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月食み  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第一部
2/15

2.突入


 蝙蝠の女と白い花の少女。

 共に居るその間柄はよく分からないが、二人には特に名前が無いらしい。月の森で生まれ、当り前の生き物としての一生をひっそりと送っていた彼女たちだったが、訳あって食虫花に囚われてしまったことがあったそうだ。しかし、運良く逃げ出せた彼女たちは、隷属にもならず、命も奪われず、再び森での自由を勝ち取ったのだという。

 ならば、ひっそりと暮らし続けたってよかったはずだ。この森に住んでいる多くの生き物のように、自分たちとは関係が無いのだと言い聞かせ、戦いの行方を見守っていたとしても誰も責めたりは出来ない。

 しかし、彼女たちは屋敷を目指す私達を見つけてしまった。そして、ただ傍観していることが出来なくなった。


「貴女様の胡蝶が盗まれた噂は森中に広まっています」


 蝙蝠の女はそっと教えてくれた。


「そろそろ決着のつく時が迫っていると、皆、固唾を飲んで見守っているみたいです。私たちもそうでした。あの魔女に怯えなくて済む時が来ると今も貴女様を信じています。だから、貴女様の御姿を目にした時、せめてものお役に立てるように協力したいと……この子が言いだしたんです」


 そう言ってずっと彼女の傍を離れない控え目な少女を指差した。

 名もなき花の少女。少年と同じく野生花の血を引いているようだし、間違いなく白い花の一族だが、華とは少し趣の違う容姿をしている。愛らしいのには変わりない。

 暫く喋らずに蝙蝠の女だけにこっそりと話しているようだが、きっと少年や華と会話をする力はあるはずだ。

 どんな理由で、どんな背景があったにせよ、あの場を潜り抜けられたのはこの蝙蝠の女のお陰だ。手作りらしき槍を構え、女性にしてはやや勇ましい雰囲気をしている彼女は、くすりと笑いながら続けた。


「私はこの子の頼みなら断れませんからね。共々、貴女様の戦いが少しでも有利になるようお力添えをしたいのです」


 感情のままに笑う蝙蝠の女と未だ緊張気味に私達を見ている白い花の少女。黒と白の外見と同じように、その印象は対照的だった。


「そうか。勇気ある決断を感謝するよ」


 二人に向かってそう言うと、白い花の少女もまた少しだけ照れたように見えた。

 それから間もなくして、食虫花の屋敷に辿り着いた。

 羽虫のことがあって以来、大した妨害はなかった。隷属たちは必死に足止めしようとしたけれども、人間である花狩人達は勿論、絡新婦や蝙蝠の女を怖がって、時間稼ぎにもならないまま終わってしまった。

 しかし、それでも食虫花が焦っている事はないだろうと不思議なほど思えた。

 それは、彼女が蝶と共にいるだろう屋敷の雰囲気が、前より抱いていた印象よりもずっと堂々としていた為だろう。緊張感が私達を包みこむ。人間の花狩人達が率先して扉を打ち破りに向かう中、絡新婦がそっと私の前へと一歩踏み出し、屋敷の上部を睨んでいた。


「月様、どうか私の傍を離れないでください」


 絡新婦が小声で言う。


「元々は貴女に拾って頂いた命です。どうぞ盾にしてください」

「有難いな」


 私もまた小声で返した。


「だが、命を無駄にするつもりはないよ」


 その会話の最中、花狩人達がついに扉を破った。

 後に続けば、淀んだ臭いを含んだ空気が私達を迎えた。数年前に見た光景とほぼ同じ。あの時は一人だった。一人きりで蝶を救うために踏み込んだ。でも、今は違う。今度こそ、取り逃がしはしない。

 心の中で剣に誓う私を見て、屋敷のあちらこちらに潜む得体の知れない埃を被った妖精たちが騒ぎ出す。一見してすぐに分かる。大した力もなく、命からがら食虫花の隷属となったような者たちだろう。

 彼らにとって食虫花は世界そのもの。


 討伐に来た私達を歓迎するはずもない。力はなくとも数はある。逃げる者もいれば、そうではなく立ち向かってくる者もいた。向けられるのはあからさまな敵意。しかし、彼らだって元々は私の大地で生まれた命。出来れば、傷つけたりはしたくないと思ってしまう。

