[4DP]不審者
「ほら、メールなんてしてな──」
結月ちゃんに濡れ衣なことを示そうとして、僕はフリーズした。
無論結月ちゃんはけげんがっている。
僕が固まったわけは、出版社公式HPの画面上部に新たなリンク先が増えたからだ。
『お待たせいたしました。
一次選考通過作を発表いたします!』
すぐには画面遷移せず、いったん深呼吸する。それでも指先の震えは収まらない。
むしろ心臓の鼓動が早まった。ときとともに緊張感が増すばかり。腹をくくるしかない。
えいやっ!
僕は力強く画面上のリンク先をタップした。ブラウザの読みこみバーの速度が、著しく遅い気がする。ワナビが一斉にクリックして、アクセスが殺到しているせいかも。
がんばれーがんばれー。
僕はブラウザアプリにエールを送った。でないと心臓が破裂してしまう。
もどかしくなり、再表示させかけたところで、画面がぱっと切り替わった。レーベルの看板作品に登場するメインヒロインが吹き出しで、「おめでとう☆☆」とねぎらっている。恐らく当ページに名前があるかないかで、星マークの煩わしさが変動するだろう。
彼女のセリフによると、一次通過は184作品らしい。通過率に換算すると、一五%超。
僕は一覧表の先頭から順繰りに見ていった。一行に『「作品名」 作者』の形で表示され、並びはペンネームのあいうえお順らしい。
余談だが僕の筆名は『此処芝ミウ』。本名である『みこしばこう』のアナグラムだ。五十音の順序ってことは、さ行の手前にあるはず。
『「マジシャンは絶対許さない」 九龍|三月〈みつき》
「彼女を俺信者にする闇のバイブル ~用法用量は守ってね~」 ココアパウダー
「ハイテンション症候群」 猿の手も借りたい』
か行とさ行の境目まできて、僕の目がとまった。ついでに呼吸も止まる。
僕のPNがない。
ひょっとしたら読み方を間違えられ、別のところに分類されているかもと思い、最終行までスクロールする。
やっぱり存在しなかった。
「ウソ……だ」
どうしても諦めきれず、禁断のページ検索を行なう。これでヒットしなければ、言い逃れの余地がなくなる。
まずはペンネームの『此処芝ミウ』から。
該当件数──0。想定の範囲内だ。
最後に作品名の『討伐サイコキネシス』を入力してみる。
これまたヒット件数、なし。おのずと、僕の落選が確定した。
人間、落胆しすぎると苦悶の声もあげられないみたいだ。ブラウザを閉じることさえ億劫で身じろぎすらまともにできず、携帯電話をカーペットに落っことす。
三度目の第一関門敗退。回数を重ねるたびに慣れる──なんてことはない。何度経験しようとも、一次落ちは芯からこたえる。
精魂こめた作品を全否定された気分になるからだ。
欠点なんて、自分じゃ見当もつかない。だって僕は『渾身の力作』と思って投稿しているんだもの。最初から落選を念頭に置いて、応募なんかしちゃいない。
しかもこの新人賞、二次選考に進んだ応募者のみ評価シートがもらえる寸法になっている。すなわち第一段階で蹴つまずいた僕には、苦言の一つも返ってこない。
最大手であるドライブ文庫の新人賞と比べると、応募者数は十分の一だ。そして一次通過率はくだんの賞より確実に高い。
にもかかわらず惨敗。お先真っ暗だ。
「そっか。疑って、ごめん。お兄ちゃん、女の子と連絡取り合ってなかったね」
結月ちゃんが僕のスマートフォンをテーブルに載せた。
この娘は僕のペンネームを把握している。だから落選したことは口にせずとも分かるはず。
でも結月ちゃんは「惜しかったね」とか「次がある」とか、言わなかった。彼女は頭のいい女の子だ。加えて空気も読める。上辺だけの慰めが失意に暮れる人間にとって、なんの足しにならないことを熟知しているのだろう。
「でも大丈夫。うちはたくさん勉強して将来、女子アナウンサーになるから」
脈絡なく、結月ちゃんが抱負を述べた。僕が首をひねったからだろう、言葉を付け足す。
「女子アナって会社員だけど、芸能人並みにお金稼げるでしょ。だからお兄ちゃんは〝主夫〟になればいいよ。うちが外、お兄ちゃんは家の中でお仕事するの」
前段がはしょられてるけど、僕と結月ちゃんの同棲ありきなのだろうか。
「家事をして、余った時間に小説書けるよね。そしたらずっと生活に困らないでしょ」
僕は結月ちゃんのセリフを反すうし、鈍った頭で検討を重ねる。
……一つの仮説に達した。外れていて欲しいと、心から願いつつ答え合わせしてみる。
「つまり僕がユズちゃんのヒモ──君に養ってもらって投稿を続ける、という意味かな」
「うん、そだよ」
