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月食み  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第三部
11/15

1.檻


 蝙蝠に白い花の子。その組み合わせの是非は、わたしにはよく分からない。ただ、花売りの青年は蝙蝠という存在も嫌っていた。それに、蝙蝠といったらわたしは食虫花の手下のあの男しか知らなかったから、あまりいい印象は持っていなかったかもしれない。

 けれど、混乱する状況の中でわたしと一緒に蝶を探してくれているこの蝙蝠の女は、確かに月の味方であり、食虫花の隷属の男とは正反対の存在であるらしかった。


「あとは地下だけだね」


 そう言って名もなき蝙蝠と白い花の子は、二人して迷うことなくわたしを地下まで連れて行ってくれた。

 安全の為か、安心の為か、名も無き白い花の子同様、わたしは蝙蝠の女に手を引かれていた。月の手とも、蝶の手とも違って、逞しさと強さを感じるその手の感触に始めは緊張したけれど、次第に慣れてくるとどうしようもないほど頼れる存在に思えて仕方なかった。強い者の傍にいたがるのが弱者。わたしはどう足掻いても弱者の枠を超えられないのかもしれない。

 そんなわたしにとって、この屋敷はとても恐ろしい場所だった。野生花じゃない身の上だから、月の森よりも恐ろしい場所を歩くなんて慣れているはずもない。


 絡新婦と蚕はどうしているだろう。共に進んだのも束の間、二人は別行動をすると言ったきり姿を見ていない。途中、悲鳴らしきものが聞こえてきたけれど、彼女のものでないと信じたい。

 様々な不安を掻き立てるように、地下牢の雰囲気がわたし達を包みこんだ。蝙蝠や白い花の子に身を寄せながら、わたしはその見たこともないような恐ろしい空間を眺め続けていた。

 形状だけなら似ている場所を知っている。幼い花を閉じ込めていた花売りの家の一室によく似ている。でも、あの場所にはない空気が此処には漂っていた。檻という場所に入れられている者たちは、皆、食虫花の隷属なのだろう。酷い傷を負った者ばかりで、檻の外をうろつくわたし達を恨めしそうに睨みつけていた。

 そんな場所へと辿り着いて、さほど時間はかからなかった。

 そう狭くはない檻の中に複数の美しい女たちが入れられている場所があった。胡蝶だ。若い者から食虫花と同じくらいの者まで複数いるその中に、一際目立つ容姿の胡蝶が閉じ込められていた。


 ――蝶。


 自覚のない香りで気付けたのだろう。蝶はすでにわたしの姿に気付いていた。檻から身を乗り出して、真っ青な顔をこちらに向けて、彼女はわたしの名を呼んだ。


「華……?」


 その声を聞いた途端、全ての緊張が解けて、気付けばわたしは蝙蝠の女の手から離れて蝶の元へと駆け寄っていた。

 触れただけで、無事な事がとても有難くて涙が出そうだった。


「蝶、ああ、蝶、会いたかった。怪我はしていない?」


 檻越しに抱きしめたものの、蝶は何処かぼんやりとした。ずっとこの場所で囚われていたのだろうか。身体はとても冷えていて、意識も何処か定かじゃない。温めるように蝶の身体に触れ、ほんの少しだけ蜜を与えながら、わたしは蝶に必死に話しかけた。


「月に連れて来て貰ったのよ。どうしても、一緒に蝶を助けたかったの。よかった、無事でよかった。御免なさい、蝶。わたしのせいで――」


 感極まって泣きそうになった。

 全ては蝙蝠の男の怪しげな魔術がきっかけだった。飛びだしたわたしを心配して、悪い花狩人に追われている事を心配して、誘き出されてしまったから囚われたのだ。


「華のせいではないわ」


 けれど、蝶もまた泣き出しそうになりながら心からそう言った。抱きしめられれば、太陽への感謝は尽きない。月は言っていた。太陽の加護が蝶を守ってくれるのだって。それは本当だったのだ。そうでなければ、ここでわたしを待っているわけがない。そうでなければ、今頃――。

 かちゃりという音がして、わたしは我に返った。

 いつの間にか蝙蝠の女が何処からか檻の鍵を見つけて、扉を開けてしまっていたのだ。その途端、わたしには蝶しか見えなくなって檻の中の蝶の胸元へと飛び込んでしまっていた。周囲で鋭い視線を感じたけれど、蝶の下では全く気にならなかった。

