起
物心がついた頃。
自分の存在が普通ではないのだということにようやく気付いた。
いや、気付いたというより、思い出したという方が正しいかもしれない。
夢の中、大空を自由に羽ばたき、いくつもの大陸、山脈を悠々と越えて、僕は遥かな高みから、その地上を眺めていた。
そう、確かにそれは僕自身の目で見てきた景色だ。
あの山脈の形も、時折見える街の様子も、何もかもが見覚えがあって、そこに存在している自分をより確かなものに感じていた。
ただの夢じゃない。
これは、僕の記憶だ。
百年、千年、いやもっと。
移り変わっていく世界の様子を、僕は変わらぬ姿で見守り続けていた。
長い時間だった。
世界が変わり続けても、僕は変わらない。死ぬことのないこの永遠の肉体は、世界にすら取り残されたように、どこまでもひとりぼっちだった。
でもそれでいい。
僕は自由に、この空を舞うことさえ出来れば、例え一人でも構わない。
この永遠に続く空だけはいつも、僕と一緒にいてくれる。
そして、それは今この瞬間も変わることなく。
変わってしまったこの景色を、僕は高みから見続ける。
バサリ、と僕は燃えるような黄金の翼を一度羽ばたかせ、夜の真っ暗な世界を飛んで行く。美しい満月をこんなに近くで見れるのも、僕だけの特権だ。
さて、あと二時間もすれば、夜も明けていくだろう。
そろそろ戻ろうか。
今の僕が住まう、家へ。
くるり、と身を翻し、街の方へ戻っていく。
揺らめく黄金の炎を纏った身体は空を切り、音速を越えたスピードで目的の場所に一瞬でたどり着いた。
僕は翼をたたみながら、黄金の炎の塊となって住宅街に建つ一つの家のベランダに降り立つ。
黄金の炎が消えれば、僕の姿はこの世界に住む、ごく平凡な男子小学生に戻る。
ベランダの窓を開けて自分の部屋に入ると、もはや見慣れた机やらベッドやら本棚やらが置かれた、手狭な一室があった。
ここが今の、僕の寝床。
この世界に住む平凡な小学生である、羽川夕月の家だ。
いったい何故、僕はこの世界にいるのか。
何があって、不死であるはずの僕がこの世界に転生したのか。
僕はこの世界で、何処に向かおうとしているのだろうか。
◆ ◆ ◆
僕が僕を過去に伝説とされた不死鳥だと自覚したときから、見ている世界が大きく変わった。
端的に言うと、どこか色褪せてしまったような気がする。
何千年、何万年、何億年という時間を過ごしてきた僕が、自分よりも遥かに年下になる両親に甘えることも出来る訳もなく、小学校の入学前には、すでに親離れ、もとい両親との間に壁が出来ていた。
気味悪がられてる、とも言うかもしれない。
五歳になったばかりの子供が、両親からの質問に極めて落ち着いた理屈っぽい答えばかりで返す様は、我ながらかなりシュールだったと思う。
何気ない日常の会話ですら、
「夕くん、今日のご飯は何が良い?」
「何でも良いよ。栄養のあるものならね………」
「……………」
これが当時五歳の僕と母さんの会話だ。
不死鳥が食事の栄養を気にするのもどうかと思ったが、食事は栄養がある方が良いのだと本に書いてあったのでそう口をついて出ていた。
そのときの僕はといえば、前世の世界では読むことの出来なかった小説などの物語にハマっていて、常に家ではその手に本を広げながら気のない返事ばかりしていた。
愛想のない子供。
そんな僕の姿に母さんはいつも困ったような苦笑いを浮かべていた。
その苦笑いが無関心の表情に変わり、いつからか声もかけられなくなったのはたぶん、二つ下の妹がちゃんとした会話ができるようになり、しっかりと両親に甘えはじめてからだろう。
正直、僕はそれを全く気にしていなかったし、むしろ面倒な声をかけられなくなって楽だとさえ思っていた。
その感情は、今もさほど変わっていない。そもそも僕には、親がいるという概念すら、いまひとつ分からないのだ。
僕たち世界で伝説とされる生き物は、人間の想像や願望が、地上に降りてきた神と相まって生まれる幻想生物だ。いつの間にかそこにいて、意思を持って動いていた。生まれたときから、すでに一人だった。
慣れすぎていたんだ。一人でいることに。
何億年も生きていて、ずっと一人でいて、それが当たり前で、寂しいとすら思わなかった。
敢えて何が嫌だったかというと、あまりにも退屈な時間だけだ。
それさえなければ僕は一人ほど楽なものはないと思っていて、今住んでいるこの世界には、退屈を紛れさせてくれるものがいくらでも溢れ返っている。
最初は両親という話相手がいることで、暇潰しには楽しく思えたが、他の一人で出来る娯楽を知ってからは、あっという間にそっちに流れてしまった。
特に読書は、今までになかった知識を与えてくれたり、ユニークな物語を語ってくれるものばかりで、ただの他人との会話より実に有意義で楽しかった。
それがダメだったのかもしれない。
