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雨のやまない世界

作者: 紺間 雄也

 僕は根っからの傍観者だった。傍から観ることしかできない者。その言葉は時に中立を守る立場を強調する一方で、目の前にある不条理・不合理に逆らおうとしない強者よりも、ましてや弱者よりも質が悪いと言われる立場の者にも使われる。

 そして僕はその前者であろうとして、結局後者となって人生を終えた。死ぬ瞬間、僕の心は穏やかだった。確かに病気とはいえ、32歳という年齢で死ぬのは多少心残りはあったが、だが血の涙を流すほどの悔しさはなかった。なぜなら僕の人生は非常に空虚であったからだ。

 僕には永遠を誓った女性がいた。別に珍しくもない。何とか就職できた広告代理店で一緒に働いていた2歳年下の地味な女の子だ。いや、僕が死ぬ時にはもう30歳だったから女の子というのはちょっと適切ではないかもしれない。正確に言うと、出会った時女の子で、そして僕が死ぬまでの6年でだんだんと女性になっていったのだ。僕はそれなりに彼女を愛していたし、彼女もそれ相応に僕を愛してくれていたと思う。それを僕は幸せに感じていたし、死んだ今であっても、その意見を変える気はない。

 だけれど、彼女がいたことで苦しいほどの未練を生きていることに感じていない。子供は生まれなかったけれど、僕も彼女もそのことにあまり執着していなかったので、それについても特筆して悲しむべき事項としてはあげられなかった。

 つまり僕は生命と第一目標である子孫という面でも、倫理的観点からの最たる目標であるとされていた愛情という面においても空虚であったのだ。

 その原因というか、要因というか、敗因というか。概して言えば理由としては冒頭に述べた通り僕が根っからの傍観者であったからだと思う。どんなことであっても、心のどこかで僕とは関係ないこととして起きているように思えたから、人生の集積のようなものが僕自身に残っていないのだ。生きている間は周りに他人の人生の集積の間に錯覚として僕の人生の集積に似た何かを見出していた。けれど死んで本当の意味で一人になったことで、僕はその錯覚を失った。つまり僕の人生の集積に似た何かすらも失った。

 ここまで長々と語ってきたように、僕の人生は一言で言えば「無」なのであった。


 だから。いや、特に因果関係は求められないのだけれど、だけどあえてそこにありもしない因果関係を求めて、だから、死して僕が最初に出会ったのは一匹のカエルだったのかもしれない。


 「本当に何の未練はないんだね」

 とそのカエルは僕の傍らで言った。現世の常識で言えばそのカエルはあまりに突拍子もなかった。そのカエルはやけに長いシルクハットを被って、やけに品のいいタキシードを着ていた。なぜか小さな黒い傘を持っていたし、人の言葉をしゃべるし、行動もやたらと人間臭かった。でも僕は何も驚きはしない。死後の世界を信じていなかった僕にとって、死んでも意識があることの方が驚きであったし、そのカエルが僕に何か被害を加えるわけでもないのである。

 僕が「ない」と短く答えるとカエルはそのカエルは向きを変えてゆっくりと歩き出した。そしていくらか歩くと左右にも上にも永遠と続く壁とドアがあった。何の変哲もない、木製のドアだった。

 カエルは僕の肩に飛び乗った。そして耳元で「開けろ」と言った。二言目でやっと気づいたが、その声は思いのほか深みのある、それでいてくせのない声だった。僕は何度も言う通り、傍観者である。だから彼の言うことに逆らったりしない。僕はそのドアを急ぐでもなく、ためらうでもなく開けた。


 そこは小さな町だった。ただ周りには僕が今通った壁のような、文字通り天まで届くほどの壁に囲まれていた。完全な閉鎖性、とでも言うのだろうか。とにかく僕が生きているころに見たことのあるどの町とも一致しなかった。これが死んだ後に皆が行くという天国なんだろうか。あるいは地獄。あるいはどちらでもなく、いつか輪廻転生のように次の世界に来たのだろうか。

 「君が気に病むようなことは何もない世界さ。そして誰も悲しまない世界さ。私は何でも知っているカエルだからね、間違いないよ」とカエルは耳元で言って、そしておもむろに傘をさす。そう、雨が降っているのだ。その雨は気にならないほどの小雨でもなく、そして外も出歩けないような大雨でもなかった。しとしと、と穏やかに降る雨だ。