 そこへ、蝙蝠の女が声を低めて言った。


「やあ、皆。空腹だったら申し訳ないけれど、ここにいる花の子たちはそれぞれ持ち主が決まっているんだ。ここは開けっぱなしにするから後は好きにしていいけれど、手を出すのだけは駄目だよ。じゃないと、君たちの事も、食虫花の手先として相手しなきゃならなくなるからね」


 彼女の言葉に、わたしはやっと周囲を窺った。

 蝶と共に囚われていた胡蝶たち。この檻に居るのは皆、女性だ。踏みこんできたわたしや、共に来た白い花の子をちらちらと見つめながらも、蝙蝠の女の存在を恐れて大人しくそこに居続けている。

 彼女たちは食虫花に囚われた可哀そうな人たち。けれど、生きているということは、食虫花に生かされているということは、何処かで抗う事をやめてしまった人たちなのだ。

 きっと、わたし達と同じ道は歩めない人たち。

 そんな別世界の人たちを見つめていると、蝙蝠の女がそっと蝶に話しかけた。


「君が蝶だね。華から話は聞いているよ。私もこの花の子も、月様の味方だ。すぐに一緒に――」


 と、その時、急にその声は飛び込んできた。


『華、華?』


 少年だった。共にいる花の子にも聞こえているらしい。


『聞こえているわ、どうしたの?』

『大変だ。月様が、月様が食虫花に囚われた』


 思わず悲鳴が漏れた。そんなわたしと華の子の様子を、蝶と蝙蝠の女が怪訝そうに見つめている。そうだ。二人には聞こえないのだ。思い出して、わたしはどうにか冷静さを装って、二人に対して告げた。


「少年の知らせよ……」

『月様は身動きが取れなくなってしまっている。今にも、手を出されてしまいそうだ。僕たちも頑張って取り返そうとしているのだけれど――』

「月が食虫花に囚われている。身動きが取れなくて、今にも……今にも、手を出されそうだって……」


 彼の言葉をそのまま伝えながら、頭の中が真っ白になりそうだった。

 立ちくらみで歪む世界の中、わたしはいまだ少年の報せを信じ切れてはいなかった。

 月が、月が食虫花に負けるわけがない。負けていいはずがない。囚われればどうなるのか。手を出されるとはどういうことなのか。全てが分からないほど、もうわたしは子供じゃない。だからこそ、わたしは彼の言葉を信じたくなかった。


「――月が」


 蝶が絶句する。

 地下牢に囚われているあらゆる者たちの囁く声が聞こえる。それぞれ何を囁いているのか、どんな心情なのかなんて分からない。ただ、その囁きの中で、蝶はゆっくりとふらつきながら、立ち上がったのだ。

 縋りつくわたしの手から離れる蝶。その目が地下牢の階段。この地獄の出口へしか向いていないことが、不安だった。


「場所は何処なの?」


 その問いに、わたしは竦む。そんなわたしの代わりに白い花の子が答えた。


「分からないわ。少年からの返答が――」

「助けなきゃ……」


 会話すらせずにふらふらと歩きだす蝶を、蝙蝠の女が戸惑いつつも引き留めようとした。けれど、その前に、蝶は走り出してしまった。


「待って、蝶。危ないわ!」


 けれど、その声は届くこともなく、蝶はすでに階段の向こうへと消えてしまっていた。


「なんてこった。せっかく助けたのに一人で行ってしまうなんて」


 慌てた様子で蝙蝠の女が檻から外へと出た。

 けれど、今更追いかけても遅いくらいだ。全力で走る蝶に追いつける者なんているのだろうか。そのくらい、彼女はあっという間に行ってしまった。

 仕方ないと溜め息を吐いてから、蝙蝠の女は檻に留まる胡蝶の女たちに向かって告げた。


「君たちもせっかく自由になったんだし、せめて外に出たらどうだい。月様が不利といっても、魔女になんか負けるわけがないじゃないか」


 そう言う彼女だけれど、不安さはわたしにも伝わってきた。ふと、蝙蝠の言葉にも返事を返さずに、わたしの元に、そっと胡蝶の一人が近づいてきた。その気配に気づいて蝙蝠の女が睨みを利かせるも、彼女は恐れもせず、けれど、脅かさないようにゆっくりとわたしに視線を合わせてきた。


