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天パちゃんと母  作者: りなち
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幼少の天パちゃん

 私は、一人っ子です。両親が結婚してから7年、ようやく授かった子どもでした。

 私の親戚は皆大人ばかりで、身の回りに年の近い子どもはおらず、幼稚園に入るくらいまで、大人に囲まれて育ちました。

 そのせいか、同年代の子どもと比べると、私は少々変わった子どもだったように思います。

 幼少の頃の私は、空想好きで、自分の想像した動物や風景を絵に描いたり、思いついた物語を覚えたての字で紙に書きだし、それをお気に入りのぬいぐるみや、ペットの猫に読んで聞かせたり、いつも読んでいた赤ずきんの絵本を、何故か逆さまから読んだりして遊んでいました。

 

 どうしてこんなことをしていたのかは、もう思い出せませんが、周りの大人たちが喜んでくれたのと、同年代の子どもと遊ぶ機会があまりなく、自分一人で楽しむ術が、こういうことしか無かったからだと思います。


 また、当時の私は、内気で、体も弱く、外に出ることをあまり好まない性格で、時々、公園などで同世代の子どもと遊ぶ機会があっても、すぐに一人の世界に閉じこもってしまうような子どもでした。母はそんな私を、外の世界に馴染ませるのに、とても必死だったように思います。


 当時の母は、私が嫌だと言っても、粘り強く人の集まる場所に連れて行きました。

 ですが、「変わり者」の私には、当然友達はできません。

 私も、母の期待に応えたくて、なんとか他の子どもたちと遊ぼうとしても、しばしば意地悪をされたり、仲間外れにされたりして、とても悲しい思いをしました。


 一人の方がよっぽど楽で、どうして嫌な思いをしてまで他人と関わらなければならないのか。と、幼い私は、この母の努力をとても苦痛に感じていました。


 そんな私も、幼稚園という小さな社会の中に入ると、他人との関わり方が少しずつ分かってきて、自然と社交的になっていきました。あんなに苦手に思っていた同世代の子ども達とも、どんどん仲良くなっていき、友達も沢山できました。

 大人に囲まれて育った私は、同世代の子どもたちが知らないことも知っていたし、勉強が好きで、読み書きも難なくできたので、周りの子どもたちから一目置かれる存在になっていました。

 

 ただ、「変わり者」という周りからの評価は相変わらずでした。

 私の奇妙な行動や言動について、からかうような事を言ったり、意地悪をしてくる級友もいました。

 ですが友人達は、その私の「変わり者」な部分も個性として受け入れてくれ、時には意地悪な級友から私を庇ってくれたりして、小さい頃のような悲しい思いをすることは少なくなりました。


 ですが、今まで慣れ親しんだはずの、「大人」たちの反応は違いました。大人達は、子ども達以上に、「変わり者」をとても嫌うのです。

 他人と同じことができず、大人の事情をくみ取り、妙に子どもらしくない振る舞いをする私は、大人達にはとても奇妙で、生意気な子どもに見えたのでしょう。

 そして、そんな私を良く思わない大人達が、何気なく放った言葉たちが、私と母を少しずつ傷つけていきました。


 それらの事で私が強く覚えているのは、幼稚園のお絵描きの時間でのことです。

 私は、お絵描きの時間が大好きで、できることなら1日中やっていたいくらい好きでした。何故なら、お絵描きの時間は、幼稚園という集団社会の中で、唯一、一人になる事、空想する事を許される時間だったからです。

 そんな大好きなお絵描きの時間も、時間が来れば当然終わってしまいます。その後は、すぐに歌の時間、お遊戯の時間…と、私の苦手な集団行動が待ち受けています。

 いつもなら、憂鬱に思いながらも、先生の指示に従って片づけを始める所なのですが、その日は、絵の出来も納得のいくものではなかったし、もう少し空想していたい気分だったので、私は道具を片付けるのが他の子よりも少し遅れてしまいました。

 

 「何やってるの!?もう片付ける時間だよ!」

と、先生はイライラした様子で私に言いました。私は、大人がイライラした時、とても面倒になることを知っているので、「ごめんなさい。」と、素直に謝り、すぐに道具を片付け、席に着きました。

