まさかあなたも自分から死ににくるなんてね………」
突然の乱入者にも構わず、優希姫はすぐに迎撃体勢に入っている。
このままじゃ、昨夜の二の舞だ。クソッ!!
僕は動き出す、ただ見てるのは昨日だけで十分だ。この場を乗り切るためなら、例え人を捨ててでも戦うしかない。
暗い闇に、
蒼白い雷が走り、
銀色の閃光が走り、
そして、黄金の炎が走る。
三つのエネルギーの激突と共に、運命は残酷な殺し合いを開戦させた。
◆ ◆ ◆
三つ巴の戦い。
まさかこの現代で、こんな激しい争いをすることになるとは思わなかった。
それも、自分の大切な人たちを相手に。
運命の残酷さ。
何億という歳月を生きてきた僕は、そんなもの嫌というほど理解している。
世界の在り方とはこんなものなんだろう、と諦念を抱くのには百年もかからなかった。
運命という言葉に甘えて、その残酷さの全てを仕方ないのだと受け入れてしまう。それがこの世界に生まれ変わったばかりの僕だ。
なら、今の僕は。
今ここにいる僕は。
今この瞬間を必死に足掻いている僕は。
赤城優希姫という存在によって変えられた僕は。
運命なんて知らない。
諦められる訳がない。
これだけは、この僕らが過ごす日常だけは、何としてでも。
繋ぎ止める!!
心が叫ぶように、僕は優希姫と姫刹の間に入り、二人の銀の矢と雷を受け止め続ける。
「羽川先輩、どいてください!!」
「邪魔をしないで夕月!!」
「お前らが退け! 優希姫!! 姫刹!!」
ヤバイな、いくら不死鳥モードでも、天使の矢と吸血鬼の雷を防ぎ続けるのはキツすぎる。
それに、もう一つ嫌な予感がしてきた。
この戦いの最中、周囲に集まってきている気配。優希姫と同種の、神に選ばれた者の気配だ。
すでに囲まれてる。
僕や姫刹が狙いだろう。
優希姫が仕組んだとは思えないが、彼女の両親も天使しの類いならそっちが動いててもおかしくないか。いや、そもそもこんな派手な戦いだ。どこまで力の広がりがあるかは知らんが、勘づいて他所からやって来る天使だっているかもしれない。
どんな仮定が合ったところで、万事休すに変わりはないんだから。
こんな状況、どうやって打開すれば…………、
『情けないことを思うなよ』
『お前は、不死鳥………』
『神がその姿を顕現した、伝説の存在だぞ?』
『人間は人間なりに、魔物は魔物なりに、不死鳥は不死鳥なりのやり方がある』
『そうは思わんか?』
ははは、そうだな。
全くその通りだ。
いいだろう、なら僕のやり方でやってやるよ。
「動くな、魔物ども!!」
三人が地に足を着けた瞬間を狙ったように、低い男性の声が響いた。
…………来たか。
四方を囲んでいただろう天使たちが次々に現れる。
十、二十、いや、それ以上。
老若男女様々な天使が、僕ら三人を包囲していた。
「お前たちに逃げ場はない。抵抗を止めれば、痛みなく消してやる」
天使たちが一斉に弓矢を構え、僕と姫刹の二人に狙いを定めている。
「な、何で、天使たちが………」
その声を上げたのは優希姫の方だった。
突然の事態に混乱し、優希姫も姫刹も呆然と周囲を見回している。
だがやがて状況を理解すると、同じ天使である彼女は慌てて口を開く。
「ま、待ってください!」
どうやら本当に焦っているようだ。
「どうして、あなた方がここに、この町には私たちの一族以外に天使はいないはずなのに」
「これだけ派手な戦闘になって、他の天使たちが嗅ぎ付けない訳がないだろ。むしろ何故この状況を我々に報告しなかったのかの方が疑問だな」
どうやら中年男性に見えるこの天使が、集団を率いてきたようだ。代表で喋る彼以外は僕と姫刹を狙いすましたまま目を逸らそうとしない。
「君はたしか、赤城の娘だったか。才ある娘と聞いていたが、吸血鬼という伝説の存在を相手取るのにも本来なら十名以上の天使が必要だ。ましてや不死鳥などという未知もいるとなれば、単独で撃破出来る相手でもないだろう」
「そ、それは………」
男の言葉に、優希姫は黙り込んでしまう。
「もういい、君は下がっていなさい。才能に溺れた愚か者が、君に神に使える資格はない」