 けれど、そんな事は綺麗事に過ぎないのだろう。

 勇猛に戦い、力無い精霊達を斬ってしまう人間たちを悪く言うことも出来なかった。


「食虫花の部屋はこっちです」


 名もなき花の少女がそっと私に告げる。

 蝙蝠の女に守られながら、彼女たちは必死に一方を目指していた。すでに絡新婦や蚕、華もそれに続いていた。

 私もまたそれに従おうとした、ちょうどその時だった。


「お前たち、奴を進ませるな。命を張って、食虫花様に誓いを示せ」


 荒々しい声が響いた。

 蝙蝠の男だ。いつの間にか二階の廊下からこちらを見下ろし、目を光らせていた。私と目が合うと、すぐに黒き衣を翻し、獣の姿となってこちらへと真っ直ぐ飛び掛かってきた。


「月様、お下がりください!」


 野生花の少年が叫んだ。花狩人達と共に蝙蝠の男に向かって聖剣を向ける。それを見て、蝙蝠の男はひらりと身を翻して距離を取った。


「油断するな。その男は魔術を使うぞ」


 生きるかどうかも分からない忠告をしていると、力無い隷属たちが波のように私の方へと押し寄せてきた。

 もはや躊躇っている場合ではなかった。蝙蝠の事は少年たちに任せ、聖剣で彼らを脅しながら道を開け、どうにか名もなき花の少女たちが向かおうとしている場所を目指そうとしたその時、ふと傍にいた大紫が一方を見つめた。

 その視線に釣られて私も立ち止まってしまう。誘われるままに向いたその視界の先にいた者の姿。それを見て、私はふと眉をひそめてしまった。


 ――胡蝶だ……。


 一目で分かった。蝶ではない。別の娘だ。戦乱に飲み込まれる正面玄関の様子に怯え、何処かへと逃れようとしていた。この屋敷にいながらある程度の自由を与えられているということは、食虫花の隷属なのだろう。


「まさか……」


 大紫が歩みだした。

 段々とその足は早まり、隷属らしきその胡蝶の娘へと向かっていく。

 その反応を見て、私もふと思い出した。

 大紫は言っていた。妹がいると言っていた。蛹の中で眠りながら食虫花に攫われ、今も生きているかもしれないという妹がいるのだと。


 ――あの娘が……。


 どちらにせよ、今ここで大紫だけが離れてしまうのは危険だ。


「待て、大紫」


 名を呼んでも、彼女には届かない。

 私の声に絡新婦がこちらに気付いてくれないかと振り返るも、彼女はすでに白い花の少女が導く先まで行ってしまっていた。

 勇敢にも命を捨てる覚悟をしている隷属達に塞がれている。絡新婦を呼びとめたところで、大紫を見失ってしまうのが落ちだ。

 ならば、私が追いかけるしかない。


「待つんだ、大紫!」

「月様は、皆の元へ」


 辛うじてそんな返答が来たが、聞けるはずもない。

 大紫を追い始めた私に気付いて、蝙蝠の男が飛び立ち始める音がした。それを受けて、花狩人達と少年も私を追いかけ始める。


「どうしたんです、月様!」


 少年の問いにすぐさま答える事は出来なかった。

 逃げる胡蝶と追いかける大紫。更にそれを追いかける私達が向かう先が何か。

 白い花の少女が導いた先は、確かにきっと食虫花の部屋だったのだろう。絡新婦も蚕もついていった。彼らとはぐれない限り、華は無事だろう。

 そう信じて、私はとにかく大紫に続いて――いや、見知らぬ胡蝶の娘を追って、その部屋に辿り着いたのだった。



 両開きの扉を開けた先。用途も分からない大広間があった。かつて、私と食虫花が戦った場所とは違う。古ぼけている中で、幾つかの家具だけは埃を被っていなかった。それ以外は全て廃屋のように荒れている。

 その真ん中で、私達を導くように逃げた胡蝶の娘は此方を向いて立ち尽くしていた。


「お帰り下さい」


 硬い表情で彼女は言う。


「お願いです、月の女神様。此処から立ち去ってください」


 懇願のようだ。蝙蝠とは印象が違い過ぎるが、彼女もやはり食虫花の隷属なのだろう。

 美しい娘だった。見れば見るほど、大紫によく似ている。似ているけれど、その印象は正反対だ。太陽と月というよりも、光と闇、白と黒というくらいに違う。

 儚げな容姿に思えるのはきっと、肌を隠す衣服の下にちらりと見えるその腕が、そしてその足が、首筋が、包帯だらけだったからだろう。


「ねえ……」


 大紫が彼女に向かって一歩踏み出した。


「ねえ、分かる? 分かるわよね? 貴女の姉よ。一緒に蛹になって、一緒に羽化しようと誓った姉さんだよ」


 その時、名前なんてなかっただろう。

 幼き彼女たちの世界にいるのは姉妹だけだっただろう。しかし、妹であるはずの彼女は、大紫から目を逸らし、じりじりと後退りし始めた。


「ええ、分かるわ」


 彼女は震えた声で答えた。


「でも、駄目なの。姉さん、貴女に大紫という名前が付いたことを知っているわ。わたしも名前を貰ったの。あげはという名前よ」


 誰にもらったのか。それがどういう意味なのか。

 さすがに大紫も分かったことだろう。聖剣の矛先を下におろし、私はそっと見守った。大紫の身体が震えている。目を合わせられない妹、鳳をじっと見つめたまま、固まってしまっていた。