 その後は、何事もなく一日が終わり、私は家で空想の続きを楽しみました。


 そんな出来事から数日後、たまたま参観日がありました。

 その日どんな事をしたかは忘れてしまいましたが、一通りの授業が終わった後、親が個々に担任の先生と話をする時間があり、私達子どもは、その間帰り支度して、親たちを待っていました。

 私は早く帰りたかったので、早々に帰り支度を済ませ、母と先生の話が終わるのを今か今かと待っていました。


 これは母から後々聞かされた話ですが、その時母は、先生から私についてのいくつかの注意を受けたと言います。

 

 まず、行動がマイペースであること、他の子ども達に合わせるということが難しく、協調性が無いこと、体が弱く、休みがちなこと、何かと一人になりたがること。

 

 これを聞かされた時、なんて下らない事なんだろう!と思いました。

 私は、大人になってから他人と合わせられない大人を沢山見ました。協調性に関しても、私の出会った協調性のあり過ぎる人は、人間的に問題のある人が多かったように思います。

 そして、マイペースだという指摘に関しては、私は、この世にいる人間の大半はマイペースな人間だと思っているので、いちいち指摘していてはキリも限りも無い事柄なんじゃないかと思います。

 一人になりたがるという指摘も、すぐに群れたがる人間が多い中、一人で何かをしようとするのは、むしろ長所なんじゃないかと思います。

 実際、私は大人になってから、この「一人で何でもやる」という点を、長所として、よく褒められます。

 

 私は前述の通り、「なんて下らないんだ!そんな馬鹿の言う事なんて、無視してしまえ!」と思ったのですが、初めての子育てで、余裕があまり無かった母は、その後の子育てにおいても、この先生からの注意をとても深刻に受け止めてしまったようでした。


 特に母に止めを刺したのは、「お宅のお子さんは、片付けもろくにできないんですよ。お家でどういう躾をなさっているのですか?」という言葉でした。

 私の母は、少々潔癖症な所があり、小さい頃から片付けの苦手な私は、そのことで度々叱られていました。

 しかし改めて、先生から「自らの子どもが片付けのできない子どもである」という事実を突きつけられ、とてもショックを受けたそうです。


 ですが私は、いくら目に余る子どもがいたとして、もう少し注意の仕方があるのではないかと、当時の先生に対して憤りを覚えます。この先生には教育者としての資格は無いとさえ感じます。

 

 これらの事を母から打ち明けられた時、私は「先生の言い方は、あまりに失礼であるし、然るべき抗議をしても良かったのでは?」と言ったのですが、母は初めての子育てに追われ、そんなことを考える余裕も無く、唯々ショックで何も言えなかったと、言っていました。


 また、私を悪く言うのは先生だけではありませんでした。先述した「私を悪く思っていない大人」、その中でも特に、「ママ友」も、私のことに関しての皮肉をよく言ってきました。


 頻繁に言われたのは、「一人っ子だから」という言葉です。

 彼女たちは、子どもの私と、子育てに追い詰められていた母に対して、「この子は一人っ子だから変わり者なんだ」、「この子は一人っ子だから、将来きっと我が儘な大人になる」とさぞ愉快そうに言ってきました。

 一番酷かったのは、全く話したこともない子の母親から、「あの子は一人っ子で、すごく変わり者だと評判だし、きっと我が儘な子だから、一緒に遊んではダメよ。」と目の前で言われたことです。


 私の事を何も知らないであろう大人から、心無い言葉と意地悪な笑顔を浴びせられ、私は子ども心に、大人という存在と、「一人っ子だから」という言葉が大嫌いになり、それまで気にしたことも無かった、「一人っ子」という自分の生い立ちがコンプレックスになりました。

 このコンプレックスは、後々まで消えることは無く、長い間、私を苦しめ続けることになります。


 そして、私と同じように…もしかしたら私以上に、周りからの心無い言葉で傷つけられてきた母も、この頃から少しずつ変わっていってしまいました。


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