吐き捨てるような男の言葉に、優希姫はぎゅうっと胸の前で拳を握り締める。
憤怒か、恐怖か、悲愴か、赤城優希姫は身体を震わせていた。
「さて、あの愚か者のことはおいて、お前たち魔物の方の始末に掛からせてもらうぞ」
男の意識が、改めてこちらに向いた。
ちらりと姫刹を見たら、顔を歪めている。どうやら先の男が見せた優希姫への態度が原因らしい。
実際、かなり嫌な野郎なのは分かった。
あんなのが天使とは、世も末というやつだな。
「言っておくが逃げようなどと思うなよ。今ここには日本中から天使が集結している。この四十の神の使いを前に、お前たちに勝ち目も逃げ場もない」
「どうせ抵抗しようがしまいが殺すつもりなんだろ?」
試しに問い返すと、意外にも答えた。
「無論だ。お前たちのような世界の害悪が存在しているなどあってはならない。大人しくしていれば楽に殺してやる。ただ抵抗するなら苦しむことになるがな」
「お前らに僕を殺せるのか?」
「随分と躾のなってないガキだな。その生意気な口だけは誉めてやろう。だが周りをよく見ろ、これがお前たちのおかれている状況だ。我々はすぐにでも貴様らの息の根を止めることが出来る」
「本当にそうかな?」
「不死鳥がどれほどのものかは知らんが、所詮は魔物。これだけの人数を揃えた天使の集団には絶対に勝てない」
ほう、大した自信だな。天使というよりは悪魔に近い卑下た笑みだが。
どうやら彼らは本気らしい。
姫刹は相変わらず顔を歪めたまま、そして優希姫も、握った拳から流れる血がその思いの丈を表している。
それが僅かばかりに残った僕らへの思いの表れなら嬉しいが、どうだろうな。
確証はない。でも、一つだけ言えること。
今、優希姫は揺れているんだ。
心の内に葛藤が見えるのが僕には分かる。ついさっきまで、同じ葛藤に苦しんでいた僕には。
倒すべき敵と、手放せない絆。
その二つがぶつかり合う苦しい迷いの中にいて、優希姫は答えをだすことが出来ないでいる。
殺されるのが分かり切っている、と言い切った彼女が。
まだ切れていない。
無くなった訳じゃない。
今そこに見えている。
僕と彼女を繋ぐものが、手を伸ばせば届く距離にある。
僕が化け物と知ってなお、優希姫は繋いでくれている。
僕の大事な日常。
僕の大事な人たち。
なら、もう僕には何も怖いものはない。
見せてやる。
やってやる。
繋ぎ止めるためなら喜んで、
僕は最凶の魔物に戻ろう。
これが、『私』のやり方だ。
その瞬間、辺りが凍り付いたように、僕たちを囲む天使たちがいっせいに呼吸を止めたのが分かった。息をのむ、というやつだろうか。
間違いなく、僕が放った殺気のせいだ。
小学生時代に子供たちを気絶させてしまったときとは比べ物にならない殺意の力を、僕は身体中から放っていた。
あれほど軽口を叩き、余裕の表情を見せていた男も固まっている。
「どうした? この『私』を殺したいのだろ?」
僕は追い討ちをかけるように、冷たく刺すような声で問う。
だが彼ら天使たちは動かない。というより、動けない。
「ほら、どうした? やってみろよ……」
僕は大きく手を広げ、自分は的だと言わんばかりに声を上げる。
「う、うわあぁぁぁぁ!!」
弓を構えていた一人が、恐怖に負けたのか矢を放った。いや、放ったではなく、離してしまったの方が正しいか。
だが紛れもなく天使の矢だ。同じ天使の優希姫が放っていたくらいの威力はあるだろう。
まあ、意味はないがな。
真っ直ぐに向かってくる銀の矢は、僕の数メートル手前という距離で跡形もなく弾け飛んでしまったからだ。
「な、何が………」
何が起きた、とでも言いたかったのだろうか。
なら、答えてやろう。
「分からないか? 天使が持つ矢の力が『私』の殺気に押し負けて消えただけのことだ」
「な、そんなバカな!」
男がようやく硬直から抜け出して声を荒げる。
「我らの矢は、神から授かった魔物殺しの矢だぞ、たかが魔物の殺気ごときで……」
「たかが?」
随分とまあ、笑わせてくれる。
「貴様らの前にいるのは不死鳥だぞ?」