結月ちゃんは喜色満面で言った。そこに『たばかってやろう』といった色はなく、本心からのセリフらしい。
それがいたたまれなさを助長する。幼女に行く末を案じられる僕って、いったい。
くそぅ。前哨戦でこの体たらく。本番まで試行錯誤の時間はあるにせよ、とめどなく切迫感が募ってくる。ゆとりなんてものは、とうに消えうせた。
高嶺さんとの対決を期して助走をつけるつもりが、大ブレーキだ。もはや自分の感性は信用できない。独自の手法を貫けば、三回のヘマと同じ末路をたどるのは必至。
僕一人じゃ十中八九バッドエンドだ。でも打開する名案も即座に浮かんでこない。
「台所貸して。お兄ちゃんほどうまく作れないけど、腕によりをかけて晩ご飯の用意するね。うちの愛情たっぷり手料理よ。できたら声かけるから」
ふんすっ、と結月ちゃんは腕まくりする勢いで退室した。
五里霧中で絶体絶命の僕は、結月ちゃんの言葉に甘えて思索にふけりたかったけど、彼女のあとを追う。もしも刃物でケガや、コンロでヤケドしたら大ごとだから。
* * * * * *
エキシビジョンマッチで大敗した僕は、とっておきの切り札を行使せざるを得なくなった。温存しときたかった秘策だけど、背に腹は代えられない。
定石や常道なんてものに、とらわれている場合じゃないのだ。たとえ邪道だろうと、頼れるツテはすべて使う。抵抗はあっても認めるしかない。
僕の自助努力では万事休す、と。
逆境を自力で跳ね返してこそのヒーローだろうけど、僕が敗北すればワナビ生命が絶たれる。その最悪の事態と引き換えに惨めな思いするくらい、どうってことない。プライドに固執するなんて、百害あって一理なしだ。
僕はスクールバッグから、新聞の切り抜きを取り出す。
『新進気鋭のマルチプロデューサー』
キャッチーな見出しで始まる記事は、時代の寵児ともいえるニューフェイスを特集するものだった。顔写真もあり、メガネをかけた妙齢の女性が笑顔で写っている。
その人物は〝スノードロップ〟という。無論、芸名だ。
今でこそ顔出しOKなものの、彼女はツチノコ級に未確認の存在だった。以前は裏方に徹し、メディアに露出ご法度の方針を貫いたのだ。年令・性別ともに不詳で、加齢臭のするおっさん説や、プロデューサー集団説、実体のないコンピュータープログラム説すらあったくらい。
正体予想がワイドショーを席巻していた折、本人がひょっこり現れた。むくつけき壮年男性など、とんでもない。
目のさえるような美女だった。
彼女の登場により世間の興味が薄れるかと思いきや、別の意味で加熱する。芸能人顔負けの美貌により、タレント活動も活発になったのだ。
美しすぎるプロデューサー。
それが彼女につけられた肩書きだった。
芸能活動を精力的に行なう傍ら、本来のプロデュース業務も滞らせない。多彩な才能を持ち、超人的なバイタリティ、なおかつ容姿端麗。現実にいるのだと思わずにいられない。
万能の天才、という選ばれし人種が。
同好の士として鼻が高い。スノードロップは数十万に及ぶメガネ愛好者、期待の星だ。
彼女がメガネに対して並々ならぬ思い入れがあると、公式に表明したわけじゃない。しかし僕には分かる。立ち居振る舞いから、メガネに対する愛がほとばしっていると。
洗練されたメガネは、彼女の顔の一部となっているもの。素顔でも美人であることは疑義を差し挟むまでもないけど、素敵メガネによって生来の魅力が天井知らずに上乗せされている。
じかでレンズ越しに見つめられた日には、僕はキュン死してしまうかもしれない。
「私のしもべになりなさい」
なんて言われたら、二つ返事で了承するだろう。僕は忠実なる犬……。
あ、しまった。メガネを語らせたら視野狭窄になる、僕の悪い癖が発動したらしい。
スノードロップが稀有なメガネ女性であることを、とうとうと語りたかったわけじゃない。最も大事なのは彼女と僕が遠い親戚であるらしい、という点。
この細い血のつながりに、前途多難な閉塞感が漂い始めた苦境を打破する一縷の望みを、僕は見いだしたのだ。
「さあ、推して参るか。『心はホットに、頭はクールに』が鉄則だぞ」
スノードロップの美麗な容姿を網膜に焼きつけ、己を叱咤した。
媒体など介さずとも、もうじき本人に会えるのだ。せいてはことを仕損じる。舞い上がって暴走したら一巻の終わり、と肝に銘じなくては。
僕は某マンションの廊下にいて、眼前に堅く閉ざされたドアがある。エントランスホールはオートロック式であるものの、住民が入るのに合わせてからくも突破した。
ここは僕の地元から三駅離れた街の住宅地。学校の終業ベルが鳴るや、一路駅へ向かった。電車に乗り、地図アプリも駆使して見事到着したってわけ。