「貴女が月様の花。人工花と言われる子ね」


 月よりも年上の女性だ。きっと食虫花と同じくらいの年の胡蝶だろう。わたしの姿をじっと見つめてから、ふいに蝙蝠の女へと視線を向けてから口を開いた。


「貴女には見覚えがあるわ。かつて此処に囚われていた人ね。隷属にもならず、逃げ出せることが出来た貴女には私たちの絶望なんて分からないでしょう。分からない限り、戦いには勝てても、全てを解決する事は出来ないわ」


 静かだが、何処か、敵意を感じるようなその言葉に、蝙蝠の女が表情を歪ませた。苛立っているようだが、傍にいる花の子が縋るのを感じて、じっと心を落ち着けていた。

 その様子を見て、そっと微笑むとその胡蝶はわたしにそっと囁いた。


「お行きなさい。貴女の香りで私達が狂いだす前に」


 立ち上がり、檻から出ていくまで、胡蝶達の視線はずっとわたしと白い花の子に向いていた。けれど、檻から出て追いかけるような気配すらないまま、視線からはずれるまで、皆そのままじっとしたままだった。



 食虫花と月のいる場所は言葉では説明しづらいようだった。

 そもそも此処は食虫花の屋敷。内部をよく知っているわけではないから当り前だろう。それでも、少年はどうにか上手くわたし達を誘導してくれて、その誘導を受けた蝙蝠と白い花の案内も的確なようだった。

 ただ、導かれるままに進んでいくも、蝶の姿は一向に見えない。既に辿り着いているのか、何処かで迷っているのか。迷っているのだとしたら、食虫花の隷属に囚われてはいないかと心配だった。

 けれど、その心配もすぐに解消される事となった。

 食虫花たちのいる場所に辿り着く前に、絡新婦達と会えたからだ。

 絡新婦達は長くて広い廊下で蝙蝠の男と戦っていた。花狩人の人間を相手に蝙蝠の男は怪しげな魔術を用いて翻弄していたらしい。魔術には魔術で対抗しなければ立ち向かうのは難しい。絡新婦と蚕が手を貸して、ようやく蝙蝠の男の幻術を払い、その息の根を止めようとしているところだったらしい。

 けれど、そう易々とあの男が捕まるはずもない。


「小賢しい虫けらどもめ……」


 猛々しくも花狩人達が襲いかかろうとしても、蝙蝠の男はひらりと交わし、その姿を消してしまうのだ。かといって無視して進もうなら、積極的に邪魔をして来る。彼の目的は主人の邪魔をさせない事ただ一つなのだろう。

 だが、蝶の姿は此処には無い。

 彼女は一体何処にいるのだろう。


『華? 華、何処に居るんだい?』


 少年の声がこだまする。けれど、返事をする前に耳をつんざくような雑音に見舞われた。蝙蝠の男が放つ魔術だ。ふらつくわたしの身体を、仲間の蝙蝠がそっと支えてくれた。


「なかなか捕まえられなくてね。すばしっこい鼠のようだ」


 絡新婦が苦笑気味にその蝙蝠の女に囁いた。

 蝙蝠の女はじっと男を睨みつける。見比べてみても、同じ種族であるのが頷けるくらい雰囲気は似ている。けれど、彼らは敵同士。かつて囚われていたと言われていた通り、よく知らない相手でもないのだろう。


「すばしっこいだけだよ、蝙蝠なんて。臆病だからこそ強い力になびき、臆病だからこそ主人から授けられた魔力に頼るしかない」


 蝙蝠の女はそう言うと、わたしの身体から手を放して腕を大きく広げた。


「私に任せて。あのうざったいおっさんを誘き出してみせるよ」


 そう言うと、蝙蝠の女の姿はみるみるケモノの姿へと変わっていった。それを見て、蝙蝠の男も姿を変える。二匹のケモノが薄暗い部屋の中を飛び交い、戦っている。けれど、その間にも男の集中は途切れない。