僕は言葉に合わせて身から溢れる力を更に大きく高めていく。
「吸血鬼や獣人などと同列に扱うなよ?」
奴ら押し潰すかのように。
「『私』は元より神が人の想像によってこの世に顕現した存在。言わば、貴様らの上位種」
僕が纏う黄金の炎は、やがて巨大な神鳥を作り出す。
「四十やそこらの天使の勢力で、よくもまあそれだけ自信満々になれたものだ」
見上げてくる天使たちはもはや顔色を真っ青に変えている。
「『私』を倒したくば、十万の天使と神を連れてこい、前世はそれでギリギリ敗れた。つまり、それでようやく同じ土俵だ」
天使たちの戦意が一気に薄れていくのが分かる。だがここで手は緩めない。
「言っておくが『私』は不死身だ。再生能力を撃ち破る力で『私』を殺したとしても、この現代に転生したように何度でも蘇る」
これは正直、ハッタリだ。次に死んだら転生するかどうかなんて、僕にも分からない。それでも、使えるものは何でも使わせてもらう。
「選択肢をやろう。ここで『私』に全員殺されるか、撤退して十万の天使と神を連れ再び『私』に挑むか、それとも二度と『私』と敵対しないか」
さらに僕は言う。
「まあ、もし『私』と本気で戦う気があるなら止めはしない。が、そのときは、この世界もろとも吹き飛ぶ覚悟は決めてこいよ?」
最後の警告とばかりに僕は身に纏う黄金の炎を天に放ち、その圧倒的な力を爆発させた。
◆ ◆ ◆
全てが丸くおさまったというには、あまりにも派手な幕引きだったような気もする。
少なくとも翌日のニュースになるくらいには、近所迷惑極まりない爆発を起こしてしまった。
これで良かったのかと問われれば、我ながら同意しかねるかもしれない。
結局のところ、力で天使を黙らせたようなものだ。
脅しと何も変わらない。
ちなみに僕がこの方法を思い付いたのは、小学四年のときに絡んできたあのデカブツの横暴な態度からだ。
まさかこんなところで役に立つとは、本当に人生とは分からないものだな。
「おはようございます、先輩」
「姫刹か、おはよう」
朝の学校で、僕は星河姫刹と挨拶を交わす。
あの夜を越えて、僕と姫刹は普通の学校生活に戻っていた。
僕が姫刹に手を出すようなら容赦しないと言ったこともあり、日本にいる天使たちの間で僕たちは討伐対象から外れたそうだ。
その情報を教えてくれたのは、なんと優希姫の両親だった。
どうやら二人は初対面のときから僕が不死鳥であることと、この現代の天使たちでは手に負える存在ではないことを見抜いていたらしく、要監察の形をとっていたらしい。
現代の地球という世界には神は実在しておらず、天使の数も世界中からかき集めても千人に満たないという話だ。
到底、僕に対抗できる勢力が揃うとは思えないな。
それと赤城夫妻はこうも言っていた―――自分たちは天使である以上、元が神に当たる僕とは敵対したくない。
いずれ優希姫にもそう伝えるつもりだったらしい。
正直、話の分かる人たちで本当に助かったと思う。
そして、その優希姫だが。
「赤城先輩、今日も学校お休みですかね?」
「さあ、どうかな……」
優希姫はあの日から一週間、ずっと学校を休んでいた。
「やっぱり、私がいるからでしょうか。赤城先輩、魔物のこと凄く毛嫌いしてる様子でしたし」
「それを言うなら僕も同じだが、まあそんなことはないだろ。今はまだ、いろいろと心の整理も必要なんだよ。本当に、今回は辛い思いをしたからな」
複雑に絡み合った糸。
どうにか解いてはみたものの、やはり疲労の色は残る。
「まあ、そのうち出てくるだろ」
「はい……」
そう言って姫刹と分かれて入った教室。
その日もまた、最後まで優希姫の姿はなかった。
夜。
僕は以前と同じように、不死鳥の姿で大空を散歩するようになっていた。
この不死鳥の姿に、力に、救われた。
あんなことになって、本当に自分たちの運命を呪ったが、今ではこれで良かったように思う。
この力に絶望して、この力に救われた。
僅かな繋がりを守ることが出来たんだから。
早いもので、明日にはもう三年の卒業式だ。
あのお姫様はいつになったら学校に出てくるのやら。