目的の部屋のネームプレートには部屋番号『713』以外、文字がない。表札代わりなのか、花びらを下に垂らした白い花の絵が描かれている。
なにがしかの暗号かもしれないが、僕には解読不能だった。名前の照会は空振りだったけど、部屋番も含めて住所は間違いないはず。あとは引っ越してないことを祈ろう。
僕は大きく息を吸った。
「よっしゃ」と気合いを入れ、インターホンのボタンを押しこむ。なんの変哲もない電子音のチャイムが鳴った。
インターホンについたカメラを正視。にやけると怪しさ倍増なので真顔をキープする。
……妙だ。いくら待てども、音沙汰がない。
試しに呼び出しを反復してみる。
やはり反応ナッシング。
とちった。留守って可能性、考慮してなかったぞ。アポなしの突撃訪問なのだから、留守も充分あり得るのに。
出直すしか、ないか。でもな──
収穫なしで帰るのも名残惜しく、なにげなくドアノブを握った。ダメ元でひねってみる。
回らなければ心置きなく帰れるしな。踏ん切りをつけるためのトライにもかかわらず、扉が開いてしまった。
やっちまったぞ。内心ビビりながら僕は生つばを飲みこみ、他人の家に足を踏み入れた。
* * * * * *
こうして散らかった室内を進み、挙げ句の果てで事件現場に遭遇した。
過去を回想したところで事態は好転しない。これ以上無為にときを費やすべきじゃないな。
やるぞ、御子柴煌。手始めに安否確認だ。最悪のケースだった場合、救急車か警察署に一報入れないといけないのだから。
僕は自らを鼓舞し、床の空きスペースを気に留めず、物を踏んづけながら緩慢に近寄った。女性の頭の横でしゃがんで戦々恐々手のひらを、彼女の唇の上にかざしてみる。
僕の肌に吐息が当たった。よく見ると、胸も定期的な上下運動を繰り返していた。
とりあえず生存しているらしい。僕は胸をなでおろした。ときを同じくして、一つの疑問が脳裏をかすめる。
彼女はどなただろう。
てっきりスノードロップさんが重体なのかと勘ぐったけれど、全くの別人だった。トレードマークであるおしゃれメガネはないし、妖艶さよりあどけなさが目立つ端正な顔かたち。ノーメイクであろうことが、男の僕にも読み取れる。
年のころは二十歳前後か、ひょっとすると僕と同世代かも。きっと高嶺さんとは違うタイプの美少女に分類されるのだろう。ただし見とれるより、心痛が先立った。
不健康なほどやせ細っているのだ。シャツからのぞく二の腕なんて、贅肉のない皮と骨だけみたいな有り様で、見ていて痛ましくなる。何かにつけ女性はダイエットを気にしがちな風潮だけど、限度があると思う。私見だと、彼女は危険水域だ。
ついでに言及しとくと彼女は部屋着とおぼしき、だぶだぶの白いTシャツをまとっていた。胸元に『寝たら死ぬ』とプリントされている。
シュールな感性だ。雪山で遭難したときでもなければ、使い道なさそうだけど。
いや、この際着こなしなんて二の次か。彼女の身に降りかかった事情を聞くのが先決。
ぼくは彼女の肩を揺さぶる。
「あのぅ、大丈夫ですか」
ソフトタッチだと効果なかったので、強めに揺すってみる。
んんっ、とうめいて女性は気だるげにまぶたを上げた。
「よかった。おケガありませんか?」
声がけする僕に眼のピントを合わせても、女性はうんともすんとも言わない。
「怪しいやつとか見ませんでしたかね。そいつがあなたをこんな目に遭わせたんでしょう」
「不法侵入者なら……いる」
今度は答えてくれた。彼女の意識、混濁してない模様だ。
安堵する前に、僕はぐるりを見渡した。
居間の広さは十畳ほど。玄関へ続く扉のほかにスライド式のドアが一つある。寝室、ないしクローゼットだろうか。
カーテンは閉じられており、屋外の景色はうかがえない。窓の近くにこたつがあるものの、こたつ布団の上に物が敷き詰められているため、足を入れることは不可能だ。あとは作業机があり、デスクトップPCが設置されていた。
この足の踏み場もない部屋のどこかに、強盗が息を潜めているに違いない。最も警戒すべきはスライドドアの奥か。
こっちは丸腰。不逞の輩が武器を所持していたら厄介だ。
「いったいどこにいるんです」
「ここに」
緊張感がマックスになった。
ここまできたら四の五の言ってられない。あとは出たとこ勝負するのみ。
僕は敵の潜伏ポイントを示す彼女の視線を追おうと、正面を向いた。
なん……だと。そんなバカな。
女性はまっすぐ僕を見据えている。
「いやいやいや、僕じゃなくて不審人物をですね」
「貴様はどこの誰だ。名を名乗れ、不審者め」