 月たちがいるはずの部屋への道は閉ざされたままだ。進もうと思って進めるものでもない。怪しげなあの魔術に打ち勝つ力なんて、わたしにはないだろう。


「大丈夫よ。彼女に任せれば、絶対に隙は生まれるはず。一斉に襲われれば、あいつの集中も途切れるわ。そうしたら、一緒に行きましょう」


 いつの間にか震えていたわたしの肩に手を置いて、名もなき白い花の少女が励ましてくれた。わたしより幼く見えるのに、わたしよりも堂々としていた。彼女は仲間を信じている。希望を信じているから、堂々としていられる。

 その温かな言葉を支えに、わたしもどうにか震えを止めた。


 大丈夫。月は殺されたりしない。大地の女神が負けたりしない。不安を打ち消すように自分にそう言い聞かせ、戦いの行方を見守った。

 共に見守る白い花の子も、わたしを勇気づけてはくれたけれどやっぱり不安そうだった。彼女にとって月に味方してくれるあの蝙蝠の女はそれほどまでに大切な存在なのだろう。

 食虫花の右腕として名高い蝙蝠の男も、さすがに相手の数が多くて参っているらしい。その上、自分とほぼ同じ動きを出来る同種族の者がいては、落ち着かないのだろう。彼が食虫花より譲り受けた不可思議な力で怪しげな手下達を呼びだす度に、物影へとそっと逃れながら、わたしは静かに時を待った。

 そう長くはない。

 信じた通り、空中では同胞の女が、床からは蚕や、物騒な武器を持った複数の人間たちが待ちかまえている上に、絡新婦までが彼を捕えようと糸を張り巡らすものだから、段々と彼の苛立ちは増していき、やがてその集中は完全に途絶えたのだ。


「今よ」


 真っ先にその時を見計らったのは、ずっと傍に居てくれた白い花の子だった。声を押し殺してわたしの手を掴み、彼女が走り出すのに引っ張られる形でわたしも走り出した。

 一本道の端をするりと走り抜け、少年が待っているはずの、そして月がまだ耐えているはずの部屋を目指した。

 その反応の良さは少年のものにも似ている。野生花らしさでもあるのだろう。けれど、いったんタイミングを掴んでしまえば、あとは先に待っているものへの感情次第だ。

 引っ張られていたわたしが、逆に彼女を引っ張るまでにはそう時間はかからなかった。

 後ろから蝙蝠の男の恨み節が聞こえた気がしたけれど、もう一度術を唱えてわたし達の行く手を阻むような余裕は何処にもない。


「よそ見するんじゃない。お前の相手は我々だ」


 絡新婦が蝙蝠の男に言うのが聞こえたのを最後に、わたしは行く先に待ち受けている光景へと意識を投じた。

 いつしか共に走る花の子の手は手放していた。身軽になったわたしは、まるで自分が蝶々にでもなったかのように、見えないし、存在もしない風に乗るようにその部屋へと飛び込んでいった。

 そして、ようやくその場所へと踏み込んだのだ。

 壁に囚われる月。勝ち誇ったようにその場を見据える食虫花。その魔女の傍らに立つ胡蝶。そして、その二人を睨みつける大紫と複雑な表情で見つめる少年。

 そして――。


「蝶……!」


 張りつめた空気の中、わたしはその名を呼んだ。

 月が持っていたはずの聖剣を握りしめ、強過ぎる敵を前に物怖じせずに睨みつけている可憐なはずの胡蝶の娘――蝶。

 その姿が目に入った途端、わたしは走り出していた。蝶は振り返らない。振り返らないけれど、わたしの事を拒んだりしない。彼女の胴に抱きつくと、恐ろしさが後から込み上げてきた。

 蝶は挑もうとしている。胡蝶と食虫花という絶対的な力関係を無視して、聖剣を手に戦おうとしている。全ては月を取り戻すために。


 ――月……。


『大丈夫。まだ意識はあるよ。でも早く、助けてあげなきゃ』


 少年がそっと教えてくれた。

 早く助けなくては。ああ、それはわたしも同感だ。この大地の女神があんな姿にされていて良いはずがない。助けなくては。月に買われた者として、月の大地に生きる者として、そして月の娘として愛された者として、彼女を助けなくては。


「華」


 そっと、囁くように、蝶がわたしの名を呼んだ。聖剣を持たぬ手で優しくわたしの髪を梳くと、彼女は今まで見せたこともないような勇ましさを含んだ声でわたしに言った。


「あたし達の平和を取り返しましょう」


 その強い言葉に、わたしはしっかりと頷いた。

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