でもまあ、心配はしていない。
なぜなら……………、
バサッ、と翼が羽ばたかせた音が聞こえた。
僕じゃない。
僕の真横、いつの間にか並ぶように飛んでいた天使の翼だ。
「こんばんは、優希姫……」
そう、赤城優希姫だった。
「こんばんは、夕月。相変わらず深夜の徘徊とは不良っぽいねぇ~~」
微笑を浮かべながら軽口を叩く彼女は、あの日を境に少し大人びたような気がする。落ち着いたというか、そんな雰囲気だ。
だからといって距離が遠くなることはなく、むしろ近くなったような気がしていた。いつも隣にいた彼女だが、最近ではどこか寄り添うように近づいてくるからだ。
それと、毎度の夜の散歩も見ての通り少し趣向が変わった。
夜に空の散歩をする僕を地上から見つけては、天使モードで自分も空に上がってきて一緒に飛ぶ。
まさか誰かと一緒に空を飛ぶとは、前世の世界でも思わなかったな。
「学校にも来ず夜出歩いてる優希姫の方がよっぽど不良染みてるだろ」
「アハハ、そうかもね」
こいつ、笑ってるし。
大人びてもこの屈託の無い笑顔は変わらないらしい。
「さっさと学校出てきたらどうだ? まだ僕たちのことを気にしてるのか」
「まっさかぁ~、もう気にしても仕方がないでしょ? 夕月が力尽くで全部黙らせちゃったんだし、夕月に勝てる存在はこの世にいないも同然だしね」
「まあ、な」
「おまけにお父さんもお母さんも夕月のこと始めから知ってて手を出さないようにしていたって言うし、もう何が何だか分からなくなっちゃったよ」
「実際、先週はいろんなことがありすぎたからな。僕もかなり混乱してたし、迷ったり後悔したり自己嫌悪になったり、言い出したら切りがないくらい頭の中がグチャグチャだったよ」
「うん……それは、よく分かるよ……」
「どうにかして優希姫を、姫刹を、この日常を繋ぎ止めたいって必死で、苦しくて、生まれて始めて涙まで流した」
「……………」
「でも諦められないから、足掻いて足掻いて、どうにか立ち上がって、優希姫のところまで行ったんだ」
地上に見えるあの城に。
僕と優希姫は旋回すると、高度を下げ、あの夜と同じようにその場所に立った。
僕が不死鳥の姿を解くと、優希姫も天使から人間の姿に戻った。
「ここしかないって思った。優希姫との全部に決着をつけるには、優希姫との繋がりを留めるには、始めて君と話したここしかないって………」
「そう、だね。ここは、私たちの始まりの場所だもんね………」
「ああ、だから繋ぎ止めれた。あの天使たちに囲まれたとき、優希姫の辛そうな表情を見て、僕は絶対にあの日々を取り戻そうって、思えたんだ」
だから今、僕たちはここに並んで立っていられる。
「うん。私はあのとき、もうダメかと思って、今にも壊れちゃいそうで、怖かった。失いたくなかったから、ずっと一緒にいたかったから、終わりそうになったときも本当に凄く、怖かった」
優希姫の目尻に涙がたまっている。
今でもまだリアルに感じる、あの苦しさはそれほどのものだった。
「ありがとう、夕月。本当にありがとう……」
「礼を言われることはしてないよ。僕が誰よりもそうしたかったんだから」
「ううん、私が心から願ってたものを守ってくれた。助けてくれた。繋ぎ止めてくれた。生きていてくれた。この場所に来てくれた」
本丸の前の桜の木を背に、優希姫は涙と笑みが混じった表情で感謝の言葉を繋ぐ。
「傍にいてくれて、隣にいてくれてありがとう、夕月……」
その笑顔に呼応するように、桜の木々が花を開かせて、
「大好き……」
その言葉と共に、花びらが美しく輝いた。
願わくば、こんな日々をずっと、いつまでもと、僕の心に思い描くように。
低系です。
この『僕の前世が魔物でしかも不死鳥だった件』は四話構成、起承転結で区切った簡潔な話でした。
本当はもっと短く書く予定が、プロット無視の暴走が入り気付けば四話なのに文字数が無駄に多くなってしまいました。
さっぱりと終わらせようと思っていたのが何故こうなった。
個人的に結はもっと良くできたかも、という反省もしながら次作も頑張ります。