何がどうダメだったのかは、ハッキリとよく理解出来ないが。
それを続けていくうちに、両親の心が僕から離れていくのが分かったから、たぶんそうなんだろう。やがて図書館で適当な本を借りてきてくれる以外は、本当に相手にされなくなった。
通っていた保育園でもそんなことばかりしていたから、友達は一人も出来なかった。そもそも何言ってるかよく分からん子供を相手に、友達にしたいとは思わんが。
先生たちも最初は積極的に皆の輪に加えようとしてきたが、何回か流し気味に会話をしていたら、気味悪がられて誰も近付いて来なくなった。
小学校の入学を機に、僕は両親と同じ部屋から一人部屋に移された。妹は変わらず両親の寝室で寝ていたが、僕はついぞ追い出されたらしい。
もっと早くに移して欲しかったものだが、まあ結果ようやく一人で寝られる空間に来れたのだから良かった。
これで何の気兼ねもなく、ゆっくりと寝られる。
それにそろそろ試してみたいこともあったのだ。
昔の僕の力は、今なおも顕在なのかどうか。
空を飛べば音速を越え、どんな攻撃を受けても一瞬で肉体は再生し、黄金の炎を放てば国を跡形もなく焼き付くす。
昔にいた世界では、僕は神に等しい天災の一つとして恐れられ、人々には讃え祀られていた。
まあ、祀られてたのは人間が勝手に自分達で造ったらしい不死鳥の祠だか神殿だかで、僕じゃなかったんだが。
というか崇められるその様を遥か上空から見ていた僕は「何してんの?」という心境だった。
話が脱線したが、ようはその世界にいた頃の僕は、天地に災害を及ぼす力を持った存在だったのだ。
果たして、今は?
自分を自覚してから今まで、何度か試そうとは思っていたのだが、何分、歳が歳なので試そうにもなかなか一人になることが出来なかった。
けど、一人部屋なら話は別だ。
家は一戸建ての二階で窓の外にはベランダもあるし、一階にある両親の寝室からは離れている。何かしてても気付かれることはないだろう。
家族が寝静まった時間を見計らって、僕は静かにベランダのガラス戸を開けた。
自分の力の実験のためだ。
だが正直、試すまでもないことは分かっていた。
普段の生活から、すでに自分の特性が発揮されていたからだ。
まず空腹感や満腹感がないこと。
食べた分だけは排便として体外に出されるが、求めた栄養が吸収されているかは怪しいところだ。
そして睡眠欲もない。
寝ようと思えば寝れるが、別に寝なくてもあまり変わりはなかった。
あとは疲労感。
いくら動いても疲れることはないし、本を同じ体勢で永遠と読んでいても筋肉が固まることも関節が固まることもない。
他の人間たちが感じるらしいその感覚とは無縁だった。
身体の仕組み、臓器や骨格などは人間と同じようだが、性能は随分と違うらしい。
ここら辺の知識は本を読んで割りと学んでいたから、自分が人間と違うことを改めて自覚した。
一度本を読みながら道を歩いていたとき、転んで脚を擦りむいてしまったことがあったのだが、起き上がった頃にはすでに傷は消えていた。
まさにあの頃の再生能力を彷彿とさせる。
他には、目を凝らせば数キロメートル先まで見えるとか、耳をすませば住宅街一帯のありとあらゆる音が聴こえるとか、そんなところだ。
でも僕にとって一番重要なのは、そんなちゃちな能力じゃない。
何度も何度も過去の記憶の中で求めた、あの空の世界。
そこに羽ばたいていく翼。
僕はどうしてももう一度、あの空を飛びたかった。
いや、飛べるはずだ。
こんな姿になっていても、しっかりとイメージ出来る。
ベランダに出てガラス戸を閉じると、僕はあの頃の自分の姿を思い起こすようにイメージした。
――――行ける……。
ベランダの手すりに脚を掛け、僕はそこから飛び降りた。
いや、飛び立った。
黄金の炎を纏いながら、かつての不死鳥の姿で、僕はこの現代の空を舞い上がった。
◆ ◆ ◆
小学校に入学して周りの環境が変わった。
学校での授業は分かりきったことばかりでつまらなかったが、校内にある図書室はなかなか過ごしやすかった。
親が適当に借りてきていた今までと違って、好きな本を借りて読めるし、何よりうるさい声もなく静かだ。
そのせいで唯一残っていた両親との繋がりである本を借りて来てもらう、ということもなくなってしまったが、気にも止めなかった。まあ、学校に通わせて貰ってるだけ有難い方だろう。
もうこの頃の僕にとっては、空の散歩と読書だけが楽しみになっていた。
言うまでもないが、友達などいない。
周りは当然ながら子供ばかりで、相変わらず話が合わなかった。
ツマラナイ授業、読書、空中散歩、そんなことを繰り返しながら、僕は気付けば小学校四年生になっていた。
クラス替えというのがあってから、何だか周りから受ける扱いが変わった。