「嘘……だって、そんなの……」

「食虫花様はわたしを生かして下さった。殺さないで永久に愛してくれると誓って下さったわ。だから、お願い、姉さん――そして、月の女神様、どうかお引き取り下さい」

「そんなの……」


 大紫がその場に崩れ落ちる。

 鳳を取り返そうと必死だった想いがここで打ち砕かれてしまったのだ。そして、私にとっても苦しいものが圧し掛かる。酷い現実が目の前にて明かされた。食虫花を殺せば、この娘も死んでしまうということを、突きつけられてしまったのだ。

 だが――。


「悪いが、そうはいかない」


 聖剣を鳳に向け、私は問いただした。


「蝶を取り返しに来た。知らないとは言わせない。此処にもう一人、胡蝶の娘がいるだろう? 何処に居るか言え」


 大紫の妹だとしても、声は自然と荒くなる。蝶の事を何か知っているのだとしたら、どうにかして聴きださなくてはと気が急いてしまう。

 だが、荒い私の様子を見ながらも、鳳は寂しげに微笑んで見せた。


「この屋敷にはもう一人と言わず、もっともっと胡蝶がいますわ。女神様」


 いったんはそう言ったが、小さく息を吐き、そして軽く首を振ってから言いなおした。


「蝶と言う名の胡蝶なら、それは大事に預からせていただきました。けれど、御嬢様は気丈な御方。食虫花様に怯えつつも、どうにか貴女の元に帰ろうとなさって――」


 そこで言い淀むのが怖かった。緊張と恐怖をどうにか表に出さぬよう、私は剣を向けたままくうを斬って鳳を脅した。


「帰ろうとして何だ。もったいぶらずに言うんだ」


 すると、鳳は真っ直ぐ私を見つめて言った。


「あの御方の処遇は食虫花様次第です。貴女様にお返しするかどうかはわたくしが決められる事ではありません。どうかお引き取り下さい」

「ふざけるな。蝶は我が城の娘だ。何処に居るか言え。でないと――」


 言いかけてふと、傍に崩れる大紫の存在を思い出して言葉に詰まった。

 そんな私を見つめ、鳳は怪しく目を光らせる。


「でないと、なんでしょうか?」


 冷たい声で訊ねられ、私は聖剣を構えたまま固まった。


 鳳というこの娘。最初はただの食料としか見られていなかったかもしれないが、今は名前と服を与えられ、この屋敷で可愛がられているのだろう。包帯が示すものを考えればその愛は随分乱暴なものかもしれない。だが、幾ら隷属とは言え、鳳自身の様子から察すれば、そこまで悪い待遇ではないのかもしれない。

 それはつまり、食虫花の弱点もまたこの娘であるということだ。蝙蝠の男と同じだ。身体を張らせた隷属達とは話が違うのかもしれない。鳳にもしも何かすれば、食虫花は怒り狂ってしまうだろう。怒りは凶暴性に繋がる。しかし、冷静さを失うという意味では此方が有利になることだってある。

 この娘はそんな事情を分かっていながら、私を挑発するように見つめた。


「その聖剣で、わたくしの命を奪うおつもりですか?」


 蝶を取り返すためならば、それすらも出来るか。

 かつて絡新婦から蝶を取り戻した時のように、食虫花を脅す材料に出来るだろうか。


 ――いや、出来ない。


 この子は大紫の妹だ。絡新婦を通じて私に仕えてくれる娘の大切な存在。そんな娘をぞんざいに扱うなんて、どうして出来るだろう。

 それでも、私は言った。


「鳳だったね」


 きっと大紫は受け入れないだろうその名前をきちんと呼び、出来るだけ落ち着いた声で彼女をまっすぐ見つめて訊ねた。


「一生愛すると誓われたと言ったな。お前はどうだ。どんな心情で奴に仕えている」

「――勿論」


 鳳もまた厳しい眼差しで私を見つめ返す。


「愛しています。食虫花様を愛しているから、此処に仕えております」


 大紫が顔をあげる。唇は震え、その目が真っ直ぐ鳳だけを見つめている。妹が間違いなく言ったその言葉に、衝撃を受けているらしい。

 隷属としての性なのか、それとも、隷属など関係ない心なのか。私にも分からなければ、きっと大紫にも分からないだろう。


「こっちにおいでなさい、鳳」


 その時だった。

 凍るような声が何処からともなく響いて、雷にでも打たれたかのような衝撃が私を襲った。声のした方を慌てて向くと、そこにはいつの間にかその人物が立っていた。

 ほぼ同時に、背後では少年達が振り向くのが伝わった。

 蝙蝠の男の笑い声が聞こえる。花狩人達がすぐに彼に向って走り出す。だが、加勢に行くことは出来なかった。

 私の視線は鳳に向いていた。鳳が駆け寄る先に居る人物に向いていた。

 食虫花。美しい花の魔女。甘ったるい蜜が辺りに漂い始めた。

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