 僕は「傘を売っている店はないのか」とカエルに聞いた。

 するとカエルは「そんなものを売っている店はここに一つとしてないさ、私は何でも知っているけどね」と答えた。僕が「それは困るな。ここはほとんど雨が降らないのかい」と聞くと、カエルは小さく笑ってこう言った。

 「まさか。むしろその逆だよ。ここは雨のやまない世界なんだよ。私は何でも知っている。そしてこの世界で雨が降らなかった時間は1秒もない」

 僕には理解できなかった。雨が降り続ける世界で傘がないというのは、非常にアンバランスで不可思議な話である。「それじゃあ、雨合羽とか、雨よけになるようなものはないのか。君が持っているその小さな黒い傘じゃ役に立たないし、このままじゃあ僕はずぶぬれになってしまう」と僕は言った。

 「濡れて歩くのさ。心配ない、君がこれから暮らす家にはちゃんとタオルもあるし、ドライヤーもある。寒ければ風呂だって入れる。ただそこまでの道で濡れる、それだけのことさ」

 カエルは当然のように言った。僕はそれ以上の議論が無駄であると悟る。ここではそれが普通ということなのだろう。普通というのは母集団によって変化する。だから現世とこの死後の世界で「普通」が違うことになんの合理的な理由もないのだろう。僕は傍観者なのだから、それに従う以外の選択肢はなかった。自分だけ傘に守られながら道順を教えてくれるカエルが言うままに、僕は時々濡れた髪をかき上げながら歩いた。

 そうして辿り着いたのは小さな小屋だった。表札もなければ、一つの植木鉢もない。本当に家に最低限必要なものだけを切り出したような小屋だ。ドアをノックしてみるが、何の反応も帰ってこない。ドアノブをに手をかけると、鍵もかかっていないようで、ドアノブは素直に回った。

 家の中にはやはり誰もいなかったが、タオルや着替えはきちんと畳んで置かれていて、風呂も沸いているようだった。挙句の果てには、湯気の立ったコーンポタージュまであった。

 「誰か暮らしているのか?」と僕は問う。

 「いんや? ここには君しか住まないよ。私は何でも知っているからね。なぜ色々準備してあるか教えてあげることはできるよ。君が来る前に教会のシスターに準備をしてもらったんだよ。落ち着いたらお礼に行くと良い」

 とカエルは答えたかと思うと僕の肩から飛び降りたカエルはわずかに開いていたドアの隙間から外に出た。

 「ここは働かなくても食事がもらえる。質素ではあるけどね。だから何もする必要はない。だけれど何をしていてもいい」そう言い残してカエルは町へ消えていった。

 僕はドアを完全に閉めると、乾いたタオルで頭を拭き、コーンポタージュを飲んだ。せっかく準備をしてくれたのだから、と風呂に入って、濡れた服は干して、新しい服に着替えた。

 こうして僕は、この町の住人になったのである。


 それから二日経って、僕は教会に行くことにした。この二日、僕は本当に何もしなかった。ただ時計に沿って、朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べ、そして寝た。食べ物はあのコーンポタージュ以外、すべて果物だった。りんご、ぶどう、なし、かき、いちご、もも、キウイ、パイナップル、みかん……。いつも気づくとドアの横にある窓から見えるようにバスケットに入れて置いてあるのだ。

 だから僕は何も困らなかった。何も悩まなかった。そしてその何もなかった二日のあと、もしかしたらこの果物は部屋の準備をしてくれたシスターが持ってきてくれていたのかもしれない、と思った僕は、文字通り落ち着いたので、教会に行くことにしたのだ。僕はあちらで髪を拭くためのタオルを濡れないように自分の着ている服の中に入れて家を出た。鍵を掛けたかったけれど、そもそも鍵も鍵穴もないので、そのままにして出た。教会の位置は聞かなくても分かった。この町で一番高い建物だったし、この町の道は田んぼのあぜ道みたいに簡単だったのだ。

 相変わらず降り続ける雨ですっかり濡れたころに僕は教会に着いた。両開きのドアを開けて入ると、中は少しひんやりしていた。何の神様か分からないような像が飾られ、そして手前には左右に6列、礼拝のための長椅子が並べられていた。そこにポツンと座っている人影があった。それは紛いもなく青い修道服に身を包んだシスターだった。