教室ではいつも孤立して本ばかり読んでいたから、今まで扱いもクソもなかったのだが、新しいクラスになって少したった頃。
周りは何故かやたらと掃除当番や提出物届けなどの面倒な仕事を僕に押し付けようとしてきた。
ハッキリ言って僕はお人好しでも大人しく従うような奴でもない。
自分の当番でもない。やる義理もない以上、押し付けようとするクラスメイトの言葉を無視していた。当然、やっていない。
「おい羽川、昨日の掃除当番代わりにやってくれって言っただろうが!」
そんなことがあった翌日。
クラスでやたらと態度のデカイ男子生徒が、僕にそう言ってきた。
態度もデカイが、図体も他の同学年と比べてかなりデカイ。あと声もデカイ。
「昨日は僕の当番じゃない………従ってやる必要はないと判断した」
「だから代わってくれって言っただろうが、俺たちは昨日の放課後は忙しかったんだよ」
見ればそのデカイ図体の横には腰巾着のように男子生徒が二人いる。
俺たち、とはどうやらこいつら三人のことのようだ。
「確かに言われたが、了承した覚えはない」
「何だと! お前は黙って言うこと聞いてりゃ良いんだよ!」
「意味が分からない。何故、僕が君の言うことを聞かなければならないんだ?」
後から知った話だが、平凡と目立たない日々を送っていたと思ってた僕は、どうやらかなり悪目立ちしていたらしい。
理由は、周りと違うから、だという。
恐らく、この金色の髪と瞳のせいだ。
どういう訳か、僕の姿はごく普通の日本人から掛け離れた金髪金眼。
両親と妹が黒髪黒眼だから、間違いなく遺伝ではないだろう。
明らかに前世の不死鳥の姿が影響していそうだ。
そのせいか、黙っていようが教室の隅にいようが、僕はかなり目立っていたらしい。
この世界の日本人というやつは何故か自分たちとは違う人間を排除しようとする傾向にあるようだ。例えて優秀過ぎても不出来過ぎてもダメ。自分たちと同じでなければ気が済まない。勿論、そうじゃない人間もいるようだが、このクラス内では前者だけしかいなそうだ。
このデカイ奴に絡まれてる僕を見て、教室にいる生徒全員が悪意のありそうな顔でクスクスと小声で嗤っている。
…………なるほどなるほど。
これが有名ないじめというやつか。
でも前に本で読んだやつより酷くないようだから、そこまで気にするほどでは無さそうだ。
敢えて問題をあげるとすれば、目の前にいるこのうるさいデカブツくらいか
「てめぇ、友達もいねぇような奴が偉そうに……」
「偉そうなのは君だろ?」
どうも僕は思ったことをそのまま口に出してしまうようだな。気を付けよう。
目の前のデカブツが顔を真っ赤にして怒りの形相を浮かべる。さっきまでの嘲笑するような表情から一転、まるで余裕がなさそうだ。
「ちっ! ボッチなお前に俺たちがせっかく声掛けてやってんだぞ? 言うこと聞くぐらい当たり前だろうが!!」
うるせー。声デカ過ぎ。
ホームルーム前とはいえ、ここまで騒いでたら今に担任が来るぞ。
「あー、そう。なら、ボッチで良いから声掛けないでくれ、君みたいに声のボリュームも調整出来ない奴の言葉は耳障りな雑音にしか聞こえない……」
ブチッ、とデカブツの堪忍袋が切れたのが分かった。
随分とまあ短期な小僧だな。
「何だとてめぇ!!」
叫びながら、僕の目の前に拳が迫る。
「本当にうるさいデカブツだな……」
その呟きの後。
ガッシャン、と机やら椅子やらが倒れた音が教室に響いた。
僕はといえば見事なまでに吹っ飛ばされて、倒れた机や椅子の中に沈んでいる。
静まり返った教室。
口を開いたのはデカブツだ。
「………はっ、ざ、ざまぁみろ!」
思わず手が出てしまった、といったところか。頭が冷静になって、人を殴ってしまった罪悪からか、少し声が震えている。
まったく……ビビるくらいなら最初から殴るなよな。
そんなことを考えながら、僕は何事もなかったかのように普通に立ち上がった。
「満足か?」
そう聞いてやる。
デカブツの顔色が、今度は青くなっていた。
かなり強く殴られた。こいつもそれを自覚しているんだろう。
一瞬で再生したせいで傷一つない僕の顔を見て絶句している。
「それとも、本気で喧嘩をしたいなら軽く相手をしてやるが………」
僕は不死鳥だ。
いうなら、この世の生物の誰よりも上位にある存在だ。下等な人間ごときと喧嘩するほど、落ちぶれてはいない。本当ですよ?
ただちょっとだけ本当にちょっとだけ………………あの頃の威圧感を放ってみただけだ。
この日………僕が学んだのは、どうやら最上位の魔物の威圧感は、下等生物にとって大小関係ないらしいこと。
そしてクラスの人間が全員気絶したら学級閉鎖になること。
いじめとは、簡単になくせるということだった。
そうやって平凡な日常を再び取り戻し、小学校生活もあと一年となったとき。
僕に、
「ホントに夕月って面白いわよね」
始めて友達が出来た。