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[6DP]入門

 しばらく使われた形跡のないキッチンで僕はお湯を沸かした。賞味期限切れのインスタントラーメン(僕的にオーパーツも同然)を片手鍋に投入。採取時期か不明な卵をトッピングする冒険心はないので、具材は麸のみになる。

 専用丼も発見できなかったため、調理用の片手鍋を器として代用することに。こたつの天板に安全地帯を確保して新聞紙を敷く。上に鍋を載っけておしまいだ。

 箸を渡すや否や、松雪さんは麺をすくいとった。猫舌なのか、入念にフーフーする。適温に冷ましたラーメンを頬張り、飲み下した。

「丸一日、水以外口にしなかったからな」

 決まり悪そうに言い訳したあと、ひたすら麺をすすり続けた。

 彼女のがっつく様子をつぶさに観察しても仕方ない。この時間を有効活用して、僕はここを訪れたいきさつを言及した。

 包み隠さず、高嶺さんとの間に勃発した抗争の歴史を語り始める。


「つまりおまえは物書きの新人賞で名をはせ、高嶺那々美嬢と交際したいと?」

 僕が話し終わると同時に完食し、松雪さんはおなかをさすった。ちなみにもうジャージ着用なので、セミヌードというけしからん姿ではない。

「大ざっぱに言えば、そうなります」

 高嶺さんとお付き合いするのは副賞みたいなものだが、プロ作家になりたいのは真実なので便宜的に肯定する。重箱の隅をつつくと、ややこしいことになりそうだし。

 命令されたわけじゃないけど、僕は正座しながらこたつを挟んで向き合っている。

「あらかたの流れは把握した。で、あたしにどうしろと?」

「ご指導お願いします」僕は座ったまま頭を下げた。「松雪さんから……いえ、松雪先生から創作の極意を学びたいんです」

 顔を上げると、松雪さんは意表をつかれた面差しになっていた。

「なあ──おまえバカなのか。あたしは小説家じゃないぞ」

「承知の上です。松雪さんは名プロデューサーとしてあまたの業績を残し、人々を楽しませてきました。すなわち一流のエンターテイナーです。小説という形態でないにせよ、娯楽を提供するという一点において作家と差異がない。だから僕が学べることも、多々あると思います」

 松雪さんがまじまじと凝視してきた。

「ふぅむ、軽挙妄動じゃないことは認めよう。だが断る。自分でまいた種だろう。身から出たサビのツケを、他人に転嫁するな。あたしは連帯保証人じゃないぞ」

 痛いところをつかれた。確かにこれは僕が招いた自業自得。彼女に泣きつくのは、筋違いもはなはだしいだろう。

 でもここで引き下がるわけにいかない。僕もなりふり構っていられないから。

「お門違いは重々承知ですが、そこをなんとかお願いします。この先も小説を書き続けられるなら、なんだってしますから」

「『なんでも』ね。そこまでして、ならなくちゃいけないものなのか、小説家というのは? 勉強すればするほど就業の確率が増す公務員と違い、努力が報われる保証もなければ、必勝法やマニュアルも確立されてないだろうに」

 エンターテイメントの第一線でしのぎを削る松雪さんだからこそ、説得力があるのだろう。言葉の重みが桁違いだ。

「なれるかどうかは分かりません。でも自分が納得いくまで──心が折れるまで、チャレンジしたいんです」

「限界を見極めたい、か。実に青臭いな。あたしも身に覚えあるし、その考え自体は嫌いじゃないけど」

 松雪さんは髪の毛をボリボリかいた。

「小説にかける思いは、おぼろげながらつかめた。ならば質問を変えよう。おまえは物書きになって、何がしたい? 一攫千金でも夢見ているのか」

「僕が書いたもので、誰かに『面白い』と言ってもらいたいです」

「模範的回答だな。それゆえ個性と面白みに欠けるが。では揚げ足を取ることにしよう。他人を楽しませるのが至上命題なら、生業にする必要ないだろう。ネクタイ締めてスーツをまとい、真っ当に働く傍ら、余暇で書き続けるという方法もある」

 エキセントリックな部屋の住民に似つかわしくない、常識的なたしなめ方だ。

「もちろん、趣味のままにしておくって選択肢もあるでしょう。僕がやっているのも、第三者からすればモラトリアムに映るかもしれない。でも僕の価値観に照らせば、執筆が最優先事項です。理由はごく単純で、『好きだから』。僕が僕であるために、切り離せないものだとさえ思っています」