 「君がこの教会のシスター?」

 タオルで申し訳程度に髪を拭いてから、僕は控えめな声でそう尋ねた。振り返った彼女はどことなく、僕の妻に似ていた。目の形がとか、輪郭がとかではなく、全体として、人間の総体として、僕の妻に似ていたのだ。

 「確かに私はシスターです。私に何かご用ですか?」

 彼女は女性にしては低めの、例えるなら安いオルガンのファの音のような声をしていた。でもその声は耳に優しい。鋭く空気を切るようなバイオリンでもなく、高らかに空気を奮わすようなトランペットでもなく。だからだとは言わないが、僕は彼女に一定の好感を持った。そして、もう少し彼女と長く話したいと思った。

 「君が僕の家にいろいろと準備をしてくれたと聞いたものだから、お礼をしに来たんだよ」

 「そうですか。でもそれほどのことはしていませんよ」

 「でもその後の果物も君が届けてくれたんじゃないの?」

 「届けたのは確かに私です。でも作ったのは私ではありません」

 「そうなのかい? じゃあ誰が作っているのか、教えてくれるかな? その人にもお礼をするべきだろうし」

 「お礼、ですか。それは無理ではないでしょうか」

 「どうしてだい?」

 「果物を作っているのは、この世界そのものだからです」

 「世界そのもの?」

 「はい。この世界です。この雨のやまない世界です。そしてさらに言えば、この世界はあなた自身です」

 僕はすっかり彼女の話についていけず、黙っていた。

 そんな僕を後目に彼女はこの世界の形というものについて話し始めた。



 この世界には雨が降り続いています。雨と言えばあなたは何を連想しますか? 恵みの雨、悪天候、沈んだ気分。いろいろな事が考えられますよね?

 でもこの世界において雨はある一つの意味に集約されます。それは悲しみを流すシャワー。つまり、涙です。人は悲しみを生み、それを抱えて生きる生き物です。そして悲しみはすべて背負うには重すぎる。辛すぎる。だから、人は涙を流します。悲しみを涙で洗い流しているんです。それはすごく自然なことなのですが、この世界ではそれがとても極端です。人に悲しみを背負うことを許さないほどに。だからあなたがこの世界に来たとき、カエルが言っていたでしょう?この世界は誰も悲しまない世界だって。

 そして、その流れた雨は、涙はどうなるか分かりますか? あなたはその結果に出会っていますよ? 分かりますか? そう、あなたが食べた果実たちです。あれらは人々の悲しみを集めた雨水が育てたんですよ。人の悲しみは果物を与えるんですよ。それは言い換えるなら、人に涙を見せることは人を何も恥ずかしいことではないということです。人に涙を見せた時、それによって周りの人はあなたを助けようと強くなれるから。

 だけれど、一つ忘れないでいてほしいんです。悲しみを他人に預けてばかりでは、あなたは何も知らない人間になってしまうんです。だからあのカエルだけは傘を持っているんですよ。悲しみを涙に流されないように。悲しみを失って学ぶことを忘れないように。

 それがこの世界の形なんです。それが正しいとか、間違っているとか、良いとか悪いとか、そういうことは今は大事ではないんです。ただそうあるということ。


 そしてその形を知ったうえで、空虚に生きたあなたは次の人生をどう生きますか。いえ、明日からどう生きますか? 他人に悲しみを預けること、自分で悲しみを背負うこと。どちらも重要で、どちらも危険です。でもどちらも選ばず、自分の悲しみをなぁなぁにしては、また空虚な人生になってしまうのではないですか?

 自分で背負える分の悲しみを背負って、そうでない分は周りの他人に預ける。そうやって生きていれば、あなたは降り集まった雨水なんかよりも温かくて、確かなものを得られるのではないですか?



 僕は教会を出た。そしてやっとわかった。ここがどこであるかを。


 ここは僕が死のあと、自分の人生を振り返る場所。そしてこれからの人生を考える場所。そして僕の心の世界。それは誰にでもあるはずだ。死んでいなくても、生きているときでも。


 昨日を振り返って、明日を考えるのは自分しか、いない。


 僕はいくらか小雨になった町を、タオルで頭を覆いながら歩いた。


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