「思春期ならではの誇大妄想だよ、それは。娯楽作品がなくても、人は生きていける」

「その点に関しちゃ、僕も同意です。ただし小説や漫画があることで、人はより豊かな人生を送れると信じています」

「ふんっ、へ理屈を。口だけは達者だな。メガネをかけているからって、インテリぶるなよ。外したら美少女に変身なんて、都市伝説でしかない」

 松雪さんのメガネに対する偏見がひどい。メガネ男子にこっぴどく失恋したのだろうか。

「どれだけ美辞麗句を並べようと、あたしは主義を変えんぞ。おまえに手を貸すつもりはない。おまえだって小説家への夢破れても、死にはしないさ。当分抜け殻になったとしても、やがて別の道を模索するだけだ」

 高嶺さんとのファーストバウトでは、ここで臆した。でも今日の僕はひるまない。

 真心で体当りしないと、初対面の松雪さんには届くはずもないだろうから。

「かもしれません。僕だって先のことまで見通せない。心変わりするにせよ確実に言えることは、今の僕にとって小説が最上の趣味で、好きなことを一生の仕事にしたいと思っています。その道が理不尽に閉ざされようとするなら、あらゆる手を尽くしてあらがいます」

 松雪さんはへの字口になって、難しい顔をする。

「やりたいことで飯食うってのは、いいことずくめじゃない。天職なんてのはバイトの延長線とか、前触れもなく見つかるもんだ。おまえが墓穴掘って夢の断念を引き合いに出したのは、結果的に正解かもな。潮時じゃないか。ここで負けて引導渡されれば、浮き沈みの激しい作家みたいな商売と決別できる。専業で暮らしていけるプロが、どれだけいると思うね。誇張じゃなく、一握りだよ。親だって、子供を定職に就かせたいだろう」

「奏さんだって……」

 とっさに下の名前で呼んでしまい、僕は言い直した。

「現に松雪さんだって、自由業で成功してるじゃないですか。夢追い人が総じて失敗するってのは、いささか暴論だと思います」

「あたしは天才ではあるけど、決して人生の成功者じゃない。外界との接触を絶ち、居心地のいい殻に閉じこもった、いわば『世捨て人』だ」

 意味深なセリフだった気もするが、僕には紐解けなかった。

「自由業の現実を一つ教えてやる。漫画家や作家は、クレジットカードが作れないんだ。安定した収入が見込めないから。夢にとりつかれた若人よ。おまえはそんな普通のサービスさえ、享受できない生活がしたいのか」

「はい。『普通』なんてくそ食らえです。クレジット決済ができないなら、現金と電子マネーでやりくりしますよ」

「まったく、口が減らないやつだ。小説家より政治家が適職なんじゃないか。いっそ方向性を見直してみるのが吉と、おすすめするがね」

「僕に作家の適性なんてないかもしれません。だとしても、やれることは全部やっておきたい。全身全霊でぶつかって、なおかつ箸にも棒にもかからないなら、後腐れなく筆を折りますよ。不完全燃焼で終わって将来、『やり残したことがあった』と悔やみ続けるのが嫌なんです」

 立て板に水だった松雪さんは唇を噛み、間を空けた。弾切れかもしれない。

「たとえばの話、あたしが固辞したらどうするつもりだった。おまえの願いが届かない可能性だって、多分にあるわけだろう」

「そんなパターン、織りこんでませんね。ノープランです」

「あたしを口説き落とす確信があった、とでも?」

 僕は首を左右に振る。

「そこまで考えてなかっただけですよ。誠心誠意、お願いすることしか頭になくて」

 あきれた、と松雪さんが鼻白んだ。

「でも断られるケースも視野に入れておくべきか。実際、断固拒否されているわけですし」

「鳥頭でもあるまいに、目の前のことしか処理できないのか、おまえ」

「そこをつっつかれると、ぐうの音も出ないな」

 僕は鼻の頭をかく。

「母親とかにも、やんわり注意されるんです。あんたは物事を一つずつしかこなせない、って。でも反面、僕は粘り強さにはひとかどのものがあると自負しています」

「ああ。事実、すっぽん並みの食いつきに、あたしはてんてこ舞いにさせられている。仕事のスケジュールにも、支障をきたしそうだ」

 誤算だ。僕は自分のことばかりで、松雪さんの都合を一顧だにしていなかった。

「ご、ごめんなさい。迷惑、ですよね。すぐに撤収しま──」

 ひざ立ちになろうとしたのに、おぼつかない。よろけて、前のめりに倒れこむ。

 長時間に及ぶ正座のせいで血流が滞り、両足がしびれたのか。ひとたび麻痺したら、当人の意思ではコントロールできない。

 このまま床にキスするかと思いきや、柔らかな感触に抱きとめられた。

 松雪奏さんだ。俊敏に、倒れる僕を支えてくれた。

 松雪さんの胸元に、顔をうずめる形になる。いまだかつて経験のない、マシュマロみたいな甘美な触感。ゆったりサイズのTシャツじゃ分かりにくいけど、着痩せするタイプなんだ。

 そして彼女の体臭が鼻孔を刺激する。嫌悪感を催すにおいじゃない。むしろ肩ひじ張らなくっていいような、安らぎを与えてくれる。男は持ち得ない、母性によるものだろうか。

「何やってるんだ、おのれは」

 とがめるような口調が降ってきて、僕は我に返った。

 松雪さんにハグされ、恍惚となってどうする。慌てて抱擁を脱しかけたものの、脚の制御はまだ戻らない。自在に動くのは上半身だけだ。

「重ね重ね、すみません。ただこれは不可抗力でして、僕にやましい気持ちはないわけで」

「悪くもないのに謝るんじゃない。とんちきなことまで、ほざきおってからに。あたしは交渉を途中で投げ出すつもりか、問いたかったのだ」

 僕は胸の谷間から、化粧っけのない美貌へ視線の向きを変える。

「えと、でも。引き受けてくれない、んですよね。松雪さんの作業を妨害しちゃうから」

「今更しおらしくなったところで、手遅れだろうが。おまえはあたしの時間をいかほど奪ったと思っている。どうせならずうずうしく、とことん時間泥棒してみせろ。男だろ」

 激励してるんだか、クレームつけてるんだか判別がむつかしい。

「質問が保留のままだろ。あたしが申し出を蹴ったら、どうするつもりだ」

「何かしらの、悪あがきはすると思います。あなたに創作のいろはを指南してもらう以上に、素晴らしいアイデアは思い浮かびそうにありませんけど」

「綿密とほど遠い、行き当たりばったりなプランニングだな。その無計画さだと、例の娘との対決に敗れたときのことも、想定してないんだろう」

「はい、考えてません!」

「威張って言うことか、しれ者」

 松雪さんがゲンコツを落としそうな勢いで叱った。

「そ、うですね。ただ一つ、釈明よろしいでしょうか」

 松雪さんは首を縦に振った。

「初めっから、負けを見越した計画なんて、本末転倒じゃありませんか」

「ふむ、青二才にしては至言だな」

「ただドライブ文庫大賞で一次落選した場合、どういう措置をとるかは未定ですけど、二度と執筆しないという誓いは守ります。どんな形であれ、約束は約束ですから」

「〝ど〟がつくほどの不器用さ。語る夢だけいっぱしで、諦めも悪けりゃ要領も悪い。どこかの誰かさんの、生き写しみたいだな」

 松雪さんは嘆息した。中華スープ風味の彩りを帯びた吐息が、僕の額に当たる。

「分かった。やるだけやってやる」

「い、いいんですか」

 僕から持ちかけたにもかかわらず、あまりの急変ぶりに念押ししてしまった。

「大一番に敗れた腹いせで『松雪奏に協力を拒まれたから』と負け惜しみされては、あたしの沽券にかかわるし、寝覚めが悪いからな」

「そんなことしませんって」

 たとえ敗北しても、すべては僕の不徳のいたすところだ。まかり間違っても他者の──松雪さんのせいにはしない。

「あらかじめ言っておく。あたしの方針は『一に特訓、二に特訓、三四がなくて、五に特訓』。すなわちスパルタだ。『体罰だ』『折檻だ』『SMプレイだ』なんて甘っちょろいこと、言うなよ。なお、去る者は追わない。脱走したければ、二十四時間受け付けているからな」

 僕を抱きかかえる、不健康で薄幸そうな童顔お姉さんが鬼教官? どうもピンとこないや。

 でも引き受けてくれたのは僥倖だ。きちんとお礼を述べないと。

「感謝します、松雪さん」

「なれなれしいぞ。以後あたしのことは『師匠』と呼ぶがいい」

 旧態依然とした師弟関係の設定か。

 されど、是非もなし。教えを請う弟子の僕に異議を唱える権利などないし、『郷にいっては郷に従え』だ。

「イエッサーです、松雪師匠!」

 ノリよく応じたはずなのに、松雪さんは気の毒そうに僕を見た。

 まぁ、いい。細かいことは目をつぶろう。

 明日から僕の華麗な逆転劇が幕を開けるのだから。

 高嶺さん、首を洗って待っていろ。軽々しく「負けたら恋人になってあげる」なんて安請け合いするんじゃなかったな。

「天にも昇る心地だからって、ほくそ笑むなよ。不気味を通り越してキモいぞ」

 最後の希望である僕の師匠は、愛弟子を「気持ち悪い」と罵倒する人だった。

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